自分の心の中にある、これらの問題(恐怖・不安・イライラ・嫉妬・欲望・怒り・自我など)に対して・・・
私達が答えを見つけようと(※問題から目をそらした
り、何かしたり、解釈しようとせずに)することなく
「問題それ自体」を調べることが出来るのならば
・・答えは問題そのものの中にあります!!
私達が私達自身の姿を見て
私達は私達のその葛藤や欲望や不安や恐怖や自我という問題を経験し
それを体験している中で・・
それらの問題に気が付いており、
それに対して思考は何も出来ないことを知って
その問題に対して静かにしているとき
もしくはそれらの問題に対する、
どんな活動や
アプローチも
それらは「恐怖・自我」であることを知って、
その問題に対して静かである
(※沈黙し問題と共にいる)とき
即ち、
それは自分の中にある、欲望や、恐怖、自我、
暴力に対しての、
如何なるどんな活動もすることなしに
完全にその問題に留まり動かないことですが・・・
そのとき心が最早、欲望や恐怖や自我によって穢され
ておらず
かつ、
すべてのそれらの問題がその心と関係しているとき、
その心自体が実在であることでしょう。
そしてその心とは、私達が持っているものとしての心ではなく
完全に自己がなく、そして欲望のない「心」なのです。
これに反して
私達は自分自身から、
若しくは自分の条件付けから解放されようとして
為されたどんな行為も、どんな努力も
更なる条件付けを生み出してしまう結果となります。
私達は自分の心が全面的に混乱しており
それに対して
自分の心を改善するための、どんな努力も
いかなる方法も、
・・その混乱している心の領域にあるということを
理解しなければなりません。
あなたは自分が全く混乱していることを知っているとき
、その時には思考の全ての停止があるのです。
思考には自由というものはありません。
思考から自由になろうとする「思考の欲望がないとき」
または
思考から自由になろうとする為の思考の努力がないとき
それら思考の動きの全くない状態から
心の全面的な変化が生じてくるのです
(意訳による)
・・・クリシュナムルティー