行為の主体の種々相
本日は賢者によって行為と一括して呼ばれていることを、悟っていない私なりに考
えてみました。
一口に行為と言っても、それは肉体を動かすこと全般を指しているのですが、よくよく考
えれば行為とは神が行っている事であろうのに、条件付けられている脳から生み出された
「思考」「感情」「欲望」は、自分の想念であり、自分の肉体であり、自分が行為しているのだ
自分が思考しているのだと思い始め、その記憶体が生き続けているのだと思われます。
そしてその記憶体が棲んでいる肉体に、普遍的霊魂と繋がっている現在のパーソナ
リティーが親和性の法則により受肉し肉体と結合したのではないでしょうか?
自体は複雑であり、霊魂と繋がっている現在のパーソナリティーはこの記憶体の反応を
自己自身だと勘違いしているのではないでしょうか?
① 起こっている行為その1(通常この行為を自分が行為していると錯覚している)
■神聖なる肉体による肉体が行う肉体のための自律神経を通じての自律的行為
(瞼の開閉や心蔵や消化や排泄など、また内臓などの働きとその保全)
■神聖なる肉体による肉体のための行為と行動、本能的行為、衝動的行為
■肉体の与えられている特性やDNA等によるプログラムされている必然的行為
(例えば前世のカルマにより自分が殺した仇相手と、今世ではどうしても好きになり
恋愛感情を抱き結婚し、苦しみ破局するなど、カルマからの衝動による行為、事
故、運命、出来事など)
■私達の波長に同調して肉体に憑依したエレメンタルや外部からのマインドコントロ
ールによる行為、しかしながら霊魂と繋がる現在の私には、それが区別できないので
自分が行為していると錯覚している。
■条件付けられている頭脳と肉体による衝動や欲望や葛藤、欲求や願望そしてその行動
■私達との同派長による外部からの頭脳への思考投射や映像投射、記憶投射、テレビや
教育などによる思考と感情と記憶のマインドコントールによる行為
②起こっている行為その2(通常はこの行為を私達は自分による主体的行為と思っている)
■条件付けられている脳に受信され、脳で受けとった化学物質により、又は神経信号に
より生まれたそれら想念の記憶体による行為(それを肉体に入った現在のパーソナリ
ティーは自分の自由意志で行為していると思い込んでいる。)
■その特定の肉体の人種や国籍や伝統や地域性によって引き起こされている思考や
その思考が引き起こす集団的行為。
■その特定の肉体に与えられている才能や傾向や障害によって起こされている天才
的行為や、知能能力、その逆の障害による行為など。
■条件付けされた脳に受信された思考や想念や欲望や概念や観念によって引き
起こされている行為。マインドコントロールやイメージ投射によってテレビによって
大衆洗脳によって引き起こされている行為を、私達現在の私は自分の自由
意志による行為、自分の選択による行為だと錯覚している。
■脳で受信されたそのマインドの記憶(人格)そしてその記憶諸体による行為
■教育や躾や、本で読んだ知識や教えられた情報など、文化や文明に環境や伝統や
宗教や哲学思想によって染め上げられ、積み重なって形成された「記憶の反応」
(人格・思考体・感情体・ワサナ)による行為。・・この記憶という情報を霊魂と繋
がっている現在の私は自分の思考であり、自分の考えであり、自分の行為だと
思い込んでいる。
■この記憶のことを私達は人格と呼び現在の私(現在のパーソナリティー) とは
区別している。がこの人格も霊魂と繋がる現在の私が肉体に繋がることで生じて
いる。
■この人格とは条件付けられている脳で受信した思考や欲望や衝動や行動の記
憶なのであって魂と繋がる現在のパーソナリティーではない。
人格の私とはこの記憶というエレメンタルが反応しているのである・・。
そしてこのエレメンタルが夜にはベッドで眠り夢を見ているのである・・・。
これが人格である私であろう。しかしながら魂と繋がる現在のパーソナリテ
ィーはこの人格及び人格の行為を自分自身であり自分が行為していると思っている。
■現在のパーソナリティーはこの記憶である人格による行為のことを、自分自身
の自由意志による私の行為だと錯覚しており、この条件付けられている頭脳
で受信した思考である「私という観念の記憶」のことを現在の私でありサイコ
ノエティック体の(現在のパーソナリティー)は自分自身だと信じており、自分自
身を取り違えていることに気が付かずにいる。それ故にこの人格の私を自分
自身だと錯覚したが故にカルマを引受け、かつまた肉体を自分だと錯覚した
が故に輪廻を繰り返しているのではないのか?
③起こしている行為その1(私達である現在の私(現在のパーソナリティー) による行為)
■上記の起こっていることに対する態度が、霊魂と繋がる現在のパーソナリティー
の行為であり、それら起こっていることに対してどのように接しているのかが
問題なのであろう。
■肉体に入った魂と繋がっている私達現在の私(現在のパーソナリティー) が体
性神経を使って意志的に行う行為(自律神経による自律的行為ではない)
(しかしながら私達は自分は行為していないという④の意識
から見ている賢者の言葉を安易に受取り、私達は正しく行為
すること出来るのに、行為を放棄し、正しいことを行為しない
状態に陥ってしまっている)
■肉体に入った私達現在の私(現在のパーソナリティー) とは原因体又は
永遠の原子・コーザル体を通じて分離のない普遍の霊魂である永遠のパーソ
ナリティーと繋がっているので、今のところは私達であるサイコノエティック体が
未形成であっても、真我が顕現(意識化)する可能性があるゆえに正しく行為
すべきなのである。(起こっていることに正しく接すべきなのである)
■永遠のパーソナリティーと繋がる現在の私(現在のパーソナリティー) が起こす
正しい行為、助け合うこと、奉仕活動、営業活動、地域活動、家族の仕事、愛行
感謝行や援助作業などを含めて意識的に行う作務、行為、正しい瞑想など
■永遠のパーソナリティーと繋がる現在の私(現在のパーソナリティー) が行う
イメージトレーニング、視覚化ワーク、人々に行う治療、遠隔治療、愛の波動を
投射すること、などなど永遠のパーソナリティーと繋がっている現在の私(現在
のパーソナリティー)はその繋がりがか細く頼りない状態であっても繰り返すこと
で学び学習すること、そのことを行うその行為
■徐々に永遠のパーソナリティーとの繋がりを回復していくにつれて自分自身である
サイコノエティック体としての、また高次で未知なる諸身体の知覚、視力、能力
直感力、相手の気持ちが分かる能力、同調力、感応力などが意識化されていく
ことだろう
④起こしている行為その2(私達である現在のパーソナリティーを覆い尽くしている聖なるマーヤ)
■肉体に入って肉体と結合している現在のパーソナリティーと永遠のパーソナリティーを繋
いでいるコーザル体をも覆い尽くしている神聖なるマーヤ・根本無知、マトリックス、自己感覚。
この神聖なる無明による根本自我・私という観念の想念と行為。なろう、至ろうと努力する
時間と空間で構成されている。
■根本無明としての無知である「私という観念」からの恐怖が私達現在のパーソナリティー
を覆い尽くしている・・・その私という観念からの思考や行為が起こっている。
■私という観念であるこの根本自我は、マインドでもあり、現在のパーソナリティーの奥深
いところで思考と行為を起こしている。
■この永遠のパーソナリティーを包んでいる「私という観念という根本無明」は現在のパー
ソナリティーの現在意識によって「恐怖」「自己実現の欲求」「自尊心」「努力」「飽くなき
探求」「自他の分離・分割」などと言われており、根本的な恐怖と哀しみを引き起こして
おり、二元分離の地球を取り巻いている思考とマインドと「分離した私」の潜在意識層を
構成し、地球の想念帶とも言われているが私・久保栄治にとっては全く不明。
■自我の本体とも言われている恐怖、至ること、成ること等を引き起こしている分離、分割、
無知、高慢、自己関心、自尊心、自と他の分離の二元性、聖なるマーヤのこと。
⑤行為を超えている行為
■時空と自他の分離を超越している霊魂である永遠のパーソナリティーと繋がりを
回復した現在の私(現在のパーソナリティー) は最早意識として思考を超えている
状態から今度は思考を使い、行為を超えた次元から行為する事だろうがそれを含め
①の最低状態から更にこの④を超えた状態までを支えているのが「意識の座」
である「鏡」という意識であり、この鏡である意識が無明である根本自我・恐怖を
初めとする諸々の偽の私によって覆われている・・・しかしながらその偽の私も
この鏡という永遠のパーソナリティーが実在することでなり立っているのではない
だろうか
ここに関しては現在の久保栄治の段階では何も分かっていないので話せないが
現在の私(現在のパーソナリティー) が本来の自分自身である永遠のパーソナリ
ティーとの繋がりを回復し、その永遠のパーソナリティーとして生きそして生活した
とき、行為を超えた行為即ち無行為として自我を含まない行為があると教えられて
いる。が私現在の私(現在のパーソナリティー) はその段階にはないので話すことが
できない。
賢者や悟った方々はここの永遠のパーソナリティーとして話し、意識として思考を
使い、行為されているが、この段階にある賢者の方は思考ではない永遠のパーソ
ナリティーから観ているので、「行為は起こっている」「行為者はいない行為がある
だけだ」との言明がされるのであろうか。
この久保栄治という現在の私(現在のパーソナリティー) はマインド根本無明・根本
自我という神聖なるマトリックスの中にあって、現象界の真実を見ることが出来ない。