目が覚めてからはじめて、自分は眠っていたことに気がつくのであろう。
目が覚めてからはじめて、その眠りとは、この二元性のシステム、
主体−客体の分離、
見るものと見られるものの乖離、
自分と対象の存在が別々にしっかりとあると思っている−
このシステムに、この罠に嵌っていたことに気がつくのだろう。
目が覚めてからはじめて、見ている主体は、存在していなかったことが、分かるらしい。
というのも、どこを見渡しても主体が存在せず、
私が存在せず無が、空があるのみで、
そのシステム(主体と客体の分離システム・主体が認識主体と思っているシステム)が崩壊し、真実が露わになるときは、
内も、外も、全てが無と空であるらしい。
虚無が全てであるらしい。
これは般若心経の世界だろう。
目が覚めてから始めて、自他の区別は消失し、ワンネスであることを了解するらしい。
従って
真実が露わされたとき
主体は偽りだったことが開示されるだろう。
主体は存在しなかったことが開示されるだろう 。
主体は単なる観念・想念だったことが開示されるだろう 。
それが了解されるためには
本当の目が必要だ。
覚醒が。
恩寵が必要だ。
だから
目覚めるためには、何も出来ない。
目覚めようとすること自体が、即ち、自我の動き。
恩寵を求めて、得ようとすること自体が即ち、自我の働き。
努力すること自体が、即ち、自我の働き。
行うこと、求めること自体が、即ち、自我の働きで
恩寵から遠ざかる。
何もしない
どこにも行かない
何も求めない
なのも求めないと言うことも、しない
ただ
ある。
本当に
ここまで導いてきて下さった
ことだけでも
ありがたい
これは既に、恩寵ではないか
全て
お任せするしかない
真我は既に実現している、というではないか
あとは、私が死ぬ、消滅するだけである
この認識の主体が消えるだけである
私の存在そのものが消滅するだけである。
喜んで
お任せする
もう私に出来ることは何もない
ありがとうございます
見るものの主体は始めから存在していなかったと言うことが
分かるそのとき
主体は
無と空になるらしい。
そのとき
私が作っていた客体(認識している世界・外界・自分の対象の世界・宇宙)も当然、無になるらしい。
夢から醒めるとは
このことらしい
どうやら無との出会いが決め手のようだ
そうか、この輪廻転生の夢から醒めるとは
空と無に出会い
この主体たる自分が消滅することだ。
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