表面意識とは現在意識のことであります。
現在意識とは表面意識です。
そしてそれはまた顕在意識と言われている意識の事でもあります。
現在の私達すべての人類の現在意識とはこの表面意識のことです。
では何の表面なのでしょうか?それは魂の意識の表面部分なのです。
私達を生かしあらしめている大生命の表面部分です。
この表面意識によって知覚されている意識内容の程度がどうあれ
、それらは全て表面意識によって認識されているものであり、しかしな
がらその意識は表面意識そのものでないというのですが、この段階の
私には区別がつきません。
では私達の表面意識とは現在はどうなっているのでしょうか?
それは皆さんも私もよくご存じのこの意識状態です
この意識状態とは何でしょうか?
それは私達の表面意識の状態とは「我の心」に完璧に覆われてしまっている
状態です。
この状態での私達が私と意識している意識とはまさに「我の心」に他なりません。
この日常での生活している私達の私とは、そして夢を見ている夢の中の私も同じ
この表面意識を完全に覆っている「我の心」即ち記憶の反応に他なりません。
夢の中の私はその記憶の私です、表面意識が一体化している「我の心」です。
表面意識は表面意識である自分自身を知りません。表面意識はただ表面意識によ
って知覚されている内容だけを知っているのです。・・私達、私は私を知らないのです。
私達は表面意識なのに表面意識を知らずに表面意識を覆い隠している記憶しか
知らないのです。
しかし、注意して頂きたいのは、その表面意識に去来している
若しくは表面意識が一体化している、表面意識を覆い包んでいる意識
思考・エゴとはその表面意識では決してありません。
私達が自分の意識だと信じて疑わない意識とは表面意識を覆い隠して
いる受動思考「我の心」なのです。
夢に出てくる私とは表面意識ではなくて表面意識を覆い隠している
「我の心」即ち記憶なのです。
・・・此処で注意深く見るならば、これを言っているのは記憶です
私ではなく、AIの様に記憶が記憶していることをさも分かったように
話しているのです。
この表面意識、それはごくごく私達普通一般人の意識であり、通常の
人間の意識(受動思考が覆い被さっている)の事であります。
正確に言えば
この表面意識とは霊的解剖学的に見た場合、形成途中の「霊魂と繋が
る私」の意識だと言えます。・・それを私信じているのです。
私達の意識とは表面意識であり、それは「霊魂と繋がる私」の意識であり
「鏡」と言われている意識でありましょう。
この表面意識に知覚認識される全ての去来している思考や感情や体験・・
それらを写しだしている「鏡」が表面意識なのです。
この「鏡」が私達の表面意識なのです。
表面意識とは「表面の意識」であるのですが、何の表面なのかと言えば
それは「意識」の表面であります。
では「意識」とは何かと言えば、それは「霊魂と繋がる私」即ち霊魂で
ありましょう。
意識とは、この表面の意識から始まり
潜在意識さらに観照者と言われている霊魂の意識、
さらにさらに、それら全てを包み込んでいる根源の意識、即ち自他に
分離できない超意識と続く一体構造だとも推測されます。
□表面意識・・これは未知なる霊魂からの意識ではあるが・エゴに包ま
れて表面意識には意識されていない、意識されているのは記憶の反応だ。
□潜在意識
□観照者の意識
□それら全てを構成している根源の意識
という4層構造であると言えましょう。
この表面の意識、即ち表面意識に顕れてくるのが記憶です。その記憶
は潜在意識にあって、それがこの表面意識が一体化してしまっている
知覚をしている記憶です。
私達が通常、自分の知覚認識だと思い込んでいるのは私達「霊魂と繋
がる私」の表面意識の知覚認識ではなくて、潜在意識にある「記憶」
の知覚認識なのです。
記憶それらは
意志や感情や想念や欲望や将来の希望や疑問
哲学、科学、教育、常識、恐怖心やプライド怒り
競争心、肉欲などカルマやサムスカーラや
ワサナからも含めて考えられるありとあらゆる
ものがその記憶であり、それらが表面意識にやってきて
表面意識を覆い包んでいます。
それを私達、「霊魂と繋がる私である表面意識」は自分
自身だと錯覚しています。
というのも表面意識は潜在意識にある「記憶帶」
即ち記憶に完璧に一体化していて覆われ包まれて
しまっているからです。
この状態が現在の地球人類の姿です。
私達は自分自身である表面意識と、
その表面意識上で知覚認識されている、その記憶の
思考や感情との区別が全く出来なくなってしまっているのです。
自分を覆い隠し包んでいる記憶と自分が完全に一体
化しているのです。私達表面意識は霊的諸体が形成されておらず
高級霊体が機能していないからです。
この潜在意識というのは人類全体の潜在意識であり
私のものやあなたのものという個人のものではありません。
この潜在意識の記憶が肉体と同一化して「私は個人だ」と錯覚
しているのです。
潜在意識とは人類全体の集合意識であって私とあなたの区別が
ありません。
個人個人の潜在意識とは人類全体が共有しているのです。
その潜在意識の記憶が「自分は個人で他の人とは異なる」
と錯覚しているわけです。
それが潜在意識です。人類の集合無意識であります。
その人類全体で一つの集合無意識が同じ人類全体で一つの
「私という観念」という根本無明に染まっているのです。
偉い人も、極悪人も、苦しんでいる人も、敵も味方も
殺される人も殺す人も全く同じその潜在意識を共有
し、潜在意識にある根本無明に染まっています。
さらに私達はその潜在意識の奥にあるさらなる高次の知覚認
識を通じて観照者である霊魂の意識と繋がっています・・が
鏡という表面意識が我の心に包まれているのでそのことが
全く分からないのです。
さらに観照者で在る霊魂とは根源の意識の一部であると教え
られています。
ですから私達の表面意識とはこの根源の意識の中にある
一部分であるとも言えましょう。
キリストが言うように「神は木の葉一枚が木から落ちるのも
ご存じなのです」ということでありましょう。
私達の意識構造とはこのように根源の意識の中にある
四層構造であると言えましょう。
私達は神の子なのです。
私達は霊魂なのです。
しかしながら私達はこういう状況なのです。