意識の進化
自然を見渡すと、そこには分離しているものは何もなく、惑星も恒星の運行も含めてすべては
完全完璧に機能している。
にもかかわらず
現在の所、「自然」から生じている意識は、意識自身の構造は明らかに有情無常を問わず同じであるのに
この脳の意識自体、即ちこの地球に於ける人類の意識は未だ「私は個人」だとする私という観念に染まっている。
これは物質的・非物質的な脳の条件付けに因るのであると思われるが、これは自然が起こしているものであると推測されるのだ。
現象界に於ける時間系列から見れば、地球の現段階の意識は、即ち人類の「脳」がまだそこに至っていないのである。
けれどもこれに反して
未知ではあるけれども、気づきに於ける意識とは、この現在の人類の意識とは全く次元が異なっており
聖賢によって開示されているように
「私は世界である」というところの、分離していないすべての人に内在している人類でひとつの意識である事だろう。
これは注意を要するのだが、この現在の人類である「分離している意識」がそのまま一つの意識と言う意味ではない。
人類の脳は未だ深く条件付けられているためにこの「非分離の一つの意識」を受信できるほどには進化していない。
この「分離している意識」が「気づきという全体性の一つの普遍意識」へと至るには脱皮が必要であり
意識自体の終焉と再生が求められることであろう。
それは仏教的には肉体が存続している状態での「死・涅槃」だけがそれをもたらすことであろう、と推測される。
この状態とは人類がテレパシーで結ばれているという、思考や想念の相互伝達というマインドレベルの意思伝達ではなくて、
個々の意識を観照している高次な意識(気づき)が脳の条件付けを外して、新たになった脳が変革されたということではないか。
この人類が繋がっている意識とは、心や思考ではないし、全くもって個人ではない、
それはすべての人に内在している一つの高次意識のことだ。
この意識は現在でも各個人を内側から観照している「人類で一つの高次意識」なのであって、
脳が変革された結果として、この内部にあって「内部とが部を統合している高次の意識」と同調できるようになったのである。
その高次意識は全人類で全く同じ一つの意識であり、この意識は全ての個々の一人一人のことを熟知しているので
その高次意識に於いては、全人類が高次のテレパシーで全く一つであるという意味である。
そのとき人類は文字通りマインドや想念や「私」を超えて高次意識において一つになる。
それは諸々の脳が進化して肉体をはじめとする諸体が原型と同じように完成したからである。
各個体の諸体の脳はその意識と繋がり、全人類は文字通り一つとなるであろう。
これは時間系列からみれば、地球としての役割を終えたことになり、
次のステップへと人類は一つの意識となった状態で新たなる進化の新しい宇宙を
創造していくのであろう。
この、テレパシーを超えている超意識で人類が一つになっている状態とは、
インターネット回線で全てのPCが繋がっているというような、マインドの思考共有的な考え方ではなくて、PC的には
単体の脳の機能であるPCの性能が極度にアップした結果、全く次元の異なる更なる高次元のクラウドに繋がるようになる。
と言った方が良いのかもしれない。
インターネット上の本体がその高次意識であり、個人であるPCの性能がアップしてサーバーと交信できると言う意味である。
だが、その鍵になるのはこの現在の分離しているように感じている人類の意識が進化することだ。
現在の人類の意識である私という観念は諸体と同一化して自ら分離していると実感はしていても、分離していないのである。
実際には分離などしていないのにも拘わらず、自らを分離していると思っているのが私という観念の特色なのではないか。
私達の苦しみも悲しみもこれは個人的な事柄ではなくて、すべての脳に浸透している全人類で同じマインドの事柄である
私達自体であるところの「私という観念の意識」が自らを分離しているからであり
そのマインド自体は決して分離していない。
そのマインド・心とは脳の条件付けに因ってその様な意識が発生しているのであろう。