自分を放っておきなさい。自分を変えようとする心は私ではありません

2024/06/04(火)
自分を放っておきなさい。自分を変えようとする心は私ではありません。
〈詠み人知らず〉


問題に対するどんな活動も恐怖・自我であることを知って
その問題に対して静かでありなさい。〈クリシュナムルティー〉


思考(恐怖・自我)から自由になるという、思考(恐怖・自我)がないとき
又は
思考(恐怖・自我)から自由になるための思考(恐怖・自我)による
努力がないとき、
その思考の努力が全くない状態から心の全的な変化が生じるのです。
〈クリシュナムルティー〉


私の感想

肉体は最高叡智の結晶であり、私が創ったのでも私のものでもありま
せん。
肉体は最高叡智即ち大生命のものであり、その最高叡智が呼吸し心臓を
動かし、見て感じて、食べて排泄し、産み育て、苦しみ悲しみ生きて
おられます。

産まれ死に、病気になり健康になり、失敗し成功して生きて行為して
おられるのは、記憶という私ではなくてその記憶を使っている創造主・
大生命です。

悩み苦しみ、恐れ楽しみ、喜び悲しみ私として生きているのは大生命
です。

脳も最高叡智のものであり、最高叡智、即ち「生きとし生けるものを
生かしておられる大生命、創造主」が脳を動かして「私」として生き
ておられます。
脳を創り思考を発生させ記憶・私を使っているのは創造主です。
脳は私のものではなく、私こそ脳の結果、記憶なのです。私とは嘘な
のです。創造主が私をお使いになっておられるのです。

これは通常の常識では全く受け容れられませんが・・・

私・記憶は脳の結果なのであって、私とは虚偽なのです。
この魂の表面意識に出現している私という思考は脳の記憶の反応、仮想、
イマージュなのです。

生きて、息して、感じて、考えて、行為しておられるのは、この仮想の
私ではなくて脳を創造し生かし動かしておられる大生命大叡智なのです。
意志し行為しているのは「脳の結果であり記憶である私」ではありません。

脳が生み出したのが五感であり、行為であり、思考であり、その記憶が
即ち私という仮想現実です。

思考し、行為しているのは、脳を生みだし脳を使っている大生命であり
脳の記憶である「仮想の私(即ちこの私)」ではありません。
思考し、行為しているのは、脳を使って生きている大生命、クリエー
ターなのです。
であるのに、この記憶の私は自分が生きて行為していると錯覚してい
ます!!

思考が自分のことを私だと確信してしまっています。
記憶が自分のことを「私」だと錯覚しているのです。
しかしながら
この「私を詐称する自己意識のある記憶」の創造主である本源の私は
その脳の結果である記憶には理解出来ません。

次元が違うからです。

「私を詐称する自己意識のある記憶」として生きて演じておられるのが
創造主である「I AM」でありましょう。

ですので正確に言うと
肉体も心も意識も「記憶である私」さえも最高叡智、創造主のものです。
その最高叡智であり大生命が
思考や感情や肉体や行為としてまた、「この私」として演じ生きておられる
のです。

私や貴方の「私」という錯覚を使って
その最高叡智・生命だけが生きて、思考し、行為しておられます。
私とはその最高叡智、大生命のもの。
私とはその最高叡智、大生命の「映像」であり即ち神が演じておられる
のです。