「霊魂と繋がる私」の四つの段階

2025/06/04(水)

私達が「私」と言うとき、
私が「私は○○」だと思うとき、
私だとそう思っている私とは、どの私でありましょうか?

先ず始めに、肉体は私ではありません。私は肉体ではありません。
宇宙にも匹敵するこの37兆の細胞で成り立つ完全完璧構造で至高の肉体は
のものでも、私そのものでもありません。
地球上のすべての人間の肉体は全く同じ構造同じ細胞です。

このような完璧な肉体を現代科学では自然の淘汰で出現したと言っていますが
数学的法則に基づいて構築されているこの肉体は「超知性」量子のように、
宇宙を成立させている同一の法則で成り立っているのであって進化論が言う
ような偶然の産物では決してありません。

肉体は勿論、創造主のものです。
意識も私のものではなくて創造主のものです。
私も私のものではなくて創造主のものです。
私は私が創ったのではありませんから。

それは私がそれらを維持し持続させているのでもありませんから。

創造主が呼吸して心臓を動かし、血液を循環し、各細胞をコントロールし、
肉体を創造し生きて、脳を使って思考し、行為しておられます。

ではこの私、
思考している自分を私だと意識している私はどの私なのでしょうか?

私は、起こっている思考を何ら疑うことなく自分だと信じ、その起こっている
思考を「私が思っている」「そう思っているのは私だ」と単純にそう思い
込んでいますが、
思考は私が創ったのでしょうか?
意識は私が創造したのでしょうか?
私は私が創造したのでしょうか?

それは勿論、思考も意識も私も、私が創ったのではありません。
脳を創ったのが私ではない様に、感覚や知覚や認識も私が創ったのでは
ありません。
「私という思考」が発生しているのであり
同様に私と言う意識も発生しているのです。
私が私を創ったのではありません。

では「私は私だ」とそのように思い込んでいる私とは誰でしょうか?

それも、その起こっている私という思考や意識なのではないでしょうか!

そもそもが、
「私という思考」も、この「思考を意識している私」も私が創ったのでは
ありません!
気が付いたときには既に思考も意識もあり、この個性ある私がいたのです!

私は、そしてこの思考や感情を受信する脳も意識も、意識を創った創造主
よって与えられ、演じられ、生かされているのです!

私も、私という意識も私のものではなく、与えられ生かされているものです。

思考や意識を創造し使用し、私として生きておられるのは創造主なのです。

私は何もないところ(空)から生まれ、生かされている被創造物なのです。
私が生きているのではなくて創造主が私として生きておられるのです。

この私、才能があったり、なかったりするこの私、悪行を重ね、苦しみ
不安に苛なまされ、恐怖に煽られ、性欲とカルマに縛られているこの私。
この去来する思考も、行為も、意識も、私自身も
肉体と同様に創造主によって、創造された被創造物なのです。

私が生きているのではなくて、
私として創造主が演じて生きておられるのです!

生きておられるのは創造主なのです!
私やあなたが生きているのではなくて生きておられるのは創造主なのです!
私として思考し行為して生きておられるのは、私ではなく私の創造主です!

私は創造主によって創造され、知覚や認識を与えられ生かされている
神の作品・神の演技なのではないでしょうか!

決して私が私を創ったのではありません!
私が私を生かしているのでもありません!
創造主が全ての人間、一切の万物として生きておられます!
全ての人類、わたしもあなたも創造主が生きておられるのです!

ですから生きて、呼吸して、考えて、感じて、生活しているのは
私ではなくて私の創造主、神、そして神の分け御霊です!

では、この現実に私、私だと思っているこの私は、どの私でしょうか?
それは神が演じている自我です。

私とは自我であり、自我とは恐怖です。
恐怖が私なのです。
この現在の自分を自分だと思っている私とはこの恐怖なのです。
恐怖とは渇仰であり、性欲であり、自尊心であり、狡猾であり、憎悪であり
競争心であり、戦いであり、殺す者であり、殺される者であるこの私です。

私達が生きているのではなくて、生きて思考し行為し生活しているのは
創造主の映像であるこの自我なのです

一切の万物のすべて、全ての人間として生きておられるのは創造主であり、
その創造主があなたとして私として一人一人の人間として思考し行為し、
生きておられます。全ての人は同じ神の分け御霊であり一体なのです。

しかし、だが
日常のこの意識している私、行為している私、「自分は観察者だ」「自分は
観照者だ」と嘯き、行為の結果なのに、「私は神の子」だ、「私は行為して
いない、行為は起こっているのだ」と自己正当化している私、がこの狡猾で
悪賢い、神の演技である自我なのです。

ですから生かされているこの私達とは神の演技であり、私としてあなた
して演じて生きておられるのは神であり、演技であるこの自我を観照して
いるのは神の分霊(ワケミタマ)であり、神の子なのです。

けれども現在意識であるこの私は、神の子の私を装い、自分が観照してい
ると観照者だと、錯覚しております。
現在の人類の現在意識の私とは神の子ではなくて自我なのです。

ですのでその神の演技であるこの私とは自我であり、恐怖それ自体なの
す。

従ってこの現在の意識であり恐怖そのものであり、結果である私・自我には
この生きておられる神の私(観照者)は意識される事がありません。
意識していると錯覚しているだけです。

なぜならこの今これを書いている久保栄治と言う私は、魂からの私ではない
神の演技の私であり、この演技されている私は起こっている結果であり、それ
は実相の私ではなく仮象の私だからです。

だから「イブン・アラビー」は私達にとって未知なる真の私のについて言
います。
「人は世界や宇宙を見て、それは私ではないものだとそう思っていますが
実は
世界や宇宙や大自然はあなたなのです。
なぜならあなたは世界や自然や宇宙の一部ではなくあなたが宇宙だからです。」

神の子の私は思考ではなく、意識ですらなく、私・意識を使って演じて
おられる創造主だからです。

「あなたは創造主なのです」と。

しかしながら現況の地球人の段階に於いては、
その神の子、即ち新たに開いた目である「霊魂と繋がる私」は、脳と一体化
し、脳が受信している潜在意識にある記憶を私自分だと錯覚しています。

そして今現在では全く目覚めていません、何故なら隣の人を私ではない
他人だと知覚しているからです。

現在の神の分け御霊である私の現在の状況とはどうでしょうか?

私達である「霊魂(神の分霊・ワケミタマ・神の子)」からの
新たに開いた目である「霊魂と繋がる私」には
四つの段階(次元・世界)
四つの自己意識の段階がある
といわれております。

どのような段階があるのでしょうか?
何故、段階というのでしょうか?

それは、この神の赤児である「霊魂と繋がる私」は現象界に降ろされたので
「我の心」に覆われ包まれていて、現実を見ることが出来ずにいます。
なので、夫々の各魂の目にはその程度の差があるのです。

私達「霊魂と繋がる私」各人の意識の状態は多くの段階があって
夫々の段階で、この神の子・神の分霊からの「目」の状態は、
それぞれが全く異なっています。

実際、神の分け御霊からの新たに生まれた目である私達は
この「神の神殿である肉体・脳」に入っていますが
思考・私という観念に取り囲まれ覆われ、包まれているので、
自分を思い出すことは出来ないでいます。

私達自身は肉体ではなく、「霊魂と繋がる私」であり神の赤児ですが
これを書いている現在意識の私はこの神の赤児ではなくて恐怖の自我即ち
記憶です。

しかしながら現在は目覚めていなくても
私達は受動思考という記憶の反応でも無く、エーテル複体でもなく、
思考体、感情体でもなく、神の演技である「我・個人・人格」でも
ありません。私達は神の赤児なのです。

私とは、神の肉体と神の演技である「我・個人・人格」に包まれている
「霊魂と繋がる私」即ち神の子、天照大神の御分霊なのです。

これが現実であるのですが
「自分はエゴではなくて神の子だ」と思っているのは、そのエゴなのです。
私達は私を詐称するエゴ自我の巧妙な策略に欺されることなく道を進まね
ば成りません。
エゴ自我は恐怖であり、自分以外の人を見て相手の人を自分自身だと
思っていません。

しかしながら如何にエゴに覆われていても
私達は肉体ではなく、受動思考でもなく、受動行為でもなく、自我・エゴ
ではありません。
私達は神の子なのです!!!

私達は決して自我ではありません、自我に深く覆われ自我と同一化して
しまっている「霊魂と繋がる私」・神の赤児なのです。
私達は創造主・神の分け御霊・神の子だと教えられています。
だから「私はあなた」「私は世界」「私は宇宙」なのです。
・・が
ただ、悲しいことに私達はそれらの我の心に包まれているのであります。

「私達は皆一つであり神の分け御霊だ」という、この実相の認識程度に
従って、
知覚認識される内部世界も外部世界も全く異なっています。

しかしながら現在の私達は深くこの思考・自我によって覆われてしまい
決して現実を見ることが出来ません。

思考が働いていると言うことは、その自分は自我であって「霊魂と繋がる私」
ではないということです。

私達は魂は同一であっても、その人の進化(どの程度、我の心が祓われ
拭い去られているのか)
によって段階が異なりますので本人の意識の状態、知覚される対象
知覚者自身、即ち、認識されている内部世界と外部世界は異なっています。

従って、私達が理解出来る教えは
その人の実存状態のレベルによって教えの内容は異なるのです。
夫々異なったレベルにいる人が説く教えや意見や知覚も全く異なります。

しかし、その人の進化段階によって意識や知覚も対象世界も異なっていても
奥にある「霊魂(神の分け御霊)」の意識そのものは全ての人は同じであり、
実相はいつも変わらないことでありましょう。

その変らない「霊魂(神の分け御霊)の意識」の事をセルフエピグノーシス
といいます。

その色んな段階でも変わることがない私達の本来の自己意識のことを
セルフエピグノーシス言うのです。

高次の段階にいる人が私と言うとき、その人のセルフエピグノーシス、
その人の私とは一切の万物であり、その人が私と言うとき世界人類の
ての人のことを指しますし
その人の私には、万物や人類との分離が無いので「私はあなたである」
「私は世界である」と言うことでありましょう。
そして「私は神の子である」という事でありましょう。

その段階にいる人にとっては思考も行為も起こっている事であるので
「思考や行為は起こっているのです」と教えることでしょう。

しかし私達はその様な高次元の段階ではなくエゴ自我(エゴ)がそのもの
なので、
何を言っているのかさっぱり分からず、それを理解する事は出来ないので、
あくまで「思考や行為は自分の自由意志で思考し行為している」と
全く正反対に知覚し認識していることでしょう。

そしてその段階の人には「正しく行いなさい」「正しく想いなさい」
という教えが与えられます。何故ならその人の段階での私と思っている
私とは、私ではない記憶に過ぎないからです。

しかし高次の段階の人は思考も行為も起こっているので
「思考なく見なさい」「行為は起こっているのです」と言うことでしょう。

その高次の段階の人の現実には完全完璧だけがあって殺人や戦いなどは
存在していない事でありましょう。

その高次の段階の人の現実には実相世界が顕現し、現象界ではなくて
本当の姿が知覚認識されている事でありましょう。

けれども、その段階には、全くほど遠い私達が知覚するこの現象次元世界
には私とあなたの分離があり、戦争や虐殺が絶えないことでありましょう。
何故なら、それを知覚しているのが思考である自我だからです。

私達は同じ地球人類でも、同じ家族であっても、同じ組織内であっても
人、夫々の意識の成長段階は異なっています。
従って
一人一人の自己意識セルフエピグノーシスの状態は異なっています。

なので
この現象世界に於いてでさえも自己意識セルフエピグノーシスの異なる状態
では、知覚されている世界は異なります。
その人のいる段階(次元)での見られている世界は全く異なっているのです。
また教えや哲学や宗教や思想も異なっているのです。

私達は同じ地球にいても、その人のセルフエピグノーシスの段階で
全く異なる内部世界と外部世界を知覚し体験しています。



■本能的意識状態(本能的セルフエピグノーシス)

        本能のままに、動物と余り変わらない意識状態の段階。
        自己意識、客観意識は殆ど形成されていない。
        この状態での思考や受動思考、感情は本能の反応でしかなく
        自分自身は完全に本能に覆われており、自己を思い出すこと
        は全くないどころか自我さえも形成されていないのです。 
        やられたらやり返す、「ワン」と吠えられれば「ワン」
        と吠え返すのです。  
■潜在意識的意識状態(脳の記憶と同一化しているセルフエピグノーシス)

        科学的思考、脳が受信した自他分離の記憶の反応の思考。
        潜在意識の受動記憶と一体化している現代社会の意識。
        現在の人類の意識はこの段階にあります。
        私達の意識はこの記憶からの反応によって完全に覆われて
        自分自身を想起することはないし自己観察も行われて
        いません。  
■意識的意識状態(記憶からの受動思考ではなく霊的サイコノエティック体
        からの能動行為や能動思考が使用可能となっている
        セルフエピグノーシス)

        無意識的、受動的思考に対して能動思考や能動行為が
        可能になっており、「霊魂と繋がる私」の意識が始動
        している。
■超感覚的意識状態(霊的サイコノエティック体が再形成されている
         セルフエピグノーシス)
    
         霊的サイコノエティック体の知覚が起こり
         この身体を使用して高次思考、高次行為が実践できる。  
■超意識的意識状態(「霊魂と繋がる私」が霊魂との繋がりを恢復した
         セルフエピグノーシス)
      
      全人類が私の中にあり、全ての一人一人の中に私はいる。
      ハイヤーセルフ、インパーソナルの私、霊魂との繋がりが
      恢復し霊魂として、ハイヤーセルフとして生きることが出来る。


この徐々に進化(または穢れが清まっていく)していく状態・意識
「霊魂と繋がる私」の自己意識のことを、夫々の段階での
セルフエピグノーシスと言います。

セルフエピグノーシスがこの下位の次元界若しくは意識状態から
より上位の意識状態までに進化するには、何百回何千回何万回という輪廻を
必要としていると言われております。

  
          

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