「ミルダッドの言葉」

「ミルダッドの言葉」は 「ミルダッドの書」
(著者:ミハイル・ナイーミ/翻訳者:小森健太郎/
荘神社発行)から抜粋し紹介させて頂きました
原文は変更し、一部を自己流に解釈して
紹介させて頂きました

これ以上もっと詳しく知りたい方は是非とも書籍をご購入下さい


目次


第1章・ミルダッドがヴェールと封印をとる

第2章・創造の言葉

第3章・聖なる一体と完全なるバランス

第4章・人間は産着にくるまれた神である

第5章・坩堝と篩、神の言葉と人間の言葉
















ミルダッドの書


第1章

ミルダッドがヴェールと封印をとる




 ミルダッドは、自らの唇に七つの封印を施し、自らの顔を七つの

ヴェールで覆い隠した。それは、

あなたがたが教えを受け取れるまでに成熟したとき、あなたがたと

世界に教えを授けるためだ。その教えとは、いかにして自らの唇

に施された封印を解き、いかにして自らの眼にかけられたヴェー

ルを脱ぐかというものだ。そのことによって本来あなたがたのもので

ある完全な栄光があなたがたに明かされるのだ。



あなたがたの眼は、あまりにも多くのヴェールで覆

われている。


あなたがたが見るものはことごとくヴェ

ールでしかない。

 あなたがたの唇には、あまりにも多くの封印が施されている。あ

なたがたが発する言葉はことごとく封印でしかない。

 
というのも事物は、いかなる形、いかなる種類のものだろうと、

〈生命〉がくるまれている産着、

〈生命〉が覆われているヴェールに過ぎないからだ。



それ自身ヴェールであり産着であるあ

なたがたの眼が、どうしてヴェールと産

着以外のところにあなたを導けようか?




 そして言葉は、文字と音節の中に封じ込められた事物ではなか

ろうか? 

それ自身封印であるあなたの唇が、どうして封印以外のものを発

することができようか?


 
眼はヴェールをかけることはできても、ヴェールを

貫くことはできない。


 
唇は封印を施すことはできても、封印を破ることはできない。

 眼と唇のどちらにも、それ以上のことを要求してはならない。それ

が、身体の労働にあって眼と唇が分担する部分であり、眼と唇はそ

の仕事をよくこなしている。


ヴェールで覆い封印を施すことで眼と唇は、あなたに、ヴェールの

背後にあるものを探し求め、封印の下にあるものを見つけ出す

ようはっきりと呼びかけている。


ヴェールを貫くためには、旋毛とまぶたと眉で駱っ

た眼とは異なる眼が必要だ


 
封印を破るためには、鼻の下にある馴染みの肉片とは異なる

唇が必要だ。


もし事物を正しく見たいのならば、

まず眼それ自身を正しく見るようにし

なさい。



眼を超えたあらゆる事物を見るためには、眼で見る

のではなく眼を通して見なければならない。


もし正しく語りたいのならば、まず唇と舌のことを正しく語りなさい。

唇と舌を超えたあらゆる事物を語るためには、唇と舌で語るのでは

なく、唇と舌を通して語らなければならない。


 
正しく見つめ、正しく語ることのみにいそしめば、

あなたは自分自身のみを見、自分自身のみを語

るだろう。



なぜならばあなた-


見る者、語る者としてのあなたは、

あらゆる言葉の中にあり、

あらゆる言葉を超えてあるのと同じよ

うに、

あらゆる事物の中にあり、

あらゆる事物を超えてあるからだ。



 
もしそうだとすれば、あなたの世界が錯綜した謎なのは、あなた

自身が錯綜した謎であるからに他ならない。

あなたの語りが嘆かわしい迷宮なのは、あなた自身が嘆かわしい

迷宮であるからに他ならない。



事物を放っておきなさい。事物を変えよ

うと心を砕かないようにしなさい。





なぜならば、事物が見えるがままに見えるのは、

あなたが見えるがままに見えるに過ぎないからだ。


あなたが事物に視力と語りを貸与しないかぎり、事物は見たり語

ったりしない。

事物が耳障りに聞こえるときには、自分の舌だけを注視しなさい。

事物が醜く見えるときには、自分の眼だけを探究しなさい。


事物にヴェールを脱ぐよう要求してはならない。自らのヴェール

を脱ぎなさい、

そうすれば
事物がヴェールを脱ぐだろう。


事物に封印を破るよう要求してはならない。

自らの封印を解きなさい。

そうすればあらゆるものが封印を解かれるだろう。


 
自己のヴェールを脱ぎ、自己の封印を解く鍵は、あなたがたが

唇の間に永遠に押しとどめている言葉である。

それは、あらゆる言葉の中で、最も取るに足らない言葉であり、

最も偉大な言葉である。ミルダッドは、それを〈創造の言葉〉と呼ぶ。






第二章

創造の言葉



ミルダッド……〈私〉という言葉を口にするとき、直ちに心の中で祈

りなさい。

「神が〈私〉という言葉の諸々の災いからの避難所で

あり、〈私〉という言葉の祝福への導き手であります

ように」


と。


この言葉は、一見取るに足らない普通の言葉だが、他のあらゆる

言葉の魂がこの中に秘められている。

その魂が解き放たれるや、あなたの口にはかぐわしい香りが漂い、

その舌は甘露で満たされよう。そこから生まれ出るすべての言葉

は、〈生命〉の喜びに浸されよう。その魂が封じ込められたままなら、

あなたの口には悪臭が漂い、その舌は苦みで満たされよう。

そこから生まれ出るすべての言葉は、〈死〉の膿を滲ませよう。
 
というのも、仲間たちよ、


〈私〉は〈創造の言葉〉なのだ。


もし、あなたがその魔力を把握せず、その威力の主人でないなら、

あまりにもしばしば、あなたは歌いたいときにうめき、平和でいたい

ときに戦い、光に浸されたいときに暗い牢獄でうごめくことになろ

う。


あなたの〈私〉とは、あなたの存在の意識に過ぎない。

音声を持たず肉体を持たない意識が、

〈私〉によって音声を持ち肉体を持つようになる。



〈私〉とは、あなたの内にある、聞こえるようになった

聞こえざるものであり、見えるようになった見えざる

ものだ。



だからそれを見ようとしても、

見ることが不可能なものを見ることになり、聞こうとしても、聞く

ことが不可能なものを聞くことになる。

なぜなら、
あなたはいまだに眼と耳に縛られているからである。

あなたには、眼によらなければ何も見えず、耳によらなければ何

も聞こえないからである。

 
少し〈私〉を考えるだけで、あなたは頭の中に波打つ思考の海を

つくり出す。その海は、同時に


思考者であり思考であるあなたの〈私〉

が創造したものだ。



もし、あなたの思考が突き刺し掻きむしるなら、

あなたの内なる〈私〉のみが棘、牙、鉤を思考に与え

たのだと知りなさい。


 
ミルダッドはまた、あなたがたに、与えることができるものは、

取り除くこともできるのだとわきまえてもらいたい。

 
少し〈私〉を感じるだけで、あなたは心の中の感情の井戸から水

を汲み上げる。その井戸は、同時に



感じる者であり感じられるものであるあなたの〈私〉

が創造したものだ。


もしあなたの心に茨があるなら、あなたの内なる〈私〉

のみがそこに茨を根づかせたのだと知りなさい


 
ミルダッドはまた、

あなたがたに、かくもたやすく根づかせることができるものは、根

こそぎにすることも同じくたやすいということをもわきまえても

らいたい。

 少し〈私〉を語るだけで、あなたは一連の力強い言葉に生命を

もたらす。おのおのの言葉はある物の象徴であり、

おのおのの物はある世界の象徴であり、おのおのの世界は一つ

の宇宙を形成している。

その宇宙は、同時に作る者であり作ら

れるものであるあなたの〈私〉が創造し

たものだ。



もしあなたの宇宙に怪物がいるなら、あなたの内な

る〈私〉のみがそれを誕生させたのだと知りなさい


 
ミルダッドはまた、

あなたがたに、創造することができるものは、抹消す

ることもできるのだとわきまえてもらいたい。


 
創造物のありようと、創造者のありようは同様だ。自分自身を上回

って創造できる者があろうか? 

自分自身を下回って創造できる者があろうか? 自分自身のみを

-それ以上でもそれ以下でもない自分自身のみを-創造者は創

造する。

 
〈私〉とは、すべての事物がそこから流れ出し、すべての事物

がそこへと還る水源である。

水源のありようと、流れのありようは同様だ。


 
〈私〉とは、魔法の杖である。しかし魔法の杖は、魔法使いの中に

あるものしか産み出せない。

魔法使いのありようと、魔法の杖の産物のありようは同様だ。


 
それゆえ、

あなたの〈意識〉のありようと、あなたの

〈私〉のありようは同様である。

あなたの〈私〉と、あなたの世界のありようは同様だ。



もし〈私〉が意味において明確で明瞭ならば、あなたの世界は意味

において明確で明瞭である。

その時あなたの言葉は決して迷宮ではなく、あなたの行いは決して

絶えざる苦痛の温床ではない。

もし〈私〉が曖昧で不確かならば、あなたの世界は曖昧で不確かだ。

その時あなたの言葉は縺れと紛糾であり、あなたの行いは、苦痛の

孵化場である。


 もし〈私〉が不変で恒久ならば、あなたの世界は不変で恒久だ。


その時あなたは、〈時間〉よりも強く空間よりもはるかに広いだろう。


もし〈私〉が一時的ではかないならば、あなたの世界は一時的ではか

ない。その時あなたは太陽に軽く吹き消される一条の煙でしかない。

 
もし〈私〉が一つならば、あなたの世界は一つだ。その時あなたは、

あらゆる天の主、あらゆる地の客と永遠に平和に過ごすこととなる。


もし〈私〉が多数ならば、あなたの世界は多数である。


その時あなたは、あなたの自己自身と、神の無窮の宇宙に住まう

あらゆる被造物と果てしなく戦うことになる。


あなたの世界はぐらついている。その時あなたは、荒れ狂う一陣

の旋風にもて遊ばれる無力な木の葉だ。

 そして見よ! あなたの世界が安定しているのは確かだ。しかし

それが安定しているのは、不安定さの中においてのみである。

あなたの世界は確実だ。しかしそれが確実なのは、不確実さの中

においてのみである。あなたの世界は不変だ。しかしそれが不変

なのは、うつろいやすさの中においてのみである。



あなたの世界は単一だ。しかしそれが単一なのは、多様性の中に

おいてのみである。

 あなたの世界は、揺藍が墓場に変わり、墓場が揺藍に変わる世界。

昼が夜を喰らい、夜が昼を吐き戻す世界。平和が宣戦布告し、戦争

が和解を求める世界。喜びが涙の中に浮かび、悲哀が笑いで彩られ

る世界。

 
あなたの世界は常に産みの苦しみにあって、〈死〉を助産婦として

いる。

 あなたの世界は、篩と網目の世界である。

しかもその篩と網目のどれ一つとして他の篩や網目と似ていない。

あなたは、篩にかけられないものを篩にかけ、選り分けられないもの

を選り分けようとして常に苦痛の中にいる。

 
あなたの世界は、おのれ自身に対立して分割された世

界である。


というのも、
あなたの内なる〈私〉があまりに分割されているのだ

から。

 
あなたの世界は、障壁と柵の世界である。というのも、あなたの内

なる〈私〉が、その障壁と柵の一つなのだから。

そのような障壁と柵は、あるものは自分と疎遠であるとして。囲い

の外に追いやり、あるものは自分と親密であるとして、囲いの中へ

と招じ入れる。

しかし、囲いの外へと追いやられたものは、常に柵を破って内側へ

と侵入して来るし、囲いの中へと招じ入れられたものは、常に柵を

破って外側へと侵出する。というのも、



そういったものたちは、同じ母-それがまさにあなたの〈私〉で

ある-から生まれたものなので、決して互いに離れようとしな

いのだ。


 そしてあなたは、幸福な合一を喜ぶ代わりに、分離できぬものを

分離しようとする実りのない労働に改めて取りかかる。


〈私〉の中の裂け目をつなぎ合わせる代わりに、あなたは、自分自

身の生命を削り取り、そこから自分自身であると信じるものと、自分

自身とは異なると信じるものの間を分かつ楔を作ろうと望む。


 それゆえ、人間の言葉は毒に満たされている。それゆえ、人間

の昼の日々は悲しみに浸されている。それゆえ、人間の夜の日々

は苦しみに苛まれる。

 仲間たちよ、

ミルダッドは、あなたがたが自分自身と-あらゆ

る人々と-宇宙全体と平和に過ごすために、

内なる〈私〉の裂け目をつなぎ合わせてもらい

たい。

 
ミルダッドはあなたがたに、

内なる〈私〉から毒を取り払ってもらい

たい。

そうすれば、〈聖なる理解〉の甘露を味わうことになろう。

 
ミルダッドは、あなたがたが〈完全なるバランス〉の喜びを知るた

めに、〈私〉を平衡させるやりかたを教えよう。






第三章

聖なる三位一体と完全なるバランス



ミルダッド……
あなたがたは、それぞれおのれの〈私〉を中心と

しながら、同時に一つの〈私〉を中心としている。それがまさに

神の単一なる〈私〉だ。

 
神の〈私〉とは、仲間たちよ、神の永遠なる唯一の言葉だ。

そこにおいて神-〈至高の意識〉-は顕現する。それなくしては、

神は絶対の沈黙である。それによって〈創造主〉は、自己創造を

なす。それによって〈形なき一つなるもの〉が、多様な形を取る。

被造物は、多様な形を経て、再び形なきものへと還る。


神を感じ、神を考え、神を語るためには、

〈私〉という語を発する以上のことは必

要ない。


それゆえ〈私〉は、神の唯一の言葉なの

だ。

それゆえ〈私〉は、〈言葉〉なのだ。

 
神が〈私〉と言うとき、すべてが余さず語り尽くされる。

様々な見える世界、様々な見えない世界。生まれた

事物、今後生まれる事物。

過ぎ去った時間、これからやってくる時間-これらす

べてが、砂の一粒たりとも漏らさぬすべてが発せら

れ、この〈言葉〉のうちに籠められる。



この〈言葉〉によってあらゆる事物は創造された。

この〈言葉〉によってあらゆる事物は保たれる。

 この〈言葉〉が意味を持たないかぎり、言葉は虚空に響くむなし

い谺に過ぎない。

 この〈言葉〉の意味が永遠でないかぎり、言葉は喉の癌、

舌の腫れ物に過ぎない。

 
神の〈言葉〉は、〈理解〉を持ち合わせている者にとっては、虚空

に響くむなしい谺でもなければ、喉の癌でもなく、舌の腫れ物で

もない。


というのも
〈理解〉は、〈言葉〉を生気づけ、それを〈意識〉と結合

する〈聖霊〉なのだから。

〈聖なる理解〉は、永遠のバランスを保つ天秤の竿であり、その二つ

の皿には〈始源の意識〉と〈言葉〉が乗っている。

  〈始源の意識〉=〈言葉〉=〈理解の聖霊〉 見よ、仲間たちよ、

この〈存在〉の〈三位一体〉を。それは、一つにして三つ、三つに

して一つ、同等であり、同じ広がりを有し、永遠に共存する。

自ら。バランスを保ち、おのれ自身を知り、自足している。決して

増えもせず、減りもしない。永遠に平和であり、永遠に同じだ。

これこそが、仲間たちよ、〈完全なるバランス〉である。

 
それを人間は神と名づけるが、それはあまりにも驚異的な

ので、名づけることができない。

「神聖」というのがその名だが、それを神聖に保つ舌が神聖である。

 さて、人間が神の申し子でなければ、何だと言うのか?

 人間が神と異なったものでありえようか?

 樫の木はどんぐりの中に包み込まれていないだろうか?
 
神は人間の中に包み込まれていないのか?

 それゆえ、人間もまた、この聖なる三位一体、すなわち、

意識、言葉、理解の三位一体である。

人間もまた、神と同様に創造者である。人間の〈私〉は、人間の

創造物である。それではなぜ、人間は神のようにバランスを持

ちえていないのか?

 もしこの謎の解答を知りたいのならば、ミルダッドがこれから

明かすことをよく聞きなさい。





第四章

人間は産着にくるまれた神である


ミルダッド……人間は産着にくるまれた神である



時間は産着である。空間は産着である。肉体は

産着である。


あらゆる感覚器官も、そしてそれによって知覚されるあらゆる事物

もまた同様に産着である。


産着が赤ん坊ではないのを母親は百も承知だ。しかしながら、

赤ん坊はそのことを知らない。

人間はいまだ、日々年々、うつろいゆく自分の産着にあまりにも

囚われている。それゆえ人間の意識は常に流動的だ。

それゆえ、そのような意識が表現された人間の言葉の意味は、

決して、明確でも明瞭でもない。

それゆえ人間の理解は五里霧中だ。それゆえ人間の生はバラ

ンスを失っている。

これは、三倍に増幅された混乱だ。


 だから人間は救いを嘆願する。

人間の苦悶に満ちた叫びが幾劫にもわたって響きわたっている。

大気は人間の嘆きで重く、海は人間の涙で辛い。大地には人間

の墓が刻み込まれ、天は人間の祈りに耳を聾せられている。これ

らはすべて、

人間がまだおのれの〈私〉の意味を知らないゆえで

ある。


赤ん坊が産着にくるまれているのと同じく、


人間は〈私〉という産着にくるまれて

いる。


 
〈私〉と言うことによって、人間は〈言葉〉を二つ

に裂く。一方に人間の産着があり、他方に神の

不死の自己がある。



人間は真に分割できないものを分割しているのか?

断じてそのようなことはない。いかなる力も、〈分割できな

いもの〉を分割することはできない。

神自身にもそれはできない。人間は未熟であるがゆえに、

分割を空想しているに過ぎない。そして幼児である人間は

無限の〈大いなる自己〉が自分の存在と敵対していると信じ

て、それとの戦いに身構え、戦争に乗り出す。


 この対等ならざる戦いで、人間は肉体をずたずたにし、血の河

を流す。父であり母である神は、

それを優しく見守っている。というのも、人間が引き裂いているの

は重いヴェールに過ぎず、人間が流すのは、〈一つなるもの〉との

一体をくらませる苦々しい胆汁に過ぎないことを神は知ってい

るからだ。


 これが人間の運命だ、戦い、血を流し、失神し、そして最後に

は目覚めて〈私〉の裂け目を自らの肉体によってつなぎ合わせ、

その裂け目を自らの血で封印することが。

 それゆえ、仲間たちよ、あなたがたは〈私〉の使用に注意せよ

と警告された―。非常に賢明な警告だ。というのも、


あなたがたが


〈私〉という言葉で、赤ん坊だけでなく産着をも意味

しているかぎり、

また、あなたがたによって(私)が坩堝であるより篩

であるかぎり、

あなたがたはただ、無駄なものを篩にかけ、結局、

苦痛と苦悶をもたらすその同類すべてを招き

寄せているに過ぎないのだから。





第五章

坩堝と篩、神の言葉と人間の言葉



ミルダッド……坩堝が神の言葉だ。それは、自らが産み出すもの

を溶解し融解させて一つにし、何物も価値ありとして受け容れも

せず、何物も価値なしとして拒みもしない。それは、〈理解の聖霊〉

を持ち合わせているので、



おのれと創造物が一体であること。


そしてある部分を拒むことは全体を拒むことであり、

全体を拒むことはおのれを拒むことであると充分わ

きまえている。



したがってそれは、目的と意図において永遠に一つだ。
 
その一方、篩が人間の言葉だ。それは、自らが産み出すもの

とつかみ合い殴り合う。それは常に、

あるものを友として拾い上げ、別のものを敵として放り出す。

しかしあまりにもしばしば、昨日の友は今日の敵となり、今日の

敵は明日の友となる.

 こうして人間の、おのれ自身に対する残酷で実りのない戦いが

猖獗を極める.これはすべて、人間が〈聖霊〉を欠いているために

他ならない。


「聖霊」によってのみ


人間は、自らが自らの創造物と一体であり、

敵を投げ捨てることは友を投げ捨てることだと理解出来る。

というのも「敵」と「友」という言葉―人間の「私」の創造物なのだ

から。

 あなたが悪として嫌い投げ捨てるものは、間違いなく誰か別の

者あるいは別の物によって、善いものとして好まれ拾い上げられる。

一つの事物が同時に、互いに背反し合う二つの事物でありえよ

うか? あなたの〈私〉がそれを悪としないかぎり、そして別の〈私〉

がそれを善としないかぎり、


その
事物は善でもなければ悪でもない.

 

私は、創造できるものは、抹消もできると言わなかったか?
 
敵を創るのと同様に、敵を抹消することも可能だ.

また敵を友として再創造することも可能だ.

そのためには是が非でもあなたの「私」が坩堝でなければならな

い。

そのためには理解の聖霊が必要だ。

 それゆえ私はあなたがたに言う、もし仮にも祈るならば、


何よりもまず〈理解〉を求めて祈りなさい.


 私の同行者たちよ、ふるい分ける者となってはならない.

なぜなら、
神の〈言葉〉は〈生命〉であり、〈生命〉とは、すべてのも

のが分割不可能な一つなるもの
とされる坩堝なのだから.すべ

てのものが平衡状態にあり、すべてのものがその創造者-〈聖な

る三位一体〉-にふさわしい、「聖なる三位一体」はどれほどあなた

にふさわしいはずだろうか?


私の同行者たちよ、ふるい分けるものとなってはならない。

ふるい分けなければ.そうすればあなたは、身の丈が巨大となり

あまねく存在し、全てを包み込むようになるので、あなたを包含す

るいかなる篩も見つけ出すことは出来なくなる。

 

私の同行者たちよ、ふるい分ける者となってはならない。

自分自身の言葉を知るために、〈言葉〉の知識を求めなさい。

そして自分自身の言葉を知ったとき、あなたは自らの篩いを火に

委ねるだろう。


というのも、あなたの言葉がヴェールの中にないならば、あなたの

言葉と神の言葉は一つなのだから。

 
ミルダッドはあなたがたに、ヴェールを取り除いてもらいたい
 
神の〈言葉〉は、時間に制限されない〈時間〉であり、空間に制限

されない〈空間〉である。


あなたが神とともにいなかった時間が

あったか? 

あなたが神のうちにいない空間がある

か?
 

それならばなぜ、永遠を時間と季節の鎖で縛るのか?
 


なぜ〈空間〉をインチやマイルで閉じ込めるのか?

 神の〈言葉〉は、生まれることがなく、それゆえ死ぬことがない

〈生命〉である。なぜあなたは生と死に取り囲まれているのか?
 
あなたは神の生によってのみ生きるのではないか?
 
〈不死なもの〉が〈死〉の源たりえようか?

 神の言葉はすべてを含み込む。その中にはいかなる障壁も柵

もない。なぜあなたの言葉は柵と障壁で引き裂かれているのか?
 

私はあなたがたに言う。あなたの肉と骨はあなただけの肉と骨で

はない。天地の同じ肉鍋にあなたとともに無数の腕が浸されてい

る。

そこからあなたの肉と骨は生じ、そこへとあなたの肉と骨は還る。


 あるいはまた、あなたの眼の光は、あなただけの光ではない。

その光は同時にまた、太陽をあなたとともに分かち合うすべての

ものの光だ。もしあなたの眼が、私のうちの光を見ないとしたら、

私のどこを見ることができようか? あなたの眼の中で私を見る

のは、私の光である。私の眼の中であなたを見るのは、あなたの光

である。

もし私が完全な暗闇だとしたら、私を見るあなたの眼も完全な暗

闇だろう。


 あるいはまた、あなたの胸の中の息はあなただけの息ではない。

すべての息あるもの、あるいはかつて息をしたものすべてがあな

たの胸で息している。あなたの肺を今なおふくらませるのはアダ

ムの息ではないのか? あなたの心臓で今なお鼓動しているの

は、アダムの心臓ではないのか?

 あるいはまた、



あなたの思考はあなただけの思考で

はない。

共通の思考の大海が、それを自らの

ものだと主張する。




あなたとその大海を共有しているすべての思考する存在も、

同じことを主張する。

あるいはまた、あなたの夢はあなただけの夢ではない.宇宙全

体があなたの夢で夢見ている.


 あるいはまた、あなたの家はあなただけの家ではない.それは

同時に客の住まいであり、蝿、鼠、猫、及びあなたと居をともに

するすべての生き物の住まいだ.


 それゆえ、柵に用心しなさい.あなたがなすことはただ、〈欺瞞〉

を柵の中に招き入れ、〈真実〉を柵の外に追い出すことだけだ、

そして柵の中で自分自身を見るために向き直ったとき、あなたが

直面するのは〈死〉であり、〈死〉の別名は〈欺瞞〉である.

  仲間たちよ、

神と人間を分かつことはできない.

それゆえ、人間を同胞達や〈言葉〉から生まれる

全ての生き物と分かつことはできない。


 

〈言葉〉は大海である.あなたがたは雲である.そしてもし雲が

大海を含んでいなければ、雲は雲であるだろうか? 

しかし自らの形と個性を保つために、おのれを空間上に固定し

ようと苦闘して生命を浪費する雲はまことに愚かしい.

このあまりに愚かしい苦闘の収穫には、失望に終わる希望と苦

々しいむなしさ以外に何かあろうか?


 
雲は自らを失わないかぎり、自らを見出すことはな

い.




雲は、死んで雲として消え去らないかぎり、自らの中に大海を

見出すことはない.

そして大海こそが雲の唯一の自己だ.



 
人間は神を孕む雲である.

自らを空にするのでなければ、

人間は自分自身を見出すことはできな

い。

ああ、空になる喜びよ!




 〈言葉〉の中に永遠に失われてしまわないかぎり、自分自身で

あるところの言葉をあなたは理解できない

―それがまさにあなたの〈私〉である。

ああ、失われる喜びよ!

                              
 再び私は言おう、
〈理解〉を求めて祈りなさい。


〈聖なる理解〉があなたの心を見出すとき、
神の無限の空間の中で

、あなたが「私」という言葉を発する度に、それに応えて喜びの鐘を

鳴らさないものはないだろう。

 
その時〈死〉それ自身が、あなたの手にある武器に過ぎなくなる。

その武器によってあなたは、〈死〉を制圧する。

そしてその時〈生命〉は、〈生命〉それ自身の無窮の心に通ずる鍵

をあなたの心に授けるだろう。それが〈愛〉の黄金の鍵だ。


賢者にとってはあらゆるものが知恵の宝庫である。

愚者にとっては知恵そのものが愚かしい。



第六章
主人と召使い



そしてあなたは、自らの仕事をなすことによって

世界の仕事をもなしているのだから。


 そう、頭は腹の主人である。しかしそれと同じく、腹は頭の主人

なのだ。

 いかなるものも、何かに仕えているときには、同時にそのものに

仕えられているのである。また、

何かに仕えられているときには、同時にそのものに仕えているの

である。
 
私はあなたがたに-シャマダム、そしてすべての人に言う。

召使は主人の主人である。主人は召使の召使である。召使に頭

を下げさせないようにしなさい。主人に頭を上げさせないように

しなさい。主人の腐敗した自尊心を粉砕しなさい。召使の恥ずべ

き恥を根こそぎにしなさい。



  〈言葉〉が一つであることを覚えておきなさい。あなたがたは、

〈言葉〉の中の音節なのだから、

実際には単に一つなのだ。どの音節も他のいかなる音節よりも

尊くはない。どの音節も他のいかなる音節よりも重要ではない。

多くの音節とは単一の音節に過ぎない-まさにそれが〈言葉〉で

ある。すべてへの愛―万物への愛である言い表しえない〈自己

愛〉の素晴らしい喜悦を知りたければ、そのような単音節になら

なければならない。

 
 私を拒みたいなら拒むがいい。私のほうではあなたを拒まない。

ついさきほど私は、
私の背中の肉があなたの背中の肉と同じで

ある
と言わなかったか? あなたを刺せば、私は出血せずにはい

ない。だからもし血を流したくないならば、言葉の剣を収めなさい。

もし、あらゆる苦痛を閉め出したいなら、私に心を開きなさい。
 
言葉が罠と茨であるよりは、舌を持たないほうがはるかに幸い

である。そして舌が〈聖なる理解〉によって浄められていないかぎ

り、言葉は常に傷つけ罠にはめるだろう。
 
仲間たちよ、私は命じる。


自らの心を探究しなさい。



その中にある障壁をすべて打ち壊しなさい。

あなたがたの〈私〉がいまだにくるまれている産着を脱ぎ捨てな

さい。



そうすればあなたがたの〈私〉が〈神の言葉〉と一つであるのを見

るだろう。〈神の言葉〉は永遠におのれ自身に安らぎ、あらゆる言

葉がそこから生じる。


 このように私はノアに教えた。

 このように私はあなたがたに教える。










・・これは一部の紹介です。この先をお読みになりたい方は
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上げます。