私達人類の知覚とは脳の知覚

2025/12/29(月)
皆様は映画「マトリックス」をご覧になったことがありま
すでしょうか?

映画を見て一体この映画は何を言わんとしているのか、
く分からなかった方も多いのではないでしょうか?
かく言う私もその一人です。けれども色々考えて
私は自分なりに解釈してこの映画「マトリックス」が言って
いることは正しい真実を述べているのだと思っております。

では、そのマトリックスとは何でしょうか?
それは私達の意識を構成している
現在意識・潜在意識・集合無意識・超普遍意識・絶対意識
のうちの集合無意識のことを指しているように思えます。

マトリックスとは人類の集合意識のことであると思われます。
集合無意識=マトリックスそれは、人類の知覚そのものであり、
私達人類の知覚とは、
この「条件付けられている脳」の知覚
であると言うことであります。これは全ての人に共通してい
る同じ集合無意識です。

すなわち私達人類の知覚は他の動物たち同様に脳によって
条件付けられていると言うことであります。

私達が絶対的に信じて疑わない内部や外部世界はこの万人は同
じ脳のシステムに依拠しているのであって、脳の状態が変われ
ば、知覚も変わり、従って私達が見ている世界も変わると言う
ことです。

それは人間が見ている世界と昆虫が見ている世界は異なって
いるのと同じです。脳によって見える世界は違うのです。

最新の脳科学の情報では脳は送受信器だとも言われています。

では、それは何の送受信器なのでしょうか?
それは「私という観念」の送受信器であり、その思考や、
感情の送受信器だということであります。
この「私という観念」こそがマトリックなのではないでしょうか。
この思考や感情、そして行為も脳が受信しているマトリッ
クスなのではないでしょうか。

そして勿論ですが、脳は私のものではありません。
肉体も脳も私達が創ったのでもなく私達のものでもあり
ません。
その正反対に私達こそ脳と肉体の結果なのです。
肉体も脳も私達も、万物の創造者・神の最高傑作です。

さて、殆どの人は信じないと思いますが。
私達人間は肉体だけの存在ではないと信じています。

私達は肉体ではなく、肉体に入った「霊魂と繋がる私」な
のです。

脳は私ではありませんし、私のものでも有りません。
私達は脳と繋がったのであり
私達とは肉体と結合した「霊魂と繋がる私」なのです!!
わたしは数多くの体験からそのように信じています。

私は黒住宗忠師が伝える「天照大神が言うこと」を信じます。
それは私達は如何に我の心(マトリックス)に汚染されていても
どんなに悪人だろうと全員が神の子だという事です。

私達は「意識の座・鏡の私」であり、誕生時に母胎から切り
離された新生児の最初の呼吸と共に肉体に入ってと繋がり、
その脳の知覚と脳が受信する思考、行為を自分の知覚、
自分の思考、自分の行為だと錯覚している天照大神の御分
霊なのだということです。

詳しく言えば特定の運命とプログラムを持ちDNAとカル
マによって行為と思考が決定されている肉体や、そして
更に肉体と緒に7年ごとに成長する思考体と感情体な
結合したのが私達「霊魂と繋がる私」なのです。

肉体や脳と繋がったのは「迷える神の子羊」、セルフエピグ
ノーシス、サイコノエティック体(「霊魂と繋がる私」)
の私達です。私達は未熟であっても能動思考や能動行為が
出来るのです。

この未熟な「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」に対して
クリシュナムルティーは何時も「思考なく見なさい」と「否
定的肯定」という接近方法を示されました。

しかし「思考なく見なさい」とクリシュナムルティーにそう
言われても私達は全く、一歩も前に進むことが出来ません。
「私達は思考なのだからそれは不可能だ」と、その様に思
えるからです

この現在のパーソナリティーには思考しか知覚出来ません。
しかし私達は思考だけではありません。思考しか知覚出来ないのは
私達は開眼していないからです。しかしこの未熟な私の知覚に
は知覚されなくても、知覚を認識する認識自体は私達には意識
されませんがその認識があるからこそ知覚が成立しているのです。
認識こそが私達・鏡なのです。

認識主体が知覚の基底にあるから知覚が成立しているのです。

(※現在のパーソナリティーとは「霊魂と繋がる私」であり
この「意識の座・鏡の私」が脳からのマトリックスと混合
している状態が自己意識状態の私達のことです)

そういっても私達にはその様には思えないことであり
ましょうし、一体全体、何を言っているのかさっぱり
分からないことでありましょう。

・・それは私達・「霊魂と繋がる私」が未熟で霊的諸体が
形成されておらず、霊魂の知覚(恩寵)やパワーが発生
ていないので脳の知覚や受動思考・行為しか知らない
からです。

(此処で言う霊的諸体とは母親の胎内で形成され始め
肉体と共に、7年ごとに自動的に機能が完了するシュ
タイナーが言うところの思考体や感情体のことではあ
りません。)

私達である「意識の座・鏡の私」は脳からの記憶に完璧
に覆れているのです。「我の心」に包まれているのです。

映画マトリックスが言うように、内部世界や外部世界を見
て知覚している私とは、「意識の座・鏡の私」に覆い被さっ
ていて私達を包み隠している脳からの記憶です。

脳からの記憶が世界を見て、起こっている出来事に反応し
ています。そして相手を見て、自分を見て反応しています。
それは私達である
「意識の座・鏡の私」に脳からの記憶が覆い被さってい
るのです。その結果、私達「意識の座・鏡の私」は濁って
知覚認識しまっているのです。

実際には私達が見ているのではなく脳からの記憶が見
ていて、そしてその記憶が起こっていることに反応し
ているのです。

最新の大脳生理学が明らかにしたように
起こっている行為の直後に
脳からの記憶が「私が行為している」と反応し、
また起こっている思考や欲望や想念の直後に
脳からの記憶が「私が思考している」「私の自由意志で
そのように決定した」とそう錯覚しているのです。
実際には、だから誰も行為も思考もしていないのです!
誰もが自分が行為していると思い込んでいるのです!

そしてさらに肉体に入った
私達「霊魂と繋がる私」はその記憶と一体化しているのです。
そしてその記憶と一体化することによって自分が行為したと
錯覚し、カルマが発生してしまうのです。

ですから、私達が魂との繋がりを回復して私達の知覚が正し
く見ることができない限りは、
思考も、行為も、自由意志も、判断も、見ることや考えるこ
との全ては神が・・そして神が「我の心」、自我が起こして
います。

思考も、行為も、自由意志も、判断も、見ることや考えるこ
とも自我の反応です。そしてその自我とは神が使っておられます。

「我の心」・自我が起こす自他の分離の知覚によって汚染され
た錯覚・・その自他の分離の知覚は「霊魂と繋がる私」「意識
の座・鏡の私」の知覚ではありません。

それは他の動物や渡り鳥や鯨や昆虫などあらゆる生物と
同じで、人間もその条件付けられている脳や神経を通じ
て知覚が起こり、行動が起こっているのに「自分が知覚し
自分が行為している」と記憶が錯覚しています。

繰り返しますが

この点から人類を見るとき、「意識の座・鏡の私」・「霊魂
と繋がる私」即ち私達が目覚めて霊魂や高級な霊的諸体と
の繋がりを回復していない限りは、

私達の知覚とは脳が生み出す知覚や行為や認識に占領され
支配されており思考も、そして行為も脳からの思考(受
動思考)によって支配されています。

というより正しくは思考も行為も知覚も神(神聖なる神の
マーヤ)が脳を通じて行っているのに
私達は自分が思考し行為していると錯覚しているということ
なのでしょうか。

それは映画「マトリックス」の結論と同じです。

そしてマトリックスによって書き込まれたDNAによって
構成されている肉体と結合した未覚醒の私達の一人一人の
人生には正確に、必ず起こるべき時に起こるべき事が起こ
ります。

それはカルマは必ず狂いなく正確に起こるという事であります。

しかし、そのカルマの影響は「霊魂と繋がる私」「意識の座・
鏡の私」が霊魂と繋がっている状態のときには受けることは
ありません。カルマの根源・大本と繋がるからです。
その状態にあっては行為も思考も全てが大本からのもので
あり、全てが正しい秩序を齎します。・・自我ではないからです。
それが分離した私自己を含まない高次思考、高次行為です。

けれども現在のこの私達の状況はその逆です。眠っているからです
私達を覆うマトリックスの世界即ち脳が見ている世界・・
未熟で覚醒していない私達が知覚認識しているのがその世界です。

受動行為が行為し、受動思考が思考している世界です。
思考し行為することの全ては神の演技、マトリックス・自我です。

私達がこの眠っている段階・無明の三界の次元に有るとき、
この世界、私達の人生は既に決定されている事、起こるべき
事が起こるように起こります。
カルマに従って・・
自我によって・・。

それを現在のパーソナリティーは自分が自由意志で決定し、
自分の自由意志で行為したと錯覚しています。

受動思考も受動行動も必然的に起こるので避けられません。
自我には避けられません、自我が起こっている事だからです。
何故ならばそれは現在のパーソナリティーが知覚するより
先に起こっているからです。

私達現在のパーソナリティーは自我(神の演技)に対して
何の支配権も持っていません。
私達と完全に一体化している自我の思考や行為に対しては
私達はどうすることも出来ません。
というのも私達が高次の霊的諸体の目が覚醒していない
からです。
さて繰り返しますが、

此処で言う現在のパーソナリティーとは「霊魂と繋がる私」
と自我が混濁している状態のことです。脳が受信した思考
の記憶と私達が一体化している濁っている意識状態のことです。
私達神の子は「我の心」と複合一体状態にあるのです。

これらのマトリックスを観照することがない限り即ちマトリッ
クスのカラクリを見破る観照者の次元まで私達の意識が拡張
し、進化していない限りは
このマトリックスという「時間の罠」から抜け出すことは
出来ないのでありましょう。
病気、健康、出来事、成功、「自分が私だと思っている自我」、
、失敗、思考、恐怖、行為はマトリックスであるカルマによって
「霊魂と繋がる私」の私に対して時計の針のように正確に実行
され、そこから逃げられる術はありません。

ですから
未熟な私達即ちマトリックスに支配されていて目が開いていな
い私に出来る事は、内部と外部に起こっているこのマトリッ
クスを受容し、感謝し、愛し、全てを源泉にお任せすることで
ありましょう。

何故なら起こる思考と行為と自我の私に対しては私達にはコン
トロール出来ないからです。「霊魂と繋がる私」に対して、
私自我や思考と行為とあらゆる出来事は決まっているように
起こるからです。「我の心」は必ずやってきます。
恐怖や不安や欲望や衝動や感情や行為はカルマによって私達
に対してやってくるのであって、目が開いていない私達には
それをコントロールすることは出来ません。

しかし私達には未熟であっても能動思考と能動行為は出来
ます。未熟な「霊魂と繋がる私」として正しく思い行うことも
出来るのです。この起こっている内部と外部に対して感謝して
受け容れると共に「霊魂と繋がる私」として正しい行い、正しい
思考を実行するのです。

そして現象界に影響をあたえることも出来るのです。

私達「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」に起こる受動
思考や受動意志や受動行為は全てこの自他の分離というマ
トリックスがしているのですから、全ては自己中心的、自我
の働きです。

逃げても無駄です。それは必ず繰り返し私達にやってきます。
ので、そこから解放される道は自己想起以外はありません。
自己を想起するとは自分は神の子であることを思い出すのです。

しかし、このマトリックスを知覚している私こそ私「霊魂と
繋がる私」「意識の座・鏡の私」を覆うマトリックス(私と
いう根本観念)だからです。

しかしこの虚偽を虚偽と見ているものは虚偽ではありません。
その私は「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」なのです。

私達は未熟であっても知覚ではなく認識している「座・場・鏡」
なのです。

私達が自我や外部と内部に起こっている事から逃げよう避けようと
している限り、私達はそれから解放されることはありません。逃げて
も避けても、それは再び姿変えてやってきます。
逃げても逃げてもそのマトリックスの受動行為と受動思考はやっ
てきます。恐怖と不安と欲望は襲ってきます。
だからこそ、
その繰り返し起こっている内部と外部の出来事や自我を全てを
感謝して受容し愛するすることが肝要なのです。
それが出来たとき、
マトリックスの本性(マーヤ・神)が姿を顕し、私達「霊魂
と繋がる私」はマトリックスから解放されるのかも知れません。

脳がマトリックスなのです。
記憶がマトリックスなのです。
記憶の知覚はマトリックスなのです。
私は個人だと思っている私はマトリックスなのです。
私達が私自分だと信じている私は私ではないのです。記憶です。
私達、この現在のパーソナリティーの私はマトリックスと一体化
してしまっているけれども「鏡・認識」なのです。

この私達の文明とは「人間の条件付けられている脳」の結果
であり、それが生み出したのが地球の文化・科学・社会・伝統
であることが分かります。

今日の人類の文明を構成する毎日の生活の出来事、思考や行
為や自我とは、この条件付けられている脳が知覚するマトリ
ックスが起こしている映像なのであります。

この私達が知覚している世界は本当の世界なのでしょうか?

実は世界や私達の内部とは魂の私が見ている世界なのではな
くて、この条件付けられている脳が知覚している脳内世界
なのです。

悲しいかな私達が見ている世界は私達が目覚めていない限り
は、マトリックスの世界、条件付けられている脳の世界、自他が
分離しているという虚偽であるマトリックスの世界なのでありま
しょう。

人類共通の脳が世界の全てを知覚し思考し認識しているの
です。
この人類共通の錯誤の知覚は「霊魂と繋がる私」「意識の座
・鏡の私」である私の知覚ありません。

しかしながら、このような状態にあっても私達は肉体と結合
した「意識の座・鏡の私」・「霊魂と繋がる私」なのであって、
私達は脳に支配されていても脳が私なのではありません。
私達現在のパーソナリティーは穢れていても神の子なのです。

私達は起こっている自由意志や思考や恐怖や衝動や欲望や感
情や行為を観照している観照者、「意識の座・鏡の私」なので
ありましょう。

けれども、この文明では、誰もそんなことは露にも思わずに
ただただ脳が私達だと信じられています。そんなことを言っ
たら、即救急車で病院に連れて行かれます。

・・というのも私達「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の
私」は未だに覚醒しておらず、私は霊魂と繋がっていることを
知覚できていないので脳とだけ意思疎通していて真実の世
界、真実の私を全く知覚出来ないということなのです。

世界や私やあなたを見ているのは、私やあなたではなくて
この人類共通の条件付けられている脳からの記憶なのであ
ります。
私達人類の知覚は嘘・マトリックスによって汚染されてい
るのです。

自分が行為していると思っている私は記憶なのです、
自分が選択していると思っている私は記憶なのです。
自他の中に自我を見ているものは自我です。
自分の欲望や、自分の行為を見ているものは自我です。
そして私達「霊魂と繋がる私」はその自我と一体化しています。
自我は神の演技であって私達には変えることは出来ないのです。

行動も起こる出来事も神の演技であって私達には変えることは
出来ないのです。

もし、私達が自分自身である霊魂との繋がりを回復しているの
ならば、この脳の知覚を超えて霊魂の知覚を体験している事
でありましょう。全てが神であり、神以外に何も存在してい
ないことを知覚していることでありましょう。

全ての人の中に私と同じ神を見ていることでありましょう。

そして、この現象界を変えることが出来ることでありましょう。

奇跡を起こすことが出来る事でありましょう。
何故ならそこには自我の私はおらず、神の子が思考し行為し
ているからです。その神は行為も思考も全てが秩序を齎します。

・・超能力者やヨーガ行者や、覚醒した賢者や聖者や覚者の
ように、より正しく世界を見、自分の内部を思考なく見ることが
でき、世界に秩序を齎すことが起こるのでありましょう。

繰り返しますが
あらゆる思考、あらゆる科学、あらゆる文明、あらゆる営為は
この条件付けられている脳の結果です。

なぜなら地球上での私達「霊魂と繋がる私」「意識の座
・鏡の私」はマトリックスで覆われ包まれ眠ってるからです。

私達が見て知覚しているこの世界や私自身も、思考も、
眠っている私達が見ている世界であり、
「その似而非の自分」がその自分の姿を見ているのです。

そしてこの条件付けられてしまっている人類の脳が知覚して
見ているのは「虚偽」であり、「嘘と偽り」です。
しかしその「虚偽」「偽り」も「意識の座・鏡の私」があるので
知覚出来ているのです。「意識の座・鏡の私」に、そのマトリ
ックスが生起しているからなのです。

では、その「嘘と偽り」とは何でしょうか?
それは「我の心」であり、時間と空間であり、自他の分離です。
私はあなたではないという嘘と偽りです。
・私は他人ではない。
・あいつが悪い、どうにかしなくてはいけない。
・自他は分離している。
・私は個人だ。
・私は肉体だ。
・私はこの思考でありこの感情だ。
・この知覚認識は私の知覚認識だ。
・この感情は私が起こしているのだ。
・この思考は私の思考だ。
・この欲望は私の欲望で私が起こしているのだ。
・この人生は私の人生だ。私が自分の人生を生きているのだ。
・私が行為しているのだ。
・私は○○国民で、宇宙人ではない地球人だ。
・私は自由で、私の自由意志でそのように決めたのだ。

人類全ての人が同じように我の心の錯覚の中にいますが、
それが
虚偽であることに「霊魂と繋がる私」は目が醒めていない
ので気がついておりません。
けれども気が付いていなくても、どんなに未熟でも私達は
神の子なのです。私達は「意識の座・鏡の私」なのです。
思考でもなく、感情でもなく、欲望でも、それを知覚する
私でも有りません。

私達は肉体でもなく、自他に分離した私でもなく、思考して
なく、行為しておらず、万物や世界や宇宙と分離していない
霊魂なのでありましょう。
従って本当は自我ではない神の子として万物や世界や宇宙に
高次思考や高次行為で秩序を齎すことが出来るのです。

その為に私達は現象界に降りてきたのですから・・。

私とあなたの分離、それらの知覚は神聖なる神のマーヤ、
マトリックス、根本無明、我の心なのです。

私達「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」はこの神の
マーヤの中にいるのです。

「この意識・心は私の意識であり私の心だ」、「自分が思考
している」、「自分が行為している」と錯覚しているのです。
しかしそれらは
この起こっている思考や行為は受動思考、受動行為であり
「霊魂と繋がる私」からの能動思考、能動行為ではありま
せん。神が起こしておられる神の演技であります。


私達である「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」が自分の
知覚認識だと錯覚しているこの知覚も実は受動知覚なのです。

自由意志も、実は受動意志であって能動意志ではありません。
それらはこの「我の心・マトリックス」が起こしています

黒住宗忠師は「夫れ人の心は天照らす御祖の神の分け御霊にして
我の心に非ず」「人の心は鏡なり」と私達に教えておられます。

根本無明である神のマーヤ・マトリックスが条件付けられている
脳を使ってこの虚偽の受動的な知覚と受動思考と受動行為を
こしておられます

そして肉体に入った「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」
この脳と一体化したので脳が起こしている知覚や思考を自分の
知覚や自分の思考だと信じて疑いません。

肉体も脳も受動思考も受動行為も受動感情も記憶も、そして
分離している心も「我の心」のものであって、神の分け御霊で
ある私達神の子のものではありません。

私達である鏡の知覚認識は完全に我の心に覆われ包まれて
いますが、未熟であっても能動思考や能動行為は出来るの
です。私達は「意識の座・鏡の私」だからです。

悲しいことに私達「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」
は、条件付けられている脳に発生している知覚と、そして
その神の演技である自己意識や知覚認識を一切全く疑うこ
となく、私の知覚だ、私の思考だ、私が行為している、こ
の私は私自身だと、私はこの肉体だと信じてしまっている
のではないでしょうか。

自我・マトリックスは言います。
この身体は自分の身体であり、わたしのものだ。
この意識は自分の意識であり、自分の知覚であり、自分の考
えであり、自分の意志で自分が行為している、この感情は
自分の感情である。等々
それら「この私を自分だと思っている」思考も、実は起こ
っているマーヤ・根本無明なのではないでしょうか?

この肉体も、この脳も、この受動思考も、この受動行為も、
この受動知覚も、聖なるマトリックスが起こしておられる
ではなでしょうか?
この私はわたしなのでしょうか?

受動思考とは条件付けられている脳から生み出されているの
に過ぎず、私達である霊魂が生み出す高次思考や高次感情で
はありません。
この思考や感情は私が起こしているのでしょうか?
高次思考や高次感情は全てが正しく周りに秩序を齎します。

ただ私達は目が開いておらず眠っているので真実を見ること
の出来る目が開いていませんので正しく知覚することができな
いのです。

私達はこの条件付けられている脳から解放され、霊的諸体
、そして霊魂からの超知覚や超思考がない限りは
本当の世界を知覚することも出来ず、
本当の自分自身を認識することも出来ず、
本当の私・神の子自身のパワーを使う事も出来ず、
本当の世界や内部を理解することはないのでありましょう。


私達「霊魂と繋がる私」・「意識の座・鏡の私」が
この人類共通の条件付けられている「脳からの記憶」から
解放されない限りは、私達は虚偽の自己認識、虚偽の知覚、
虚偽の内部世界、虚偽の外部世界で生き続けています。

これも映画マトリックスと同じです。

だれもが知覚認識している私・私自身もそしてこの知覚も認識も
思考も行為も、私達「意識の座・鏡の私」・「霊魂と繋がる私」
の知覚認識や思考や行為ではなく、人類共通の条件付けられて
脳が起こしている結果なのであります。

この条件付けられている脳のマトリックスから解放される
ためには、まず
私達はマトリックスに完全に縛られていることを知らねば
ならないのではないでしょうか。

このマトリックスは言います。

私は勿論あなたではない。
私は個人だ。
世界と私は分離している。
私は○○人種で○○国民だ。
私の肉体だ。
私の心だ。
私が自由意志で行為しているのだ。
この思考と感情は私の思考と感情だ。
私が決定したのだ。
相手が悪いのだ。

・・等々、全人類が信じているこれらの常識こそ、即ち
私は個人で○○国民だと知覚認識しているそれらこそ
が脳が生み出しているのではないでしょうか。

この脳の記憶が私と他者や世界とは分離していると錯覚して
知覚しているのであります。
けれども
私はこの至高なる肉体ではなく、
私は思考しておらず、
私は行為もしておらず、
私は知覚認識しておらず、○○人種や○○国民ではあ
りません。

私は「意識の座・鏡の私」であり「霊魂と繋がる私」
パワーと最高の実現力を具現化できる一霊四魂なのです。

私は神の演技である肉体や行為や「我の心」受動思考
ではないのです。

私は「霊魂と繋がる私」「意識の座・鏡の私」なのです。
私は愛することが出来、癒やすことが出来、秩序を齎す
事が出来るのです。

私達は神の宮である肉体ではなく、「我の心」が起こす思
考や感情や行為や知覚や自他が分離した心ではありません。
私達は一つなのです。

実は個人の私など存在していない!
神が夫々の個人の私として思考し行為し演技しておられる。
敵も味方も全ての人の私は神なのだ!!
目の前の人は神であり、神が人格を演じておられるのだ!!
神が私として、あなたとして生きて演じておられるのだ!!
などのそれらの理解が訪れるとき
神の子の私を通じてこの世に癒やしと秩序が齎され
るのでありましょう。

ラーマクリシュナは言います。

大明智にとっては、内も外も神ご自身です。


それらの大明智の人は、あのお方自身が、全ての一人一人

の肉体、心、いのち、個我になって生まれ、死に、行為し

ておられるのを見るのです。

・・以上は私が信じていることです。
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