思考は神の演技

2026/01/18(日)
思考は神の演技なのだろうか。

思考とは自我ではないだろうか?だから神の演技とは自我のことである。

自我は即ち思考のこと。自我は神の演技なのだ。

だから思考とは自他を分離する「我の心」のこと

この自我「我の心」とは根本無明即ちアーリマン、神の演技、神聖なるマーヤ。

それは私達が誤って同一化しているこの「自他が分離していると錯覚する心」

なのではないか。・・しかし「霊魂と繋がる私」の私達はまだ目覚めていない、

眠ったままだ。

アーリマンとは即ち根本無明「自他分離の心」なのではないか。

・・人類の全ての人はそれによって支配されている

・・光を知るには闇が必要なのか。

その全ての人類を等しく支配しているアーリマン「自他の分離の我の心」が

私達神の子である透明なる鏡を覆い隠し混濁させ、脳を支配し、思考し、呼吸を

コントロールし、行為し「自分と相手は一つではないと錯覚」しているという。

私達の呼吸は我の心に支配されてしまっているのだろう。


この全人類の人間を支配しているアーリマン「我の心」が起こす受動思考・行為に

よって私達である透明なる鏡は鏡ではなくなってしまっていると。

私達である鏡は混濁してしまったのではないだろうか。

「我の心に覆われてしまった鏡」。「自他を分離して見るようになってしまった鏡」。

そして私達神の子は、「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を映してやみん」

「見るものは見られるものである」、「観察者は観察されるものである」、

「主体は客体である」等々を理解することも知覚することも出来なくなってしまった。


私達は神の演技である肉体ではなく、思考でもなく、記憶でもなく行為でもない鏡なの

ではないか。

だが私達は人類全員全てを支配している「我の心」によってコントロールされている。

「我の心」を自分の心だと完璧に思い込んでしまっている。

私達は自他が分離していると知覚する「我の心」(根本無明)に支配されているのだ。


私達は神の子・鏡であるのに、その透明なる鏡は機能不全に陥っている。

私達は神の子・鏡であり個別的霊魂にして全体霊、個にして全、人体の一つ

の細胞のように何兆の細胞が集まって一つの人体を形成しているのと同じ様に

人類は神の細胞、一つが全体。私はあなた。私は世界であるのに私達は

肉体を私だと錯覚し、目の前の人は私と同じ神の子なのに私達は相手を人格(記憶の

反応)だと錯覚し、思考を自分の意識だと欺され続けていると教えられている。



神道の黒住宗忠師は天照大神の言葉を伝えて仰います。

「夫れ、人の心は天照大神の御分霊にして我の心に非ざれば、そを育てるとは

天の心を育てるなり、そを穢すとは天の心を穢すなり」と。

私達も黒住宗忠師に倣って、この天照大神即ち太陽神ラー・大日如来に帰依し

(世界でのアフラマツダ等です)

「払い給え清め給え、幸はえたまえ」とかしこみかしこみもう申そ

うではありませんか。


賢者は言います

夢を見て朝、目を醒ましたのは「記憶の反応・個人人格」です、それは

あなたではありません。

そして

毎日毎日生活をして行為して思考しているのはその記憶・神の演技である

「記憶の反応・個人人格」です、考え、感じ、行為し、思っている私は

神の子の私ではありません。神の演技、映像です・・と


知覚と意識の階梯・四つの私  「霊魂と繋がる私」即ち鏡である私達の意識

状態の段階(セルフエピグノーシスの段階

(次元・波動))

              ※通常私達「霊魂と繋がる私」は、脳と結合し一体化しているので、脳

と潜在意識の記憶の反応しか知覚していません。

   私達の思考は脳の限定された知覚を基底としているため、この知覚

以外を知ることは出来ないのです。

この条件付けられている脳の知覚以上の高次の知覚、それは超感

覚や超意識の事ですが、その高次知覚は私達のサイコノエティック

体が再形成されていない限りは認識出来ません。

覚醒していない私達地球の文化や科学も三つの脳及び潜在意識

の記憶(受動思考)に限定されてしまっています。私達のサイコノエ

ティック体が再形成されていない限りは私達の思うこと行うことの

すべてはこの記憶の反応(自他の分離)といえます。

 

       1:本能の私(本能的自己意識段階)

          動物的・本能的思考や行動    

※「霊魂と繋がる私」は完全に動物脳に一体化している本能的

状態。意識は条件付けられている脳に限定されています。

(肉体・アンナマヤコーシャ+プラーナマヤコーシャ・

エーテル複体)

 

                    

       2:記憶の私(潜在意識的自己意識段階)

          受動思考・受動行為/記憶の反応(日常の覚醒時及び夢見時)

             ※記憶の反応のこと。(マノマヤコーシャ.人格個人・自我)

 

「霊魂と繋がる私」はこの脳及び脳が受信した記憶と一体

化している。記憶とは地球を取り巻いている記憶フィールド

(想念帯)のことで脳や腹部の潜在意識と繋がっていると

言われています。

私達人類の社会、文化、システムはこの記憶の私によって成立

しています。

カルマ・DNAによってプログラムされ起こっている出来事や

行為、思考を私が思考し行為してと錯覚しているのが記憶で

あり、「霊魂と繋がる私」はこの記憶の反応の私を自分自身だ

と固く信じ込んでいます。

                     

       3:サイコノエティック体の私(意識的自己意識段階)

          能動思考・能動行為   

※(ヴィジュアナマーヤコーシャ・セルフエピグノーシスの私・「霊

魂と繋がる私」のこと)

「霊魂と繋がる私」のサイコノエティック体は余り形成されてい

ないが若干動き出している段階。「霊魂と繋がる私」の意識と従

来の記憶からの受動思考や受動行為が混合している段階。

この段階では正しい思考、正しい行為、五正行が推奨される。

意識の持っているパワーを徐々に使用できる段階。

                     

       4:コーザル体の私・観照者の私(超感覚的観照者意識段階)

      超感覚的思考・高次思考

※(アーナンダマーヤコーシャ・各輪廻を通じて同じ原因体)

超感覚的行為・高次行為   「霊魂と繋がる私」のサイコノエティッ

ク体が再形成され「霊魂と繋がる私」は本体である霊魂の意志に

よって思考や行為が使用できる段階。三体が整合しつつある状態。

従って行為は「私はなにもしておらず、内なる神がそれを為すなり」

となる。

                     

       霊魂の私.ソウルセルフエピグノーシス(超意識的汎意識段階)

          彼岸・実相世界の目

※アートマン・自他の分離が無い普遍的真我(覚者達はここから

私達に語りかけます)と「霊魂と繋がる私」が私の本体である

自他の分離が無い霊魂と繋がり、肉体、霊的身体、と霊魂が統合   

し本体の私即ち霊魂の私(インパーソナルの私)が知覚し思考し 

行為している段階。この超意識から見たとき「見るものは見られ 

るものである」、「主体は客体」である。となり「私はあなた」 

「立ち向かうの心は鏡なり己の姿を映してや見ん」等の

超知覚となる。


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