であったのでありましょうか?
それは光子は観察者の観察によって粒子と波の両方に
姿を変えるということであります。
光子は量子とも言われているのでそれは量子と言い換える
ことが出来ます。
量子(物質)は観察者即ち「意識」が見ているときは
その影響を受けると言うことであります。
それはあらゆる物質・量子は、観察されていることによっ
て姿を変えるというのです!!
宇宙のあらゆる物質は量子から成り立っていて、それは勿
論、私達の脳も肉体も同じであります。
これは多くの賢者方が言う
「思考は物質であり、物質は思考である」を科学的に
証明した実験でもあります。
宇宙に於けるあらゆる物質の基本構造は空間も生物の細胞
そしてDNA構造も含め、全てが量子で成り立っています。
その量子は意識であるというのです。
空間も、というと驚かれると思いますが、空間も同じ量子
から成り立っています。
これは何か突飛に感じますが量子の「非局在性」(時間
空間を超越している)の故です。
量子が空間であるともいえそうです。
量子は何光年離れていても、光のスピードを超えて繋がっ
ているので、量子は空間を埋め尽くしていると言えます。
それで量子はテレポテーションやテレパシーや物質化が可
能なのです。
ですから量子とは、究極の物質であると同時に
意識でもあり、空間そのものであるとも言えます。
では量子と物質そして内面精神や意識の関係はどうなって
いるのでありましょうか?
量子とは観察者によって姿を変える、ということから
意識によって観察する事で量子から成り立っている物質
や空間や時間は影響を受けると言うことです。
それは即ち意識と物質の両者は異ならない!!
意識それは量子である。・・といえそうです。
量子(物質)は「意識」であり、「量子でもある意識」
とは宇宙でもある!!
ということを明示しています。
この宇宙の根本構造である量子は「意識」と異ならないと
いうことなのです!!
すべての思考や行為のベースとなっているこの「量子」と
は「私達の本質」であり、私達の意識は量子であり、
その量子とは即ち私達の内面を含めて、あらゆるものの
基盤であるということでもあります。
ですからそれは正しく量子とは
普遍的な実在であり普遍的な意識でもある「I AM」
なのではないでしょうか。
ですから極論すれば、量子こそ私達の本質であり、
「I AM」であるということがいえそうです。
量子が真我の意識だとも言えそうです。
未知なる真我の意識が量子でもありそれは宇宙であるとも
言えるのでありましょうか。
量子、これはクリシュナムルティーの言う普遍意識でも
あります
「私は世界である」
「見るものは見られるものである」であり
「観察者は観察される者である」でもあります。
またそれは仏教で言う
「内部は外部」
「極小は極大」
「色即是空」
「内は外」「外は内」
「一切万物悉有仏性」という条件付けられている脳の
知覚認識を超えている実相でもあります。
私達、人類は「条件付けられた脳」による思考や条件づけ
られた知覚や認識しか知りませんので、この量子力学の結
論を知覚認識し理解するなどということは全く出来ません。が、
この二重スリット実験が示していることとは
「観察者が量子に影響をあたえる」と言うこと
即ち
「見ること・思考なく観察する事」は量子に影響をあたえる。
これを逆に考えれば量子は意識でもあるので
「観察者は観察される者」
「見るものは見られるものである」ということでありましょうか。
これは一切万物、内部も外部も量子で成立していると言う
ことでもあります。
「あるがままをあるがままに見ることがあるがままに秩序
を齎す」
「わたしはあなた」
「汝はそれである」
「主体すなわち客体である」
「私は宇宙である、私の中に宇宙はある」
「内は外。外は内」
「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を映してやみん」
「人体の細胞34兆のなかの一つの細胞の中に34兆の全細胞
のDNAがある」
「一つの細胞が欠けても人体は成立できない」
「全てのなかに全てが在る」
「万物の中に私はいて、私の中に万物はある」
「極小は極大」
「最小の中に最大がある」
・・これらはすべて量子のことを語っているように思われ
ます
・・東洋の哲学や世界の賢者達の言葉と量子力学の結論は
全く一致しております。
が
しかしながら
地球人類の常識、即ち私達のこの「条件付けられている
脳」の知覚では量子のことを想像することも、信じること
も、理解することも全くできません。
現代の人類の意識段階では一歩もこの真実の認識に接近す
ることはできませんし、地球人の常識によって
否定されてしまうことでしょう。私達人類は脳による
記憶の支配「内部と外部の分離」という錯覚から解放
されていないからです。
私達人類は自他分離と「私は肉体である」という
「虚偽・まやかし」、自他の分離、主体と客体の分離の
なかにだけ生きているので、決して実相・現実を知ること
はありません。
しかしながら「条件付けられた脳」によって私達人類には
全く理解出来ないと言っても
この二重スリット実験の結果が示しているように
「観察者が量子に変化を齎す」という実験結果から判明さ
れていることは
全ては量子であるという観点に立てば
「見るものは見られるものである」であり
「観察者は観察されるもの」であり
「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を映してやみん」ということが
証明されております。
結論として二重スリット実験は以下の事を示しています
それは
私が世界を、私が自分を、私が葛藤を、私が目の前の人を見ているのではなく
即ち内部や外部を対象として観察しているわたしこそ
見られている対象であるということ。
何故ならば「見るものは見られるものである」でありましょうから。
ここから導き出される結論とは
主体とは客体であるということ。
主体と客体は分離していないということ。
私それは即ち私自身であり、私とは私の欲望であり、私
の家族であり、私の家であり、私の敵であり、私を襲う悪
魔であり、私の心であり、私の前の相手であり、私が見て
いる世界であります。
この「見るものが見られるものである」であるとき
観察者が観察されるものであるとき
「分離」「分割」「二元性」が消失し
そこに「至高の愛」「実相」がそっと姿を顕しているとい
うのです!!
しかしながら賢者が見ている現実(脳の条件付けが外され
ている観点から見た現実)はそうであっても
私達は悲しいかな、
私達は「条件付けられている脳」の知覚認識以外は知ら
ないので
知覚も認識もだれもその様には実感することも出来ず、想
像すらすることも出来ず、信じることも出来ず、まして理
解することなど全く出来ません。
ということは
人類には
黒住宗忠師のいう「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を映
してやみん」
や
クリシュナムルティーの「見るものは見られるものであ
る」
という教えは全く理解出来ず、
「主体は客体である」
「内部は外部である」
「私は世界である」
「私の中に世界はある」
等々という実相・真理はまったく想像することも
出来ないと言うことです。
従って
現代の量子力学が示したこの二重スリット実験の結果は
究極の現象界の実相を開示しているのですが
それが何を示しているのかは地球の科学者や私達には理解
することは出来ません。
私達が知り理解できるのは脳からの知覚と認識だけだから
です。
脳の知覚認識を超えた「実相現実世界」は分からないので
すから、それらのことは否定するのです。
量子を理解出来るのは脳の条件付けを超えた賢者達だけで
す。
仏道の、神道の、イスラムの、キリスト教神秘主義や不二
一元哲学の奥義に伝わる箴言や教え
それらは
この量子力学の結論と同じ事を示しています。
賢者は人類の「条件付けられた脳」の制約を打ち破り宇宙
の真理を体得され理解されたのです。
それは私達「条件付けられている脳」によって支配されて
いる人類には
決して理解出来ませんが
実相は以下の
私はあなた
私は世界
私の中に全て一切がある
「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を映してやみん」
私は空である
などの言葉によって示されています。