マインド、意識、そして気づき
(この三つの全く異なる意識の次元状態)
ニサルガダッタ・マハラジはこのマインドと意識、そして気づきについて
以下のように説明されています
マインドとは:
マインド(マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている)は、たとえあなたが見ていないときでも、想いを絶え間なく生みだしている。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている
マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。
意識とは:
マインドのなかで何が起こっているかを知っているとき、あなたはそれを意識と呼ぶ。
あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと果てし
ない連続のなかで移行している。
これがあなたの(日中の)目覚めの状態だ。
(※私達は私達の内面であり、内部にあると錯覚しているところのマインドが、実は外部にあるのであり、身体という川床の中を流れて、やって来ては去るところのマインドに過ぎないこと、そしてそのマインドの表面に、瞬間的に、焦点が合っているとき、それを私の「意識」の状態であるという、このようにニサルガダッタ・マハラジは言われる。
そして、変化するマインドを知っている「意識」は、そのごく一部分しかマインドを知らず、『そのマインドの全体性に対する「気づき」は発生していない、』という状態であるときの意識のことを「意識」という、と、いわれるのがニサルガダッタ・マハラジである)
(「意識」は、外界(感情や思考や感覚や自己意識、自我)に対してフォーカスしている。そして真の私からの「気づき」は、その「意識」自体の全体性を認識している、と言われる。
更に、ニサルガダッタ・マハラジはその「マインドの一部分しか認識していない意識」についても、さらにその意識それ自体に関しても厳しき言及をされている、【彼(仏陀)はすべての意識が苦痛に満ちたものだと意味していたのだ。】とも言われている。)
(※注釈者が思うに、この意識なるものは、更に多くの階層に分かれて、意識界全体を構成しており、それぞれの次元界では、それぞれの以下の次元界は認識できても、それから上である次元や、更なる気づきである意識状態、即ち「見るものは見られるものである」というところの全体性、非二元性、非分離性を認識することは出来ないのではないだろうか。これが天使や神々達の意識の次元界の限界であるのではないだろうか)
気づきとは:
そしてマインドの全体性、意識全体への直接的洞察である、気づきが現れる。
マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。
あなたはあなた自身を一瞬ある特定の波と同一化し、それを「私の想い」と
呼ぶのだ。
あなたが意識するすべてはあなたのマインドであり、
気づきとは意識の全体性の認識だ。
(私達が意識する対象として知覚し、認識し、体験される意識とは、実は全てマインドでしかない。
マインドを私達の意識であると思っており、その意識自体は認識できない。
であるので
私であるこの意識が意識するもの、意識できるものは、全てマインドであるに過ぎないと言うことである。
だからこそ
私達は全力で、
自分の全てを傾注して、
私達の全注意力を駆使して、
私達には意識できないところの、「未知なる気づきそれ自体」、
「意識を見ている目、それ自体、それ自身」、
「私」、
「私自身」、
「私は在る」、
「全体性」、
「非分離性」
「非二元性」
「絶対愛」
「絶対存在」
「絶対智慧」
「絶対完全」に全ての注意を向け、それを感じるようにしなければならないと言うことだ、とそのように思われる、それが私達の生活であり、私達の人生なのではないか)
明想とは:
ニサルガダッタ・マハラジは言う
「私は、「私は在る」以外何もマインドのなかに置かず、何時間も坐ったもの
だった。
そしてすぐに平安と喜び、すべてを深く抱擁する愛が私の正常な状態となった。
そのなかにすべては消え去っていった――私自身、私のグル、私の生きた人
生、そして私の周辺の世界が。
ただ、平和と計り知れない沈黙だけを残して…。」
「あなたは内面を外面に見て取り、
(悟っていない私達には『外部であるところのマインド』が、外界として、肉体として、家庭として、人間関係として、近所地域の関係として、勤務関係として、社会として、経済状態として、客観世界として、現象界として、投影されているにもかかわらず、それが、あたかも外部に対象として、客体として別個に存在しているように感じられている、と言うところの錯覚をさしていると思われる)
外面を内面として見ているのだ。
(同じように悟っていない私達にはこのマインドを私達自身と錯覚し、私達に知覚出来る感覚、知覚、思考、感情、恐怖、不安、欲情、願望、希望、想像、妄想、体験、経験など全てを自分自身と錯覚している状態を指しているものと思われる)
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。」
と