虚偽を虚偽と見、虚偽の中に真理を見、真理を真理と観よ・・クリシュナムルティー
これは有名なクリシュナムルティーの言葉です。
まず初めにクリシュナムルティーの教えは、非常に高度なので、この
無明に完璧に覆われ包まれている私達神の子にとっては、理解は出来ず
せいぜい理解していると錯覚する程度が関の山なのであります。
ほかの私達の現状を打破する教え、私達にとって理解や実践可能な教え、
私達のレベルに合わせた教えの方が私達にとって役に立つと思われます。
以下は私の私による解釈であることをお伝えしておきます。
クリシュナムルティーは自分自身のことを「彼」と三人称で語ってい
ました。
・・と言うことはクリシュナムルティーの彼自身は個人の人格ではなくて
人格を観照している普遍的観照者であったと言うことを示しております。
そしてクリシュナムルティーはクリシュナムルティーの「私」のことを
「私は世界である」と語っておりました。
クリシュナムルティーがいる次元に於いての私と私達の私とは全く異なり
あらゆる人々、あらゆる万物の私とは一体で
主体と客体の分離や
時間や空間の制約が無い
「私・真我」の普遍意識そのものであるということなので
ありましょうか。
それに対してこの物質界次元にいる私には
彼の言う私とは未知であり、チンプンカンプンで全く以
て理解出来ない言葉であります。
彼の知覚はこの現在の地球人類の物質界、幽界や霊界の次元を超えた
実相界の教えであり、
その教えは高次元の宇宙の宇宙人(エルダーブラザー)の教え
とも同じものであります。
彼の知覚認識も高次元界の知覚認識であり、私達という無明(自他の分
離という嘘)の中にいて藻掻いている段階の私達人間には到底、理解す
ることは不可能であります。
高次の目が覚醒していない私に於いては、それはただただクリシュナム
ルティーを信じて、彼のいる次元を想像するしかありません。
では最初に戻ってクリシュナムルティーの言う虚偽とは一体何のことでしょう?
それは文字通り嘘のことです。
それは文字通り虚偽なのです。
ではその嘘・虚偽とは何でしょうか?
それはわたしとあなたは別々だという嘘。(実相では私はあなたと一つ)
わたしとあなたは一つではないとの知覚認識が嘘だと言っているのです。
平均的地球人類の自他に分離した知覚・・
その自他に分離した知覚とは、私達には説明すするまでもない通常の実体験ですが、
この私達にとっての当たり前の現実の知覚認識が嘘だというのですから驚きです。
人類にとってこのような「わたしはあなた」などという知覚は想像することも出
来ません。
クリシュナムルティーは自他の分離、自分と人々、自分と世界、自分と万物一切
との分離、分割・・それらが嘘だというのです。
彼の高次の知覚では、私はあなたであり、私は他の一切の人々、地球の裏側にいる人、
苦しむ人や善人や悪人、そしてさらに動物や植物や鉱物やあらゆる物質
と一体だというのです。
真の自己とはインパーソナルな私であり即ち私とは一切万物であり普遍の
自己だというのです。
・・これは他の上位次元の人々や宇宙のブラザーにとってはこれは実際の
知覚認識である事でありましょう。この知覚認識は現象界を超えた彼岸か
らの知覚認識なのでありましょう。
ですのでクリシュナムルティーは自他の分離は嘘だというのです。
夫々の人の高次の私は全て同一のインパーソナルな私であり
その高次の私の知覚では私はあなたであり、あなたは私と一体である
と言うのです。
万物は私の中にあり、私の中に万物があるというのです。
私とあなた、私と敵や味方、私と神、私と万物一切は分離していないのに
それを自分と対象に分けて知覚認識しているその知覚認識は全く真実ではない。
それは嘘である・・と言うのです。
全てはひとつであり、神だということなのでありましょう。
ですから、クリシュナムルティーに私は誰かと尋ねれば、私は世界であり
私とあなた、私と万物一切はひとつであると答えるわけです。
クリシュナムルティーは個人の人格や、万物と分離している私が
ハイヤーセルフの私に吸収されているので、そのハイヤーセルフの私が
クリシュナムルティーの個人的なパーソナリティーのことを「彼」と
呼んだのでありましょう。
そしてインパーソナルなハイヤーセルフが「私は世界である」と答え
たのです。
それにひきかえ地球人類の私達の私は霊魂であり、私は神の子なのに、
自我の分離思考に完璧に覆われてしまっているので、
その神の子の私が「私は他者とは別で異なっている」と、自我と一体化
し、万物一切を対象として自他を分離して見ているのだと言われて
おります。
自分は神の子で霊魂なのに自分は肉体であると錯覚していて自分は生
まれ、そして最後は死ぬのだと錯覚しているのだというのです。
それは私達霊魂が思考を自分だ、自分は肉体だと固く強く実感してし
まったからでしょう。・・・しかしこの状態こそ現在の神の子の状態
そのものなのです。
自分は普遍的な「霊」であるのに、自分を思考体や感情体、行為体であ
り、自分が思考して自分が行為していると錯覚しているのだというのです。
自分は個人人格ではなくて普遍の意識・真我であるのに、自分を自我体
即ち潜在意識の記憶と一体化して、自分は自他と分離していると錯覚し
ているということなのでありましょうか。
(この状態から神の子の私が、自分に目覚めるのは至難のことでありま
しょう)
いずれにせよこの超越的で普遍的意識については体験するしか確証が
得られず、一瞥体験のない未熟な私達にとっては「神の子である自分
自身」のことを信じるしか道はないのであります。
私とはあなたであるのに、相手の鏡に映っているのは私自身であるのに、
相手の鏡に映る自分を非難し、自分と競争し、相手とは自分なのに殺し
たりしています。・・相手とは私であるからですと仰るのです。
私はあなたなのに、自分と敵を分離して見ており、自分であるあなたを
非難し、軽蔑し、虐待し、殺したりしています。自分と命あるもの、自
分と一切万物、自分と地球を分離し、自分自身さえも内部と外部に分離し
て見ていて自分を憎んだりしていますと。
自分の意識とは他人だけではなく、あらゆる動物や生き物や無生物と繋がり
一体でひとつであるのに、意識を自分だけの意識だと思い込んでしまって
生き物を殺したりしているのです。と言うのです。
・・その自他の分離という嘘、その虚偽を嘘であり虚偽であると正しく知
覚すること。そして「私は世界そのものである」と正しく認識しなさいと。
それを知覚認識出来なければ、想像して信じるのですと。
その嘘を創りだしている「思考」や「心」を「思考」や「心」なく見なさい。
・・と仰るのです。(これは非常に高度な瞑想です)
・・クリシュナムルティーはそのように言われているのだと思います。
これは「思考」や「心」とはそもそもが自分と他者や宇宙を分離して見
ている本体なので「思考」や「心」では正しく見ることは出来ないとい
うことでありましょうか。
「思考」や「心」は正しく見ることも出来ない・・ということを
即ち「思考」や「心」自身が自分は「思考」や「心」なので虚偽しか見
ていないし、虚偽しか見ることが出来ない
・・・「私が見て知覚認識しているのは虚偽なのです」ということを
理解出来なければ想像し信じ、ハイヤーセルフに祈ることですと。
この分離である「思考」や「心」「自我」自体が、虚偽である「思考」
「心」「自我」のことを
虚偽であると正しく見ることの中に真理が顕れてくると教えておられる
のではないでしょうか?
そして、その時
内なる高次の私・ハイヤーセルフからの恩寵の慈雨がくだり、それゆえに
その思考なく、私なく、心なく正しく見ていることが起こり、そこに
真理(愛)がそっと姿を顕しいているのですと教えておられるのです。
クリシュナムルティーは「自己変革の方法」という書籍の中で
「見るものは見られるものである」ということの具体例を挙げて
教えておられます。(しかし以下のことは非常に高度で静寂な瞑想に
到達していなければ実践できないことでありましょう)
「私達が恐怖(自我)を見ているとき、通常は恐怖から逃避しようとしま
すが、恐怖を見ている私達自身が恐怖なので恐怖から逃れることは出来ま
せん。
ですからガンバッテその恐怖と一緒に恐怖に留まり、恐怖の中に入って、
恐怖を愛し感謝しなさい、
恐怖を見ているもの、即ち恐怖の観察者とは私自身即ち恐怖であることを
ハッキリと理解したとき
そこに真理が出現し、そこに愛があります」(意訳)・・と言われております。
この「見るものは見られるものである」と言うことの実相を観ているのが
思考や自我から解放された「真の私」の意識、「神との繋がりを回復した
霊魂・神の子の私」でありましょう。
これは上記の「虚偽を虚偽と見ることの中に真理がある」ということで
ありましょう。
私達は大抵は、この人生で恐怖(自我)に気が付くこともありませんし、
恐怖に気が付いても、恐怖から逃げようとしたり、恐怖(自我)を押さ
えようとしたり、恐怖を変えようとしたり、薬物を使用したりして、決
して恐怖の中に入っていこうとはしません。
此処で言う恐怖とはこの私のことであり、それは思考であり、それは自我で
あり、それは脳からの記憶であり、根本無明のことでありましょう。
その虚偽・恐怖・自我とは具体的には
「私は肉体だ」と信じている
「私はあなたではないという自他の分離という虚偽」を本当だと信じてい
る
「意識とは個人の意識ではなく意識は万物一切とひとつで一体である
のに意識を自分だけの個人の意識だと思い込んでいる」
「私は世界であり、私は宇宙とひとつであって、私の中に世界がある
のに、世界や宇宙を対象として観察し、宇宙は自分ではないと錯覚し
ている」などでありましょう。
いずれにせよクリシュナムルティーは実相次元という彼岸にいて
この現象三界(物質宇宙、アストラル宇宙、メンタル宇宙)を支えている
普遍意識、思考や自我を超えた普遍意識から語りかけているので
未発達な脳の情報しか知覚することが出来ない地球人類の常識では全く
クリシュナムルティーの教えを理解することも、正しい知覚認識に
接近することも出来ません。
従ってこの段階にいる神の子の私達には内なるハイヤーセルフに全託し
ハイヤーセルフからの恩寵を待つ以外にクリシュナムルティーの理解は
不可能なのでありましょう。
・・独断と偏見ですが私のクリシュナムルティーの推論です。