三界ハ唯心ノ所現



「三界は唯心の所現」という仏教の言葉があります。

私達がいま生きているこの物質界や死後の世界の全てはただ心の姿です・と。

この言葉は仏教の根幹をなす言葉であるのですけれど、凄く分かり易いですね。

素晴らしい言葉だと思います。


私は言葉の内容に関してはよく分かりませんが、三界即ちこの世とあの世、そして

更なるあの世の全ての全てとはただ心の姿である・・と言う意味だと思います。


私もあなたも、そしてこの私、私自身とは、そしてこの私が知覚している世界と言

う対象も対象を見ている内側の世界も、それは即ちこの主体である私も、対象で

ある私自身も心が現している心の姿である。

・・私とは虚構であり、私とは森羅万象と同じように心の姿である・・・と言ってい

るように思えます。




どの肉体も自分の肉体ではないし、思考や行為とは自分の思考や行為でもない

のに、それを自分の身体である、この意識は自分の意識である、そしてこの自分

とは私の自分だと思っているその本体とは?その私という本体とは人類で共通で

同じ心であり、その心の姿・心の所現がこの私であり、この私も世界もその心が

知覚し認識している三界であり、三界とは、心の現れであり、三界とは即ち心の所

現なのである。内も外も心なのである。・・ということでありましょうか。


私達とはその心の現れ、即ち所現であり、私自身とは実体のない「私という観念」

であり、私の実体とは森羅万象と同じく心の所現なのです。と言っているのでしょう・・

この私とは実は実体がない虚構であり、いないのです。私とは心の所現なのです。


・・という物凄く奥が深く考えもつかないような真実を簡単な表現で一気に表し

ているのがこの「三界ハ唯心ノ所現」であり、驚かされます。




この心の姿がこの私達であり、私自身であり、そしてこの私が見ている世界であり

それは世界を見ている私自身の意識であり、私達が知覚している意識内容・記憶内容

であり、その心が私達自身・主体の実体である・・とそう言っているわけです。


勿論私はこの言葉を理解しているわけではありません。



ただ仏教ではそう言う簡潔な言葉で実相を表現しているので、本当に尊敬している

次第です。


ではこの私とは誰でしょうか?このわたしの本当の姿とは何なのでしょうか?

それに対して、この言葉は完結に回答を示しています。

私とは心の所現である。と

私やあなたとは心であり「唯心の所現」であると。

私やあなたとは虚構であり実在ではない。と

「三界は唯心の所現」。現象界の一切の意識ある主体も、それが知覚する客体も、「見る者も

見られるもの」も、「観察者も観察されるもの」も、森羅万象,一切万物、内も外も、主体も対象も、

殺す者も、殺される者も、奪う者も、奪われる者も、喜ぶものも、悲しむものも、私もあなたも

それらはただただ「アハンカーラ・チッタ」という心の現れ、心の姿です・・と。

「アハンカーラ・チッタ」という心が内側と外側を生み出しているのですと・・・と。




それは、私が生きているのではなく、私が行為しているのでもなく、私が悩んでいるのでもなく

私が苦しんでいるのでもなく、私が欲望に振り回されているのでもなく、私が考えているのでもなく

私が生まれたのでもなく、私が死ぬのでもなく、そして私が肉体を離れて霊界や幽界に行くのでも

なく、私が修行して悟るのでもなく、私が脱皮して自我の殻から抜け出すのではなくて、さらに

私は地球人や宇宙人でもなく、私は私ではない。私とは心の現れなのです。私とはこの「唯心の所現」

なのです。宇宙と世界のすべてのもの、この物質界と幽界と霊界の全ての全てはただ、ただ

心・マインドの所現、即ち心の姿なのです・・・とこの現象界の実相を「三界唯心所現」という簡潔な

言葉は語っていると思います。