合掌

2025/07/28(月)
何という有り難いことか!

身体は小宇宙!
思わず身体に合掌する!

脳は神の最高傑作!
思わず脳に合掌する!

歩くこと、消化すること、便をすることに
思わず合掌する!

不安や恐怖に怯えて苦しむ私、
暴力的で自分の利益のことしか考えない私、
この私は、私が創ったのではない、気が付いたときには私(霊魂)
に与えられていたのだ。(~♯こんなわたしにだれがした♭~)
この神がお造りになり演じておられる私自我に、
思わず合掌する!

身体も、脳も、この自我も私が創ったのではない!
思考も、感情も、行為も、心も、記憶も、この脳の知覚認識も私が創った
のではない!
この自他に分離した私はこの分離した私が創ったのではない!!

誰もが自分の身体、自分の脳、自分の心だと思っているのだが、それは全く違う!

からだも、脳も、心も、この自我も私のものではない。
からだも、脳も、心も、この私もこれらを創られ使っておられる方のものである。

ならば、ここで息をして生きている者とは誰なのか?
それは息して生きておられるのはこの私の創造主なのではないか!
ここで息して生きておられるのは創造主、知られざる神(至高なる霊・霊魂)なのだ!!

有り難い、有り難い、有り難い!
見ること、聞くこと、話すこと、考えること、行うこと、
個人の才能、個人の障害、知覚や認識、個人の失敗と成功、個人の生と死、
個人の運命
これらは分離した私のものでも私が創ったのでも、ない。
これらは私やこれらを創った方のものである。

生きて思考して行為して病気になり死んでおられるのは「霊魂と繋がる私」
ではなくて御方である。
これらは私ではなく私を創った御方がここにいて演じておられるのである。
これらに合掌。



息をすること、食べること、排泄すること、歩くこと、話すこと、記憶すること、
嫉妬すること、恐怖に怯えること、苦しむこと、視線を気にしてよく思われたいと思うこと、
心配して、悩んで、不安で眠れないこと、寝ること、夢見ること、目が覚めること、
考えること、殺すこと、殺されること、生まれること、病気になること、死ぬこと、
これらすべてに合掌。

指紋を創られ、個人を創られ、個性を創られ、頭脳を創られ、肉体を創られ、
視覚を創られ、聴覚を創られ、五感を創られ、統覚を創られ、思考を創られ、
行為を創られ、私をつくられ、私として苦しみ生きておられ、
呼吸し、心臓を動かし、分離した私・自我として生きておられる方に合掌。

この私として,あなたとして生きておられる御方に合掌。
一切万物として生きておられる御方に合掌。

そして、それを経験している御方の分け御霊である私・霊魂に礼拝。

苦しみや恐怖や自我は私が創造したのではない、これらの創造主のものだ。
思考も、感情も、行為も分離した私も私が創造したのではない。

そもそもこの私は私が創ったのではない。
私は私のものではない!
わたしは創造された被創造物だ!

そして本当の私である霊魂の私はその創造者・神の子供だ!
この私は、本当の私霊魂が間違って自分だと思っている「神の演技」
「神が演じる分離した私」だ。

この自我の私は私が生きているのではない、個人個人が生きているのではない。
私や個人を創った方が生きて思考し行為しておられるのだ。個人の私として。

その神の演技の私を自分自身だと錯覚しているのが「霊魂と繋がる私」だ。


この私、相手のことを考えられないエゴ私・私は私が創ったのではない。
私、意識、これを創った方が生きて行為しておられる。私は神の演技。
私を創造した方が、私・自我を使って生きて思考し、感じ、行為しておられる。
この恐怖と不安に怯え暴力的で自己関心に染まっている私自我は
私のものではない。

「霊魂と繋がる私」がそれらの分離している神のロボットの

私を自分自身だと錯覚しているのだ。

※霊魂の私は思考しない!意識であるからだ!思考している私は霊魂の私ではなくて
 神のロボットの私だ!

今此処に、この自我として生きておられる私・根源に合掌。

この根源の分け御霊がソウルセルフエピグノーシス(霊魂)である。

人間が魂を持っているのではなく、

人間は3つの体を持つ至高なる魂

天照らす御祖の神の分け御霊)なのである。

だから自分自身に合掌。
私に合掌。あなたに合掌。万物に、生きとし生けるもの全てに合掌。
私、私自身として生きて呼吸しておられる私自身である御霊に合掌。

私を創ったのは私ではない。あなたを創ったのはあなたではない。
身体を作ったのは私ではない。
脳を創ったのはこの分離した私ではない。
思考をしておられるのはこの分離した私ではない。
息をしておられるのはこの分離した私ではない。
行為しておられるのはこの分離した私ではない。
食べておられるのはこの分離した私ではない。
歌っておられるのはこの分離した私ではない。
感じておられるのはこの分離した私ではない。
歩いておられるのはこの分離した私ではない。
SEXをしておられるのはこの分離した私ではない。
行為しておられるのはこの分離した私ではない。
考え、感じ、求め、計画し努力しているのはこの分離した私ではない。
喧嘩をしておられるのはこの分離した私ではない。
殺し合っておられるのはこの分離した私ではない。
競い合い、必死に一番になろうとしているのはこの分離した私ではない。
人生を生きているのはこの分離した私ではない。
呼吸をしているのはこの分離した私ではない。
欲望に燃えさかっているのはこの分離した私ではない。
生まれたのはこの分離した私ではない。
死ぬのはこの分離した私ではない。
この分離した私は霊魂である私ではない。

この分離した私を創ったのはこの分離した私ではない。
この分離した私は「実在」していない「私という観念」だ。
この分離した私自我を創った御方が此処に生きて呼吸しておられる。

神が私・自我として生きておられるのである!
神があなた・自我として生きておられるのだ!
神が私として自我を演じておられるのである!
神に合掌!!

自分が息して生きているのではない。
私やあなたが息して生きているのではない。
生きて呼吸している私を創ったのはこの分離した私ではない。
生きているあなたや私を創ったのは神だ。
私を創った御方がここに私として生きておられる。
そして息しておられる・・それが霊魂の私・観照者。

何という尊いことだろうか!!

その私を創って生きておられる御方に合掌!

人間は自他に分離した私・エゴ・自我ではなく、

人間は3つの体を持つ至高なる魂

天照らす御祖の神の分け御霊)なのである。


× 閉じる