ハートにある真の私は根源的恐怖によって守られている・・アドヴァイタの言葉より

2024/04/06(土)
ハートにある真の私は根源的恐怖によって守られている・・アドヴァイタの言葉より

「ハートにある私達の真の私は根源的恐怖によって守られている」と教えられています。

ですので私達が自分自身である真の私に帰還し、生きる為には、死を通過しなければ

ならないと言うのです。生きるためには私達の自我・エゴ即ち私と他人を分離して知覚す

る偽りの私が死ななければなりませんというのです。

この「根源的恐怖」を体験し、その「根源的恐怖」を味わい尽くさねばなりませんと。

私達が今回の人生でこの「根源的恐怖」に出会って、絶望や恐怖を体験出来る事と

いうのは最大の幸運ハッピー、ラッキーな恵まれた事なのでありましょう。

この根源的恐怖に出会えると言うことは、その人がその成長段階にようやく達した、

という事なのでありましょう。

私達は死んで生まれ変わらなければならない・・と教えられています。

では、その私達が生まれ変わって真の私に戻る為に経験しなければ

ならない「根源的恐怖」とは何でしょうか?

それは「底なしの真っ暗な深淵」即ち「死」だとも言われております。

真の私を守っているのがこの「根源的恐怖」である底なしの深淵で

あることでしょう。

そして、もし幸運に恵まれて

私達が、その底なしの深淵という恐怖を経験して死ぬことが出来れば、

私達は生まれ変わって生きることが出来るようになることでしょう。


イエスキリストが言うように「新たに生まれ変わらなければ神の

国に入ることは出来ない」即ち死ななければ生きることは出来ない

ということなのであります。


ただし、此処で言う死とは勿論、肉体の死や肉体から去ることではなく、

私達から、「私は他と分離していると実感している自己」が剥がれてい

くことでありましょう。


即ち、私とあなたを分離し、万物と自己を分割して知覚している偽りの私、

内部と外部を分離し、自分の中に他者や宇宙や世界が有ることを

知覚していない偽りの私が私達から死んで剥がれていくことでありましょう。

これは仏教で言う「身心脱落」であり、恩寵によって、絶望と死を経過し

やっと生きることのスタート地点に立つことができたということでありましょう。


ミルダッドは言います。

『この私は幻想、

神から分離した、この人格の私は、新しく開いた「目」の幻想。

この幻想の自己が生まれたのは、人間が、この自己の死を通じて、

自らの本来の私、自己即ち神の自己を知るためである。

この幻想の自己は「外の目」が眩まされ、「内なる目」が輝か

されるときに消え去る。』




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