「あなたの世界はぐらついている。その時あなたは、荒れ狂う一陣
の旋風にもて遊ばれる無力な木の葉だ。
そして見よ! あなたの世界が安定しているのは確かだ。しかし
それが安定しているのは、不安定さの中においてのみである。
あなたの世界は確実だ。しかしそれが確実なのは、不確実さの中
においてのみである。あなたの世界は不変だ。しかしそれが不変
なのは、うつろいやすさの中においてのみである。」
「あなたの世界は単一だ。しかしそれが単一なのは、多様性の中に
おいてのみである。
あなたの世界は、揺藍が墓場に変わり、墓場が揺藍に変わる世界。
昼が夜を喰らい、夜が昼を吐き戻す世界。平和が宣戦布告し、戦争
が和解を求める世界。喜びが涙の中に浮かび、悲哀が笑いで彩られ
る世界。
あなたの世界は常に産みの苦しみにあって、〈死〉を助産婦として
いる。
あなたの世界は、篩と網目の世界である。
しかもその篩と網目のどれ一つとして他の篩や網目と似ていない。
あなたは、篩にかけられないものを篩にかけ、選り分けられないもの
を選り分けようとして常に苦痛の中にいる。」
「あなたの世界は、おのれ自身に対立して分割された世
界である。
というのも、あなたの内なる〈私〉があまりに分割されているのだ
から。
あなたの世界は、障壁と柵の世界である。というのも、あなたの内
なる〈私〉が、その障壁と柵の一つなのだから。
そのような障壁と柵は、あるものは自分と疎遠であるとして。囲い
の外に追いやり、あるものは自分と親密であるとして、囲いの中へ
と招じ入れる。
しかし、囲いの外へと追いやられたものは、常に柵を破って内側へ
と侵入して来るし、囲いの中へと招じ入れられたものは、常に柵を
破って外側へと侵出する。というのも、
そういったものたちは、同じ母-それがまさにあなたの〈私〉で
ある-から生まれたものなので、決して互いに離れようとしな
いのだ。」
・・・ここでミルダッドは神のマーヤ・根本無明の私の事を言っている
シュターナー的に言えばアーリマンであろうか
「そしてあなたは、幸福な合一を喜ぶ代わりに、分離できぬものを
分離しようとする実りのない労働に改めて取りかかる。
〈私〉の中の裂け目をつなぎ合わせる代わりに、あなたは、自分自
身の生命を削り取り、そこから自分自身であると信じるものと、自分
自身とは異なると信じるものの間を分かつ楔を作ろうと望む。
それゆえ、人間の言葉は毒に満たされている。それゆえ、人間
の昼の日々は悲しみに浸されている。それゆえ、人間の夜の日々
は苦しみに苛まれる。」
「仲間たちよ、
ミルダッドは、あなたがたが自分自身と-あらゆ
る人々と-宇宙全体と平和に過ごすために、
内なる〈私〉の裂け目をつなぎ合わせてもらい
たい。」
「ミルダッドはあなたがたに、
内なる〈私〉から毒を取り払ってもらい
たい。」
・・・内なる〈私〉とは何のことだろうか?
それは個人人格や潜在意識にある集合意識でもなく、さらに深淵にある
根本無明という私という観念のことを言っているように思われる
それは地球人類だけではなく、他の惑星の人類に対しても語りかけられ
ているのだ
「そうすれば、〈聖なる理解〉の甘露を味わうことになろう。
ミルダッドは、あなたがたが〈完全なるバランス〉の喜びを知るた
めに、〈私〉を平衡させるやりかたを教えよう。」
「ミルダッド……あなたがたは、それぞれおのれの〈私〉を中心と
しながら、同時に一つの〈私〉を中心としている。それがまさに
神の単一なる〈私〉だ。」
・・・私達は霊魂であるがその霊魂は宇宙霊の私を構成している。神という
全体を構成している一細胞だというのである。
「個即全」である即ちそれは人体を構成している一細胞のようなものだ
「神の〈私〉とは、仲間たちよ、神の永遠なる唯一の言葉だ。
そこにおいて神-〈至高の意識〉-は顕現する。それなくしては、
神は絶対の沈黙である。それによって〈創造主〉は、自己創造を
なす。それによって〈形なき一つなるもの〉が、多様な形を取る。
被造物は、多様な形を経て、再び形なきものへと還る。
神を感じ、神を考え、神を語るためには、
〈私〉という語を発する以上のことは必
要ない。
それゆえ〈私〉は、神の唯一の言葉なの
だ。
それゆえ〈私〉は、〈言葉〉なのだ。
神が〈私〉と言うとき、すべてが余さず語り尽くされる。
様々な見える世界、様々な見えない世界。生まれた
事物、今後生まれる事物。
過ぎ去った時間、これからやってくる時間-これらす
べてが、砂の一粒たりとも漏らさぬすべてが発せら
れ、この〈言葉〉のうちに籠められる。」
・・・ I AM THAT I AM・「私は私」、この深淵で究極の言葉こそ最大の力を持っている。
しかしこの言葉を理解出来ない私達はわたしの理解がないのでとりちがえてしまうのだ
「この〈言葉〉によってあらゆる事物は創造された。
この〈言葉〉によってあらゆる事物は保たれる。
この〈言葉〉が意味を持たないかぎり、言葉は虚空に響くむなし
い谺に過ぎない。
この〈言葉〉の意味が永遠でないかぎり、言葉は喉の癌、
舌の腫れ物に過ぎない。
神の〈言葉〉は、〈理解〉を持ち合わせている者にとっては、虚空
に響くむなしい谺でもなければ、喉の癌でもなく、舌の腫れ物で
もない。
というのも〈理解〉は、〈言葉〉を生気づけ、それを〈意識〉と結合
する〈聖霊〉なのだから。」
「〈聖なる理解〉は、永遠のバランスを保つ天秤の竿であり、その二つ
の皿には〈始源の意識〉と〈言葉〉が乗っている。
〈始源の意識〉=〈言葉〉=〈理解の聖霊〉 見よ、仲間たちよ、
この〈存在〉の〈三位一体〉を。それは、一つにして三つ、三つに
して一つ、同等であり、同じ広がりを有し、永遠に共存する。
自ら。バランスを保ち、おのれ自身を知り、自足している。決して
増えもせず、減りもしない。永遠に平和であり、永遠に同じだ。
これこそが、仲間たちよ、〈完全なるバランス〉である。
それを人間は神と名づけるが、それはあまりにも驚異的な
ので、名づけることができない。
「神聖」というのがその名だが、それを神聖に保つ舌が神聖である。
さて、人間が神の申し子でなければ、何だと言うのか?
人間が神と異なったものでありえようか?
樫の木はどんぐりの中に包み込まれていないだろうか?
神は人間の中に包み込まれていないのか?
それゆえ、人間もまた、この聖なる三位一体、すなわち、
意識、言葉、理解の三位一体である。
人間もまた、神と同様に創造者である。人間の〈私〉は、人間の
創造物である。それではなぜ、人間は神のようにバランスを持
ちえていないのか?
もしこの謎の解答を知りたいのならば、ミルダッドがこれから
明かすことをよく聞きなさい。」
・・此処で更にミルダッドは人間とはシャンカラの言うコーシャ(鞘・霊的身体)で
はなく霊そのもの神の子・霊魂であることを教えている
「人間は産着にくるまれた神である」
「ミルダッド……人間は産着にくるまれた神である。」
・・・ここでミルダッドは決定的に重要なことを断言している。それは
私達は肉体や霊的諸体・マインドに包まれている神である!!
といっているのだ
「時間は産着である。空間は産着である。肉体は
産着である。」
「あらゆる感覚器官も、そしてそれによって知覚されるあらゆる事物
もまた同様に産着である。」
・・まるでシャンカラのアドヴァイタの教えを聞いているようである
「産着が赤ん坊ではないのを母親は百も承知だ。しかしながら、
赤ん坊はそのことを知らない。」
・・・母親とは霊魂であり、「霊魂と繋がる私」を観ている観照者のこと
「人間はいまだ、日々年々、うつろいゆく自分の産着にあまりにも
囚われている。それゆえ人間の意識は常に流動的だ。
それゆえ、そのような意識が表現された人間の言葉の意味は、
決して、明確でも明瞭でもない。
それゆえ人間の理解は五里霧中だ。それゆえ人間の生はバラ
ンスを失っている。
これは、三倍に増幅された混乱だ。」
「だから人間は救いを嘆願する。
人間の苦悶に満ちた叫びが幾劫にもわたって響きわたっている。
大気は人間の嘆きで重く、海は人間の涙で辛い。大地には人間
の墓が刻み込まれ、天は人間の祈りに耳を聾せられている。これ
らはすべて、
人間がまだおのれの〈私〉の意味を知らないゆえで
ある。」
「赤ん坊が産着にくるまれているのと同じく、
「人間は〈私〉という産着にくるまれて
いる。
〈私〉と言うことによって、人間は〈言葉〉を二つ
に裂く。一方に人間の産着があり、他方に神の
不死の自己がある。」
・・・この私が私と言うとき、それは記憶の反応の偽我の私なのか
それとも「霊魂と繋がる私」即ち霊魂の私なのか、そのこと
をハッキリ識別しなければならない
「人間は真に分割できないものを分割しているのか?
断じてそのようなことはない。いかなる力も、〈分割できな
いもの〉を分割することはできない。
神自身にもそれはできない。人間は未熟であるがゆえに、
分割を空想しているに過ぎない。そして幼児である人間は、
無限の〈大いなる自己〉が自分の存在と敵対していると信じ
て、それとの戦いに身構え、戦争に乗り出す。」
・・・ここでの私達はインパーソナルライフであり自他に分割できないのだ
私とは自他一如の意識なのに、それを自他に分離してしまっていると言
うこと、私が競争し争い、闘っている相手は私なのだ
「この対等ならざる戦いで、人間は肉体をずたずたにし、血の河
を流す。父であり母である神は、
それを優しく見守っている。というのも、人間が引き裂いているの
は重いヴェールに過ぎず、人間が流すのは、〈一つなるもの〉との
一体をくらませる苦々しい胆汁に過ぎないことを神は知ってい
るからだ。」
「これが人間の運命だ、戦い、血を流し、失神し、そして最後に
は目覚めて〈私〉の裂け目を自らの肉体によってつなぎ合わせ、
その裂け目を自らの血で封印することが。
それゆえ、仲間たちよ、あなたがたは〈私〉の使用に注意せよ
と警告された―。非常に賢明な警告だ。というのも、」
「あなたがたが
〈私〉という言葉で、赤ん坊だけでなく産着をも意味
しているかぎり、」
・・ここで言う産着とは私達である霊魂を覆っている、潜在意識の記憶
、そして肉体、エーテル複体、そして低次霊的諸体を指している。
これをハッキリと実感しなければならない
「また、あなたがたによって(私)が坩堝であるより篩
であるかぎり、
あなたがたはただ、無駄なものを篩にかけ、結局、
苦痛と苦悶をもたらすその同類すべてを招き
寄せているに過ぎないのだから。」
・・篩(ふるい)という言葉でミルダッドは、自他の分離、高次の自己と
低次の自己に分けること自体が苦痛と苦悶を招来しているというの
だ。同じように坩堝という表現で高次の自己と低次の自己、偽我と真我
に分けること自体が根本無明であり、真我からはその私達「魂と繋がる私」
ではない偽我がさえも真我であると見ている。それは神は神以外に
何も見ていないからであろう。一切は神であり神以外には何も存在していない
と言っている、それを坩堝と表現している。
「ミルダッド……坩堝が神の言葉だ。それは、自らが産み出すもの
を溶解し融解させて一つにし、何物も価値ありとして受け容れも
せず、何物も価値なしとして拒みもしない。それは、〈理解の聖霊〉
を持ち合わせているので、
おのれと創造物が一体であること。
そしてある部分を拒むことは全体を拒むことであり、
全体を拒むことはおのれを拒むことであると充分わ
きまえている。」
「したがってそれは、目的と意図において永遠に一つだ。
その一方、篩が人間の言葉だ。それは、自らが産み出すもの
とつかみ合い殴り合う。それは常に、
あるものを友として拾い上げ、別のものを敵として放り出す。
しかしあまりにもしばしば、昨日の友は今日の敵となり、今日の
敵は明日の友となる.
こうして人間の、おのれ自身に対する残酷で実りのない戦いが
猖獗を極める.これはすべて、人間が〈聖霊〉を欠いているために
他ならない。」
「「聖霊」によってのみ
人間は、自らが自らの創造物と一体であり、
敵を投げ捨てることは友を投げ捨てることだと理解出来る。」
・・・ここで私達「霊魂と繋がる私」は本来の私である神の子との結合のためには
聖霊の恩寵が絶対的不可欠だと、自力ではなくて他力がなくてはならないと
「というのも「敵」と「友」という言葉―人間の「私」の創造物なのだ
から。
あなたが悪として嫌い投げ捨てるものは、間違いなく誰か別の
者あるいは別の物によって、善いものとして好まれ拾い上げられる。
一つの事物が同時に、互いに背反し合う二つの事物でありえよ
うか? あなたの〈私〉がそれを悪としないかぎり、そして別の〈私〉
がそれを善としないかぎり、」
「その事物は善でもなければ悪でもない.
私は、創造できるものは、抹消もできると言わなかったか?
敵を創るのと同様に、敵を抹消することも可能だ.
また敵を友として再創造することも可能だ.
そのためには是が非でもあなたの「私」が坩堝でなければならな
い。」
・・・善悪という概念は自他の分離という根本無明から発しているという
「その理解のためには聖霊が必要だ。
それゆえ私はあなたがたに言う、もし仮にも祈るならば、
何よりもまず〈理解〉を求めて祈りなさい.」
・・精霊やエンティティーではなくて聖霊・四大天使に祈りなさいと言っている
「私の同行者たちよ、ふるい分ける者となってはならない.」
・・自他を分離してはならないということ
主体とは客体であり「見るものは見られるものである」というのである
「なぜなら、神の〈言葉〉は〈生命〉であり、〈生命〉とは、すべてのも
のが分割不可能な一つなるものとされる坩堝なのだから.すべ
てのものが平衡状態にあり、すべてのものがその創造者-〈聖な
る三位一体〉-にふさわしい、「聖なる三位一体」はどれほどあなた
にふさわしいはずだろうか?」
「私の同行者たちよ、ふるい分けるものとなってはならない。
ふるい分けなければ.そうすればあなたは、身の丈が巨大となり
、
あまねく存在し、全てを包み込むようになるので、あなたを包含す
るいかなる篩も見つけ出すことは出来なくなる。」
・・・自他を分離している根本無明が、自らを分離して見る私と見てい
る私の分離、そして高次の私と低次の私という分離を起こしているのだが
真の私にとっては、全てが神であり、神の私しかいないと言っている
神の私には神しか見えないのであろう
「私の同行者たちよ、ふるい分ける者となってはならない。
自分自身の言葉を知るために、〈言葉〉の知識を求めなさい。
そして自分自身の言葉を知ったとき、あなたは自らの篩いを火に
委ねるだろう。」
・・・自分と相手、私と世界、私を高次と低次に分割して知覚している者が
私という観念であり根本無明なのだ、神の子の私であるなら神以外に
何ものも見る事はない
「というのも、あなたの言葉がヴェールの中にないならば、あなたの
言葉と神の言葉は一つなのだから。」
「ミルダッドはあなたがたに、ヴェールを取り除いてもらいたい。
神の〈言葉〉は、時間に制限されない〈時間〉であり、空間に制限
されない〈空間〉である。」
「あなたが神とともにいなかった時間が
あったか?
あなたが神のうちにいない空間がある
か?」
「それならばなぜ、永遠を時間と季節の鎖で縛るのか?
なぜ〈空間〉をインチやマイルで閉じ込めるのか?
神の〈言葉〉は、生まれることがなく、それゆえ死ぬことがない
〈生命〉である。なぜあなたは生と死に取り囲まれているのか?
あなたは神の生によってのみ生きるのではないか?
〈不死なもの〉が〈死〉の源たりえようか?
神の言葉はすべてを含み込む。その中にはいかなる障壁も柵
もない。なぜあなたの言葉は柵と障壁で引き裂かれているのか?
私はあなたがたに言う。あなたの肉と骨はあなただけの肉と骨で
はない。天地の同じ肉鍋にあなたとともに無数の腕が浸されてい
る。
そこからあなたの肉と骨は生じ、そこへとあなたの肉と骨は還る。」
・・・私と貴方は一つ、わたしはあなた、であると言っている。肉体さえ
神のものであり私達の身体は同じ神のものなのである
「あるいはまた、あなたの眼の光は、あなただけの光ではない。
その光は同時にまた、太陽をあなたとともに分かち合うすべての
ものの光だ。もしあなたの眼が、私のうちの光を見ないとしたら、
私のどこを見ることができようか? あなたの眼の中で私を見る
のは、私の光である。私の眼の中であなたを見るのは、あなたの光
である。」
・・・私達エゴは自分が見ていると信じて疑わないのだが、私達エゴの
目を通じて見ているものは神の私であると言っている
「もし私が完全な暗闇だとしたら、私を見るあなたの眼も完全な暗
闇だろう。
あるいはまた、あなたの胸の中の息はあなただけの息ではない。
すべての息あるもの、あるいはかつて息をしたものすべてがあな
たの胸で息している。あなたの肺を今なおふくらませるのはアダ
ムの息ではないのか? あなたの心臓で今なお鼓動しているの
は、アダムの心臓ではないのか?」
・・・息をしているのは私や貴方ではなく神である。神が息をしている
と言っている
「あるいはまた、
あなたの思考はあなただけの思考で
はない。
共通の思考の大海が、それを自らの
ものだと主張する。
あなたとその大海を共有しているすべての思考する存在も、
同じことを主張する。
あるいはまた、あなたの夢はあなただけの夢ではない.宇宙全
体があなたの夢で夢見ている.」
・・・思考という自他の分離自体が、実は自他に分離していない
同じ海から生じている。私達が思考しているのではなくて実際は
神が思考している!!??と言っている
「あるいはまた、あなたの家はあなただけの家ではない.それは
同時に客の住まいであり、蝿、鼠、猫、及びあなたと居をともに
するすべての生き物の住まいだ.」
「それゆえ、柵に用心しなさい.あなたがなすことはただ、〈欺瞞〉
を柵の中に招き入れ、〈真実〉を柵の外に追い出すことだけだ、
そして柵の中で自分自身を見るために向き直ったとき、あなたが
直面するのは〈死〉であり、〈死〉の別名は〈欺瞞〉である。」
・・・ここで所謂私達が死・死亡と言っているのは単なる肉体を
離れることであるのに、それを自分が死ぬ、と思ったり思わせたり
しているのは最大の嘘・欺瞞だと言っている。死は「霊魂と繋がる私」
が肉体から離れることであり私達には死は存在していない、
まして況んや霊魂に於いておやである
「仲間たちよ、神と人間を分かつことはできない.
それゆえ、人間を同胞達や〈言葉〉から生まれる
全ての生き物と分かつことはできない。」
・・・人体の一つの細胞が人体全体と切り離せないのと同じ、私達は個人ではなくて
分離できないインパーソナルライフな霊魂、私は全ての人と一体なのだ
「〈言葉〉は大海である.あなたがたは雲である.そしてもし雲が
大海を含んでいなければ、雲は雲であるだろうか?
しかし自らの形と個性を保つために、おのれを空間上に固定し
ようと苦闘して生命を浪費する雲はまことに愚かしい.
このあまりに愚かしい苦闘の収穫には、失望に終わる希望と苦
々しいむなしさ以外に何かあろうか?」
「雲は自らを失わないかぎり、自らを見出すことはな
い.
・・・無我こそが私達であるということ
雲は、死んで雲として消え去らないかぎり、自らの中に大海を
見出すことはない.
そして大海こそが雲の唯一の自己だ.」
・・・禅宗で言う身心脱落のことである
「人間は神を孕む雲である.
自らを空にするのでなければ、
人間は自分自身を見出すことはできな
い。
ああ、空になる喜びよ!」
「〈言葉〉の中に永遠に失われてしまわないかぎり、自分自身で
あるところの言葉をあなたは理解できない
―それがまさにあなたの〈私〉である。
ああ、失われる喜びよ!」
・・ここでミルダッドはキリストと同じように「汝は死ななければ神の国に
入ることは出来ない」と話している
「再び私は言おう、〈理解〉を求めて祈りなさい。」
・・通常の祈りとは欲望の成就のことであるが、それは決して祈りではない
真の祈りとは理解が訪れるよう聖霊にお願いすることである
「〈聖なる理解〉があなたの心を見出すとき、神の無限の空間の中で
、あなたが「私」という言葉を発する度に、それに応えて喜びの鐘を
鳴らさないものはないだろう。」
」その時〈死〉それ自身が、あなたの手にある武器に過ぎなくなる。
その武器によってあなたは、〈死〉を制圧する。
そしてその時〈生命〉は、〈生命〉それ自身の無窮の心に通ずる鍵
をあなたの心に授けるだろう。それが〈愛〉の黄金の鍵だ。
賢者にとってはあらゆるものが知恵の宝庫である。
愚者にとっては知恵そのものが愚かしい。」
「私を拒みたいなら拒むがいい。私のほうではあなたを拒まない。
ついさきほど私は、私の背中の肉があなたの背中の肉と同じで
あると言わなかったか? あなたを刺せば、私は出血せずにはい
ない。だからもし血を流したくないならば、言葉の剣を収めなさい。
もし、あらゆる苦痛を閉め出したいなら、私に心を開きなさい。
言葉が罠と茨であるよりは、舌を持たないほうがはるかに幸い
である。そして舌が〈聖なる理解〉によって浄められていないかぎ
り、言葉は常に傷つけ罠にはめるだろう。」
「仲間たちよ、私は命じる。
自らの心を探究しなさい。
その中にある障壁をすべて打ち壊しなさい。
あなたがたの〈私〉がいまだにくるまれている産着を脱ぎ捨てな
さい。」
「そうすればあなたがたの〈私〉が〈神の言葉〉と一つであるのを見
るだろう。〈神の言葉〉は永遠におのれ自身に安らぎ、あらゆる言
葉がそこから生じる。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。」