神から分離したこの人格は
新しく開いた「目」の幻想。
これが生まれたのは、
人間がこの自己の死を通じて、
自ら本来の自己、
即ち神の自己を知るためである。
この幻想の自己は、
「外の目」が眩まされ、
内なる目が輝かされる時に
消え去る。
・・ミルダッド
このミルダッドの教えに対して
私達はどう思考し、どう対応すれば良いのでしょうか?
現況の私としては
肉体に対しては、
肉体は神の宮、大生命の顕れ、小宇宙ですので、
肉体に感謝し、肉体に愛を捧げ、肉体を生かされていることに
心からの敬意を捧げ礼拝しています。
私は肉体に入らせていただいていることに心から感謝しております。
「息し呼吸しておられ」て「心臓を動かしておられる」この大生命。
生きとし生けるもの、すべてを生かしておられるこの大生命。
「35兆の細胞や三つの脳とDNAを使って、この私個人として
毎日毎日、思考し、記憶し、行為しておられるこの大生命」に。
心からの愛と、心からの敬意と感謝、そして全託し帰依を捧げています。
肉体は神聖なる神の宮であり、肉体は勿論、全く以て、私のものでは無く
私が生きているわけではありません。
この素晴らしい無限の可能性を秘めた脳も、私が創ったのでも私のものでも
ありません。そして脳の記憶であり、脳の産物である「私」は私のものでは
ありません。私は脳を創った方の道具であり、「私」は私のものではありま
せん。
脳を含めて肉体は大生命が個々人の肉体を使用して生きておられますし、
その肉体には「霊魂と繋がる私」が入らさせていただいておりますが
肉体そのものは、私のものでも、あなたのものでもありません。
また肉体の生死とは「霊魂と繋がる私」が生まれ死んでいるのでもない
ため、以下で云う現在のパーソナリティーという私には肉体は含まれません。
また、この現在の私(現在のパーソナリティー)も、この現在の私が創っ
たのではありません。
気が付いたら、この国に、この両親の元に、このような才能や障害を持って
このような性格で、この時代に、この地域に、この様な肉体に生まれたので
す。
ですから、
私が私を創ったのではなく、この私・現在のパーソナリティーは創られ、
演じられている神の演技、神がお使いになっているロボット、神の映像
なのでありましょう。
そしてこの現在のパーソナリティーの私こそが「霊魂と繋がる私」に覆い被
さっている私なのでありましょう。本来自己とは本体の私である「霊魂と繋
がる私」なのに、この現在のパーソナリティーが覆い被さっているのです。
三重の私がいます。
それは脳の私、脳に結びついた継続している記憶・現在のパーソナリティー
の私、そして「霊魂と繋がる私」即ち霊魂の私です。
現在のこの私自身である「霊魂と繋がる私」は、自分の霊的諸体が再形成
されていないので「脳が生み出した『私という観念』の記憶・現在のパー
ソナリティー」を自分自身だと錯覚しています。
この「私という観念」の記憶とはミルダッドが云う「幻想の自己」「現在の
パーソナリティー」のことであり、常に思考し欲し、至ろう、成ろうとし、
常に競い合い、相手を利用しようとする自己関心そのものです、それがこ
の現在の私のことでありましょう。
それは常に計算し、自分がどのように思われているのかを絶えず気にして相手
のことなど、これっぽっちも考えたことがないこの私の事です。
それは「この私自身」、「毎日生活し、考え、努力している私」のことです。
即ち、自分は肉体だと知覚している私。生まれそして死ぬと思っている私。
それはこの「神から分離していると思っている幻想の私」のことです。
「常に何かになろう」「知識を求め、知ろうとし、自己実現しようとしてい
る私」「肉体は私だ」「私は真理を知っている」「私は他人ではない」と錯覚
している私の事です。
それらは思考を自分の思考であり、感情を自分の感情であり、行為を自分の
行為であり、自分を自分だと錯覚してている「記憶から起こっている私」。
思考であり感情であり、その記憶が起こしている私・人格です。
それは「霊魂と繋がる私」の霊的諸体からの思考や感情や行為や知覚では
ありません。脳が受信している受動思考、受動行為です。
それではこの「霊魂と繋がる私」はどう生きたら良いのでありましょうか?
しかし残念ながら「霊魂と繋がる私」は未発達で未だ霊的諸体が形成さ
れていないために、
「霊魂と繋がる私」は能動思考や能動行為や超知覚、超行為が殆ど出来ない
のです。まして霊魂である思考を超越した意識など知るよしもありません。
ですのでこの「私は肉体だ」という知覚の段階にいる私達に関しての教えとは
肉体を自分だと知覚していますから、必然的に○○しなさい、○○しては
ならぬとなります。
思考や感情や願望や行為がこの意識の座(「霊魂と繋がる私」)にそれらが起
こっているのだということ、は全く理解出来ません。
肉体が自分だと思い込んでいる以上は、あくまで自分が思考し、自分が行為
していると実感しています。・・なので現在のパーソナリティーはカルマを
身に背負うのです。
それなので、この知覚である限りは、高次元からのアドヴァイタの云う「思考
者はいない、行為者はいない」ということを全く理解することが出来ません。
ですから行為は起こっているのであるという事を全く知覚認識できません。
その肉体が私であるという知覚がある限りは(自分が生まれ死ぬという
知覚がある限りは)その次元領域での教えとは○○しなさい、○○してはい
けない、というような思考のあり方や行為の教えとなります。
さて以上の事から実践に関しては
「霊魂と繋がる私」がこの「私を詐称している記憶という私自身」に対して
これまでの、そしてこれからの日々毎日のその努力と心配やご苦労に対して
心からの感謝と愛を捧げようとおもいます。
「私さん、ありがとうございます!」
「私さん、愛しているよ!」
「私さん、あなたがこんなに苦しみ、悩んでいたこと知らないで
ごめんなさい!」
「私さん、大変だったね!」
「私さん、愛しているよ!感謝しているよ!有り難う!」
「私さん、このままで良いんだよ!
何かになったり、到達したりすることは何も必要ないよ!」
「私さん、よく頑張ったね!もう悩まなくて大丈夫だよ!ご苦労さん!」
、と
この「霊魂と繋がる私」自身が私自身(この「私という観念」の記憶「幻想
の自己」)を抱きしめ、そして感謝し、愛し、礼拝しましょう。
但し
ミルダッドが言う本来の私とは、「霊魂と繋がる私」のことです。しかし、
魂である本当の私の事については私は全く分かりませんので何も話せません。
《さて、この肉体ではない現在のパーソナリティーについてですが
以下は少しばかり専門的な話になりますが、補足させていただきたいです。
聞き慣れない難しい言葉を使っていますし、何を言っているのかさっぱり
分からないかもしれません》
現在のパーソナリティーと呼称される私(「霊魂と繋がる私」も含む場合も
ある)
とは以下の私で構成されております。
以下の文章で現在のパーソナリティーと言うときは
下記の私が混合している状態の私のことであります。
A:「霊魂と繋がる私」(コーザル体・原因体・セルフエピグノーシス)
B:霊的諸体であるサイコノエティック体(思考体感情体の私)
(以上がミルダッドが云う新しく開いた魂からの目)
(以下はミルダッドが云う新しく開いた魂が自己同一化している
幻想の自己)
C:記憶である私(現在の人格個人・及び潜在意識の私々)
D:運命のカルマ・DNAによって生起している思考や感情や行為
E:そしてまた外部からのエレメンタルの憑依などの私
で構成されている複合的な私が現在のパーソナリティーです。
この状態での現在のパーソナリティーは、「自分は肉体であり、意識とは脳
の産物である」と知覚していますが(これは通常の人類の現在意識の状態)、
それは、間違いです。
「霊魂と繋がる私」が受信器である脳と繋がって一体化しているのでそう
錯覚してしまっているのです。
そして「霊魂と繋がる私」は脳と繋がっているので、脳経由の思考や感情や
欲望や恐怖や暴力や羨望や非難や評価など心を自分自身だと錯覚しています。
現在の「霊魂と繋がる私」は受信器である脳の情報だけを受けとっている
状態だからです。
脳が、思考や感情や欲望や意志や行為や自我を生み出しているのではなく
脳とはそれら情報を受けとっている受信器であって、それらの情報を「霊魂
と繋がる私」に伝達しているのです。
そして「霊魂と繋がる私」はそれらの脳からの知覚や思考や感情や行為や
自我を自分自身だと錯覚し苦しんでいるのです。
何故「霊魂と繋がる私」がその様に錯覚するのかと言えば
その「脳と云う受信器」はシルバーコードを介して
認識主体である「霊魂と繋がる私」(セルフエピグノーシス)と繋がって
いるからなのです。
私達「霊魂と繋がる私」は未熟なので自分自身からの意識と脳から伝わる
受動思考を識別できないので混同しています。
と言うのも、私達「霊魂と繋がる私」の霊的諸体が再形成されていないから
能動思考や能動行為ができないのです。
と言うわけなので私達の知覚とは肉体脳の知覚でしかなく、霊的諸体の超知
覚は全く知ることが無いのです。
まして魂の時間と空間を超え。自他の分離の無い知覚など想像することすら
出来ません。
そもそもハートにある「霊魂と繋がる私」の意識センター(セルフエピグノ
ーシス)が殆ど作動していないのです。
さらにはこの「意識センターである霊魂と繋がる私」は、
脳から受けとっている「記憶である人格」からの受動思考と
ハート付近にいる「「霊魂と繋がる私」からの能動思考を混同して
います。
いや混同するというより能動思考を使ったことすらないのです。
高次思考も霊的諸体の超知覚のことも知らず、魂の自他の分離を超えた
万物一体の超意識のことなど全くもって分かりません。
それは、
私達である「霊魂と繋がる私」のサイコノエティック体(思考感情体)が
未形成で殆ど作動していないため、自分が能動思考を使えることを知らない
からなのです。
そして、それ故に、私達「霊魂と繋がる私」は脳が受信している人格の知覚を
自分の知覚だと錯覚し続け生きています。
今のところ「霊魂と繋がる私」のサイコノエティック体は未形成のため
認識している知覚や思考は脳経由ばかりの受動思考ですが
認識そのものは脳ではなくハートにある「霊魂と繋がる私」のセル
フエピグノーシスがしています。
認識とは、脳ではない複合状態の現在のパーソナリティーの中の「霊魂と
繋がる私」セルフエピグノーシス(鏡・意識の座)が胸の付近でしている
のです。
認識は脳からの記憶がではなく「霊魂と繋がる私」のセルフエピグノーシス
(サイコノエティック体含む)がしているのですが脳とだけ繋がっている状
態なので、脳の状態がそのまま「霊魂と繋がる私」の状態だと錯覚している
のです。・・・ここが現代人にはわからないのです。
地球人類の殆どの人は脳と私達(「霊魂と繋がる私」セルフエピグノーシス)
を繋いでいるシルバーコードしか機能しておらず、
霊魂と私達「霊魂と繋がる私」を繋いでいる高次のシルバーコードが殆ど
機能しておりません。
その霊魂とのパイプコードは塞がっている状態なのです。
ですので、その為、霊魂の意識はシルバーコードを介しサイコノエティッ
ク体を経由して「霊魂と繋がる私」と直結しているのですが、殆どの私達
のサイコノエティック体は塞がって再形成されていないので「霊魂・ハイ
ヤーセルフ」の声は私達に届かないのです。
脳と私達「霊魂と繋がる私」を繋いでいるコード(エーテル複体)を麻酔
や催眠術や薬物によって、一時的に機能停止状態にすることも出来ますし、
薬物やマントラなどの方法によって、その私達と霊魂を繋いでいる高次の
コードを一時的に開放状態にして疑似の高次の意識体験を齎すことも可能
でありましょう。
毎日、通常の睡眠や、死亡によって私達の意識が一時的に無意識に陥るのは
私達セルフエピグノーシス(意識)が霊魂であるハイヤーセルフに一時的に
一旦収納されるからだと教えられています。
そして一旦収納されて英気を恢復し、また毎日の生活に戻れるわけです。
私達現在のパーソナリティーの意識が睡眠や麻酔やエレメンタルや
死亡によって一旦途切れるのは私達のサイコノエティック体が
形成されていない為です、私達「霊魂と繋がる私」の持つ魂とのシ
ルバーコードが塞がっているためです。
もし、私達「霊魂と繋がる私」の霊的諸体であるサイコノエティ
ック体が再形成されて霊魂との繋がりが恢復されたのなら
意識は途切れることなく、夢見の時でも熟睡時でも中断されることは
なく続いていくことでありましょう。
そもそも魂との繋がりが恢復されたのなら夢を見ることもなく、眠る
こともなく、自他の分離も無く、そこには実相が顕現し、全ては一つであり
、戦いもなく、愛と感謝だけの喜びと平穏の宇宙が自分の中にあることで
ありましょう。
そして肉体の脳は休止していても意識はしっかりと働いていることであり
ましょう。
その時、現在意識は霊魂と繋がって霊魂と一つになり、死もなく誕生も
ないことでありましょう。ハイヤーセルフからの高次思考と完璧な行為
がそこに起こる事でありましょう。
意識が睡眠で中断されてしまうのは、私達のサイコノエティック体が未形成
で機能していないので高次意識(霊魂・ハイヤーセルフ)を知覚認識出
来ないからなのでありましょう。