人類の脳はネットワークで繋がっている
人類の脳は地球人類が全く同じ構造であり、全く同じように機能している。
全人類の脳はネットワークで繋がり、地球人類全体の脳を構成している。一つの脳だ。
各個人の脳は単体で機能しているのではなくて、全体の一部として全体を構成し機能している。
各個人の体験や知識や記憶は個人のものではなくて全体の一部として全体を構成し、全てを共有している。
だがしかし、現在の個体の脳が条件付けられているためにその知覚も認識も発生しないのである。
このネットワークで繋がっている脳を「自分の脳」「単体でのみ機能している脳」と実感しているのは脳の記憶の反応だ
人類の脳はネットワークで機能しており、丁度一つの人体の細胞のように全人類が一つの脳として機能している。
私達個体の脳は地球人類の全体の大きな一つの脳としてネットワークを構成し、ネットワークとして機能しているにも関わらず
脳自体に条件付けが架かっているために脳として、充分には機能せずにいる。
地球人類の脳はこの段階なのだ。
ではその脳の条件付けとは何だろうか?
それは「私という観念」であり、条件付けられている脳が生み出している私、個人、自己という実感である、この私である。
この「他と分離している自己」を意識している私とは、条件付けの結果として脳が生み出している記憶の反応である。
この意識は脳の結果であるにも関わらず、記憶は自分が目を覚まし、自分が夜に眠りに入ると思っている。
だが事実は全くの逆だ
実際には脳の或る部位が機能し始めたので意識が生じ、そしてその意識が記憶部位と繋がり自分が目覚めたというのである。
眠りも然りであり、私が眠るのではなくて、脳の意識を司る部位が眠って就寝するのを記憶は私が眠った私は寝たというのである。
これも条件付けられている脳が生み出している脳の錯覚であり、その錯覚の意識なのだ。
これが私という他と分離している実感をもつ自己意識である。
この意識は勿論、この条件付けられている脳が生み出した錯覚に他ならず、この錯覚である記憶の反応が
脳が視ているのに私が見ている、脳が行為を起こし身体が行為しているのに私が行為した・・といい
DNAによって身体に起こっているにも関わらず
私の肉体だ、私は成功した、私は失敗した、私は病気になった、私は健康になった、私は意識していると言うのである。
これらのこの錯覚は脳の記憶の反応の錯覚であり、条件付けられている脳の記憶がその様に間違って反応しているのである。
私達とはこの脳の記憶の反応であり、脳が生み出している意識なのである。
この個人個人の意識も記憶も実は人類全体がネットワークで繋がっており人類の意識を構成している。
現在の久保栄治の脳の段階では、現在の私とは単なる記憶の反応であり、決して未知なる意識に触れたこともなく
この私は、真の私である意識では全くない。
この私、この条件付けられている記憶の反応が、いくら次元の異なる未知なる「私を含まない意識」のことを推測しても
その推測自体が記憶の応答でしかないため、内実とは
テロや戦争の原因であるところの信仰や信念、確信や知識の体系といったその枠内の事柄に過ぎず
決して未知なる意識には触れられないことだろう。