対象化された宇宙が知覚されている限り真我は実現されていない・・ヴァーシシュタ

2023/06/23(金)


「対象化された宇宙が知覚されている限り

真我が実現されることはない!」



「真我が対象として見られているとき

「見るもの」は見られていない!」



「「見るもの」と「見られるもの」という区別が

放棄され、

その二つが一つの実体として見られているときだけ

真理は実現される。」


「完全に主体と異なる性質の対象など存在しない。」





「主体は対象のように見られることはあり得ない。

実際には主体だけが視野の中に対象として顕れ

るのだ。それ以外の知覚の対象はここには存在

しない。」



「もし主体だけがこの全てであるのならば間違

いなくそれは主体でもなく見るものではない!!」



「(「見るものは見られるものである」)

いう、このような視野の中には区別はない

からで在る。」



「最高の治療は「対象を知覚する」という病の

治療である。この治療がこの世界で最高の治療

なのである。」



「心はそれ自身の中に身体という現れを生み出す。」


「だが、粗大な物質からの視野をもつ無知な人は

物質的身体を心とは異なる独立したものだと

考えるのだ。」


神々をも指導するというヨーガヴァーシシュタ

の教えから




私の感想

夜空を見上げると無数の星々が輝いています。
瞑想をすると,又は臨死体験の中で私達は天界や
神や神々、天使や真我を体験します。
即ち私達は経験します。それら経験を対象として
認識しています。
それをヨーガヴァーシシュタは対象として宇宙が
知覚されている限りは真我は実現されていない
と言うのです。この私達の知覚は真我の知覚では
ないというのです。
そして勿論のこと・・
・・私達はけっして星々や神や天使や真我が内側
にあるということを理解していません。
・・これがヨーガヴァーシシュタのいう分離の病
気であることを理解しません。
・・私達は分離という病に罹ってしまっているので
その病気のせいで夜空の星々が自分の外側にあると
知覚しているですと。

ヨーガヴァーシシュタはこの見る者と見られるもの
が一つである目から、空の目から、不二一元の鏡の
目の状態から話しているのでありましょう。
ではこの私達が罹患している病気とは何でしょうか?
私達が治療すべき病気とは何でしょうか?
私達は自分が病気に罹っている病人だと分からない
のでありましょう!
その病気になっていることに気がつかないのは病気
のせいなのでありましょう。
呆けた人は自分が呆けていることに気がつきません、
自分が呆けていることに気がつくことが呆けからの、
この病気の治療には欠かせないのです。

以下は私が思う病気の特徴の推測です

☆この記憶の反応である「自己意識の私」を自分だと信

 じている病気。自分である記憶を自分ではない「私は

 記憶の反応ではない霊魂の私だ」と錯覚している病気。

 この自他を分離して見ている私とは記憶であることを

 自覚していない事が病気に罹っている証拠。

☆自他を分離する思考や感情や行為という記憶の反応を

 自分だと錯覚する病気に罹った結果生み出したのがこの

 現在の私である。このエレメンタルの私・現在の私を

 私とは関係がないと思うのが病気であり、現在の人格

 ・「自分が私だと思っている想念形態の私」とは私の

 責任なのである。

☆自分を肉体であり、自分の思考や感情は脳の結果だと錯覚

 している病気。思考や感情や欲望は、脳が生み出している

 のではなく、脳が媒介しているに過ぎないのに、脳と結合

 した私達は自分が思考し、自分が欲望し、自分が行為して

 いると錯覚している、思考し、欲し、感じ、行為している

 のは記憶であることに気がつかない病気。自分が思考して

 いる。自分が行為しているという実感がある以上は記憶が

 この私であることに気がつかない病気。

☆自分は肉体だと信じ思い込んで錯覚している病気。

肉体が生まれて死ぬのに自分が生まれて死ぬと思っている

病気。肉体を自分だと実感している現在のこの私は病気な

のだ。

☆思考や感情や記憶は私であって行為しているのは私だと信じて

 いる病気。従って思考や感情や行為を自分がなしていると

 実感しているこの私こそが病気そのものなのである。

☆この五感という知覚を自分の知覚だと錯覚している

 病気。この五感は神聖なる神の宮のものであり未知

 である真の私の知覚感覚ではない。

☆聞いて、見て、感じて、考えて、行為しているのは

 私ではなく記憶なのに、それを私が見て行為していると

 錯覚している。自分が思考し、自分が行為していると

 錯覚している。記憶が思考し行為しているのだ、その

 思考し行為していると実感している私は記憶なのだ。

 それは病気に罹っている私の病気、この私は病気なのだ。

☆私は個人ではなく、他人と一体で全人類なのに、自分

は転生している個人だと自分の諸体を自分だと錯覚し

ている病気。全ての人は私であるのに、自分は個人だと

思っている病気。

☆私は神の子で一切の全ては神であり、神しかないのに、

神以外に神ではないものがあると知覚している病気。

自分はこの肉体や諸体またはこの記憶や思考や知性

だと錯覚し神以外に存在している私やあなたがあると

信じていること。神以外に悪魔やブラックがあると

知覚しているのは病気なのである。善悪や敵味方を

知覚していることが既に病気になっている証拠であ

る。この病気に罹っていることを自覚していない

私こそが病気なのである。

☆私は肉体でもなく、幽体や霊体でもなく一切万物と

 一体であるというのに、それを認識できないのは認

 識している私は記憶だと言うことだ。

 私は内部や外部で知覚されている一切万物とは異な

 り、それら対象とは分離していると錯覚している記

 憶。その記憶とは病気。そしてその病気とはそれを

 知覚認識しているこの私即ち記憶。この私が未知なる

 真の私を包んでいる。

☆客観は主観でありそれは共に記憶の反応であること

 に気がつかない病気。一切万物とは私であることに

 気がつかず一切万物は私の対象だと思っている病気。

☆見ている相手、見ている敵とは自分自身の姿なのに

 又見ている自分の姿を相手の鏡に映しているだけなのに

それが理解出来ずに相手や敵は私ではないと錯覚し

て相手を非難し変えようとしているのが記憶の錯覚

であり、その記憶の錯覚と一体化している病気。

☆外部は内部であり、内部は外部で、全ては内側に

 あるのに、脳が生み出している脳が知覚している

 知覚認識と同一化して、世界は外部に有ると錯覚

 している病気。

☆見る主体と見られている対象は同一なのに見る

 主体とみられている客体・対象を異なっていて

 私は対象を見ている観察者だと錯覚している病気。

☆見る者は見られるものであるのに、見る者は見ら

 れる対象ではないと思い込んでしまっている病気。

 ドラッグや脳への思考投射や瞑想して神々と遭い、

 実相世界を体験して、それを見て体験しているのは

 病気に罹っている幻覚であることを(見る私と見ら

 れるもの対象が分離している虚偽・幻想である)理

 解しない病気。

☆自分は精神障害であり、狂っているということを

 自覚していない病気。

 自分は眠っているのに目が覚めていると思い込ん

 でいる病気。目が覚めたと思っているのは、未だ

 夢の中で夢を見ていることなのにそれに気がつか

 ない病気。




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