知覚の扉



今日はこの五感という知覚ではなく、高次の知覚について思索してみたい。




肉体に入り脳と結合した私達、無限にある「神のひとつの細胞である私達
(本来仏性だが)」は未だに光り輝いておらず眠ったままになっていると
言われている。
私達は本来は透明なる水であるのに、今のところは幾重にも汚染されて
いて、真っ黒に混濁してしまっている汚染水のようであると。しかしながら
そうであっても水は水なのだ。この神聖なる神の宮に入った「眠れる神の
子」なのだと。


肉体と繋がった私達は未熟であり、魂と繋がっているのに魂の知覚は
なく、五感と記憶である思考しか使う事が出来ない状態に陥っている。
記憶と一体化しているので記憶が感じる様に感じ、記憶が思うように思い
記憶が行うように行ってしまっているので、私達が思い、感じ、行っている
こととなり、その行為の責任は記憶と一体化している私達にあると。


さらに私達は記憶と一緒に肉体に繋がり、記憶が自分は肉体だと錯覚し
ているので、この肉体の生老病死して死滅する事から生じている経過か
ら時間というものを実感している。当然、魂からの私は記憶と一体化して
いるので記憶が感じているように時間を過去現在未来というように感じ
何ら疑うことはないのだと。


本当は魂の私には時間という感覚・観念があるのだろうか?
魂には此処彼処、私とあなたという距離・分離の感覚があるのだろうか?
この時間空間という知覚は肉体の脳の持つ認識であって魂にはない
のではないか?

過去世と来世という「肉体を自分だと錯覚した結果」に基づいた時間感覚
を持っている記憶(末那識)の知覚は魂からの知覚なのであろうか?魂に
は時間がなく「永遠の今」があると云われているのに、記憶に取り込まれ、
自分は肉体だ、自分は記憶だ、自分が輪廻していると思い込んでしまって
いるのは未覚醒の私達である現在のパーソナリティーなのではないのか?



また記憶が同じ様に自分を肉体だと思い込んだ結果、肉体を基準にして
此処と彼処、私とあなたの分離感を記憶(末那識)が思っているように
魂からの現在のパーソナリティーも記憶と同じように距離・空間というも
のを錯覚してしまっているのではないだろうか?



肉体が持っている距離感覚を思考(末那識)が実感しているのと同じよう
に私達、魂からの意識は、記憶と同じように時間と空間を分離し感じてし
まっているのだと。魂からの私達は本来空間や時間に縛られてはいない
というのに「記憶は条件付けられている肉体頭脳の持っている時空間の
知覚と一体化してしまっている」ので、その記憶の知覚を私の知覚だと
至極当然と受入し何ら疑うことはないのだと。(肉体の頭脳の条件付け
が解除されたならば脳と結合している現在のパーソナリティーは高次の
知覚を認識出来るようになることだろう。しかしこの高次の知覚を得る
ため薬物や意図的方法を用いた場合は脳と諸体のバランスを崩して
しまい現在のパーソナリティーに悪影響をもたらすと言われている)


何故ならば現況の私達は未発達で魂の感覚はおろか、サイコノエティック
体としての超感覚すらないのである。・・と言うのもグルジェフが言うよう
に私達にはサイコノエティック体が未だ形成されておらず、サイコノエテ
ィック体の感覚・知覚がないのである。ただただ肉体と記憶の目と五感の
みで私達は見てしまっているからなのであると。



また阿頼耶識(潜在意識・永遠の原子・アーナンダマヤコーシャ)に於いて
は自他の分離は無いというのに、「末那識という記憶」が生み出している錯
覚と同一化して、記憶と同じように、目の前のあなたは私ではない対象だ
と思い込んでしまっているのだと。



肉体の五感を自分の感覚だと錯覚しているのは「阿頼耶識という潜在意識」
の中にある「記憶・末那識」であり、私達顕在意識(サイコノエティック体)は
その私達の中にある自己自我意識である末那識と一体化してしまっていて
記憶が見るように見てしまい、記憶が知覚するように知覚してしまい、記憶
が行為するように行為してしまい、エーテル複体(プラーナマヤコーシャ)が
感じるように感じているので、行為してしまいカルマを生み出しているのだ
ろう。


しかしながら私達は幾重にも汚染されてはいても本来は透明なる水であり、
内なる魂と繋がっているのである。・・・というのも混濁し、汚れるためには本
来清浄なる水が既に在るから穢れることができるからであると。


穢され汚れるためには真っ白なキャンバスが絶対条件として前提されている
のだからと。如何なる絵画が描かれようとも、そこには真っ白なキャンバス
があるからなのである。如何に混濁している水であっても、濾過すれば清浄
で透明なる水なのであると。





無限にある神の細胞のひとつである私達「現在のパーソナリティー・サイコ
ノエティック体」(本来仏性・本来サムシンググレート)は未だに未形成で知覚
の扉が開かれておらず、記憶(末那識)の中にいて五感・思考(五識)と一体
化してしまっているのは何故だろうか?

魂(阿摩羅識)と繋がっていることを私達が自覚できないのは何故だろうか?


それは努力が足らないためであろう。魂からの私達である第三の目とい
う超感覚が目覚めていない為であろう。

(その為にはホ・オポノポノなどでは「他力本願」成就のために自力行を薦め
ている)


魂からの私達「現在のパーソナリティー・サイコノエティック体・顕在意識」は
未だ未形成で本来の私であるところの高次のチャクラ→魂→霊太陽との繋
りが「記憶(末那識)」によって塞がってしまっているという。


私達には第三の目も、高次の超感覚(阿頼耶識本来の状態)も、その先にある
アチューメント(同調・阿摩羅識・霊魂)という高次知覚(霊魂の知覚)もない。


顕在意識(現在のパーソナリティー・サイコノエティック体)は潜在意識にある
記憶と一体化しており、見ている自分、感じている自分とは自分が一体化して
しまっている記憶(末那識)であることに気が付いていない。魂からの自分自
身(顕在意識・現在のパーソナリティー)は記憶と一体化していて自分が誰な
のかに気が付いていないのであると。


肉体と結合した私達は記憶と一体になっており、この条件づけられている頭
脳の持つ「五感の知覚」から解放されていないのである。


その結果として

ただただ条件付けられている頭脳の中に閉じ込められている私達は再形成さ
れておらず記憶と一体化し、五感と思考しか使う事が出来ない状態になってし
まっているのだと。


感覚も知覚も思うことも行うことも全てが記憶によって汚染されてしまってい
て記憶に支配されていると。

記憶が感じるように感じ、記憶が知覚するように知覚し、記憶が思考するよう
に思考しているのだと。


本来は内なる至高の実在を写し出す透明なる水であるのにも拘わらず、真っ黒
な混濁した汚染水になってしまっている・・・しかし如何に穢れ真っ黒に染まって
いようとも水は水であり幾層にも渡る濾過を経て内なる恩寵により汚染が除
去されれば本来の光を顕すことの出来る透明な水になることが出来るので
ある。



ではこの神の細胞の一つである私達・顕在意識・現在のパーソナリティー・サイ
コノエティック体が目を覚まして活性化し、魂と繋がっていることを再確認出来
る方法はないのだろうか?



それは既に非常に多くの道が用意されていることであるからして、それぞれの
細胞(私達・顕在意識)に合った道を歩めば良いのではないか。




私達「現在のパーソナリティー・サイコノエティック体」が目を覚まし、活性化し、
再形成されて
高次の知覚の扉が開かれ、⇒超感覚(チャクラの覚醒による第
三の目の活性化など)⇒アチューメント(万物との同調知覚)⇒魂の全体性の
知覚へと高次知覚が開かれなければならないのだ。


その為には私達は浄化され、清められ、一体化してしまっている記憶が透明化
されなければないと。



更にその為の具体的な方法を個人個人の特性に合わせて私達は実行しなけれ
ばならない。

私の場合は真言を唱える「他力本願としての自力行」が向いているように思われる

サムシンググレートに対しての全託、祈り、発願でありそれは他力本願という自力
行である。


私達が清められていくにしたがって知覚が拡大し、やがては超感覚を身につ
け、そして更に「同調・アチューメント」の知覚(阿頼耶識)の扉が開かれるとき、
そこには愛しかないと教えられている。


しかし現在のところは残念ながら私は未だ五感と思考しかなく、ヒューレン博
士達・賢者のような内なる高次の知覚は覚醒していない。

それは肉体と繋がった私達であるサイコノエティック体の努力が足らず未発
達であるからであると。


他力本願のためには自力行が必須なのである。



仏教的に言えば私達の第六識「意識」が第七識である「末那識・記憶」を超
えて「阿頼耶識・潜在意識」に至るためには「第六識・顕在意識」の中の「末
那識」が清まる必要が有り、そのためには他力本願を願っての自力行が必
須であるのだろう。梵我一如、物心一如、悉有仏性、霊肉一体であり、素粒子
が空の姿なのであろう。DNAは阿頼耶識から生じているのかも知れない。


・・・と思うこの頃である。



【仏教用語の説明】

法相宗や天台宗や華厳宗などの「唯識」との相似性(久保栄治による)

1~5識・・・視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚などの五感のこと。
       条件付けられている脳とエーテル複体による知覚のこと。
6識・・・・・・記憶に一体化している現在意識・顕在意識のこと。魂と繋がってい
       る現在のパーソナリティーのこと。未形成のサイコノエティック体のこと。
7識・・・・・・末那識と言われている記憶のこと、自我意識、次の潜在意識の中
       にある利己的意識。地球人類全ての過去の想念の記憶体。私とい
       う観念。
8識・・・・・・阿頼耶識と言われている潜在意識、この潜在意識は全人類で一
       つの意識である。が、この阿頼耶識とは自我意識の末那識のこと
       ではない。意識の母胎マトリックスである。分子原子の意識のこと。
       コーザル体にある全人類の記憶のこと。アーナンダマーヤコーシャ。
9識・・・・・・阿頼耶識の基底である阿摩羅識で最早意識とは言えない超意
       識のこと。時空を超えている意識。
       魂の内奥の真我の意識のこと。
10識・・・・・絶対なる本源。万物の本源。これなくしては現象界は一瞬たりとも
       存在出来ないサムシンググレート。
       意識を超えている絶対意識。