離れよう、離そう

2023/11/03(金)
離れよう、離そう!

以下は時々考えたりすることですが・・・


何もしてはいけない!何もしていないからである。
(行為は起こっており、行為していると錯覚しているのは記憶である)

何も考えてはいけない!何も考えてはいないからである。
(思考しているのは記憶であり、記憶は脳が受信した記憶である)


何かになろうとしてはいけない。既になっているからで在る。
(何かになろうとし、判断し、評価し、記憶する思考と自己同一化
してはいけない!内なる思考ではない私「IAM I」を見よ。
自己を想起せよ!!)


思考や行為は起こっている!肉体が起こっているように。

思考、感情、行為、出来事、出会いと別れ、生と死、成功と失敗、

健康と病気、知覚と認識、才能と障害、戦争と平和・・すべては定められ

起こるように起っているからである。すべては成るように成るので

あるから成ろうとしてはいけない。なろうとする者は在る者ではない。

為すこと成ろうとすること在ろうとすることは既に在ることを否定する。

既に在るものは既に在るから在ろうとはしない。


掴んでいるものを離そうではないか。

掴んでいるものから離れようではないか。

掴まれ、束縛されているものから離れよう!

掴んでいるもの・・思考や感情や知覚や行為や私・・それらから

離れよう。

起こっている思考や感情や知覚や行為や私に感謝し全てを受け容れて

それから離れよう。


全てを受け容れ、そして、なにもしない。どこにも行かない、何にも

ならない。

すべてを任せよう。

何もしないこと!

私は行為者ではないからだ。純粋精神が行為しており

行為していると思っているのは記憶なのだ。

どこにも行かないこと!私は既に在るからだ。在ろうとしているのは

私を知らない記憶なのだ。


思わない、願わない、想念、思考、感情、私と同一化しないこと。

思考や感情や行為や出来事やその自己の反応は起こるように

起こっているのだから同一化してはいけない。

一切万物、生ある者も生なき者にも感謝し愛する事。



思考や行為から離れることだ。

何もしていないし、実際にいっさい何もすることは出来ないからだ。

思考や感情や知覚や生死や私や行為から静かにゆっくりと遠ざかろう。

思考や感情や知覚や生死や私や行為は何処から起こっているのか?

それは私がしているのだから私から起こっている。

ではその私とは誰か?

それは起こっている思考だ。

思考が私と思っているのだ。

その思考が起こっているのだ。

思考している私とは記憶であり、その記憶の私とは私ではない。

その私とは私を覆い隠す「私ではない私」、即ち私を詐称する思考だ!!

その私を詐称する私とは思考であり、思考とは脳の記憶なのだ。

そして脳は条件付けられており、脳は神の創造、神のマーヤなのだ。

脳が起こし脳が受けとっている思考や感情や行為や私を感謝しよう。

そして

思考から離れようではないか。

私は意識だからだ。

私は思考と同一化してしまっているが私は意識なのだ。



Ⅰ:肉体
  神聖なる神の宮である肉体はプログラムに従って行為しそして経験し
  成長し結婚し、年とって病気になり死んでいく、又は殺し殺され元
  の原子へと戻っていく。細胞は愛によって生きている愛の化身。

Ⅱ:記憶(人格)
  脳から生じた記憶は人格であり、学ぶ。そしてプログラムされた肉体に
  起こる経験をし、苦しみ、恐れ、快楽と苦痛を味わう。そして死後も
  生き残ることだろう。サムスカーラ。この私を詐称する記憶は自分を私
  と思っている偽我である。思考し、嫉妬し、競争し、批判し、判断しエ
  ゴである自己関心。自己中心の私。思考のこと。
  ヒューレン博士はこれを潜在意識にある記憶と云っている。

Ⅲ:魂と繋がる現在のパーソナリティーの私(霊的諸体の私)。意識の私。
  大生命(呼吸)と共に肉体に入った私。
  この肉体と脳が生み出している記憶と結合した私。
  魂と繋がっている私は、記憶と一体化して苦しんでいる。
  私は七つのチャクラであるにもかかわらず、目覚めず、
  眠ったまま、この記憶と完全に一体化して迷いの中を
  輪廻転生している意識である。

Ⅳ:霊魂、魂の私
  神の子の私。七つの燈台(チャクラ)である私。生まれることなく
  死ぬこともない私。現在の私にとっては未知なる私。
  頭頂部に在って光り輝く真我である神と一体である神の子。
  観照者でありこの迷える私を優しく導いてくださる私達の本体。
  私はこの霊魂の一部であり、自分は霊魂であることを忘れ去って
  いるが私達は霊魂であることを自己想起し思い出さねばならない。
  全てと一つである私。 

Ⅴ:内なる神。根源、普遍にして時空を超えている絶対なる実在。真我。
  私たちのハートにあって燦然と輝いている愛の太陽。真我ともいう。
  見る者と見られるものとの二元を超越し、自他に分割されず、時間
  と空間を超えた宇宙そのもの。これなくしては全ては一瞬も存在出
  来ない。
  
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