受容するということ
受容するとは、あるがままを、あるがままに受容すること、受け入れることではないか
全てを、まるごと、このまま受容すること、完全に受容すること、完璧に受容するということだろう
この現実を、この映画を受け入れない、受け入れようとしない、受け入れることが出来ない私をも、
受け入れること
受容することも、拒絶することも、そうしている私も、あるがままとして起こっている聖なる事として・・・
これらは根源からのプログラムであり映画だろう
良い事でも、悪いことでも起きていることは根源からであるからだ
行為も、思考も、根源から、起きていることのすべてがやってきている
「自我・私」も、現在のパーソナリティーもやってきている
やってきていることとは、聖なる根源からであり、それ以外どこからやってくることがあるのだろうか
自分が行為し、自分が思考し、自分が生きているとは、誰もが思うことだろう
けれどもまた、このように思うことすらも、聖なる起こっている事だろう
この頭脳の条件付けも、思考の記憶も、起こることは、どこからやってくるのだろうか
それは、この「自我・私」を生み出し、この映画を生み出している根源から、やってきているのだろう
条件付けも、条件付けへの反応も起こるべくして起こっているのだ
起こるべくして起こるようにして起こっていることとは、あるがままといえるだろう
全てはあるがままであり、何一つあるがまま以外ではない
起こることは、何一つ起こるべくして起きているのであり、私達が起こしているのだと主張
しているそのことすらも、すべては、起こるようにして起こっている
そのことが受容されようと、受容されなかろうと、すべては起こるべくして起きている
これがあるがままだろう
従って、起こること、起きていることはあるがままとして受容されるべきではないだろうか
全ての良い事も、悪いことも、
自分にとって受け入れられることも、受け入れられないことも
自分にとって受け入れられず、望まれていないことも
受容することも、受容しないことも
全ては起きていることであり、あるがままであることだろう
起きていることは、聖なること以外にありえない、根源から以外にはあり得ないからである
根源のマーヤであり、映画だからだ
だから
このあるがままの私を、あるがままの出来事を、嫌なことから逃げようとすることも、それを受け
入れることも、受け入れないことも、根源からであることではないか
あるがままを変えようとすることもあるがままに起こっている
このあるがままを良くしようと願い、あるがままからの解放を願い、あるがままを良くしようと
努力をしているものこそが「自我・私」であり現在のパーソナリティーである
この「自我・私」と現在のパーソナリティーはあるがままを判断し、評価し、非難し、良くしようとし
あらゆる方法と手段を用いて改善し改良しようと努力する、そしてあるがままを受容せず、
観照しないのである
その「自我・私」と現在のパーソナリティーこそが、起こっている事であり、その起こっている事
の反応であり、それがあるがままの起こっている事なのである
観照している永遠のパーソナリティーは決して
あるがままを良くしようとしたり、それを良くしようと努力しない、
あるがままに巻き込まれずに観照し、受容しているからである
あるがままが良くなることも、悪くなることも、あるがままに起こっている
起きていることも、起こらないことも、あるがままに起こっている
思考や感情と同一化してしまうことも、その同一化から解放されることも、あるがままに起こっている
心とマインドは、全ての全てがあるがままに起きている、「映画」として、「出来事」として
あるがまま以外に起きていないことはないからだ
起きていることは、起きていないことも含めて、全てがあるがままだ
あるがままを、あるがままとして、あるがままに丸ごと受け入れることも、受け入れないことも
あるがままに起こっている事である
起こっていること以外には、あるがままはないからである
だからこそ、このあるがままであることだ
あるがまま以外ではあり得ないからである
あるがままであることだ
ではこの「あるがままである」とは何か
「あるがままである」とは「あるがままをあるがままに見ること」であり、
それが「あるがままである」ことではないか
あるがままを見ることとは、あるがままを受容することではないか、
だから、あるがままを受容するとは、あるがままを受け入れることであろう
これらのあるがままを全て受け入れるのだ
この「自我・私」を受け入れることである
この現在のパーソナリティーを受け入れることである
この起こっている事を受け入れることである
この運命を受け入れることである
この出来事を受け入れることである
このカルマを受け入れることである
この思考と感情を受け入れることである
この状況と運命と出来事を受け入れることである
この成功と失敗・破局を受け入れることである
この内面と外面を受け入れることである
この輪廻のシステムを受け入れることである
この輪廻を受け入れることである、神と悪魔を受け入れることである
この苦しみも、悲しみも、喜びも、平安も受け入れることである
この獲得も、喪失も受け入れることである
この全てを得ることも、全てを失うことも、受け入れることである
この現況を、この現在の状況を完全に受け入れることである
このあるがままを、あるがままに受容することも、受容しないことも受け入れることである
そして受け入れようと受け入れまいと、あるがままは何ら変わることなくあるがままである
このあるがままをあるがままに受け入れて、見ている事を受容といい全託するといい
観照しているというのではないか、この受容と全託と観照は一つの状態である
それが観照者である真の私の状態である