心を正そうとするのを止めなさい・・ニサルガダッタ・マハラジ

2025/08/10(日)
心を正そうとするのを止めなさい・・ニサルガダッタ・マハラジ


ニサルガダッタ・マハラジは言います

 心を手放しなさい

  心を正そうとするのを止めなさい、

    心を手放しなさい。

  (※自分の心を正そうとしているものこそが心であり、正そうとすることで
   マインド・心に支配されて抜け出せなくなる。神聖なるマーヤに感謝しなさいと
   だから
   自分の心を変えようとしたり、自分自身を非難したり、自分の心を正そう
   とするのを止めなさいということ)
             
   (正そうとすることは正しくないから正しくしようとするのであり
   その正しくしようとしている前提である「正しくない」ということを
   かえって固定化し強めてしまうのである。)

        (※だからこそ悪という現象を知覚認識することとは自分自身や他人の悪に
   焦点を当てることであり、かえって、焦点を当てることによりその悪が自
   分の中で増殖されることになります
  
  自我や恐怖に意識を向けて、それと同調してしまうのではなく
  自己観察によって、この記憶の反応に一体化してしまっている私を自覚し
  そして、自己想起によって、如何に受動思考・自我によって覆われていても
  私は神の子であることを常に思い出すことが非常に重要なことであるといえます。

  あなたが観照者のままなら思考・マインドは力を失っていきます。


 (※世間ではNHKや各新聞テレビそして全てのネット報道は、真実を伝える正しい報道として
  ありのままの世界の悲惨、飢餓と虐殺、殺戮、ジェノサイト、拷問などを逐一、人々に伝え
  ています。
  が、それによって・その結果、それを見たり聞いたりすることによって、私達はその邪悪さ
  に取り込まれて、それと一体化してしまっています・・。
  
  ということは私自身の自我に能動思考が焦点を合わすとその自我が増幅されていくのです。
  だから私達は私自我に焦点を合わさずにその自我を目撃していなさい・・
  自我は神聖なるマーヤが演じておられるのですから・・・。
  ということであります。
  
  ・・私達は世界の真実の報道と言うことで、その報道されている内容に影響させられ
  知らず知らず自分のマインドがその報道されている「人の悪」と同調し自分が同化し
  てしまっている、ということに私達は全く一切気が付いていません。

  私達がテレビや新聞で「真実の報道」と言うことで世界や社会や自分の心の中
  に起こっている邪悪さや起こっている自我を見ることで、
  かえって、その邪悪さや自我と同調し、自分の中で増幅されて、
  その結果として自分自身がその邪悪さに取り込まれ、その邪悪になってしまっ
  ているという、この恐ろしい「真実の正しい報道システム」という危険性に
  が付いていません。

  私達は「人間の中に神の姿を正しく見る目」が育っていない以上、私達は
  私達が見ている対象「人の中に潜む邪悪」と私達は同一化してしまうのです。
  ですから私達は神の子である本当の私に意識の焦点を合わすべきです、決して
  「魂と繋がる私」を覆っている神聖なるマーヤ、自我に、恐怖に、不安に焦点
  を合わしていけません。

  良くなろうとすることは「良くない」という前提から出発しており、良くなろ
  うとすることで「良くない」状態と同調することになってしまうのです、そうすること
  で私達は良きことから離れてしまいます。・・この逆説を理解しなければなりません。
  真我に至ろうとして私達が努力すればするほど私自身・神の子から離れてしますのです。

  私達は既に黒住宗忠師が言うように神の子なのでありましょう。

  だからこそ黒住宗忠師は以上の事を的確に教えておられます。

  「人の悪を見て己れに悪心を増す事」恐るべし 恐るべし”と。

  マスコミの報道や教育で世界の悪の姿を暴き明らかにするというその情報に接し、私達は
  「虚偽の中に真理を見る」その目がないのにもかかわらず人の邪悪さを知ることによって、
  私達がその現象世界に起こっている邪悪さに同調しを強めそして、それを見ている自分に
  も、また世界にも、悪と邪悪さを拡大させ蔓延させてしまっています。

  黒住宗忠師は
  この「真実の報道または認知」ということでの人間の現実の悪の姿を知らしめると言う
  情報に接することによって、かえって人々がその悪に支配されてしまうことの恐ろし
  さをこの上記の短い文章で私達に伝えています。
 
  私達が邪悪を世界や他人や自分の中に認識することによって、その認識される悪が
  増強され強化されそして私達のマインドを支配し、私達はその奴隷となっていきます。
  
  私達には霊的諸体が形成されておらず目が育っていないので「虚偽の中に真理を見
  る」事が出来ない段階である以上、
  私達には、この真実のあるがままの世界の悪を雑誌や新聞、報道などから受けとり
  伝えられることとはこれは非常に危険な事なのです!
  従って常に自己想起によって神の子である私自身を想起すべきなのです

  なぜなら
  この真実の現象世界の実際の姿を知ることによって、私達は意識下でそれと同調し
  汚染され、その邪悪さに波長を合わせられてしまい、自己と同一化して今度は自分
  自身が、知らず知らずにその邪悪なのものへとなって行くからです。

  戦争の悲惨さや大量殺戮の惨状を知れば知るほど人類は無意識にその惨状に
  同化され、今度は恐ろしいことに自らが、今度はその状態を招き世界に惨状を
  拡大してしまう結果になるのです。それは自分自身だと錯覚しているこの
  ”思考し行為している私即ちこの私”は神のマーヤであることを知覚していないからで
  ありましょう。

  けれども、この現象界の邪悪さを「ただ」見ている私達は本来は「鏡」であり、
  邪悪ではありません。
  この邪悪を判断なく見ている意識とは、観照者であり愛であり、人間の本質であること
  を信じることです。
  何故信じるのかと言えば、現段階では人類は未だ深くマインドに覆われて、目があっても
  その目である高次思考体や高次感情体の目が開いていないので見ることが出来ない
  からです。
  意識が開いていない以上は信じるしか方法はありません・・・。

  この思考の性質と構造を熟知しているクリシュナムルティーはだからこそ人類に
  「虚偽の中に真理を見よ」と仰いました。

  自分や他人の心の中に悪を見ていること自体が意識の鏡を前提としているのだから
  その悪を写し出しているバックスクリーンを見よ、悪を見て認識できているのは
  そのバックスクリーン(御鏡)が在るからであり、だからこそ、その「意識の座」
  という鏡(意識というスクリーン)を見よと教えておられるわけです。

  現象世界の虐殺と殺戮に同一化するのではなくて、その私が演じられ、投影され
  ているスクリーンを見なさい、その虐殺や殺戮が起こっている空間というバック
  スクリーンを見なさい、そしてその悪はなかった事を知りなさい・・と黒住宗忠師は
  教えておられるわけです。

  現状での世界の出来事を認識することとは、私達にはこの条件付けられている脳の
  思考の記憶の働きであり、私達にそのバックスクリーンを見る目がない以上は私達
  が目にする事の全ては見ている私達を覆っている「神の演技・自我」のすがたなのです。

  そしてそれをテレビや新聞やスマホで知らされ見て知覚認知する事によって、その映像に
  同調し取り込まれ、映像と同一化して同じ悪を犯してしまうのです、だから
  その様な「真実の報道」に接する事によって私達は汚染されその悪に染まり同じ事を
  犯すようになります。

  意識の焦点をスクリーンの映像ではなく、そのバックスクリーンに合わせ
  ねばなりません。)
 

   (映像を映像と悟らぬ限りはマインド・心に支配されて抜け出せなく
   なりカルマを創り出しているのです)

 自分自身を知る必要は有りません。
 
 (※その自分自身を知ろうとする私こそが、自分自身を知らないマインド・心
  なのです、マインドは意識を知らないので知ろうとします。
  そのマインドに支配されないようにしましょう。)

  あなたはあなたであり、常にその実在を意識しています。

  自分自身の理解とは心次第です。

  あなたの本質は心・マインドを超えています。あなたは心を超えており、
  
  あなたは心ではなく意識であり、あなたを意識しています。

  あなたが知らないものがあなただ、そしてあなたがあなただと思っている
  
  ものはあなたではない。
  
    (※マインドは思考であり、思考が知る私自身とは私ではありません。
    私とは意識であり、思考・マインドには意識を知ることは出来ません)


 あなたは肉体ではありません。

  あなたは肉体の中にいるのではなく、肉体があなたの中にいるのです。

  肉体は苦しみ、そして心は反応しますが、目撃者・観照者は無傷のままです。


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