麻酔が効くのは脳であり、麻酔によって脳が眠った状態になるのであ
って、眠ってしまうのは意識ではありません。
私達は脳と記憶と意識を混同していますが意識は脳や記憶ではありません。
麻酔で脳が眠るとき私達も眠ってしまうのは、それは私達の意識が覚
醒していないからです。
ここでいう私達とは「霊魂と繋がる私」のことです。
「霊魂と繋がる私」が「意識である霊魂」との繋がりを回復して
いないのです。
麻酔は意識には効かないし、意識は麻酔では何の影響も被りません。
私達・「霊魂と繋がる私」は脳と結合しているので、この私達「霊魂
と繋がる私」が覚醒してない限りは、脳の状態が私達の状態となっ
てしまっています。
私達・「霊魂と繋がる私」の状態が問題なのです。・・私達は眠っている
のです、私達は記憶の中だけで生きているのです。私の目は開いていな
いのです。
麻酔で脳が麻痺して「通常の人生での私」である記憶が知覚されなくなり、
また記憶や脳と一体化している霊的諸体も、未だ未形成で意識下の状態で
活性化していないので、私達は意識と繋がることができないのです。私達
はそのようにして意識がなく眠っている状態で生きているのです。
麻酔で眠ってしまう私・・それは意識ではなく記憶、脳であって、それは
私達「霊魂と繋がる私」のその脳と繋がる霊的諸体が未形成であるからだ
と言われています。
私達とは如何に未熟で、未形成であっても「霊魂と繋がる私」即ちセ
ルフエピグノーシスの私・自己意識であり一霊四魂・霊的諸体であっ
て肉体や、潜在意識層にある「記憶・人格」ではないのです。
この私達である「霊魂と繋がる私」が自分を肉体や脳と同一視し、潜在
意識にある「記憶・人格」と一体化してしまっているのです。
肉体や脳の行為や思考は「記憶・人格」という自我を通じて「高次の力」
が行っているのです。
・・・と仰います。
ハッキリ言えば私達人類は意識が覚醒していないので麻酔をされても
されなくても意識を知ることが全くありません。
私達は脳が受信した記憶の中だけで生きているのです。
私達が知っているのは意識ではありません。私達は意識を知らない
のです、私達は日常の生活では殆ど記憶の反応しか知りません。
私達が知っている意識と言われているのは、それは意識ではありません
、それは記憶です。
それは又カルマに従って起こっている出来事、即ち運命であり、衝動であり
決して避けられない自我・欲望と、その行為と感情、思考でありその結果で
あります。
決まっていることが決まっているように起こり、そしてそれに対して
決まったように記憶によって思考し行動する。
・・私達はカルマの輪から抜け出すことはありません。
それが私達の現在の状況です。
・・・そこには全く自由はありません。
・・・さらに私達には全く自由がないことに気が付いていません。
・・・肉体と行為と思考と自我は「高次の力」で起こっている事である
、ということに気が付くことがありません。
・・・私達は私達には自由がなくロボットであることに気が付いてい
ません。(此処で言う私達とは目が醒めていない私達のこと)
私達は脳と結合し、この脳が受け取る思考や感情や行為を自分の意識で
あり、自分自身だと固く固く思い込んでいるので決して疑ったりすること
は最早ないのです。
私達は受動思考と自分を分けることが出来ません。
私達は自我と完全に同一化しているので自我を何とかしようと藻掻くのです。
私達はロボットである私と「可能性のある私」を区別できないのです。
私達は思考を意識と錯覚しているので意識を知覚できないのです。
何故なのでありましょうか?
それは意識を知覚できる私達の霊的諸体が形成されていないからです。
私達とは未熟な霊的諸体から構成されている「霊魂と繋がる私」です。
しかし私達の霊的諸体が形成されておらず意識と繋がれないのです。
さて、意識が覚醒した人には麻酔は何の影響もあたえません。
意識の覚醒した人の知覚とは肉体の脳の知覚認識だけではなくて、その
知覚が霊的諸体の知覚まで拡がっているからです。
ですから意識の目覚めた人には
麻酔は効かない!
麻酔はその人の意識には何の影響もあたえない!
のです。
意識は眠らない!
意識は夢を見ない!・・と教えられています。
夢は条件付けられた脳からの記憶の反応だからであります。
眠るのは記憶の反応しか知らない私達・未熟な霊的諸体でありましょうか。
意識には、わたしや貴方という自他の分離はないといわれています。
意識は私のものやあなたのものではありません。
意識は波ではなく海だからです。
意識は自他の分裂や分離は無く、地球で一つだと教えられています。
意識とは私はあなたであり、
意識は何処までも拡がる空なのでありましょうか。
意識は脳ではなく、記憶でもなく、受動思考や能動思考でもありません。
再形成された霊的諸体は意識と繋がりますが霊的諸体が意識なのではな
いことでありましょう。
意識は私のような目が開いていない未形成な霊的諸体では知覚できな
いということでありましょう。
「霊魂と繋がる私」は意識であって肉体でもなく、記憶でもなく、自我
でもありません。
意識は肉体でもなく、
意識は脳でもなく、
その脳が受信している受動思考でもなく
潜在意識にある記憶でも無く
その記憶からの反応でもなく
未形成で未熟な霊的諸体からの能動思考でもなく、それらを越えている
形成された霊的諸体によって知覚できるのだと教えられております。
真の私・意識とは黒住宗忠師がいう霊であり神の子なのだということで
ありましょう。本当の私自身であることでありましょう。
意識とは人類で一体で分離がない「愛・慈悲」のことである。と
教えられております。
その「愛・慈悲」とは「真の私」であり、
全ての人と一体で一つの意識であり、
海の波と同じく無限の波から構成されていて一つなのだと。
以上そのように意識が覚醒している方々は言われておられます。
私久保栄治自身は意識を知りません。私が知っているのは
この意識ではない起こっている思考や感情や受動思考や
そして未熟で眠っているような霊的身体からの能動思考だけです・・
私久保栄治は目覚めていないのです、それは霊的諸体が再形成されて
いないからでありましょう。
というのも
私・久保栄治は自分は海の一つ、全体意識(自他の分離のない)で
あるというのに、霊的諸体が形成されず覚醒していないので自分(I AM)
を知りません。
私は肉体と一体化し、脳と繋がり、記憶からの反応しか知りません。
私の目は開いていないので意識を知ることは無く無知無明しか知ることが
できません。
私は無明の中にいます。私が内部や外部で知覚認識しているのは無明です。
それは私が一体化している記憶の世界なのです。私が知っているのは
記憶の世界だけであります。
私・久保栄治は黒住宗忠師が教えておられるような私自身・神の子の
自分を知りません。私が知っているのは、脳が起こしている行為や
思考や感情だけであり、それに対しての記憶からの受動思考であり、
又未熟な霊的諸体からのわずかな能動思考だけであって意識の事は
全く知りません。
何故、私久保栄治は意識を知らないのでしょうか?
それは勿論、私の霊的諸体が形成されていないからであります。
もし、霊的諸体が再形成されてたのならば、意識に到達していなく
ても肉体から自由に出入りすることが出来るでしょうし
霊的諸体の持つ多様性や多重性を現して
肉体をそこに置いたまま霊的諸体を使うことが出来るようになり、
自分や他人の病気を癒やし、人々を悩みや苦しみから解放し
世界中で同時に沢山の場所に自分を現すことが出来、苦しむ人々を助け
さらに、自分自身を最小の分子のように小さく、また宇宙にまで
拡大することで、困った人々や苦しむ人のために命を捧げることだろう、
と言われております。
なので意識は死なない、意識は生まれることもなく、決して死なないと。
何故なら意識とは個人ではなく「愛」そのもの「慈悲」そのものであり、
この「愛」や「慈悲」である意識には過去や未来はなく、彼処も此処も
ないからであると。「愛」や「慈悲」即ち意識とは空であるのでしょうか?
意識には助ける相手とは私なのです。私はあなたであるからでありまし
ょう。何故ならば意識には自他とは分離していないからであると教え
られております。
なぜなら意識には相手とは即ち私自身であるからでありましょう。
しかし
わたしはこのことをAIのように情報として知っているだけなのであり、
実際は知りませんし、知覚していません。
それは即ち私は知らないと言うことであります。
私達人類は意識と思考を混同しています。
私達人類はいつの日にか霊的諸体を再形成して意識を知るようになれば
意識は「私とは、あなたであり、そこであり、ここであり万物である」
と知覚認識することでありましょう。
私・久保栄治は眠っているので意識を知ることはまったくありません。
私が知っているのはカルマによって起こっている出来事、行為、思考、
欲望そしてそれに対する記憶・自我からの反応だけです。
A:運命・カルマ・衝動・そして自我、その自我から起こっている思考
と感情と行為
そしてそれに対して自動的に起こっている
B:潜在意識領域から記憶の反応としての受動思考(通常、この受動思考
は自分の思考であると認識されています)
さらにその受動思考に対しての
C:未熟で未形成の霊的諸体からの能動思考
私が知っているのはA~Cだけであり、私は私達自身である意識の事、
自他の分離が無い意識の事などは全く知りません。
私達人類は全く知らないどころか、それを知ろうともせず、自分自身を
映している他人を非難して逆に自分自身である意識(即ち相手)を非難し
否定しようとしているのです。
私達が懸命に目指している天国とは、この悪臭と汚濁の漂う地獄
のことなのです。
私は自我が満足する邪悪な世界を目的にしているのです。
私はこの自我が満足する地獄を天国だと信じているのであります。
賢者は言います
瞑想とは
貴方の身体は此処に、そして心という記憶はそこに
そして
あなた自身は身体や心(記憶)からもう少し離れた場所に
いるのです。