愛の出現
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時間とマインド・自我・自己の絶滅死滅
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沈黙・空の領域
観念や思考からでない行為の領域・行為のない行為
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Working maindの領域
高次思考が思考マインドのプロセス・仕組みを完全に看破する・認識すること。自己留意のワーク・学び
「観念からの行為」に気づいている次元。行為がマインドから来たり制約され決定されているの自覚
マインドを超えて行くにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だの認識領域
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Thinking maindの領域
全体的及び各種身体に附帯している記憶の反応・感覚からの反応領域〈思考からの反応の世界〉・自己観察の始まり
観念からの行為の世界。行為は行為者・自己を生む領域
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世界は私だ・私は世界だ・宇宙は私の中にあるのの実感
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☆「見るものは見られるものである」・観察者無しの観察
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非二元性からの沈黙・全き自由の感覚
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あるがままをあるがままに見ている状態・現象と実相という分離の解消
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経験している人・観察者・見る者・記憶・自我(エゴ)の消滅・記憶過程の消滅・全精神過程の消滅
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思考の沈黙。完全なる空の次元
内部は外部であり
外部は内部であるとの『完全理解』が出現している次元・愛の出現
経験されることのない・知覚されることのない・思考されることのない領域
自己や他己が全く存在していない領域
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思考の静寂・全精神過程の停止・時間感覚の停止・完全沈黙へ・静かになること・無であること・何者でもないこと
何も行わず、何もしない、何も願わず、何にも成らず、何処にも行かない、ただ在る、観念のない行為、自由からの行為
観念形成が無い行為。思考のプロセスを伴わない行為の起きている領域・次元。完全なる空の次元へ
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時間のプロセス・マインドのプロセスを凝視すること、完全に理解する
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自我(エゴ)・自己の働きを凝視する、受動的自己凝視。
自我(エゴ)マインドが自我(エゴ)マインドのカラクリを熟知している状態。
段階的な観察者のいない観察。言葉を使わない自己観察。
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観察者の意識。行為とは思考である次元(条件付けからの反応行動を行為と錯覚している)
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模倣の、虚偽の領域、自他が分離していると錯覚している次元。内と外、自分と世界が分離していると錯覚している
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より良い、より愛を与えようとしているものは時間である、その時間の投影の「成る過程」である
混沌、葛藤・恐怖・苦悩からの反対なこと、即ちより高尚で、より平安で、より安定安全で、愛を願う者こそが、それらの恐怖達である。それが希求し、願っているのだ。それこそが愛ではないもの、時間である
目的がなければ行為者はいない。結果を求めることがなければ行為者はいない。
あるがままから逃避しないで理解していること、あるがままは自分自身であると理解し凝視していること
あるがままの内面の空虚を受け入れ理解し、共にいることが実在の誕生へと続く状態に在る
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「他人が、私とは別個に存在している」と見て、知覚している状態は愛ではない・邪悪なのだ
との実感
「自分は、他人とは別の個人だ、精神実体・人格だ」と知覚し認識していることが邪悪なのだ
との認識
愛があると言っている人の中に、愛する対象としての相手や世界がある場合、その愛は愛ではないエゴである
私の全て(知覚・思考・観念・感情・成果)がマインドの創り出した記憶であることを完全に理解する
神の探求・真理の探究・死後の世界等の探求は自分がひとかどの人間でありたいという、自我の満足の要求にすぎない。その欲望を自己欺瞞に陥り、真理からの働きであると錯覚しているのだ。神への、真理への探求心とは本当は他の人を支配しようとする欲望であり、その為に何かになろう、智慧を獲得しようとしているに過ぎない。
愛している自分を意識したときは愛ではない、愛している相手を認識しているときは愛ではない。
嫉妬・混乱・不安・恐怖・苦しみ・悲しみを超越し、改善し、良くなろうとすることが自我(エゴ)の働きである。それらは自我(エゴ)自己からの反応である。それを暖かく自己凝視する中に変革が始まる。
真理・真実を知りたいという欲望は自己拡大の欲望である、それは必然的に信念や知識に縛られる、それ故に理解する力を失う
あるがままから目をそらすことが努力することである。この努力こそがひとかどの者になりたいと言う自己中心的な自我の活動であり、それが混乱と矛盾・闘争とを招く。
自我(エゴ)の働きは集めること、獲得すること、成ること、力を得ること、安心して安定していることであり、その為に信念や知識や成就を、そして解脱をかき集めようとし、自身の満足を求めている。
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自我(エゴ)の終焉を願うこと。悟りを願うこと。神との合一を願うこと。
誰がそのことを願っているのか、その改善と進歩、良くなることを願っているのは誰か、何故願うのか
全ての経験の0.一秒後に、経験者というマインドが出現し、それがそれを分析し、分類し、記録する
あるがままを修正し、良くなろうとすることこそマインドの逃避の、そして自己同一化の働きである |
神との合一・愛の実現を願って努力すること・祈ることは何故するのか、その目的は何か、その動機は何か、そしてそれをしているのは誰か
混沌から、葛藤から・恐怖から・苦悩から脱出し、より高尚で、より平安で、より安定、安全、喜びを願うことが探求なのであると錯覚している
より良い自分になること・より高く、愛深い自分になるように良い行いをすることを願い、実践することの虚偽に気づかぬ限り時間に束縛され、自我の範疇にある
世界が自分以外にあると錯覚して世界平和を祈ったり、世界の救済のために尽力すること
神の探求・真理の探究・死後の世界の探求をし、死後霊界に行くのは自我(エゴ)である。自我(エゴ)が求めるのは力と成就への欲望、ひとかどの人間でありたい、優位に立ちたいという個別意識からである。
自我(エゴ)という幻想体が幻想界である霊界や幽界での生活を始める。
行為は行為者を生み、自我(エゴ)を生む、そして意志を生み、そして欲望と目的を生む、行為は意識マインドから来たるのに、自分が行為していると錯覚する。行為はしていない。行為は自由のみにできるのだ
信仰・信念を持ち、自由に成りたい、無事でいたいとの安全を願うのがマインドの思考・行為の特徴である
知識は苦痛を避ける手段としてマインドによって使われている
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