悟った人は呆けることがあるのか

2022/12/14(水)
悟った方は呆けたり、痴呆症、アルツハイマーになったりすることはないのでしょうか?

悟った影響は、その悟りが脳にまで影響が及ぶのでしょうか?

⇒勿論、その悟りとは単なる主観的なことではなくてあらゆる事に影響を与えることでしょうし細胞や脳にも影響を与えることでありましょうから、秩序が齎されて、悟った方は呆けたりすることはないことでありましょう。

悟った方や進歩し成長しておられる方は肉体の脳以外の「高次の形成されたサイコノエティック体(思考感情体)」との繋がりが再構築されているので、その諸体のもっている高次の知覚認識を持ち使用することが出来るといわれております。

これに反し、脳と結合した私達においては、私達(意識認識主体)の諸体(サイコノエティック体)が充分に成長しておらず、かつまたその諸体との繋がり(エーテル複体?)が充分に発達していないので、脳の影響を100%受けてしまい、脳が損傷したり、痴呆症になったりすると、脳と繋がっている私達(意識認識主体)の意識も同じようになってしまします。私達は諸体が形成されていないので脳が眠ると脳に結合した私達も眠ってしまうのです。



では私達の脳と意識の関係はどうなっているのでしょうか?

⇒通常世界の常識では脳イコール意識と捉えられておりますが、その「脳イコール意識」というところの意識とは意識ではなくて潜在意識にある脳が受け取った記憶のことであります。

従って、意識は記憶とは別に存在しているのですが、意識である私達はその記憶に包まれており、且つ私達のその意識の身体(サイコノエティック体)が未発達でその身体の意識が目を覚ましていない状態なのです。

従ってこの状況での私達にとっての意識とは「意識の枠」若しくは「意識の座」であります。通常私達がいう意識とは意識の事ではなくて潜在意識にある記憶の反応のことであります。私達である意識が潜在意識の記憶に包まれ覆われているのであります。

⇒私は脳と「意識主体」「認識主体」は異なっていると考えております。

⇒脳とは脳からの思考や感情や感覚や知覚を「意識認識主体」に送受信しているだけではなくて、それを受け取り「意識認識主体」に伝達する媒体としての装置であるとおもいます。自ら発し、又受け取ったその思考や感情や知覚を意識に伝える装置であると思われます。ですから脳とは「意識主体」・「認識主体」そのものではないと思われます。

⇒ですから、その脳という装置が壊れたり、充分に機能しない場合は脳を媒体にして受取って認識している「意識認識主体」は脳の状況に応じた内容を受け取るので、脳の状態がそのままその「意識認識主体」の意識内容となっているのであります。
すなわち脳の障害状態はそのまま「意識認識主体」の障害となってしまうことでありましょう。

⇒プログラムされた肉体に入り脳と結合した私達「意識認識主体」は未発達なので脳からの思考や感情や感覚や知覚しか認識できないのです。その私達がもっている脳ではないサイコノエティック体(思考体・感情体のこと、これをメンタル体・アストラル体ともいう)の成長が不十分で殆ど機能していないので、今のところは肉体の脳の状態がそのまま私達「意識認識主体」の状態となっております。


⇒そしてその「意識認識主体」は脳の障害をそのまま、自分の障害と知覚してしまうことでありましょう。

⇒その諸体が未発達の「意識認識主体」は脳以外の繋がりが閉ざされ、諸体は殆ど機能しておらずそのアストラル体などの諸体(神道では四魂という)は殆ど成長していないので脳以外からの思考や感情知覚内容が「意識認識主体」に伝わらないからです。

⇒悟った方の「意識認識主体」は脳とだけ繋がっているのではなくて、その「意識認識主体」は肉体の脳以外の、サイコノエティック体(思考体感情体)との繋がりをも回復しその働きを自覚しており、その思考体感情体の知覚内容を知覚認識することが出来ることでありましょう。肉体の脳からの情報だけではなくて、その諸体からの情報も知覚認識することが出来ます。その諸体とは時間と空間の縛りがありませんし、時空に拡がっていますし、能力が肉体とは全く異なっている事でありましょう。

⇒従って悟った方は脳からの情報、脳を媒体にした思考感情や知覚内容だけではなく、その高次の思考感情体からの情報や思考感情を知覚することが出来るので、脳からの一方通行の情報の知覚認識とはならないことで、高次の諸体の知覚認識をすることができるのでありましょう。
またそればかりではなくて、今度は逆に脳の持っている人類には未知の能力さえも使うことが出来るのでありましょう。


⇒しかしながら私達の現実の実際の状況とはまったくそうではありません。悲惨なのです。
毎日の生活に追われ、仕事をこなし、ただただ時間の流れに身を任している私達にとっては、この人生だけではなくて、この人生が終わった後の、あの世でも、同じように私達は決して目覚めることもなく、従って諸体が形成されることもなく、また諸体も使用されることはなく、脳が受信したその記憶に包まれ、記憶の中に生き続けています。内部と外部に起こっている出来事に対して24時間常に反応し続けているその「記憶」(私という観念)に私達は包まれ覆われてしまっております。


⇒この記憶である潜在意識は、目を覚ますことのない「意識認識主体」を包み覆い隠しています。私達である「意識認識主体」はこの潜在意識の記憶を自分自身と信じ、この記憶が思うように思い、この記憶が考えるように考え、そして肉体の脳と結合しているので脳が眠ると一緒に眠ってしまいます。

⇒この潜在意識は24時間働き続けています。その潜在意識の記憶は24時間365日休みなく私達の意識を占領しています。記憶は生き続け、思考し、計画し、努力し、行為して常に何かになろう、至ろうと努力しています。この潜在意識の記憶は私達は本来は一切万物と一つであり、あなたと私は分離していないのに、人より上に立とう、人に認められよう、神の横に座るのだ・・・とそう思い込んで私達を奴隷にしています。







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