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ラマナ・マハルシ: 思考活動は脳、従ってエゴの周りに集中されます。
それはそこでハートからの血液によって栄養を与えられます。従って思考は最終的にはハート
から流れ出るものです。
ラマナ・マハルシ:全ての想念は非実在のもの、つまりエゴから来ています。考えることなく留まっていなさい。
想念がある限り恐れがあることでしょう。
ラマナ・マハルシ:それは誰の想念なのかを知りなさい。それは「私」から生まれていると言うことを発見するで
しょう。
「私」という想念はどこに発生するのですか。それを突き止めなさい。
「私」という想念は消え失せるでしょう。至高の真我がそれ自身で輝くことでしょう。
ラマナ・マハルシ:想念は、数え切れないほどの前世を通じて、チッタ(その中に過去からの印象が蓄えられて
きた心の素質)の中に蓄積された傾向である。
その絶滅がねらいでなくてはならない。
その傾向から解放されていることが清浄だ。
人は意識のある真我を、知覚のない身体と混同することによって欺かれている。
この欺瞞は終わらせなくてはならない。
常にある真我を実現するには努力は必要ではない。
欺瞞を取り除くだけだ。
想念の不在は空虚を意味するのではない。
空虚を知る人がいなくてはならない。
知識と無知は心のものだ。
それらは二元性から生まれるものではなく、真我は知識と無知を超越したものだ。
真我、それは自ら光を発するものである。
真我を見るためには、他の真我を必要としない。
二つの自己は存在しない。
真我でないものは自己ではない。
自己ではないものは真我をみることができない。
見られたり、開かれたりすることは不可能だ。
真我は純粋意識としてただ独りで、向こうに横たわっている。
ラマナ・マハルシ:心を消滅させるどんな試みも為されるべきではありません。
考えたり、欲したりすること、それ自身が想念なのです。
考える人が探し求めるならば、想念は消えていくでしょう。
心は想念の集合にすぎません。
ラマナ・マハルシ:全ての恐れは想念以外の何ものでもありません。
ラマナ・マハルシ:忘却と記憶は想念の形態にすぎません。
想念が存在する限りは入れ代わり立ち代わり現れるでしょう。
記憶と忘却は、人がそれを探し求めても、実在ではないので見いだすことが出来ない
「私」に依存しています。
これらの真理はサムスカーラ(過去から続いている心の印象または傾向)が破壊され
てしまわないので、よく理解されません。
疑念と混同の根はサムスカーラにあります。
それは切り取られなければなりません。
人は、エゴあるいは所有の感覚が完全に除去されないかぎり、即ちあなたが意のまま
に、努力無く心を概念や活動に縛られない状態に保つまで修練を続けなければなりません。