霊・魂・体若しくは魂・霊・体
2012年を目前にして、現在多くのスピリチャル系の情報が氾濫して
そこの立場からの言説を受けて混乱している人を多く見かけるけれど、一体何が真実であるのか
私達、アドヴァイタ(非二元)を学ぶものは、このところを押さえておく必要が有ると、私は学ぶものの一人として思っている
「見るものは見られるものである」とは、まさに山頂の言葉であり、山の頂にたどり着いた状態であり
その時、主体と客体は一つとなり、ラマナ・マハリシやニサルガダッタ・マハラジやプンジャジやエックハルトやクリシュナムルティー
の言葉が理解される地点でもあると信じている
その地点こそ
行為者はいなかったこと、私とは概念に過ぎなかったこと、私はいなかったこと
全ては起こっている結果に過ぎなかったこと、
外部は内部であり、内部は外部であること
全てはただ一つであったことが実感されるのであろうけれど
そこに到るまでの過程に於いて私達を待ち受けていて、錯覚と言うマトリックスに巻き込まされる危険が溢れている
そこに至るまでの中間である分離界であるところの三千世界にいる状態が
あたかも究極であるように思い込み、そして思い込まされる危険がいつも存在している
そこには決して自由はなく、また私達には自由がないことの自覚もなく、自由を求めることも起こらない世界でもある
そこは二元分離の三千世界であり、その界層に於ける分離した意識であるにもかかわらず
さも究極であるかのようにまことしやかに宣伝されている
そこではマインドである思考と時間と云う錯覚そのものが支配し
私達の意識の座を覆っている状態であり、その次元でもある
それが如何に素晴らしい世界に感じられても、結局は何れの界層においても自他の分離があり時間がある限りは
眠りの(マトリックス)の状態が続いているのではないか
そこは喜びに見えても実際は虚偽であり分離していて悲しみの世界であり、決して真実の自由なる世界ではない
それらの次元界では
記憶と知覚と体験と認識が意識の座を覆っていて
「あなたは私である」という「真実の愛」がない自我というマインドが支配する領域であると思われる
覚者方の言われるように
思考や記憶や時間というものや
この「見る者と見られるものの分離二元」を生みだしているものが「私と言う概念」であり
その「概念」が自己意識をもって人生を生きていると信じており、身体と世界を外部に対象として投影しており
さらに
この私という「概念」こそが真我から発生しているのだと教えられている
そういうわけで、その「私と言う概念」も「存在 」が支えているからこそ仮象することが出来るのではないか
勿論、この無明である分離した意識や無意識そのものも、「存在」が支えているわけであり
従って肉体の誕生や死という現象も、
その肉体の死後に行く界層で身体を離れた後に眼を覚ました「私」なるものこそが「自我」であり、
私ではないものである以上は
死後どこの階層に移行しても、この「概念である私」(霊魂)によって見られ、知覚される世界は、
まさしくこの世と同じく(肉体の眼は開いていても、実際は目は開いていないので)眠りの状態で認識し知覚されている
マトリックス界であることは全く間違いがない
今朝ベッドから目を覚ましたのは私ではなくて、肉体を私であると信じている自我(霊魂)が目を覚ましたのだ
マトリックス三千世界は無明であり、そこでそれを現実であると信じている私とは霊魂ではあっても私ではない
このマトリックスという虚偽を信じている「この私」とは真の私が生み出した「私と言う概念」に過ぎないのではないか
今朝、ベッドから目を覚まして生活し意識している私は「私と言う概念」に過ぎない、この私という霊魂とは思考と記憶の塊なのだ
けれどもこの詐称している世界であり、この現象三千世界というものも実相が在るからこそ仮象することが出来るわけであり
この「私と言う自己意識を持つ私もどき」も真我があるから存在していることが出来る
朝ベッドから目を覚まして「私は目を覚ました」と錯覚する自我がいることが出来るのも
真の私があるからこそであり
仮象として意識の座を覆っていることが出来るわけでもある
もし「意識の座」が無ければこの意識の座を覆うことも出来ないからだ
だから
思考やマインドも非思考や沈黙が支えている
悲しみと苦しみである時間も、時間ではない今が支えていると言われている
分離している偽の私も真の私が支えて下さっているのだ
この基底、基盤こそが真の私でありただ一つなるものであると言われている
従って所謂、世間でよく言われている魂、霊魂なるものとは一体何なのか
多くの鞘(コーシャ)に囲まれている真の私とは、タマネギの皮をめくり続ければ、最後の中身は空であるように、
全体の全てがその中にあるのではないか
一生懸命にこの進化の過程を歩んでいると思い込み込まされている「意識体」とは私ではないのではないか
歩んでいるのではなくて
歩んでいると思い込まされるようにプログラムされた「意識体・私・霊魂」が意識の座を覆っているのではないか
起きている事も、その起きている事に条件付けられて反応している私即ち「自己意識である自我」も
共に、この意識の座に投影されているのではないか
なのに、それなのに、否、だからこそ、この自我(エゴ)である私は思うのだ
私が生きている
私が朝、目を覚ました、
私がベットから起き上がったと
私が考えている、私が知覚している、私が願っている、私が体験している、私が瞑想していると・・・・・・・
現在あらゆるところで2012年を前にして
多くの情報が氾濫して混乱を引き起こしている
特にチャネル系統からの所謂「〇〇」からの情報は
実際の物質化や現象を伴っているだけに、説得力もあり
非二元アドヴァイタの道を学んでいる友人達が、そこの現象に惑わされて
時間と輪廻と分離の「錯覚とカラクリ」というマーヤに引きづり込まれていく姿を見ることは非常に残念なことである
私達のこの現在の意識自身がマーヤであり、眼を覚ましていない錯覚なのだ、それが考えることである思考なのだ
またこの夢の私が行うこととは私が行為していることではないし、それは起こっていることなのだ
と教えられている
それにも関わらず
そのマトリックスを維持し支えるための道具としての「自我」とその思考領域から
私達に語りかけてくる「意識」のこの夢の現実を現実だと信じ込んでしまう
そのマーヤという時間と輪廻と分離の道であり中間界にあるものは思考でありマインドである、従って分離している
その「思考意識」が特に好んで引用している言葉が「霊・魂・体」である
この霊・魂・体という、一見するともっともらしく聞こえるものがくせ者である
この三千世界から発せられている「霊・魂・体」という言葉・概念は分離・二元の範疇に有り
本来の真の私からの「霊・魂・体」という真実から大きく外れていて
矮小化されてしまい自我の理解にフィットできる事へとねじ曲げられている姿を良く見かける
けれど、このねじ曲げている「フォース」は私達の感覚と、この偽の現実マトリックスには非常に近いところにあるため
「概念である私」の波長と同調してしまう
それで現象、いわゆる「奇跡現象」というものを私達は眼のあたりにして、私達は混乱してしまうのである
私達は何を学んでいるのかを、此処で初心に戻って振り返ってみたい
学ぶことそれは何であろうか
マーヤという二元分離(私とあなたの区別)の虚偽を虚偽と見る事
朝、ベットから目を覚まして意識している私達は「私と言う概念」であり、全くの自我であり真の私ではないものである
ということ、だからこそ
存在していない自我を存在していないと見る事
過去現在未来という時間という虚偽を虚偽としてみること
私とあなたという区別、あなたを対象を認識していること自体が虚偽の状態であることの実際を見ること
記憶の虚偽を見る事
輪廻している私とは私ではないことの実際を見ること
思考や感情は「偽の私」から生まれてきており、真の私は思考せず感情していないことの実際を見る事
この知覚や感覚や認識や体験や記憶は全てが分離しており、真の私の状態ではないことの実際を見る事
見る者と見られるものの分離がある状態は真の私の状態ではないことの実際を見る事
ではないだろうか
マーヤからの現象界を維持する力は強大であり、現象を伴って強制力を持っているために
とかく私達は本来の「自由への道」、覚醒という道から外れてしまうのだ
この視覚の映像と知覚と感覚と体験と認識・経験の対象であるこの世界は分離しており悲しみである苦しみである
この世界は真実でもなく、現実でもない、この世界はマトリックスであると教えられている
このマトリックスを維持するために使用されているのがマインドであり時間であり、そして自我である「霊・魂・体」である
それらは私ではない
騙されることなく、虚偽を虚偽として見つめていきたい
現象界 | 実相界 | ||||||
物質次元(又は物質界) (一般的常識の社会) |
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心霊的次元(幽界・霊界) 輪廻転生の世界 |
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魂的次元(神々界) 努力して神に帰還しようとする世界 |
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集合魂(霊)原型的次元(天界) 根源的マインド・マーヤ・時間・空間・分離宇宙 |
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超越次元(実在界) (「見るものは見られるものである」の次元) 既に完全完璧、今此処あるがままの世界 非分離・非二元・全ては一つの世界 |
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物質界への輪廻システム | 輪廻はないが分離が残っている | 不生不滅、不増不減、 色即是空の実相実在 全てはただ一つ、一つは全て 完全なる自由そのもの 絶対愛 |
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物質体(肉体) | |||||||
霊的精妙体などの多くの鞘 (ワサナ人格個人とも呼称されている) |
霊的精妙体などの多くの鞘 (ワサナ人格個人とも呼称されている) | ||||||
エーテル体 若しくはエネルギー中間体 |
エーテル体 若しくはエネルギー中間体 |
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魂(又は霊)又は自我 (分魂又はこれを霊と表現する場合もある)サイコノエティック体 (進化し大元の根源に帰還するという実体) |
魂(又は霊)・自我 サイコノエティック体 |
魂(又は霊)・自我 サイコノエティック体 |
根源の魂・大元の霊 | ||||
プログラム &根源プログラム条件付け |
プログラム &根源プログラム条件付け |
根源プログラム条件付け | 一部の根源プログラム 条件付け |
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コーザル体(記録体) | コーザル体(記録体) | 一部のコーザル体 | ―― | ||||
観照者 (第三の目といわれる意識の座) |
観照者 (第三の目といわれる意識の座) |
観照者 (第三の目といわれる意識の座) |
観照者 (第三の目といわれる意識の座) |
観照者 (第三の目といわれる意識の座) |
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真我 (ハートと言われる真の私・真我) |
真我 (ハートと言われる真の私・真我) |
真我 (ハートと言われる真の私・真我) |
真我 (ハートと言われる真の私・真我) |
真我 (ハートと言われる真の私・真我) |
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