私はあるという感覚にマインドの焦点を合わせなさい
ニサルガダッタ・マハラジはいう
「私は在る」という感覚にマインドの焦点を合わせなさい
「私はありて在る」「I AM THAT I AM」の感覚を感じなさい
それにマインドで焦点を合わせ続けなさいと言われる
その「私はある」にマインドで接触を出来るよう焦点を合わせなさい
その「私はある」にマインドでコンタクトできるよう焦点を合わせ続けなさい
自己想起しなさい
変化の絶えないマインドを観照している観照者
幾多の輪廻を観照している、観照者、
その観照者そのものに焦点を合わせなさい
その観照者は非二元性である
そこに焦点を合わせなさい
試みなさい
「私は在る」にマインドで以て焦点を合わせ続けなさい
と言う
「私は〜である」はマインドである
それらは
全て私ではない
意識の領域にあるもの
認識の領域にあるもの
知覚の領域にあるもの
は、すべてが
「私は〜である」である
それは全て
「私はある」ではない
「私は在る」は
二元性ではない
分離性ではない
幾多のマインドの次元ではない
意識の領域にあるもの
認識の領域にあるもの
知覚の領域にあるもの
は全て
マインドの領域であり
想念の私が意識している、認識している
想念の私が認識している
だから
想念の私が知覚している限りは
それは
想念の私であり「私は〜である」であり
「私はある」ではない
「私は在る」!!!に焦点を合わせなさい
と
ニサルガダッタ・マハラジは言う
現在の肉体を私だと思っている私は単なる想念であり、概念であるから
現在のマインドである思考と感情と願望と不安と恐怖と暴力を自分と思っている私は単なる想念であるから
現在のこの輪廻転生している主体を、輪廻転生している魂を私と思っている私は単なる概念であるから
ニサルガダッタ・マハラジは
その概念や想念には同じように想念や概念でもって打破するようにと言われる
この「私は〜である」には
同じようにマインドでもって
「私は肉体ではない」
「わたしは精妙体ではない」
「私はマインではない」
「私は限定された輪廻転生している魂ではない」
「私は内部に現れる、知覚される対象ではない、それらのマインドではない」
「私は二元性の主体や客体ではない」
「私は分離性の私ではない」
「私は私ではない」
「私は在る」
と
これらの
想念はこれらのマインドは有効である
そう思うこと、ドアをたたき続けることは、非常に役に立つと言っている
私達にとっては非常に有り難いことである
けれども
これらのことによって結果を思ってはならない
ともいう
結果は既に決まっていて私達がそれに関与できない
私達は行為者ではない
私達は主体者ではない
私達が人生を生きているのではない
私達の人生は筋書き通りに運ぶように動いていてそれはブラフマンの人生であり
私達の人生と勘違いしているだけだと思う
私達が行為しているのでない
私達がこの肉体を動かしているのはない
私達が欲望したり、願ったり、懇願したり、希求したりしたりしているのではない
私達が闘い、努力しているのではない
私達が不安を感じ、恐怖を感じ、憎悪を感じ、自己関心に囚われ、自分と他人と比較しているのではない
私達が将来を心配したり、仕事のことでイライラしたりしているのではない
私達が仕事を行い、家計を支え、仕事をして収入を得ているのではない
私達が意識しているのではない
私達の内面は私達のものではない
私達の思考、感情、意識の内部は、そして外部の全ては起こっている
ただただ完璧に完全に
それを
完璧でない、完全でないと
思わされている
何故なら
そのように真実を見ること
あるがままを見ることは
封印されているからである
と思われるからである
あるがままをあるがままに見られたとき
実相は現象であり
アートマンはブラフマンであり
全ては完璧なのだと言う
しかし
その封印が解かれることも全ては起こるのだ
起こるのであって
起こすのではない
そこに私達が関与できない
影響を与えることは出来ない
この方法を尋ねること自体が
条件付けである
私達は結果に影響を与えることは出来ない
とニサルガダッタ・マハラジはいう
結果は起きる
結果は起きている
設計図に従って
寸部違わず
結果は私達のいかなる努力によっても
いかに力を尽くしても
いかに闘い
いかに願っても
それによって左右されることはない
結果に影響を与えることは出来ない
結果を左右することは出来ない
という
だから
安心して
任せるのだ
私達がそれに対して
行うこと、考えること全ても結果であって
私達が干渉することではない
私達に出来ることは
干渉ではなく観照すること
内部は私ではない、と
外部は内部である、と
そして
その内部は私ではなくて
ただただ、これは起こっているのであり
その内部は
マインドであり
二元性であり
私ではない
それは
起きているのであり
起こることであり
私ではない
私達は観照者であり
私達は世界であり
私達は一つであり
全体であることを
全てに遍在し、全てを照す光であり
過去現在未来を超越し
時間と空間を超越した全てであり
存在そのものであることを
思い出そうではではないか
そのようにマインドで
焦点を合わせなさい
と
ニサルガダッタ・マハラジはいう