真理の種子・・クリシュナムルティー

2023/10/01(日)
真理の種子・・クリシュナムルティー


私の感想

真理の種子とは私達のこと。

私達とは真理の種子であり、この真理の種子とは

私達には可能性がある種子、即ち真理の種子であるということだ。

真理となる可能性である。


もっとハッキリと具体的に言えば私達の現在意識及び知覚が「脳の反応であ

る意識・・実は思考・・」だけから解放されて私達を生かし、そして生き

ておられる生命の意識へと繋がることであろうか。


現在の私達は目が覚めないまま肉体に入り脳と繋がったので、この脳

の反応の意識しか知らない。この脳による思考以外に意識があること

を私達はしらない。

・・・これを書いている私もそうだが・・


私達は意識の全てが脳の反応だと誰もが信じて疑わない。

脳の反応以外の意識も存在していることは社会では非常識だと否定され

てしまう。

しかし夢の中での意識は脳のある部分の機能が眠っていても、その意識は

存続していることを暗示している。

それは勿論夢の世界とは、今回の転生での人生の記憶に過ぎないのではあ

るが・・・。

この夢の意識を私は肉体脳とは別にある思考体、感情体の意識だと思う。

私達は脳と一体化していても死後も継続している意識だ。記憶まみれだが。

私達は正確には肉体とダブって存在している思考感情体であると信じている。

ただこの思考感情体が機能していないので脳の記憶しか意識していないのだ。


この思考感情体が肉体の死後も生き続け、苦しみと悲しみを経験するのである。


脳が眠り、休止していても夢で出現し作用している意識が私達であり、私達

は思考感情体の意識であり、いわゆる未熟なアストラル体、メンタル体なのだ。

(彼岸からの高次の教えによれば神は肉体以外にこのアストラル体やメンタル
体という霊的諸体をも使って思考し行為している、即ち自我を使って演じてい
るという)

これをエレブナではサイコノエティック体といっている。

ただアストラル・メンタル体といっても全くと言ってもいいほど形成されていない

と言われている。(私は霊的諸体を観たことがないのでこれは想像であるが)


私達である現在の自己意識とは、この頭脳から生じている五感と脳の思考と

それと結合している思考感情体との混合している意識のことなのである。


しかしこの私達である思考感情体(サイコノエティック体)は殆ど機能

ていないという。

それは、即ち未熟で未形成で目が開いていないのであると。

そして正確に言えばこの死後も継続している身体は未だ充分に形成

されておらず、この霊的身体の目は閉じられたままだというのである。

即ち、この夢において知覚している思考感情体は正しく成長し機能して

いないので、今回での人生での数々の出来事の記憶の夢を見ているのだ。


私達の現実生活では脳の思考が圧倒的に支配し占有しており、

そして未形成の思考感情体の意識がその日常生活で加わっていても、ほと

んどの人は、さらに内奥にあるという霊魂の意識には繋がっていないのである。


私達は自分の内側に自分(I AM )がいることを忘れ果てていると

教えられている。

私達が一般的に漠然と私の意識と言っているのは実は脳だけの記憶だけ

ではなくて、この脳と結合している未形成のサイコノエティック体(思考

感情体)の意識の事なのである。・・これは夢の中での未熟な私であるが。

その未成熟な意識である思考感情体とは未だ形成されていないサイコノ

エティック体のことであり、サイコノエティック体はコーザル体を通じて

観照者・霊魂と繋がっていることを忘れ果ててしまっていると言われている。

(非常に専門的で複雑なので何を言っているのか分からないでありましょう)


残念ながら私達未形成のサイコノエティック体は自我という思考の記憶

やサムスカーラ(前世からの蓄積している個人の特性)と完全に一体化

して本来の自分を知ることがない意識状態なのであるというのである。


この私達の意識であるサイコノエティック体の成長、形成こそが私達の勤め!!

私達の源であり、私達の内なる私(I AM )を自己想起してこの私(I 

AM )に戻ることこそ私達が生まれ変わって肉体に入っている理由であ

る。・・と私は信じている。


私達であるサイコノエティック体の意識が霊魂との繋がりを回復し霊魂の

意識が表面化される為にはこの自己想起ということが絶対に必要なこと

なのである。

(ここでいう自己想起とは記憶の反応ではない自己を想起するという意味である)


この事を意識面から考察するとよりハッキリとしてくる。

その私達であるサイコノエティック体が形成されれば内なる霊魂の意識

とサイコノエティック体の意識が繋がることが出来るということなのだ。


即ち今までは種子だったサイコノエティック体の意識が形成されて成長し

魂と繋がる意識となる・・・即ち私達である真理の種子が花開くのであろう。


この私達であるサイコノエティック体が再形成されるためには

絶えざる自己想起(I AM )を通じて記憶の反応ではない未知なる私

を念じ思い出すワークが必要なのである。

と私達は教えられているのである。


そして未知だった意識が花開き自己(I AM )が現在意識となるので

あろうか。

その時には未知だった魂の意識と私達のサイコノエティック体の意識

が繋がったのであると。


以上このような考えは彼岸からではなくて此岸から、自分が全体と

分離していると実感しているマインドからの考えである。


しかしながらより高次の次元からはこの自己・私と対象とは分離して

いないという実相を観ている彼岸の目がある。

それがラーマクリシュナやラマナ・マハリシのアドヴァイタ不二一元

の教えである。

ラーマクリシュナは言います。神が私として演じ生きているのですと

私・私達・自我とは神が演じておられるのですと。

神が心臓を動かし呼吸し頭脳を動かし使って知覚を発生させ、思考し

行為し、私という自我を使って神が演じそして生きておられるので

す。と


私達の意識には4段階あるという

①肉体の脳の意識=条件付けられている脳の思考即ち五感覚・知覚・記憶のこと。
         エゴ、プライド、自己関心、自他の分離、時空間認識のこと。
        (呆けたり、脳の障害で機能不全に陥り、眠ったりする現在意識) 
        (障害や才能、肉体や脳の条件付けの私、個性人格の私)
        (好きになったり嫌いになったり怒ったり喜んだりする私の事)

未形成のサイコノエティック体の意識=ラーマクリシュナのいう神の演技・自我
         表面意識と潜在意識から構成されており、潜在意識は記憶で一杯に
         なっており、苦しんでいるのに同じ私である表面意識はこの潜在
         意識を無視し続け、非難し、必至に改善しようとしている。 
         即ち夢の中で顕著に現れるの私意識。夢見の意識。
          (このサイコノエティック体は成長していないので夢を
          見ていると言っても夢の中身は今回の人生の記憶だけであ
          ってそれを超えるものではない) 
          神である自己を忘れ果て、脳からの思考や記憶、サムスカー
          ラと一体化しているたましいと繋がっている私。人格と一
          体化している未熟な意識。
         (死後も継続している意識、夢見時の意識)
         (神が演技している自我)

形成されたサイコノエティック体&コーザル体の意識=熟睡時の意識と超時空間意識
          観照者の意識=思考や夢見の意識を観照し観ている非個人的意識。
          クリシュナムルティーの「見るものは見られるものである」を理解
          している意識。私達にとっては未知なる意識。  
          この熟睡時の意識とは私達人類にとっては未だサイコノエティッ
          ク体がされていないので私達にとってはこの意識は無であり
          近くは出来ない。この意識は私達には未知で未顕現なる意識の状
          態である。
          現状の私達、即ち記憶と一体化して時間と空間の認識形式に縛
          れている現在意識には全く想像することさえできない。
          ・・・私達は眠っていることに全く気が付いていないからである。
          しかしながら私達の顕在意識と夢見意識を支えているのはこの熟
          睡時の意識という意識の座があるからである。
     熟睡時に於いて肉体脳と一体化して眠ってしまっているということはサイコ
     ノエティック体はいまだ形成されていないということなのだ。
     熟睡時に肉体の脳が眠っているという事を観ている意識、脳が眠っていても
     夢を見ていないで覚醒している意識の事。又は夢を見ていることに気づいて
     いる意識)
     
     ということはいくら一瞥体験をして、自分は覚醒したといっても、この熟睡
     を観照している意識でないのであるならば、その人の体験とは本物のサマー
     ディーではないことだろう。
 
     私達はサイコノエティック体が形成されていないので現在の人類にとっては
     この形成されたサイコノエティック体の意識とは未知の意識である。
     この形成されたサイコノエティック体の意識が魂の意識と繋がることが出来
     るのであり、その時、熟睡時に熟睡を観照している意識が出現している。
     この意識が目覚めた場合、全ての過去世の記憶が表面意識と繋がると言われ
     ている。
     この高次の自我がない意識であるとき、時空間を超えて、テレパシー、テレ
     ポテーション、同調現象、バイロケーション、遠隔治療、コーザル体の意
     識等が起こってくる。

④霊魂の意識=クリシュナムルティーが言う真理の種子である真理の意識の事。
       黒住宗忠師のいう天照大神の神の子の私。
       たましいの私、時間と空間を超越している根源と一体の霊魂の意識の事。
       全ての中に全てが在り、最小は最大、私は世界で在ると言う意識。
       勿論、この意識には個人人格は存在しておらず全ての中に私が在り
       私の中に万物一切があるという意識。この意識は空間の意識でもある。
     

●従って私達人類とは真理の種子であり、この種子である意識には花開く可能性が有
 るということ。
 だが、普通に生活し、喜怒哀楽し、お金儲けを目指して奮闘しているあいだは、
 形成で目覚めていないサイコノエティック体の意識であり、私達の意識とは脳の意
 識・記憶との混合状態である。

●この未形成のサイコノエティック体の意識とは夢見の意識であり、「条件付けられ
 て限定された脳の記憶である潜在意識」のことであり、記憶・エゴの反応そのもの。
 しかもその反応とはサムスカーラと今回の人生のエゴの記憶の反応である。 

●現況の私達とは脳からの思考と夢見の意識である未形成で目覚めていないサイコノ
 エティック体の混合意識であり、この混合意識が死後も継続していると思う。
 それは肉体脳とともに霊魂によって形成された継続しているサイコノエティック体
 でもあり、本来は内なる霊魂と繋がる意識のことでもあると思う。


◎私達サイコノエティック体は如何に記憶によって汚染されようと、またその記憶の
 思考でサイコノエティック体の意識が汚染され、前世からのサムスカーラで雁字搦
 めになっていようとクリシュナムルティー達の言うように私達は内なる神の子と繋
 がる霊魂なのであろう。

 故に、私達は私自身に帰還する為に、内なる自己(I AM)に焦点を合わし真の私を
 常時、意識する必要が有るのではないだろうか。
 内なる自己とは神の子であり、空であり、一切万物であり、世界であり、全ての人
 であることだろう。
 その時実際に私は空であり、私即ち空の中に世界や宇宙が内側にあることだろうか。
 




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