問題への対処方法



あるがままの状態をあるがままに受容しないことが問題なのではないでしょうか?

起こっている問題を愛さず感謝せず受け入れないことが問題なのではないでしょうか?

問題を受容せず、問題を非難したり、判断したり、解決しようとすることや問題から

逃避しようとすることが問題なのではないでしょうか?


覚者達はその様に言っているように思えます。


有名なある覚者の言葉を自分なりに解釈してみましたのでご覧下さい。

間違っている考えかもしれませんが読者の自己責任で判断してみてください。




・あなたが問題を解決しようとせず、問題への回答を期待せずに、また問題から
 目を背けずに、問題から逃避することを全面的にやめたとき
 その時あなたが逃れようとしてきたその問題それ自体が完全な意味を明らかに
 することでありましょう。


・事実は問題ではありません。事実は事実であるのであって問題を作り出しません。
 恐怖と言う事実とは問題ではなくて、その恐怖という問題から逃げようとすること、
 問題を解決しようとしたり、原因を調べて解決しようとすることが問題
 を作り出しているのです。

・恐怖という事実は決して問題を作り出したりしません。恐怖は恐怖という現実だからです。
 「私は恐れてはならない」「私は恐れを免れたい」「私は恐れを解決したい」という欲望、
 その思考が、問題を作り出しているのです。

・その問題を解決したいという思考や願望を捨てること、
 私は問題そのものも、問題の解決方法も知らないということを自覚することが
 思考の最高の形態なのではないでしょうか?
 肯定的な思考の思考による追求は本当の意味で考えると言うことではありません。
 それは単なる記憶の反応であり真の意味での高度な思考なのではありません。


・問題を解決しようとする動機を持つことなく、また問題から逃れようとすることなく
 問題への謙虚な愛情を持った接近があるとき
 そのとき心は否定的に心が前へと進むことが出来るのです。


・わたしたちは苦痛や恐れや葛藤などの問題から抜け出そうとしますが、あなたが
 その問題からの逃避や解決をやめて、本当に問題を受け入れたとき、はじめて
 あなたは問題を理解することでしょう。

・あなたは問題についての説明や問題から抜け出す方法を求めていますが、それは
 問題から逃避しようとすることであり、問題から目を背けることです。
 そうではなくてあなたの中にある、その問題とその問題から逃避しようとしている思考
 葛藤を作り出している「もの」と完全に直面するとき、
 その問題そのもの自体があなたを解放することでしょう。


・わたしたちは問題を解決しようとして問題を避けているのではなくて、本当には自分
 を避けているのです。
 わたしたちは「自分自身」という本当の問題を避けているのです。



・わたしたちは自分の葛藤や苦しみや、自分自身である苦痛や恐怖や不安に直面す
 ることを避けているので、自分から目をそらして問題を解決する為の方法や技法を
 求めてしまっているのです。

・しかし問題を避けたい、問題を解決したいと望んでいる者こそが問題なのですから、
 その自分から逃げ切ることは出来ません。

・問題を解決しようとするのではなくて、問題そのものを生み出している原因である
 自分自身の姿を非難や判断なしにじっと凝視している中に
 答えは自ずから明らかになって来ることでありましょう。


・現に実際にそこにある問題から避けようとしたり、解決しようとすることなしに、現に
 あるもの、ここにある現実即ち不安と恐怖、そして、問題を解決しようとして動き回っ
 ている思考の動きを見つめ理解して、問題をじっと受動的に見つめ続けている・・・
 ・・・というその営みが・・・それ独特の和解を齎してくれるのです。

・心は如何なる問題に対して解決しようとしたりせずにその問題や恐怖にじっと沈黙
 して接近することができるでしょうか?
 そのような高度の思考を使うことが出来るでしょうか?
 問題の解決や問題の解答を求めているのは逃避の一形態なのです・・ですから解
 決や回答を求めることなしに問題そのものに優しく愛情を持ってそっと接近するこ
 となのです。


・あなたが問題への答えや解決や解消を見つけ出そうとすることなしに、その問題に
 対して完全に全身全霊をもって耳を傾け、そして実際に一緒にいてあげることが出
 来れば・・・その問題から逃避しようとしたり、問題を非難しようとしたりせずに・・
 その問題のそばに、問題と共にいる沈黙のなかで、その問題と共に流れ、その問
 題と一緒に生きているのであれば
 そのとき、そこには問題が全くない、そこには問題が全く存在していないことが分か
 るでしょう。