思考は物質である・・クリシュナムルティー

2023/06/30(金)
思考は物質である・・クリシュナムルティー


私の感想

「思考は物質なのだ」とクリシュナムルティーは教えておられます。

「心はそれ自身の中に身体の表れを生み出すのだが粗雑な物質か

らの視野を持つ人は物質的な身体を心とは異なる独立したもの

だと考えます」・・とヨーガヴァーシシュタは教えておられます。

 


私達人類の限られた脳の知覚では、内部と外部、精神と物質、

 

心と肉体を別のものとして錯覚しているのであります。

 

実際には心と物質は同じものであり、未熟な知覚では別なもの

 

として捉えますが、すべては実際は同じものなので、最新の精密な

 

計測器では心が捉えられるのであり、敏感な人や知覚が拡大

 

している方々はその心で心を知覚認識できるのでしょう。


心は物質であり、物質は心であると教えられております。

 

精神は物質であり、通常の物質より組成が細かくて電波や空気のように

 

人類の知覚に認識されないだけで実際には物質と同じものであ

 

りましょう。心と言う物質は私達が知覚している物質よりも

 

電波や磁気や空気や重力のように質料がより緻密で、同じ物質

 

でも精妙なので私達の知覚器官には知覚認識されていないだけ


なのであり、

 

それは同じ基本質料から成立していると言うことでありましょう。

 

 外部の対象と思われている物質は実は心なのでありましょうから


本当は内部と同じく外部も心であり、外部とは実は内部なのであ


りましょう。それはマインドという質料なのでありましょう。

 

それを条件付けられている脳と一体化している私達は対象として

 

外部として知覚認識しているのでありましょうか。

 

それを私達は知らないので心や思考は物質とは異なると錯覚して分割

 

して見ています。しかしクリシュナムルティーの言うように思考

 

とは同じ物質なので、思考がそのまま物質に即、影響を与えることが

 

出来るわけなのでありましょう。思考とは即物質なのですから、

 

精神が物質に影響するのです。心の持ち方が身体や脳に影響するのです。

 

心の方が脳神経が知覚している物質よりも、さらに精妙な物質なので

 

心が物質に影響を与えることが出来るのであります。そもそも脳は心が

 

組成したものでありましょう。個人と言う錯覚を生み出している心


が脳を組成して機能させているのではないでしょうか。

 

 

 

思考と物質は同じであるように、実は内部と外部なのでありましょう。

 

 

それを私達は限られている条件付けられている脳の知覚しか

 

知らないので内部と外部を分割して“心と物質は異なっているのだ!”

 

“内面と知覚されている外部は異なっている!”と知覚してしまってい

 

るのですが、本当は内部とは外部であり、外部とは内部なのでありま

 

しょう。内と外に区別は出来ないのですが心という脳がそれを分割して


知覚しています。

 

限定された脳・心の知覚が内部と外部を分割し分離させているのだけなので

 

ありましょうか。

 

 

それが思考という物質なのであります。それなので私達の思考は

 

非常に大切で思考の使用には最大限の注意を要するのです。

 

 

エレメンタルやカルマや記憶から発している思考と私達からの思考

 

が識別ができる静寂で鋭敏な感受性が求められております。

 

やってきた思考と私達から発する思考には最大限の注意をして

 

思考を正しく用いる必要があるのです。何故なら思考は物質で

 

あり、思考は実現して、肉体や脳に影響するからです。

 

 

私達は思考という物質と自分を完全に一体化させてしまっており

 

自分自身と思考が識別できない状態になっいるので、思考が実感する

 

「自分は肉体だ」という錯覚に囚われてしまっています。

 

「私とは空である」「I  AM I」と賢者は言います。

 

 

しかしながらその思考は私達には知覚されないし思考もされていない

 

空間という実体があるので「無知」「錯覚」が成立していることを知らねばな

 

らないのであります。

 

 

私達は私達が生まれてきた空間を知らねばなりません。私達は空なのですと。

 

肉体は確かに母親から誕生しましたが、私達は私達がどこから

 

生まれたのか知りません。それは空間からなのでありましょうか。

 

 

私達を成立させ、この内部と外部を成立させているのは宇宙

 

そのものである空間です。私達そのものである空間・空であると

 

教えられております。

 

その意味とは空間には内部も外部という区別や、精神や物質と

 

いう区別、私やあなた、光や暗黒、ブラックホールやホワイト

 

ホール、神々や悪魔という区別がないからであります。

 

一切の物質・素粒子は空間から生まれているように、心は空間の

 

なかに生じています、私やあなた、一切の命あるものも無いものも

 

空間の中にあり、私達は生活し、生きているのが実際の実態なのです。

 

 

地球が自転し公転し、太陽が銀河中心を公転し、銀河が宇宙の中心を

 

規則正しく、一瞬の狂いもなく公転しているのも、誕生や死亡がある

 

ことが出来るのも、空気や真空があることができるのも、私やあなた

 

という意識体や肉体があることが出来るのも、光や暗黒があることが

 

出来るのもこの空間があるからに他なりません。

 

空間が宇宙の誕生前にあり、宇宙が死滅してもあるのです。

 

空間のゆがみも空間が在るからなのです。

 

 

有り難いのです、有り難いのです、有り難いのです。

 

過去現在未来という時間があるのも空間のお陰、私が生まれて

 

死ぬことが出来るのもこの空間なのであります。
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