神から分離したこの私は新しく開いた目の幻想・・ミルダッド

2024/06/19(水)

神から分離したこの私は幻想。


神から分離したこの私・人格は

新しく開いた「目」の幻想。

この幻想の自己は実体がなく現実性もない。

この私が生まれたのは人間がこの私の死を通じて

自ら本来の私即ち神の自己を知るためである。

この幻想の自己は「外の目」が眩まされ

内なる目が輝かされるときに消え去る。

ミルダッド


私の感想
この幻想の自己とは何だろうか?
それこそがこの受動思考なのではないか。

そして能動思考とは
霊魂からの「新しく生まれた目」がこの幻想の自己の受動思考と混濁し
一体化して染まっている状態の意識の事であろうか。

いわゆる知性とか理性と言われている思考のこと。

だが、この未熟で混濁している能動思考は脳と結合
しているので受動思考が眠るときに

一緒に眠ってしまうのであろう。

ではその能動思考の元である意識(霊魂)の意識とは何か?
更にその霊魂の大元である「霊(ハートの太陽)」の意識とは何か?


では、一つ次元を落としてその霊魂という私
即ち眠ってしまっている私を見ている目(意識)とは何だろうか?
・・・わたしはこの目のことは何も知らないので話せない・・。

ではその逆に、その眠ってしまう私とは何だろうか?
それはこの世界で目を醒まして生きているこの私のことである。

自分が自分の自由意志で行為し何かをしているという幻覚を持ち
常に自分を良くしよう、世界を良くしようとしている私。
それはまた朝、目が覚めた私であり、夜は夢を見ている私である。
それは世界と分離した私がこの自分であり、
私は無であることを知らない私である。

対象(世界・私)を見ているもの(私)は誰だろうか?
自分を対象として観察しているもの、自分を良くしようとし
世界を良くしようとしているものとは誰か?
自己実現を目指し、悟りを開こうとしている私とは誰か?
世界はマーヤであるのに世界を変えようとしているものは誰か?

世界を良くしようとして自分が行動していると実感している者は誰か?
それは自と他に分離している私である。
それは見る私と見られる私に分離し、
世界と私に、宇宙と私に分離している無知である。

それは対象とは私であることを知らないもの(無知)である。

対象がすなわち私であるとき
その実相の目(九次元の目)においては
対象(世界)は無く
対象を見ているもの主体(私)もなく
従って
対象(世界・自己)を良くしようとするものも
いないことであろう。
その目には自己もなく世界も無いからである。
それがミルダッドの言う「外の目が眩まされ」ている状態。
それは言語や心や知覚を超えている九次元であり
「言語道断」であり
思考や知性や理性では近づくことは出来ないし理解することはない。

そのことをミルダッドは言っているのであろう。