自己関心は自我の姿

2024/05/09(木)
自己関心とは自我の姿である。
自我は自分の中に棲んでいる私ではないもの。

日常の生活のなかで
自分の心の殆どを占めているのは自我の自己関心。

自分に関心を持っているのは私ではない、それは自我である。

自我は私ではない。

私ならば「自己関心に同一化し染まってしまっている私」に関心がある。


自我とは私の中に生息し、私を支配する私ではないもの。
自我とは私に去来している受動思考。
潜在意識の中の「私という観念」の記憶のこと。

自我は常にいつも自分に関心を持っている。

自分の健康、自分の預金通帳、自分の成功出世、自分の幸せなどなど。
自我は他者や世界に関心がある「フリ」をしている。

が、しかしそれに対して
私とは自己関心を持っていない。
自分がどう思われているのかに関心がない。
肉体や金銭や成功に関心がない。

自我である自己関心とは、読んで字の如く自己に関心があること。
常に自分の地位、収入、損得、評価など・・他人からどう思われている
のを気にしている。
自分の評価、地位、
自分の預金残高、
自分の将来、
自分の健康、
などなど、常に自我は自己に関心があり、それが私を詐称する自我である。
自我とは受動思考、記憶の反応である。「私という観念」。
自我は常に相手と競争し、トップを目指し、支配し、恐れている、
それは分離し孤立しているからだ。
自我とは恐怖、苦しみ、暴力、葛藤、嫉妬、競争、分離である。

それらの自己関心は自我が起こしているのであり
決して私がおこしているのではない。

私は自我ではないので、私は自己に関心がなく自己自我を観照している。

私は呼吸であり、生命であり、他者や世界とに分割できない。

この私の中に棲んでいる自我を「私ではない自我」と見ることが
自己観察である。

その自己観察が自我からの解放をもたらす。

と教えられている。

※この現在の世界の常識や社会通念、教育、マスコミに何の
疑問を抱くことなく、捕獲され飼育されてしまっている私達
を見ると悲しくなります。





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