神について
じつはこの題材については触れたくないし、言葉では誤解するしかないのだが
間違っている観念を抱いている方が多いので、あえて恐れ多くも、語る資格の
ない私が神について述べてみたい
では一体、神とは何だろうか
いずれの正しい宗教は「神は吾がうちにあり」と教えておられる
神の最も相応しい言葉とは「I AM THAT I AM」であるといわれている
神とは真我のことであり、真我のさらの内奥の実在であり、既に全ての人々のハートに実在している
それは「なること」「到ること」「時間や空間」「心・わたし」「知覚・認識・意識」と言ったマインドの範疇ではなくて
それらを成り立たせている源泉であり、全てであるものである・・がしかしそれは知覚や認識の対象とはならないのだ
真我とは神のことであり、それは外部ではなくあらゆる私達の内部の内部にあって私達現在のパーソナリティーを支えている
神は個別的霊魂の全体なる霊であり、それはハートに位置しており、外部に出現するものではなく、又知覚の対象とはならない
従ってそれを逆に言えば
外部や知覚対象とは神ではない、それは神の現象であるからだ、まして内ではなく外の対象に神として出現したりする
ところの「自分は神だという」神々とは決して神ではない
内部の心やマインドや想念として出現するものは神ではない
神は吾がうちに既に実在している、未知なる絶対主体である
あらゆるものは神を離れて存在していない
あらゆるものは神から離れていないし、あらゆるものは神を離れて存在することは出来ない
従って、全ての生物も無生物もそして人間も神を離れては存在していない、
全ての次元も、全ての宇宙も、全ての空間と時間も、神を離れては存在することは出来ないからだ
神なくしては、神々も、他の次元も、他の宇宙の方々も、他の人類も、地球の人間も、あらゆるものは存在し得ない
神とは絶対の主体であり、対象ではなく、視覚や超感覚の対象ではない、従って視覚や超感覚の対象で神と名乗る者は神ではない
対象として、知覚や体験の対象として出現するものは私達と同じように神々ではあっても神ではない
神とは視覚や知覚や超感覚を成り立たせているものであって、私達のうちにあって見られることなく見ているものである
従ってここに見よ、かしこに見よなどといって私達の前に現れる神々などといった客体は神ではないまた心という主体でもない
内部に於いて言葉や想念で語りかけてくるものは神々ではあっても神ではない、神はマインドではないからである
神とは絶対の主体であるからだ
この絶対の主体はハートの内奥に位置しており、一時的な主体であるサイコノエティック体という現在のパーソナリティー
を見守っている永遠のパーソナリティーの更に内奥の実在のことであり、各人のハートにある「I AM THAT I AM」である
このハートの内奥の極小の一点はあらゆる次元全宇宙を包含し、全時間を包含し超越していると言われている
神は既知なるものではないので、知覚や記憶や認識というマインドの対象ではない
真我とは主客の分離がない根源で在るものである、そこには記憶や体験や経験と言った主体と客体の分離二元性はない
主体と客体の分離がない「共感」→「一体」→「それはわたし」という既に在ったものであり、そこには分離している私はない
そしてその状態
それには、頭脳の条件付けが解消され、新たに生まれ替わった現在のパーソナリティーが遭遇するのである
神は見られるものではない、すべてを見ているものであるからだ
神は体験されるものではない、全ての体験を体験しているものであるからだ
神は既にわがうちにあり、全ての人々の内なる神であり、全ての人々に実在する内在と同時に外部と内部の基底である
神は如何なる全ての人々にもハートに位置しており、この物質界にいるときも、死後の幽界や霊界においても
私達の内奥にあり決して現在のパーソナリティーや自我とは離れることはない
神は真我として既に私達のうちに実在しているからである・・とそのように思っている