年頭に当たりまして
本日はマトリックスとは何か?を思索しました。少々専門的な用語を使っていますので
読み難いかも知れません。
ではマトリックスとは何でしょうか?
仏教では根本無明、根本自我、印度哲学では「神聖なる神のマーヤ」と言われます。
ですから「私がマトリックス」であり「マトリックスは私」でありましょうか。
真実は宇宙には神以外には「私」は存在していないからでありましょう。
それは肉体の三つの脳と記憶を通じて私達が知覚している思考や感情のことです。
毎日の日常生活で普通に意識として立ち上がっている思考がこのマトリックス自我です。
そしてその知覚がマトリックスです。
しかしその「神聖なる神のマーヤ」マトリックスとは、物質界にだけにあるのではな
く、この次元と同所同時存在している次元の異なるバルド界アストラル界メンタル
界にまでその支配は及んでいるといわれています。
そのマーヤとは自他が分離しているという「虚偽」即ち嘘のことであります。
・・「え!私とあいつは一つだと言うのかい?!そんなことは有り得ないよ」
・・私とあいつは別人だぜ・・それがマトリックスだというのかい?
・・努力して、研鑽して悟りを開こうとしている俺と、遊びほけている
あいつが同じ私だというのかい。それは有り得ないよ・・
と、
そのように、だれもがそう思う事でありましょう。
誰でも知ってますが、私達の肉体は全員が同じ40兆の同じ細胞で、同じ構造の脳で
す。同じように呼吸し、同じように食べ寝て、同じように私が私が、とお互
いが一番になろうと競争しています・・それは私達全員が同じ構造の脳である
からです。私達は動物脳とも結合しているので動物的性欲や所有欲は避けられません。
それがこの肉体と結合した状態にいる私やあなたです。全員がその同じ構造の三つの
脳と繋がれていて、私やあなたは根本無明であるマトリックスに完璧に覆われている
というのです。
私達は各個人が夫々で特徴や指紋が異なり、自分独自の人生を歩んでいると思って
いますが、しかし、その各個人の肉体や個人の異なる指紋や特性や障害を創ったの
は、その本人の私ではなくて、その個人の私の特性を創ったのは私を創った源泉で
ある創造主です。呼吸をしているのは私ではなくて神です。
私達にはどの国に、どのような環境で、どのような性質を持って誕生するのか等の選択
は出来ないのです。私達が私個人を創ったのではなく、私個人は創造された自然の一部です。
けれども「霊魂と繋がる私」は肉体や思考と繋がりましたが霊魂とも繋がっています。
「霊魂と繋がる私」が結合する予定の胎児には、その子が人生で経験する全てがプログラム
された肉体やエーテル複体そして「肉体とともに成長する感情体や思考体」(私達「霊魂と
繋がる私」のサイコノエティック体ではない)が準備されていると言われています。
そしてそこに私達「霊魂と繋がる私」は大生命の最初の「息」と一緒にこのDNAで
プログラムされた胎児の肉体と結合し、私達のセルフエピグノーシスは意識の焦点を
肉体に固定されるのです。私達は霊魂と繋がっているのにそれを自覚できないのです。
実際にはその夫々の特性や指紋を持ち、異なる人生を歩んでいるその個人を創造し、
その個人として生きておられるのは創造主・根源・神・神のマトリックスな
のではないでしょうか。
ですから、その各個人で異なる人生を歩んでいると思っている私とは、この
私が創造したのではありません。またこの個人とは肉体と結合した「霊魂と繋がる私」
ではありません。
此処が複雑なところで、私とは「霊魂と繋がる私」と「霊魂と繋がる私」が自分だと
錯覚している神の演技である個人人格の私が共存しています。そして
「霊魂と繋がる私」はこの神の演技である個人(記憶の私)を私だと錯覚しています。
私達、無明に覆われて目が醒めていない「魂と繋がる私」が自分自身だと思い込
んでいる私とは脳からの記憶、神の根本無明、神の演技、神のロボットなのであ
りましょう。
この表面意識を占有している私自我は、神が使役して思考し行為するそのロボット
の私です。この人格個人の自我の私こそマトリックスなのだと思われます。
「霊魂と繋がる私」が、この肉体や記憶の私(マトリックスの私)を私だと錯
覚してしまったのです。久保栄治はその段階ではありませんが・・「霊魂と繋がる私」
とは個であると同時に全体でもあり、本当は全ての人が一つであり、宇宙と分離
していないと言われています。
それは人体40兆の細胞の一つ一つのDNAに40兆の細胞の全ての情報があるのと
同じです。
私は自分が呼吸して心臓を動かして、頭脳を使って、夫々の異なっている人生
(死後の人生も)を生きているのではなくて、神が呼吸し、神が心臓を動か
し、神が脳を使って思考し、神が肉体等を使って行為を行って夫々の個人として
人生を生きておられるのではないでしょうか。・・・え!!何だって・・!
その地球上の誰もが等しく思っているその「自分が思考している」や、「自分
が行為している」との実感は、本当は錯覚であって実際には神が行為し、神
が思考しているのだといわれているのです・・。
この私自我こそが神の演技であるマトリックスだと賢者の方は言われるのです。
・・しかしこれは受けとる人が「超知覚の意識レベル」に達していない場合
には非常に危険な教えでもあります。この教えが自我の行為を正当化してしまう
恐れがあるからです。
「自分が行為している」「自分が思考していて、自分は肉体だ」という知覚しか
ない段階の人には、この教えを聞く権利もなく、聴く対象にはなりません。
この段階の人の「霊魂と繋がる私」は完全に神のロボットと一体化しているからです。
この自分が行為している、自分が思考しているという感覚がある場合はカルマ
の範疇にいますので、自分の行為の結果や自分の思考の結果は自分が刈り取るこ
とになります。
ですから、この知覚の段階にいる人は自分の能動思考を使って正しく思考し、
能動行為を行って、正しい行為や正しい思考をしなければなりません。
この意識段階にいる人には「蒔いた種は刈り取る」という法則が適応されます
から、くれぐれも自分の行う思考と行為には最新の注意を払わなければなり
ません。・・この段階の「霊魂と繋がる私」にはカルマの法則が適応されるからです。
この「私は思考していない、思考は起こっている」「私は行為していない、行為は
起こっている」などの教えは、自分は肉体だと実感し、肉体の持つ五感覚しか
機能していないレベルの人に向かって話されたのではありません。この賢者の
教えは非常に安直に受け取られやすいので、自己流に解釈して誤解してしまう
恐れが非常にあります。
このマトリックス・根本無明の教えは一般常識に囚われている人々への
教えではありません。
この教えは霊的諸体が再形成されて知覚も肉体脳の五感覚から霊的諸体の超感覚
へと進化し、自分の肉体を自由に治癒出来るのみならず苦しみ病んでいる人のために
遠隔治療を行うことが出来る段階に達した「霊魂と繋がる私」にだけ理解される
教えなのです。
この「行為は起こっている」「思考は起こっている」という教えを理解できる段階の人
の知覚は超感覚であり、認識もこの物質界の次元に限定されていないので、肉体が傷
つけられても痛みは感じることもなく、瞬時に肉体の傷を治して、健康な状態に戻せ
ることでありましょう・・これはこの久保栄治にはとても無理です・・
ですので、このマトリックス・根本無明・根本自我の教えは私達の平均的な知覚の
進化段階、即ち知覚が物質脳にのみ限定されている未発達な人には理解出来ないの
です。・・久保栄治もそうです・・
現段階で超知覚がない私達はAIのように単なる「言語としての情報」しか理解出
来ないため、賢者の言葉を誤解し危険な状態へと至る恐れがあるので注意が必要です。
私達、肉体に入って脳と繋がった私、「霊魂と繋がる私」はそのマトリックスに
完璧に覆い包まれていて自分自身である霊的諸体を育てることが出来ていない
ので目が開いておりませんから、
この段階にいる私に於いては、朝に目が醒めて立ち上がった意識とは「魂と繋が
る私」の意識ではなく、その意識を覆っている自我マトリックス(記憶の反応)
の意識です、しかし普通は誰もその事実を正しく見ることが出来ないでいるので、
私は目が醒めて意識していると思っていますが、その目が醒めたのは私ではなく
て、私を覆っている自我マトリックなのです。意識は目覚めていないのです。
私達「霊魂と繋がる私」は目が醒めること無く眠ったまま生まれそして死に転
生を繰り返しているのです。
そのマトリックスの私を自分自身だと「霊魂と繋がる私」は生まれてから死ぬ
まで錯覚し続けているのです。死んでも幽界や霊界でも錯覚し続けています。
自他は分離していると知覚しています。
しかしこれらの「行為者はいない行為は起こっているだけだ」「思考者はいない
思考が起こっているだけだ」などの教えは非常に安易に受取りしやすいので、誤
ってこれらの教えを誤解してしまう求道者が後を絶ちません。
この高度な教えは自分が肉体であると知覚している段階の人に対して話された
のではありません。
これらのこのマトリックスの教えは一般の常識に囚われている人々への教えでは
ありません。
霊的諸体が再形成され、知覚が超感覚の高次元知覚へと進化し、自分の肉体を自由に
治癒出来て、更に病んでいる人に対して遠隔治療が出来る段階に達した人にだけが
理解出来る教えです。この教えはバルド界やアストラル界やメンタル界
コーザル界をも超えた実相次元からの教えなのです。
この段階の人は自分は最早肉体ではないので肉体が損傷を受けても、痛みを感じ
ませんし、知覚は物質界の次元に限定されていません、超知覚で認識されます。
このマトリックスの教えは知覚が私達通常の進化レベル、即ち知覚が物質脳に限定さ
れている未発達段階の人には理解出来ませんし、そのレベルにいる人にはAIのように
単なる言語情報として認識されるので、それは誤解され危険でもあります。
現象三界を超えた実相界の目から見れば、私達個人が生きているのではなくて神が生きて
呼吸して行為して、個人個人の私として演技して悲しみ苦しんでおられるのです!・・
ですからこの私だと錯覚されている肉体や個人個人の私とは記憶の反応であり、神の演技
・マトリックスなのです。三界で思考し行為しているのは神の子ではなく神の演技
・マトリックス・根本無明なのです。
彼岸である現象界を超えた実相界から見た場合は
この神の演技であるマトリックスの私はプログラムされているので何時何処
で何をして何を考えるのかの全ては決定されていて全く自由はありません。
私達を覆い隠している私自我は、何を考えるか?何を行うのか?は既に
決定されていて自由がないのです。起きている事にただ自我が反応し「霊
魂と繋がる私」がその自我や肉体と同一化しているだけです。
このマトリックスの私は自分の自由意志で自分が決定し、自分が人生を歩ん
でいるのだ、とそう思っていますが
既にプログラムされ、決定されている事が実行され思考され行動されます。
それがこの「霊魂と繋がる私」が自分自身だと錯覚してしまった個人・人格の
私です。・・これは私達が肉体を脱いだ後の次元でも続きます。肉体を脱いでも
マトリックスからは解放されません。
この個人個人の指紋や、個人の特性を創造したのはその創造された個人
が指紋や特性を創造したのではなくて、個人を創造し、個人として生きてお
られるのは創造主自身なのです。私達自我は神の演技です(「霊魂と繋がる私」
のことではない)
ですのでこの自分を自分だと思っている記憶の私個人とは実際には個人では
なくて神のマトリックなのです。
この「霊魂と繋がる私」が自分自身だと錯覚している私は記憶であり、私では
ありません。神の演技のロボットです。この記憶の私は私ではなく、実際には
私・個人・自我を演じておられる神なのです。
自我の私は神の演技なのです。プログラムで動いている神のロボットなのです。
DNAで決定されている神の演技です。それは本当の私である「霊魂と繋がる
私」(ブッデイー)ではありません。
このマトリックスとは実はこの肉体の脳が知覚している物質界だけではなく
同時に同所に存在しているエーテル界、アストラル界、メンタル界、コーザル界
などの次元にも及んでいて
これらの現象界を包括し且つ超越している実相界の神の子の私が身に纏って
いる衣、それは幾重にも重なり重層して衣(霊的諸身体)にも及んでいると
言われております。
肉体の脳はこの物質界しか知覚出来ませんが、アストラル体の知覚はアストラル界
を知覚し、メンタル体の知覚はメンタル界を知覚しています。
私達の物質界の脳がそれらの霊的諸体の知覚器官と統合するほど精妙化すれば、私達は
これら現象三界にもこの神のマトリックスが及んでいる事が判明するのだと思います。
現在の地球の科学は対象が物質界だけに限定されてしまっていて、同時に、同所で
存在している現象三界に関する研究が全く行われていないません。他の惑星からすれば
地球の科学は非常に非科学的で未発達です。物質界だけが研究対象なのでレベルが
非常に低いのです。
彼岸から見れば神が一人一人の私として思考し、行為しておられるのです。だから、
彼岸からの教えでは個人人格の私は、本当はだれも思考し行為していないと教えられ
ています。
思考し行為しているのは神なのです。神が個人として生きて演じておられるのです。
神聖なる神のマーヤは、三つの脳と諸体に於ける記憶という集合無意識を
使ってマトリックスを起こして「私個人という虚偽」を演じておられるのであり
ましょう。
生活し、思考し、行為して、私個人として人生を生きておられるのは「霊魂と
繋がる私」ではなくて創造主なのです。ですがそれを現象三界の各体の記憶と繋
がる「霊魂と繋がる私」は自分が行為していると錯覚するのです。思考と行為は
私(鏡)に対して起こっているのでありましょう。
その個人を肉体に入った「霊魂と繋がる私」が自分だと錯覚しているのです。
「霊魂と繋がる私」が覚醒し、チャクラが開花し、高次霊体が覚醒しない限りは
私達「霊魂と繋がる私」は自我というマトリックスから解放されることは
あり得ません。もし解放されたなら自分や人々を癒やし、周りに愛と平和を齎す
事でありましょう。その段階の人は地球に愛と平和と秩序を齎すことでありましょう。
このマトリックスは神聖なる「神のマーヤ」根本無明とも言われています。
「霊魂と繋がる私」はこのマトリックと同一化し、私とはこの神の
マトリックが生み出している個人人格であって自分が思考し行為していると
錯覚しているのです。
この未熟な段階での「霊魂と繋がる私」は覚醒していないので、他者を自
分ではないと知覚しています。
「霊魂と繋がる私」は私ではない集合無意識の私を私だと錯覚しているのです。
ではこのマトリックスである私が知覚する自他の分離とは何でしょうか?
それは私とあなたは別々だという虚偽の観念、「私という観念」の知覚の
ことです。根本無明のことであります。立ち向かう人を自分ではないと
知覚していることであります。(現象三界では当たり前の知覚ですがそれは
虚偽です)
思考も行為も、この私という観念が思考し行為しているのではないでしょうか。
(これは観照者・永遠のパーソナリティーからの知覚です)
この私とあなたは一つではなく別々だと錯覚しているということがマトリック
スなのであります。
「霊魂と繋がる私」が私だと知覚されている私こそ、「霊魂と繋がる私」
ではないマトリックスの私、 神が演じている自我の私なのです。
「霊魂と繋がる私」は分離していなく全体と一つなのですと。
地球文明の全てはこの自他が分離しているという錯覚(自我マトリックス)
で成立しています。
多くの覚者や天照大神は、私達は鏡であって、
その鏡を見ている私ではなく
鏡に映る私でもなく、
鏡が私なのであると仰っておられます。私もあなたも神の鏡なのです。
(鏡の中に映っている私とは鏡を見ている私なのです。マトリックスの私です)
「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を移してやみん」と仰っておられます。
私とは「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」であって、神が演じている私、
カルマで縛られている私、神が演技(個人・人格・マトリックスの私)なされて
いる肉体や思考や自他に分離している私ではないのです。
鏡を見ている私、それは即ち鏡に映っている私の事ですが、その私
とは「我の心」「自我」「自他が分離している私という観念」であって
私達天照大神の御分霊である鏡ではないのであります。
私達は鏡であり、「霊魂と繋がる私」であり、「意識の座・鏡の私」ブッディーで
あって、神が演じておられる自我(記憶・自分は個人だと思っている人格)
即ちマトリックスの私、プログラムされた私ではないのです。
私達神の子は肉体、エーテル複体、アストラル体、メンタル体、コーザル体
等に包まれ、これら「空」に存在しているそれらは同時同所に異なる次元に
存在していますが、「魂と繋がる私」の夫々の目が覚醒していないので、何も知
らず実相を知覚することが全く出来ないのです。しかし私達の本体は神の子です。