人類とは同一規格の脳
人類である私とあなたは同一規格の脳が生み出している記憶の反応であり、
わたしとあなたは全く同じ構造だ
敵と味方とは中身も全く同じだ、全く同じ同一の心なのではないか。
私とあなたは別々だと思うように思考しているが
脳が同じ構造である私とあなたは全く同じ心なのだ。脳である心の中身は同じだから。
私とあなたの脳は同じように条件付けられているので、
同じように嫉妬し、同じように欲望し、同じようにイライラする。
そして意識の中身は全く同じなのに、私の恐怖・不安は他人とは異なっていると思っている。
全人類のこの心の中身とは全ての人で全く同じであり、
「私は特別だ、この特別な私」と思う思考は全く同じ思考であり、
全員が「私は特別であり、私は○○人であり他人と異なっている」と実感している。
・・・全員が等しく錯覚している。思考がそのように実感している。
思考は起こっているのに、その起こっている思考は私が考えていると実感する。
神聖なるマーヤである。
その味覚も視覚も聴覚も触覚も嗅覚もそして知覚も、
そしてこの一番になろうとする競争心も、人から良く思われたい、尊敬されたい、幸せになりたいという心も
人を見下す増上慢も、イライラも暴力性も、欲望も実はその実感は同じなのである。思考なのだ。
この苦しみ、恐怖心、不安、羨望、自尊心、自分の考えは他の人より正しくて勝っているという思考も、
脳の条件付けが同じなのでその思考は全く同じだ。人類で等しく同じ思考だ。
全人類の脳は全く同じように同一規格で作られており、同じように条件付けられているからである。
性能や才能、DNAプログラミングなど多少の差はあっても根本構造は全く同一であり、同一製品なのだ。
だから同一規格の脳から生み出されている思考は同じで、全ての人は同じように思い感じている。
それであるにもかかわらず、「私は個人で、自分と他人の感覚は異なっている、自分は他人と異なっている」と
全員が等しくそう思い込んでいる。・・・がその思考は同一だ。
敵と味方、他人と私は全く同じ心、同じ恐怖、同じ嫉妬心、同一製品、同じ同一の中身であるのにだ。
思考が同じだからだ。
全人類の内面とは、同じ脳の条件付けに因って(マインドによって)、構成されているので中身は全く同じだ。
花は一つとして同じ花はないけれど、それは全てが同じく美しい花であるように
指紋は一つとして同じ指紋はないけれども、それは全てが同じく完璧なる人体であるように
同じ心・同じ脳の無限の表現なのである。
その心が(脳が)条件付けられて思考で覆われている。
人類は「私のこの内面とは、自分一人の特別で独自であり、他人とは異なっている」と同じ様に錯覚している。
何故その様に実感(錯覚)するのか?それは同じ脳だからだ。同じ条件付けだからだ。
地球上の誰もが同一の脳の結果であり、心である内面は同じなので
心は思考によって覆われているので
全く同じく同じように自惚れ、そして増上慢であり、自分が一番と思い、嫉妬し、恐怖し、不安に怯えている。
それは同じように同一規格の脳が条件付けられているため、同一の欲望と羨望と不安が生み出されているからだ。
が、その中身・実感とは全く同じなのだ。
私達は同じ思考なので同じように考え、同じように知覚し、同じように他人は敵だと思い
そして自分は特別だと思い、自己を擁護し、そして戦いは続いていく。
これらは条件付けられている脳が生み出している思考という、機械的なプロセスである。
私の内面とは他人の味わっている内面と全く同じなのだ。
他人の内面とは私の味わっている内面と同じなのだ。同じ中身、同じ知覚である。
私とあなたは同じように同じ心が同じように働き、同じように同一のものを味わっている。同一規格の脳だからだ
条件付けられている脳から生じている思考は「分離している私」だ
脳が聞いているのに、脳は私が聞いているという錯覚・私・自己を生み出している。
脳が味わっている味覚なのに、脳は私が味わっているという錯覚・私・自己を生み出している。
脳が見ている視覚なのに、脳は私が見ている私の視覚なのだという錯覚・私・自己を生み出している。
脳のプログラミングが出来事を起こしているのに、脳は「私が生きている私の人生」という錯覚・私を生み出している。
脳が競争心を生み出しているのに、脳は私が競争心を抱いているという錯覚・私・自己を生み出している。
条件付けられている脳が考えているのに、脳は私が考えているという錯覚・私・自己を生み出している。
脳の記憶が反応しているのに各脳は私が記憶しているという錯覚・自分・自己を生み出している
脳が行為しているのに、脳は私が行為しているという錯覚・自分・自己を生み出している。
「他人と異なっている私」とは脳が生み出している虚像・マーヤであるといえよう。
「行為し考えている私」とは脳が生み出している虚像・マーヤであると言えよう。
そして
この脳である心こそ虚像を生み出している神聖なるマーヤなのではないか
カルマと神聖なるマーヤこそ、この現象界であり
現象界こそ源泉の芸術なのではないか
幾何学、数学、数学的応報であるカルマ
一見無秩序に見えるこの現象界は
神聖なるマーヤとして
完璧なる秩序
源泉の芸術
と思える。