肉体の死後も生き続けている私



肉体の死後も生き続けているこの私・・この意識的自己、

・・この現在の私(思考体・感情体・記憶体・人格・個人)は

肉体と繋がり結合し、その結果、肉体が私だ、私は肉体だ

私は個人で現在のパーソナリティーだと確信してしまって

いるのと同じく


輪廻転生している私、目を閉じたままの私、幾世に渡って

眠ったままの私(自我体・ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ)も

目が覚めないで未発達未形成のまま、この現在の私(記憶の

反応の私・人格の私)のことを自分自身だと思い込み生き続

けているのではないか?



しかし、この眠ったまま、目を閉じて転生している私はこの思

考の記憶の私と混濁していても、思考感情体の私でもなく、

記憶の反応でもなく、人格の私でもなく、内奥では思考なく目

を開き全てを観照している永遠のパーソナリティー(アーナン

ダマヤコーシャ)と繋がっている私、輪廻転生していても可能

性のある「全体性の私」だという。