【神道における一霊四魂・霊魂体の解説と
クリヤヨガとの類似性】
※ホ・オポノポノとも似ている
私の私見です
※一霊四魂とは全人類の各人を構成している実体で、一霊とは直霊・直毘・直日
を指し、
四魂とは和身魂即ち真身魂+幸身魂+奇身魂+荒身魂を指します。が、その四魂
とは、各人の発達段階で形成レベルが異なっているということです。
肉体・アラミタマに入り条件付けられている脳と結合した和身魂(四魂)はその
脳からの情報即ち二元分離の根本無明(無知)に染まってしまっているので、そ
の穢れからの自由解放の度合い・・というものが、それがそれぞれの持つ個人の
四魂のレベルであり、それが個人の実存レベル(自己意識・気づきレベル、セル
フエピグノーシス)であるということであります。
全人類は同じ四魂であっても四魂の形成状態というものは、その我性(無知)から
の解放度合いによって異なるということです。マインドにも差があると言うこと
です。
※私達はみな同じ構造の肉体を持ち同じ文化の中で生きているので教えや哲学や宗教に於いても同じようにそれぞれの教えは同じレベルから同じ様に話していると思っておりますが、それぞれの教えは、その教えが、どこの実存レベルから話されているのかによって全く異なることを知らないので混乱することになります。この点でこの神道の一霊四魂の解説は非常に役に立ちます。その宗教がどの立ち位置から話しているのかを知る上で非常に役に立つからです。私達には目がないのでだれがその教えを語っているのか、誰がどのレベルから話しているのかを知らないのです。
※黒住宗忠のいう、人の心とは天照御祖神の分霊であるこの一霊四魂のことであり、また我の心というのはこの四魂を覆い包んでいる根本無明即ち私という観念の記憶・思考を指しています。 この記憶というのは人類共通同一の我の心であり、各人の潜在意識を占有しています。また同じく天の心とはここで言う直毘即ち永遠のパーソナリティーのことを指しております。
【神道による各個人の構成実体】
◎直霊(神道:ナオヒ・天照大御神の御分霊、最高超意識、霊アートマン、
神聖なるハート)
◎直毘(神道:ナオビ、鏡、高次潜在意識、個別的霊魂・原因体コーザル体・
アーナンダマヤコーシャ・聖なる頭頂)
◎直日(エレブナでの高次ノエテック体、高次ノエティカル体、再形成されたサ
イコノエティック体、超意識、潜在意識、聖なる脳の中枢)
※以上を一霊という
◎和身魂(神道:ニギミタマ、意識、セルフエピグノース(現段階の実存、各段階の意識
状態)、
ヴィジュアナマヤコーシャ、マインドの状態・レベル)
■奇身魂(神道:クシミタマ・頭部付近)
(ブッディー・幾段階の顕在意識・純粋理性・高次思考感情体・ヴィジュアナ
マヤコーシャ)
■幸身魂(神道:サチミタマ・胸付近)
(感情体・アストラル体・サイキック体・マノマヤコーシャ)
■真身魂(神道:マミタマ・太陽神経叢付近)
(メンタル体・マノマヤコーシャ・ノエティック体)
◎荒身魂(神道:肉体・肉体脳、アラミタマ、アンナマヤコーシャ+プラーナ
マヤコーシャ、エーテル複体)
※以上和身魂と荒身魂で四魂または鏡ともいう
■この和身魂(ニギミタマ)と荒身魂(アラミタマ)を覆い尽くしているのが「記憶」、
根本無明(私という観念)。人の心である四魂(鏡)はこの記憶に染まって汚濁して
いるということ・・・この現状の自己認識が身禊ぎの前提条件となる。
この「記憶」が感覚と行為と思考を占領し、見ることも聞くことも話すことも、思う
事も、行うことも支配していますので、この「記憶」からの解放がない限りは和身魂
(ニギミタマ)は自分自身のことを理解することもなく発見もできない。
和身魂(ニギミタマ)ははじめの呼吸と共に大生命と一緒に肉体に入り荒身魂(アラミ
タマ)と結合した瞬間からこの「記憶」に支配され奴隷となって肉体を自分だと実感し
、その記憶・人格(エレメンタル)を自分だと錯覚し記憶と一体化して生き続けている
と。
※根本無明とは神聖なるマーヤ・私という観念のこと。
⇒条件付けられている頭脳を介して、この根本無知(自己)が和身魂
(ニギミタマ)を覆い尽くしていますと。(神道で言う穢れ、自我、
我の心。ホ・オポノポノでいう記憶とはこの私という観念の記憶であ
り全人類の記憶のこと。)
※人格の私とは
四魂が記憶と一体化して創出したエレメンタル「私」のこと、今生での個人
人格。
私達である和身魂が同一化して産み出した記憶。思考の想念形態のこと。
⇒和身魂(ニギミタマ)が肉体と結合して産み出しているのが現在の人格
(エレメンタル)であり、過去世に於いて産み出した人格がワサナ(過去の人
格)です。サムスカーラ(前世からの実績・傾向)とカルマ(前世からの
思考と行為の結果)を受けるのがこの和身魂(ニギミタマ)であり、こ
の和身魂(ニギミタマ)が記憶から解放され清まり、拡大して直日と結合
すると教えられております。
■ 私という観念の記憶が、この和身魂(ニギミタマ)荒身魂(アラミタマ)を
包み覆い隠している・・その状態が私達の現在意識の実情であると。
この私達(和身魂)が同一化してしまっている記憶が、カルマ・DNAによって起
こっている出来事に対して常時、反応しているのだと。
私達の行為、思考、見ること、聞くこと、話すこと、知覚、欲望は記憶によってコン
トロールされており、全く支配されていると言われています。
しかもそのことに私達は全く気がついていないのだと。
それは例えるならば、私達であるこの和身魂(ニギミタマ)荒身魂(アラミタマ)は
孵化していない卵の中にいる状態であり
卵から孵化し成長してヒヨコから大空へ羽ばたく鳥のようになって自由になる可能性
があるのだということ。
私達四魂は、記憶が見るように見、記憶が考えるように考え、記憶が聞くように聞き、
記憶が行うように行っていますが、私達は記憶、行為、思考ではなく、天照大御神の御
分心である一霊であり四魂であるといわれております。
私達は幼く未熟であっても「神の子」であり、記憶ではありません。私達は記憶の思考
感情行為ではなくて、それらを認識している意識の「座」であり、「鏡」なのですと。
私達は思考ではなくて、本来は時空を超えている意識なのですと。
意識とは思考や感情の「座」なのであって記憶でも思考でもありません。私たちはセ
ルフエピグノーシスという意識であり一霊四魂なのですと。
ただ、その四魂の意識が記憶(思考)によって、混濁し、自らが自らを識別できない
状態になってしまっているのですと。
ですので、ですから私達は記憶が私達から祓われ、私達である四魂が清まり成長するた
めにも記憶に向かって愛と感謝を捧げ、許しを請い懺悔すること。それによって、
その無明である思考・記憶から解放されるように、直霊(天照大御神)に全託し帰依
し祈る必要があるのであります。
※現在の人類の現況とは四魂が根本無明(穢れ・我性・私という観念及びその記憶)との接
触によって形成されたエレメンタル・人格と一体化し混合しており、内なる実在、直霊・
直毘・直日を顕していない(意識化されていない)状況にあると言うことです。
※私を許し、私に懺悔して、この私である思考を愛して、思考に感謝することがこの記憶の
私からの解放への道なのでありましょう。
本当は全ての全て一切は神であり、神以外には何ものも存在していないのでありましょう。
私達には知覚できませんが、神が万物一切すべてのわたしとして生きておられるのであり
ましょう。
(以上が私の一霊四魂に対しての考えであります)