ヒューレン博士について
ハワイから伝わるホ・オポノポノは非常に易しい言葉で人々に語りかけているが
中身は非常に深いものが有り、私はホ・オポノポノのヒューレン博士にはアドヴァイタの方々
と同じようなものを感じております。これを理解するのは至難の業でありましょう。
無努力は超努力を前提にしており、理解という恩寵には思考の正直・鋭敏さが求められる
のでありましょう。。
ここで私なりにホ・オポノポノを代表するヒューレン博士の言っていることを要約してみました。
①私達はたましいと繋がる潜在意識からなる表面意識(鏡)であり、肉体や脳や諸体ではない。
思い、考え、感じ、話し、聞き、欲し、行為しているのは私達ではない、それは記憶である。
行為し、会社に行って仕事をし、家に帰って家族と一緒にいる私は記憶・自己・自我であり
それは記憶であって私ではない。
私達は肉体や脳や諸体が起こしている五感や思考や感情や欲望や記憶や行為、その知覚
ではない。また私達はたましいと繋がっている鏡であり、私達と一緒に肉体に入り、そして
肉体から去る記憶である個人・人格・自我(行為者・思考者)なのではない。
私達はこの私達の潜在意識の中にある 記憶と同一視してしまっているが、私達は記憶でも
なく記憶の反応・思考ではない。しかし記憶とは私達が作り出したものであり、記憶の責任
はたましいと繋がっている私達にある。
②私達はたましいと繋がっている意識(透明なる鏡)なのであり、肉体でもなく、潜在意識にあ
る記憶ではない、その記憶の反応である思考や感情や行為ではない。この話している言葉も
この行為も、行為に対しての評価や判断も、考えている内容も、その内容を見ている私も
私ではなく、私の潜在意識にある記憶の反応なのである。たましいと繋がる私は思考しておらず
行為しておらず、話しもせず、欲したり望んだり、願ったりはしていない。「思考なく見て」いる。
③この私達の潜在意識にある記憶とは「観察者・見ている私・見られている私」「行為者・行
為している私」、「思考者・考がえている私」、「話している私」、「聞いている私」、「願っている私」、
「感じている私」、「知覚している私」、「認識している私」、等々の「現在意識の私」、「夢を見て
いる私」、「欲望している私」、「その欲望している私を見ている私」「観察者」などの自我である。
自分を肉体や頭脳や思考や感情や記憶と一体化している私・個人人格の私とはその記憶自
身であり決してたましいと繋がっている私ではない。たましいと繋がる私は思考なく見ており、
万物を愛しており、万物に感謝している。
④自由意志とはエゴの限られている視界に基づき、人生をコントロールしようとすることであり、私達は
私達の潜在意識にある記憶・エゴの自由意志に従ってはならない。エゴの選択を選択してはならない。
⑤私達(たましいに繋がる私ではないところの記憶の自己)が他者の中に見えているものとは、私達(記
憶・自我)の潜在意識にある記憶の中身です。よって全てのヒーリングや癒やしとは 自分を癒やすことです。
⑥人生で体験することとは、潜在意識にある記憶があなたに見せていることであり、たましいと繋がる私に100%
の責任があります。私達は記憶と混合し混濁し自分の中にあるもの(記憶)を外部と内部に知覚しているのです。
⑦私達の人生に姿を見せている他者の行動、思考、そしてあなたの中に現れる欲望や思考や感情や自我や想念
に対して、あなたは全幅の100%の責任を負っています。
⑧記憶のそれら(自己及び他己)に「愛しています」と神に唱えることで、あなたの中にある全てが浄められ、あな
たは「空・ゼロ・静寂」を体験することでしょう。その「愛しています」とは何もかも愛することであり、無駄な脂肪か
ら習癖、子供や配偶者や隣人との葛藤や問題など、そのあらゆる起こっている出来事、事柄を非難や評価や
判断することなく善悪や敵味方に分離したり、逃避や同一化することなく、選択することなく、まず一番先にそれ
らの私自身(記憶・自我)、そして全ての万物の私を愛することです。・・・と
以上「人生が変わるホ・オポノポノの教え」(PHP文庫)などを参考にして書いてみました。