汝の敵を愛せよ





汝の敵を愛せよ・・この有名なキリストの言葉をヒューレン博士は

汝の敵とは記憶のことであるから、敵を愛するとは「記憶を愛しなさい」ということだと教えております。


では敵であり、ヒューレン博士の愛することによってクリーニングするべき相手である記憶とは何なの

でありましょうか?

記憶それは「未知なるたましいの私」を覆い隠しているこの私のことでありましょう。

記憶とはこのこれを書いているこの私のことであり、これを読んでいるあなたであるのではないでしょうか。



この私もあなたも本当の私・鏡(透明なる意識)を覆っている記憶であり、記憶の反応なのでありましょう。

好きになったり嫌いになったり、苦しんだり悲しんだり、イライラしたり、怒ったり、怒りを抑えたり、判断したり

自分自身である自我に気が付き、自分を良くしようと努力し、自我を終焉させようとしているのも記憶・自我なの

ではないでしょうか?



汝の敵を愛せよとは、どのような意味なのでありましょうか?

この憎んだり、好きになっているこの私、即ち記憶を愛しなさいと言っているのではありませんか?

記憶である自分自身を愛しなさいと言っているのではありませんか?

もし、それが本物の愛であるならば、愛の中には愛する私も、愛される相手もおらず、そこには

ただ愛だけがあり、その愛の中には自と他の区別、我と汝の分離、という幻覚が無いことである

ということでありましょう。


キリストの汝の敵を愛せよとは、即ちこの記憶であり記憶の反応である私自身を愛しなさいと

言うことであるのでしょう。


汝の敵を愛せよとは、記憶が記憶を愛しなさいという事なのでありましょう。


では、記憶である私を愛している私とは一体、誰なのでありましょうか?それは記憶自身であろうし

それは愛のない記憶であり、記憶の反応の思考であるこの私であることでありましょう。



しかしながら記憶がそもそもあることが出来るのは、意識という鏡「意識の座」があるからであり

自己と言う記憶の存在自体が「意識の座」があるからであるという、大前提に基づいております。


記憶という愛ではない私が、記憶である自分を愛することで自らを超えていくことが起こるの

でありましょう。


残念なことに

現在の地球文明を見ると、人類はただただ自己の願望成就のために自然を破壊し、「真の私」

から遠ざかっていくように思えます。


戦争も苦しみも地球である大自然があるから存在しているのであり、そもそもが私達が地球で

ある大自然の一部であり、母である大自然のこどもであり、大自然の一部、大自然自身なので

はないでしょうか?私やあなたが生きているのではなくて大自然があなたや私として今ここに、こうして

生きているのです。

しかし・・・この地球の現状を見ると

母なる大自然は「拝金主義」「利己主義」によって、破壊され、収奪され、汚され苦しんでいるのです。



ですから、私達記憶は、自らの源泉に戻る必要が有ります。

「海から生まれた塩人形が海を見に行って塩が溶けて海と一つになってしまう」ように

記憶が記憶を愛することで、「愛」に帰依していく必要が有ります。

大自然である大海と一つになる必要が有ります。



そもそもが記憶は条件付けられている脳を通じて根源から意識に顕れてきたのでは

ありませんか?私は個人であると言う錯覚は側頭葉から生じているのではありませんか?


ですから記憶も大自然が条件付けられている脳を使って生きている姿なのではないでしょうか?

やがて、記憶は「私を愛しているよ」と唱えることで海と一つになっていくのでありましょう。



大自然から生まれたこの記憶の自我が、自分である自我という記憶を愛する(愛しようとする)

ことによって大自然に戻っていくのでありましょう。大自然へと塩人形は解消されていくのでありましょう。


私達、記憶は大自然から生じてきたのであるから大自然に戻っていくのでありましょう。

私達、記憶は自らを愛することで、愛の中で「空・根源」へと解消されていくのでありましょう。


そして、それが汝の敵を愛せよ・・というキリストの言葉でありましょう。


味方や敵という区別、私とあなたは分離しているという錯覚・・・それは記憶がしています。

愛している私と愛されているあなたが異なっているという誤解・・・それは記憶がしております。

内部と外部を分離していると見ている知覚認識・・・それは記憶の知覚と認識です。

私は全人類なのに私は他者ではなく個人だという錯覚・・それは脳が創った記憶の錯覚です。

自分と他人の区別をし、相手が自分ではないと実感している分離感・・それは記憶の錯覚ですと。



記憶を愛しなさい。

記憶が記憶を愛しなさい。

記憶である自我・自分を愛しなさい。

自分が自分に対して愛しているよと唱える事によって

内なる「愛」に祈りを捧げなさいとヒューレン博士は言っているのでありましょうか。