神のみが行為者であって、他のものは全て非行為者です・・ラーマクリシュナ

2023/09/10(日)
神のみが行為者であって、他のものは全て非行為者である。

ラーマクリシュナ




私の感想

脳は誰が創り、誰が動かしているのか?

血液は誰が創り、誰がくまなく身体中を循環させているのか?

誰が肺を創り、誰が死ぬまで途切れることなく息しているのか?

誰が知覚神経を創り動かし、それらを使って知覚しているのか?

指紋・個性は誰が創り、指紋、個性、個人の私とは誰の私なのか?

個性、個人の私とは、それを創ったものの私なのではないのか。

そして網膜と視神経は誰が創り、誰が見ているのか?



誰が思考や感情を創り、誰が怒り恐れ悲しみ嫉妬を生じさせているのか?

この生まれて死ぬ肉体を誰が誕生させ、誰が死なせているのか?

それはこの現在意識という脳のある部分のこの私ではなくて肉体や脳を

創造したものであることだろう。


行為は、常識では自分の自由意志で行為していると信じられているが、

実際には行為とは脳からの指示によって為されており、その脳からの

指示は「自分がする行為への選択・決定」の直前に起こっているという

行為は自分が特定の行為を選択する直前に、既に脳によって行為は為されて

いるというのである。

それら自分が自由意志で行為していると錯覚している記憶即ちこの私、こ

の私とは「未知なるたましいの私」ではない脳が受信した思考の記憶なの

である。


肉体や脳や思考や感情や行為やそしてその記憶そのものの反応であるこの私。

それら記憶そのものであるこの私とは、万物と分離していると思っている私

であるが、この私は誰のものか?

この自我丸出しの私、この記憶の私は私のものではなくて、分離という錯覚を

起こさせているもののものなのである。


この自我丸出しの私を演じて、苦しみ悲しみ恐怖に慄いておられるのは

脳を創造し、肉体を生かし呼吸しておられる至高の実在であろう。



神が肉体を誕生させ、成長させ、老化させ、病気にさせ、そして

死なせておられる。同じように神が私という苦しみの原因である

記憶を発生させ、そして苦しみ、更に苦しみを解消させておられる。



即ちこの私とは存在しておらず、神のみが善人や悪人として

生きておられるのである。



神が生きて呼吸し、地球人類の全ての特色ある個人とし

て思考し、行為し、生まれ、死んでおられるのである。



誰がこの私という記憶を創って、生き、そして演じてお

られるのか?

脳の結果である思考を誰が生み出しているのか?

そして誰がその記憶の結果である私を生み出し、私とい

う思考と感情を生み出しておられるのか?


脳の結果である行為は誰が行為しておられるのか?

良い行為も良くない行為も誰が行為しておられるのか?

意志は誰が意志しているのか?

自由意志は誰が、自由に意志しているのであろうか?

この記憶である私、即ち記憶は誰が創り誰が肉体を動

かしているのか?



それ故に即ち

この私とは存在しておらず、神のみが生きておられるのである。


私もあなたも、誰も何もすることはないし、何もすることはできないし

何もしないこともできない。

することも、そしてしないこともそれらは起こっている。

良いことも、良くない事も出来ないし、していない。

良い思いも、良くない思いもすることは出来ないし、していない。

選択も選択しないことも、自由意志も、望むことも望まないことも

思考も、感情も、欲望も、私という個人も、その個性も天才も障害も

それらは起こっている。


その全てを起こさしめている至高の実在が呼吸をしている様に、

至高の実在が私として思考し行為し生きて演じておられる。

自由意志を使って生きて思考し、欲望し、行為しておられる

のは至高の実在なのである。至高の実在が私として生きておられる。


至高の実在が、個人として、全人類の特定の私として生きて

行為しておられる。


指紋でも明らかなように、全人類の個人として、特色ある

個性の個人として思考し、行為し、思い悩み生きておられるのは

私やあなたではなくて、その至高の実在、神である。


私やあなたには・・

何もすることは出来ないし、何もしないことも出来ない。

楽しむことも、悲しむことも、善悪も、行為も選択もし

ていないし、出来ない。生まれることも、死ぬことも出来ない。


私もあなたも、

その至高の実在が、いまここで、あるがままの私やあなたとして

生きておられる。・・・この私がではないのだ!神が生きておられる

のだ!!私はいない!!


この分離している私とは至高の実在によって発生している思考の

記憶、神の演技なのだ!

この私は何もしていないし、なにもしないことも出来ない。

何かになることもないし、何かにならないこともない。

私は存在しない。

行為し、思考し生きておられるのは神である。


私を使って存在しておられるのは神である。

ここで呼吸し、心臓を動かしておられ、思考と感情と記憶と意志

というこの私を使って生きておられるのは至高の実在、神である。

それゆえに

私の主体は、即ち真の私は生きとし生けるものを生かし給える

至高の実在・神なのである。神が私として生きておられるので

あろう。



・・・と実感は伴わないのに考えたり、思ったりしている。






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