ジョセフベナーは著書「インパーソナルライフ」の中で私達とはパーソ
ナルな私ではなくインパーソナルの私なのだと言います。
ではそのインパーソナルの私ではなくパーソナルな私を意識面から
捉えれば、
「送受信器である脳」が受けとった”思考の記憶(受動思考)”に
”その脳の記憶と一体化している「私達インパーソナルである魂」の私”が
完全に同一化している状態の意識の事でありましょう。
この混濁状態が現在の地球人類「魂である私」の意識状態です。
私達は「インパーソナルという魂である私」であるのに「肉体や脳」と
結合したために、自分を身体や脳だと錯覚しているのです。
現状での私達即ち未熟な「魂からの私」は、私とは意識それ自身、
魂それ自身であってあなたや万物と一つなのに、
その思考と一体化して自分は魂であることを完全に忘れ果てています。
自分を肉体だと錯覚し、自分を思考だと思い込んでしまっています。
この不完全な状態での「魂からの私」の思考を能動思考と言います。
ですので、この私達の能動思考とは”「私達である魂と繋がる私」の意識”
なのですが、未だにこの殆ど目覚めていない意識なので、魂の意識自身
は自他の分離を超えた全ての魂と繋がっている人類で一つのものであり、
かつ肉体の制約を超えて時間や空間に拡大又は縮小することが出来るの
に、そのことを知らないでいるのだとおもわれます。
そしてこの「魂と繋がっている私」が自分の大元の魂(ハイヤーセルフ
・インパーソナルの私)との繋がりを回復し、大元の魂に回帰したとき
の状態の思考を高次思考と言います。
しかし、これは最早、思考ではなく超意識です。
私達はこの大元の魂で有るハイヤーーセルフと繋がったときに、私達には、
本来の一霊四魂としての働きが現象界に出現すると言われております。
ですから私達は一霊四魂なのに自分を忘れているのです。
前置きが長くなりましたが以上が
ジョセフ・ベナーがいう”私達自身であるインパーソナルの私”と
”パーソナルの私”に関しての私なりの理解です。
ではインパーソナルの私とは何のことでしょうか?
それは自分とあなた、私と対象との分離が無い意識の事です。
残念なことに私は魂なのに自分を肉体と同一視し、思考と深く一体化
し、自分自身との繋がりが塞がれているので、全く分かりません。
想像するに
それは、個人ではない私、平たく言うと人類で一つの私なのでしょう。
私とあなたの分離が無い、人類で一つのI AMの意識の事でしょう。
私とあなた、私と一切万物と一つの分離していない意識の事です。
私と目の前の人や、私とわたしの自我との分離が無い意識の事です。
生き通しの命の私、心臓を動かし、息している大生命の私がインパーソナル
の私のことです。
では、その著作の中で、語りかけられている、あなたと言われている私達は
一体どの私の事でありましょうか?
私には分かりません。
一瞥体験がないので知りません。
このジェセフベナーの「インパーソナルライフ」の著作は高度すぎて
全く「思考と言う塵に包まれている私」には手も足も出ませんので評論
することはできません。
是非皆さんもこの本を購入して見て下さい。
この本で説かれている教えは、用語はキリスト教的なのですが
アドヴァイタの不二一元、客体と主体、自他の分離を超越した
基底の根源次元からの教えと同じように思えるのであります。
それは勿論神道の一霊四魂の教えと同じです。