この生死は、即ち仏のいのちなり・・正法眼蔵・道元禅師
・・・この生死は、すなわち仏の御命(いのち)なり
これを厭ひ捨てんとすれば、すなわち仏の御命を失わん
とする也。これに留まり生死に執着すれば、これも仏の
御いのちをうしなふなり。
・・厭うことなく、慕ふことなき、このときはじめて仏の
こころにいる。
ただし、心を以て量ることなかれ、言葉を以て言うことなかれ。
ただわが身をも、心をも、放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、
仏のかた(方)より行われて、これに従ひてゆくとき
力もいれず、こころをも費やさずして、生死を離れて仏となる。
正法眼蔵・道元禅師