創造神ブラフマンから草の葉に至るまですべては真我に他ならない・・・ヨーガ ヴァーシシュタ

2023/04/28(金)
ヨーガ・ヴァーシシュタは語る。

創造神ブラフマンから草の葉に至るまで、
全ては真我に他ならない。

無知とは「存在しないもの、非実在」だ。

そこに心と呼ばれる別のものが存在する
けではない。

真我そのものの中に(それもまた真我そ
のものである)ベールが現れ「主体-客
体」という両極を作り出す。

無限の意識そのものが、心と呼ばれるも
のなのだ。
このベールは無限の意識の中に存在する
一つの観念、意図あるいは想念だ
心はこの観念や想念から生まれる。

そして心はその観念や想念の助けを借り
て、観念や想念を破壊させることで消え
去らねばならないのだ。


私の感想
上記のヨーガ・ヴァーシシュタの教えとは
私のような初心者への教えではなくて

超上級(例えばヒューレン博士など)の方
々への教えでありましょう。

私のような一般人ではなくて神々への教え
と言った方が適切かもしれません。

記憶の中にだけ藻掻いて過去に生きているこの私
にとっては、健康とお金と安心にだけに興味と関
心があるのでヨーガヴァーシシュタの教えなどは
関係のない話だと思われることでありましょう。

勿論、私は全く理解していませんので
必ず誤解することでしょう。
あえて紹介しているだけです。
訳が分からないのにお経を唱えているよう
なものです。

そう言うわけで私は全く理解出来ないので解説は出来
ませんが、個人的な感想としてはエレブナの人類の進
化の段階が説明しているものと同じだとおもわれます。

私達は「脳というAI・記憶の送受信機」と結合した「
魂と繋がる意識」であり、記憶ではなくて意識が私達
なのであります。私達は如何に記憶に穢されていても
拡がることが出来る意識なのでありましょう。私達は
いかに記憶に占領されその奴隷となって自由がなく思
考と感情によって雁字搦めになっていても私達は記憶
ではなくて意識だからです。

①:本能的意識状態
  脳や情報によって意識が占有されている意識状態。
  意識は眠っていて、送受信機である脳とだけ繋がっ
  ていて記憶の反応しか知覚認識できない状態。
  記憶反応による記憶の意識状態。コンピュータや
  AIと同じような状態。即ち意識ではなくて記憶だけ
  が表面意識となってしまっている意識状態。
  (何故この状態を○○意識状態と言うのかといえば
  如何なる本能や記憶状態であっても意識がそもそも
  なければ、それは存在することが出来ないからであ
  り、それは鏡やスクリーンがなければ映像は投影で
  きないのと同じであります。)

②:潜在意識的意識状態
  意識を包み覆い隠している記憶を観察者が出現
  して記憶を客観的に観察している意識段階。
  記憶が記憶を自己観察している事に気がつか
  ない意識段階です。今の地球はこの段階であ
  りましょうか。
  この段階の自己観察とはエゴ記憶自我による
  自己観察であり、見られている対象とは、実
  は見ている主体であることを知覚出来ません。
  自分を支配している記憶が知覚しているから
  です。私達は自分がそう感じてそう思ってい
  ると誰もが疑いませんが、実は自分ではなく
  て記憶がそう感じてそう思っているのです。 
  記憶は非難し、憎むべき敵・相手とは記憶自
  身の姿であることを理解しません。
  これらのことを思考しているのは・・ 
  高次の自我が低次の自我を観察している状態
  といわれておりますが・・実体とは・・・。
  実際はこの自己・エゴ・恐怖の観察者とは記
  憶から分離されている私という観念エゴであ
  ります。自分を対象として見ている限りは
  その高次の自己の観察者とは同じエゴ・記
  憶なのでありましょう。)
  記憶である恐怖が記憶である恐怖をみて恐怖
  し、恐怖から逃れよう、恐怖を改善しようと
  している意識段階。記憶であるエゴが自身を
  高次の自己と観察される低次の自己に分割し
  観察している意識状態。
  エゴがエゴを見てエゴを非難し、または逃避し
  又は同一化したり、自身を良くしようとしてい
  るのであり、エゴの観察者が出現している段階。
  恐怖であるエゴ自我を客観的に自己観察してい
  る記憶が実感され意識されている意状態。
  記憶自身が見る私と見られる私に分離していて
  自己観察している記憶の状態。二元分離の状態。
  自己・エゴの観察者が見る私と見られている私
  に分割して出現している意識状態。

③:意識的意識状態
  恐怖即ちエゴを対象として客観的に見ている
  その観察者の私とは、私ではなくて記憶である
  ことを実際に知覚している意識状態。
  このことを実感しているのは記憶ではなくて意
  識でありましょう。
  知覚認識の対象とは主体である恐怖・エゴであ
  ることを知識や情報や理論上ではなくて実際に
  体験し経験している意識状態。
  「観察者は観察されるものである」を実感し、
  「敵やその敵を敵として知覚しているのは記憶
  である」ことを、理解している意識。即ち記
  ではない意識の状態。
  観察者を観照している「意識」に気づいている
  意識段階。
  見る者は見られるものであり、観察者は観察さ
  れるものであり、「観察者と観察される者・・
  それは共に私という観念であり非実在であり、
  観ることだけがあり、それは即ち意識である
  ということ。その私達である意識が意識され
  ている意識の状態」。
  私とは肉体ではなく、記憶でもなく、記憶に
  よる思考でもなく、拡がる意識であることを
  実際に経験している意識状態。これが覚醒しつ
  つあるといわれている高次サイコノエティック
  体の意識。
      AIや条件付けられた脳による知覚ではない意識
  であり空間知覚などが生じ始めているのが特徴
  と言われております。
④:超意識的意識状態
  その「見る者は見られるものである」「観察
  者は観察されるものである」「自己であるエゴ
  ・恐怖を観察している者は恐怖である」ことを
  頭ではなくて本当に体験し、体得し、理解して
  いる(AIなどの頭による情報や記憶・知識で
  なくて)気づきの中に出現する超意識的意識状
  態のこと。記憶による知覚ではない知覚、自我
  ・分離している私ではない分離のない全体の知覚
  が生じている魂との繋がりを回復した意識状態。
  その超意識とは私達(たましいと繋がっている
  私)の本当の私即ち霊魂の私であり、私達意識
  は霊魂の私と繋がったのである。(帰還した) 
  意識である自分自身が内奥の魂の意識と結合
  し魂の意識と自分である意識が繋がっている
  超意識的意識状態のこと。
  私達意識が愛と繋がり愛と一つになったので
  ありましょうか。
  ・・この先のことは分かりません。
  

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