私を使って神が生きておられる

2025/10/09(木)
今朝フト思いついたこと・・

まず始めに、すべての人類の人体の骨の数は206本、筋肉は600で同じです。
脳細胞のニューロン、内臓、神経など全く同じ規格構造です。人は
誰一人として異なっていません、なので民族や国籍が異なってい
ても移植が可能なのです。

肉体はどの国の民族もどの国民も全く同じ構造です。さらにすべての
全生物は同じDNA構造ですし、あらゆる物質は宇宙の物質も含め
て同じ素粒子、同じ同一の量子から成り立っています。
それは創造主が同じだからです。

しかし人類は全員が全く同じ構造であるのに、全員全てが「私は個人であって
他人とは異なる存在」だ「私は肉体であり、この肉体は私のものだ」と勘
違いして、お互いが争い、競争し、恐怖と悲哀の中を生きています。
なので脳からの知性や理性があっても他の動物達と殆ど変わりません、
けれども私達とは肉体に入り脳と結合し肉体や脳を自分だと思って
いますが、私達とは肉体ではなく「霊魂と繋がる私」であり霊魂なのです。


では
心臓を見てみましょう、
それは万物の創造主・神が創造し、動かし生きておられます。

呼吸を見てみましょう、
それは神が動かし神が呼吸しておられます。

細胞を見てみましょう、
その40兆の細胞を一糸乱れずに生かし、生きておられるのは神で
あります、この記憶の私ではありません。
なのに記憶の私は「肉体は私のもので、私が生きている」と錯覚
しています。・・そして「霊魂と繋がる私」はこの記憶の私を
自分だと錯覚し同じように自分を肉体だと錯覚しています。

この記憶の私とはAIと同じです。それは私達「霊魂と繋がる私」
ではありません。

脳を見てみてみましょう、脳は私が創ったのではありません。
脳を創り、脳を維持させコントロールしているのは神です。
思考や感情や行為や欲望を起こして生きておられるのは神
であります。脳は私のものではないのです。神のものです。
私達は脳と繋がった「霊魂と繋がる私」なのです。

人類の脳の構造は全人類が同じであり、誰一人としてその個人
が脳を創ったのではありませんし脳を動かしているのでありません。

その脳は思考や感情を受信して記憶を生み出しています。
そしてその記憶は自分は私だと思っています。
しかしその思考の私や行為を発生し行っているのは神です、
神がその記憶の私として演じておられます。
そしてその記憶の私を「霊魂と繋がる私」は自分だと錯覚しています。

なので「記憶である私」は自分が生きて自分が思考し行為していると
実感してしまっているのです。

・・行為はこの記憶の私が行為しているのでしょうか?
思考はこの記憶の私が思考しているでありましょうか?
それとも肉体の行為が起こったあとに、記憶の私が行為したと知覚するので
しょうか?

脳が思考を受信したのを脳からの記憶の私が自分が思考していると
錯覚するのでしょうか?

・・・勿論私達個人の知覚では、この私(記憶だが)が思考し行為している
とその様に知覚しています・・・・。

しかしながら超高次元からの超知覚によれば
個人とは記憶の結果であり、思考も行為もそしてこの私人格も起こって
いる結果であると言うことなのです。肉体は創造主が生きているように
この記憶の個人も創造主が生きて演じておられるロボットだというのです。
この記憶である個人の私とは、自分が行為し、自分が思考している、
自分が自分の人生を生きていると思っている神のロボットであり、神の
映像であり、幻影だというのです。

そしてその神のロボットのことを肉体と繋がった私達「霊魂と繋がる私」は
自分自身だと錯覚しています。
自分はこの肉体であり、脳の記憶の思考を自分の思考と勘違いしているのです。

私達は肉体ではなく、脳が受信した記憶(受動思考)でもありません。
私達は「霊魂と繋がる私」であり霊魂なのです。

ではこの実際の現在の私を見てみましょう、
この私とはその思考や行為の記憶であります。決して「霊魂と
繋がる私」ではありません。「霊魂と繋がる私」が一体化してしまっている
記憶の私なのです。

そして、その記憶である私を使って神が演じておられるのであります。

私が生きているのではなくて神が記憶の個人の私として演じておられるのです。
思考し、感情や行為をしているのは私という個体を使って神が
生きて演じておられるのです。
従ってこの私とは「霊魂と繋がる私」が自分だと錯覚している記憶の私
です。


そして、その神が演じられている「記憶である私」は「私が主体で
この人生は私の人生で私が生きている」と錯覚しているのです。

そして私達「霊魂と繋がる私」は神が演技しているロボットを自分だと
勘違いしているのです。

私達は肉体でもなく、脳の記憶でもないのです私達は「霊魂と繋がる私」
なのであり霊魂なのです。
私は肉体でもなく、思考でもありません。
「記憶という私」に自分が思考し行為して生きているという
実感を起こさせて
その錯覚する私として生きているのは神であります。それは
私である「霊魂と繋がる私」ではありません。その私とは記憶の
私です。

私が生きているという錯覚を生じさせて実際にその私として
生きているのは神であります。

受動思考は記憶が起こしており、能動思考は「霊魂と繋がる私」が
起こしている思考であり、高次思考または超越思考は霊魂が起こし
ています。

記憶の私や肉体が生きているのではなくて神が生きておられるので
あります。しかしながら「霊魂と繋がる私」ではありません。


「私は他人とは違う個人だという錯覚」を生じさせて、私は
他人ではないと実感させ人生で演技しているのは神であります。

私が主体ではなく神が主体なのでありましょう。
この私として、この貴方として演じて生きておられるのは神であ
ります。神がこの苦しみと恐怖と悲哀を感じておられるのです。
そして私「霊魂と繋がる私」はその偽りの私を観照している霊
魂なのです。

私は肉体でもなく、記憶からの受動思考でもありません。私は霊魂です。

神が全ての人類の私、全ての宇宙人の私として演じ生きておられ
のです。私達である「霊魂と繋がる私」は決してこのロボットの私
、記憶の私を私だと錯覚してはなりません。

この幼稚な地球人から見れば高度に進化し、次元の壁を乗り越
えている宇宙人は神のように見えることでありましょうが、宇宙人も
この私達地球人類と同じ「霊魂と繋がる私」であり霊魂なのであります。

神以外に何ものも存在していません。

・・・と思ったりする今日この頃です。


私は肉体や脳ではありません。
私は脳からの思考や感情や行為の記憶でもありません。
私は肉体や脳と、そしてその記憶を自分だと錯覚してしまって
いるが「霊魂と繋がる私」であり、神と繋がる霊魂なのです。


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