ブラフマンの智者は内も外も全てが実は最高我・パラマートマーであることを見ます・・ラマナ・マハリシ

2024/08/16(金)
ブラフマンの智者は、内も外も実は最高我・パラマ
ートマーであることを見ます。
水が二つに別れて見えているだけです。
内と外という感じがするだけです。
「私」という瓶があれば、その様な内と外という二つ
を見ている意識になってしまうのです。
その「私というもの」が、もし消え去れば、そうすれば、
あるものがあるだけです。
・・・ラーマクリシュナ

この言葉は至高の太霊によって最高次元から語られているので
条件付けられている左脳には理解出来ず、左脳と一体化しているこの
私には全く以て理解することは有り得ないことでありましょう。
この言葉は私達の内と外、自分と自分以外のものとの関係性について
教えておられるのであります。


このラーマクリシュナの言葉の中で
私達の知覚である、「見る者と見られるものは分離している」という
虚偽の知覚について、
即ち
私達の認識である内部と外部の分離、内面と外面との分離、そして自分
自身と自分以外のものとの分離知覚について言及しているのであります。

見ている主体である私と、みられている客体である自分以外の相手や
対象と私は分離しているというこの分離知覚という根本的錯覚につい
ての最高霊からの言及であります。

私達のたましいの知覚ではない脳からの分離意識状態では意識は自我と
一体化しているので、内面と外面が分離していて内部と外部は異なっ
ていると知覚しています。私とあなた、見ている私と、みられている
万物とは分離して異なっていると知覚しています。

即ち「自他は分離し、内部と外部はひとつではない」と錯覚する脳から
の受動思考と一体化している私達の知覚では・・「内部が私であり、外部
とは私ではないものである。」・・・とそのように錯覚してしまっている
というのです。

しかしこの知覚は「脳の記憶である自我」によって引き起こされている錯覚であり
真実ではなく、真実は「内部と外部は一つ」、「見るものは見られるものである」
というのであります。私が世界を見ているのではなくて見られている世界が私だ
と言うのであります。

・・・これはもうまったく常識や科学的思考では受け容れられない高次な
純粋思考でありましょう。

実際には
「内はそと~、外はうち~」。
「内部は外部、外部は内部」、
「内は外~、外は内~」であるというのであります。

この自我が思っている自分自身という自己とは内部ではなく自分の外部
なのであり、
その自我が錯覚する自分ではない外部という対象世界、人々、動物、植物、
味方や敵など一切の対象は実は内部にありその森羅万象は私自身である。
・・と言うことなのであります。

「内部即ち思考や自我は外部」であり自我は内部の私ではなくそとにある
ところの自分ではない無知無明だと言うのでありましょう。

そしてその無知無明の自我には自分自身が目の前の相手として知覚されて
いるというのであります。

そして
「外部即ち世界・宇宙は内部」であり、森羅万象、世界とは内部にあり、
今まで私達が外部の対象だと錯覚していた世界・宇宙・人々・森羅万象
こそが内部・・即ちこの私だと言うのであります。

これは
人類の条件付けられている脳ではもう全く理解することは出来ない事だ
ろうし、読んでいて、頭がおかしくなってきたことでありましょう。
「内はそと~、外はうち~」であるというのであります。
森羅万象の対象は私であり、内部にあり、私は世界であり、私はあなた
だというのであります。
そして自他を分離して知覚する自我は私ではないと言うのであります。

即ち内側は外側であり、外側は内側だというのであります。
私は知覚されている対象であり、知覚されている対象一切は私である。
と言うのであります。

・・・これはもう全く条件付けられている頭脳には理解出来ない・・・
科学的常識では全くのお手上げであるけれども

これは老子タオの「太陰太極図」の教えと同じなのであります。


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