クリシュナムルティーは言います。


「世界と私は一体であり分離することが出来ません。


世界の中の一人の苦しみは私の苦しみです。

苦痛とは全人類で共通なのです。

あなたの苦しみは私の苦しみです。

私の痛みは全人類の痛みです。

あなたの痛みは私の痛みです。

私の苦しみは全人類の苦しみです。

痛み、苦しみ、不安、恐怖は全ての全人類で一緒です。

世界の中のその人の苦しみ痛むその人の苦痛を実際に

実感しているとき・・

そこに愛が出現しています。

世界のあらゆる人の痛みと苦しみを実際に知覚しているとき

そこに愛と慈悲心があります。

ひとりの人の痛みと苦しみは人類全員の痛み苦しみです。

その痛み苦しみとは思考そのものです。

苦しみと痛みと悲哀が全人類の私とあなたを染めています。

全人類が思考に屈しています。

痛み、苦しみ、悲しみ、不安、恐怖、暴力は全ての人類で

一緒に共有しているのです。

世界のひとりひとりの苦痛を実際に知覚しているとき、

私が世界であるとき、そこに愛が出現しています。」と




私の感想

思考が苦痛であり、思考とは全地球人類で同じものであり
その人類で同一の思考が私達全員の「鏡という意識の座」を覆い
尽くしていて、その思考と混濁している状態とは人類で同
じなのであるということでありましょう。
この思考と一体化しているという状態とは全ての人類で共通
していて、現在の地球人類の段階にあって知覚はそれに
支配されている。なので私達は自分を他と分離して異なっている
と知覚している。ということでありましょう。


その思考という苦痛を知覚している「鏡・意識の座」そのもの
は、各人によって形成段階が異なっていても、その鏡自身
とは人類で一つであり、鏡の中核とは神の子であり、それは
自他に分離していない「汝はそれなり」であり、宇宙大で
ありましょうか。
「鏡・意識の座」とは「一霊四魂」の一霊であるということ。
「一霊・直日」は自他に分離していない「霊魂」である
ということでありましょう。

「一霊」は万物であり、万物と分離していないと言うこと。
それは神であり、神の子であり、神には私の神や、
あなたの神というような区別はないということ。
けれども私達の表面意識を構成している四魂の形成度合いは
それぞれで異なっているので、各人で差があります。

私達の本体である神の子・「一霊」(至高の実在・大生命)
とは宇宙と一つ一体であり、それは時空を超えているとい
うことです。その「一霊」がここでクリシュナムルテ
ィーとして、また同時に愛と慈悲(観世音菩薩)として
「世界と私は一体であり分離することが出来ません」と語って
いるのでありましょう。