肉体の中にマインドはあるのか
ニサルガダッタ・マハラジは尋ねる
肉体の中にマインドがあると感じますか
それとも
マインドの中に肉体があると感じますか、と
この場合のマインドとは
思考や感情、想念、知覚や体験の認識のことを指していると思われる
認識は肉体の中か、それともそれらのマインドの中に肉体はあるのか
通常私達の使っている条件付けられているマインドは
基本的に時間と空間という認識形式に従っている
物質は或る時間と、或る空間の三次元に於いて認識される
それと同じように
マインドである思考や感情や想念や記憶も知覚も
時空間の三次元的認識を行う脳や肉体に付随して起きているものとして解釈されている
従って
当然マインドは肉体の中にあると思ってしまう
そう思うこと自体が現在の低次のマインドの認識形式なのだ、
それが時間と空間に縛られた三次元的解釈なのだ
この物質界をこの条件付けられた頭脳が解釈するので、
マインドという思考作用も他の物質と同じように肉体の中における現象と捉えてしまう
しかし
電波や磁波や宇宙線などを見ても分かるように、
空間内はあって、それらは特定の範囲に亘って広く作用を及ぼしている
マインドも電波や磁波や宇宙線と同じような思考波と考えるなら、
空間を占めている物体であるという概念からは遠ざかる
私達の良く行う遠隔治療にしても空間の制約をあまり受けないので、
それは丁度、電波や磁波の様に思考波として機能しているとも考えられる
私達のいまの次元で制約を受けているマインドでは、
時間と空間の認識の枠を出て認識することが出来ないので
マインド自体もそのように、
或る時間軸と空間軸の中に固定した物体のように錯覚してしまうのだと思われる
これは
この低次のマインドが時間と空間の認識形式の中で機能していると言うことだ、
これはこの認識形式を超えた正しい方法では自分を、世界をも見ることが出来ないということだ
ニサルガダッタ・マハラジは
正しくは肉体の中にマインドがあるのではなく、
マインドの中に肉体があるという
通常使う遠隔治療のマインドも同じように世界を包んでいるのであるから、
私たちを経由してのマインド波は
この地球空間に同じように存在していると思われる
けれども、かといってその範囲は他の惑星や他の恒星にまで、
また他の銀河系にまで及んでいる訳ではない
それは
電波の届く範囲が制限されて有る範囲しか届かぬように
私達の思考波や想念波たるマインドの空間の範囲も地球以外には及ばないとおもう
それが他の惑星や恒星や銀河までに及ぶ為には
より根本的な、より精妙なる次元の異なるものが必要となると思われる
それはより根源的なものであり
より力とパワーをもつと思われる
翻って考えると、マインドの捉え方が、自分とマインドと肉体を同一視しているので、
マインドを空間と時間の座標軸の中でのみ捉えてしまうが、
それはもっと肉体をはみ出して拡がり、機能していると言うことだと思う
ニサルガダッタ・マハラジは更に
その上の次元を意識、
更に二元性を超えた非二元性のリアリティーで機能しているものを気づきと
言って、それに詳しく言及している
即ち
マインド、
そしてそのマインドを成立させている意識というレベル
更に
その意識を含み支えている、基底である気づきという非二元性でのレベルを
彼は指し示す
しかし
私達はマインドしか知らない
マインドは意識の中に現れることが出来る
けれども、認識できるものはマインドだけで
私はこの意識なるものを知らないし、認識することはできない
意識は時空間の認識の形式を超えているからだ
勿論、私であるところのマインドではそれを認識も体験もできない
その意識とは沈黙の中、マインドを支えている基底である
更にその意識を支えているのが気づきであり
気づきは、非二元性であるから対象を持たず、
ただ「在る」という。
それは全てを含み
全てを生かし、
愛そのものであり、
全体で、
叡智そのものなのであるという、
それは全ての全てなので、
その及ぶ範囲は他の銀河系に及び、
他の宇宙系に及び、
あらゆる時間に及び、
過去現在未来を超越して存在しているものだと思う
その気づきは莫大なエネルギーを伴っているので
通常の頭脳がそれを認識したならば
(その頭脳自体が変革されていない場合は)
その強大なるエネルギーによりその頭脳自体が粉砕されてしまうのではないだろうか
従って
私達のレベルではその認識は不可能で
まず頭脳が
そして鏡である受け皿の意識が
その気づきの大いなるエネルギーを
受けられるように変革をされていなくてはならない