「ミルダッドの言葉」
「ミルダッドの言葉」は 「ミルダッドの書」
(著者:ミハイル・ナイーミ/翻訳者:小森健太郎/
荘神社発行)から抜粋し紹介させて頂きました
原文は変更し、一部を自己流に解釈して
紹介させて頂きました
これ以上もっと詳しく知りたい方は是非とも書籍をご購入下さい
目次
第1章・ミルダッドがヴェールと封印をとる
第2章・創造の言葉
第3章・聖なる一体と完全なるバランス
第4章・人間は産着にくるまれた神である
第5章・坩堝と篩、神の言葉と人間の言葉
第6章・主人と召し使い
第7章・ミルダッドと深夜の会見
第8章・鷹の巣と土竜の穴
第9章・苦痛なき生への道
第10章・裁きと審判の日
第11章・愛は生命の樹脂、憎悪は死の膿
第12章・創造的沈黙
第13章・祈りと理解
第14章・大天使間の対話と大悪魔間の対話
第15章・侮辱することと侮辱されること
第16章・債権者と負債者
第17章・シャマダムの画策
第18章・時間の車輪は虚空を巡る
第19章・信念は成熟に達した論理
第20章・私達は死後どこへ行くのか
第21章・全能の意志と人間の意志
第22章・男性と女性、結婚と独身
第23章・老いと重荷と癒やし
第24章・食べるために殺すこと
第25章・葡萄祭の前夜
第26章・葡萄祭でミルダッドが熱弁を振るう
第27章・贋の権威、恐怖の司令官
第28章・ベタールの王子がミルダッドを拉致
第29章・ミルダッドの帰還
第30章・解き明かされたミカヨンの夢
第31章・大いなる郷愁
第32章・無花果の葉の前掛け
第33章・夜-比類なる歌い手
第34章・母なる卵、ミクロの神とマクロの神
第35章・神へ向かう途上での火花
第36章・方舟祭とその儀式
第37章・ミルダッドが方舟を出奔させる
ミルダッドの書
第1章
ミルダッドがヴェールと封印をとる
ミルダッドは、自らの唇に七つの封印を施し、自らの顔を七つの
ヴェールで覆い隠した。それは、
あなたがたが教えを受け取れるまでに成熟したとき、あなたが
たと世界に教えを授けるためだ。その教えとは、いかにして自ら
の唇に施された封印を解き、いかにして自らの眼にかけられたヴ
ェールを脱ぐかというものだ。そのことによって本来あなたが
たのものである完全な栄光があなたがたに明かされるのだ。
あなたがたの眼は、あまりにも多くのヴェールで
覆われている。
あなたがたが見るものはことごとく
ヴェールでしかない。
あなたがたの唇には、あまりにも多くの封印が施されてい
る。あなたがたが発する言葉はことごとく封印でしかない。
というのも事物は、いかなる形、いかなる種類のものだろ
うと、〈生命〉がくるまれている産着、
〈生命〉が覆われているヴェールに過ぎないからだ。
それ自身ヴェールであり産着である
あなたがたの眼が、どうしてヴェー
ルと産着以外のところにあなたを導
けようか?
そして言葉は、文字と音節の中に封じ込められた事物ではなか
ろうか?
それ自身封印であるあなたの唇が、どうして封印以外のものを発
することができようか?
眼はヴェールをかけることはできても、ヴェールを
貫くことはできない。
唇は封印を施すことはできても、封印を破ることはできない。
眼と唇のどちらにも、それ以上のことを要求してはならない。それ
が、身体の労働にあって眼と唇が分担する部分であり、眼と唇はそ
の仕事をよくこなしている。
ヴェールで覆い封印を施すことで眼と唇は、あなたに、ヴェールの
背後にあるものを探し求め、封印の下にあるものを見つけ出す
ようはっきりと呼びかけている。
ヴェールを貫くためには、旋毛とまぶたと眉で駱っ
た眼とは異なる眼が必要だ。
封印を破るためには、鼻の下にある馴染みの肉片とは異なる
唇が必要だ。
もし事物を正しく見たいのならば、
まず眼それ自身を正しく見るようにし
なさい。
眼を超えたあらゆる事物を見るためには、眼で見る
のではなく眼を通して見なければならない。
もし正しく語りたいのならば、まず唇と舌のことを正しく語りなさい。
唇と舌を超えたあらゆる事物を語るためには、唇と舌で語るのでは
なく、唇と舌を通して語らなければならない。
正しく見つめ、正しく語ることのみにいそしめば、
あなたは自分自身のみを見、自分自身のみを語
るだろう。
なぜならばあなた-
見る者、語る者としてのあなたは、
あらゆる言葉の中にあり、
あらゆる言葉を超えてあるのと同じように、
あらゆる事物の中にあり、
あらゆる事物を超えてあるからだ。
もしそうだとすれば、あなたの世界が錯綜した謎なのは、あなた
自身が錯綜した謎であるからに他ならない。
あなたの語りが嘆かわしい迷宮なのは、あなた自身が嘆かわしい
迷宮であるからに他ならない。
事物を放っておきなさい。事物を変えよ
うと心を砕かないようにしなさい。
なぜならば、事物が見えるがままに見えるのは、
あなたが見えるがままに見えるに過ぎないからだ。
あなたが事物に視力と語りを貸与しないかぎり、事物は見たり語
ったりしない。
事物が耳障りに聞こえるときには、自分の舌だけを注視しなさい。
事物が醜く見えるときには、自分の眼だけを探究しなさい。
事物にヴェールを脱ぐよう要求してはならない。自らのヴェール
を脱ぎなさい、
そうすれば事物がヴェールを脱ぐだろう。
事物に封印を破るよう要求してはならない。
自らの封印を解きなさい。
そうすればあらゆるものが封印を解かれるだろう。
自己のヴェールを脱ぎ、自己の封印を解く鍵は、あなたがたが
唇の間に永遠に押しとどめている言葉である。
それは、あらゆる言葉の中で、最も取るに足らない言葉であり、
最も偉大な言葉である。ミルダッドは、それを〈創造の言葉〉と呼ぶ。
第二章
創造の言葉
ミルダッド……〈私〉という言葉を口にするとき、直ちに心の中で祈
りなさい。
「神が〈私〉という言葉の諸々の災いからの避難所で
あり、〈私〉という言葉の祝福への導き手でありますよ
うに」
と。
この言葉は、一見取るに足らない普通の言葉だが、他のあらゆる
言葉の魂がこの中に秘められている。
その魂が解き放たれるや、あなたの口にはかぐわしい香りが漂い、
その舌は甘露で満たされよう。そこから生まれ出るすべての言葉
は、〈生命〉の喜びに浸されよう。その魂が封じ込められたままなら、
あなたの口には悪臭が漂い、その舌は苦みで満たされよう。
そこから生まれ出るすべての言葉は、〈死〉の膿を滲ませよう。
というのも、仲間たちよ、
〈私〉は〈創造の言葉〉なのだ。
もし、あなたがその魔力を把握せず、その威力の主人でないなら、
あまりにもしばしば、あなたは歌いたいときにうめき、平和でいたい
ときに戦い、光に浸されたいときに暗い牢獄でうごめくことになろう。
あなたの〈私〉とは、あなたの存在の意識に
過ぎない。
音声を持たず肉体を持たない意識が、
〈私〉によって音声を持ち肉体を持つように
なる。
〈私〉とは、あなたの内にある、聞こえるようになった
聞こえざるものであり、見えるようになった見えざる
ものだ。
だからそれを見ようとしても、
見ることが不可能なものを見ることになり、聞こうとしても、聞くこと
が不可能なものを聞くことになる。
なぜなら、あなたはいまだに眼と耳に縛られているからである。
あなたには、眼によらなければ何も見えず、耳によらなければ何
も聞こえないからである。
少し〈私〉を考えるだけで、あなたは頭の中に波打つ思考の海を
つくり出す。その海は、同時に
思考者であり思考であるあなたの〈私〉
が創造したものだ。
もし、あなたの思考が突き刺し掻きむしるなら、
あなたの内なる〈私〉のみが棘、牙、鉤を思考に与え
たのだと知りなさい。
ミルダッドはまた、あなたがたに、与えることができるものは、
取り除くこともできるのだとわきまえてもらいたい。
少し〈私〉を感じるだけで、あなたは心の中の感情の井戸から水
を汲み上げる。その井戸は、同時に
感じる者であり感じられるものであるあなたの〈私〉
が創造したものだ。
もしあなたの心に茨があるなら、あなたの内なる〈私〉
のみがそこに茨を根づかせたのだと知りなさい。
ミルダッドはまた、
あなたがたに、かくもたやすく根づかせることができるものは、根
こそぎにすることも同じくたやすいということをもわきまえてもらい
たい。
少し〈私〉を語るだけで、あなたは一連の力強い言葉に生命を
もたらす。おのおのの言葉はある物の象徴であり、
おのおのの物はある世界の象徴であり、おのおのの世界は一つ
の宇宙を形成している。
その宇宙は、同時に作る者であり作ら
れるものであるあなたの〈私〉が創造し
たものだ。
もしあなたの宇宙に怪物がいるなら、あなたの内なる
〈私〉のみがそれを誕生させたのだと知りなさい。
ミルダッドはまた、
あなたがたに、創造することができるものは、抹消す
ることもできるのだとわきまえてもらいたい。
創造物のありようと、創造者のありようは同様だ。自分自身を上回
って創造できる者があろうか?
自分自身を下回って創造できる者があろうか? 自分自身のみを
-それ以上でもそれ以下でもない自分自身のみを-創造者は創
造する。
〈私〉とは、すべての事物がそこから流れ出し、すべての事物
がそこへと還る水源である。
水源のありようと、流れのありようは同様だ。
〈私〉とは、魔法の杖である。しかし魔法の杖は、魔法使いの中に
あるものしか産み出せない。
魔法使いのありようと、魔法の杖の産物のありようは同様だ。
それゆえ、あなたの〈意識〉のありようと、あなたの
〈私〉のありようは同様である。
あなたの〈私〉と、あなたの世界のありようは同様だ。
もし〈私〉が意味において明確で明瞭ならば、あなたの世界は意味に
おいて明確で明瞭である。
その時あなたの言葉は決して迷宮ではなく、あなたの行いは決して
絶えざる苦痛の温床ではない。
もし〈私〉が曖昧で不確かならば、あなたの世界は曖昧で不確かだ。
その時あなたの言葉は縺れと紛糾であり、あなたの行いは、苦痛の
孵化場である。
もし〈私〉が不変で恒久ならば、あなたの世界は不変で恒久だ。
その時あなたは、〈時間〉よりも強く空間よりもはるかに広いだろう。
もし〈私〉が一時的ではかないならば、あなたの世界は一時的ではか
ない。その時あなたは太陽に軽く吹き消される一条の煙でしかない。
もし〈私〉が一つならば、あなたの世界は一つだ。その時あなたは、
あらゆる天の主、あらゆる地の客と永遠に平和に過ごすこととなる。
もし〈私〉が多数ならば、あなたの世界は多数である。
その時あなたは、あなたの自己自身と、神の無窮の宇宙に住まう
あらゆる被造物と果てしなく戦うことになる。
あなたの世界はぐらついている。その時あなたは、荒れ狂う一陣
の旋風にもて遊ばれる無力な木の葉だ。
そして見よ! あなたの世界が安定しているのは確かだ。しかし
それが安定しているのは、不安定さの中においてのみである。
あなたの世界は確実だ。しかしそれが確実なのは、不確実さの中
においてのみである。あなたの世界は不変だ。しかしそれが不変
なのは、うつろいやすさの中においてのみである。
あなたの世界は単一だ。しかしそれが単一なのは、多様性の中に
おいてのみである。
あなたの世界は、揺藍が墓場に変わり、墓場が揺藍に変わる世界。
昼が夜を喰らい、夜が昼を吐き戻す世界。平和が宣戦布告し、戦争
が和解を求める世界。喜びが涙の中に浮かび、悲哀が笑いで彩られ
る世界。
あなたの世界は常に産みの苦しみにあって、〈死〉を助産婦として
いる。
あなたの世界は、篩と網目の世界である。
しかもその篩と網目のどれ一つとして他の篩や網目と似ていない。
あなたは、篩にかけられないものを篩にかけ、選り分けられないもの
を選り分けようとして常に苦痛の中にいる。
あなたの世界は、おのれ自身に対立して分割された世界である。
というのも、あなたの内なる〈私〉があまりに分割されているのだから。
あなたの世界は、障壁と柵の世界である。というのも、あなたの内
なる〈私〉が、その障壁と柵の一つなのだから。
そのような障壁と柵は、あるものは自分と疎遠であるとして。囲いの
外に追いやり、あるものは自分と親密であるとして、囲いの中へと招
じ入れる。
しかし、囲いの外へと追いやられたものは、常に柵を破って内側へ
と侵入して来るし、囲いの中へと招じ入れられたものは、常に柵を
破って外側へと侵出する。というのも、
そういったものたちは、同じ母-それがまさにあなたの〈私〉で
ある-から生まれたものなので、決して互いに離れようとしな
いのだ。
そしてあなたは、幸福な合一を喜ぶ代わりに、分離できぬものを
分離しようとする実りのない労働に改めて取りかかる。
〈私〉の中の裂け目をつなぎ合わせる代わりに、あなたは、自分自
身の生命を削り取り、そこから自分自身であると信じるものと、自分
自身とは異なると信じるものの間を分かつ楔を作ろうと望む。
それゆえ、人間の言葉は毒に満たされている。それゆえ、人間
の昼の日々は悲しみに浸されている。それゆえ、人間の夜の日々
は苦しみに苛まれる。
仲間たちよ、
ミルダッドは、あなたがたが自分自身と-あらゆ
る人々と-宇宙全体と平和に過ごすために、
内なる〈私〉の裂け目をつなぎ合わせてもらい
たい。
ミルダッドはあなたがたに、
内なる〈私〉から毒を取り払ってもらい
たい。
そうすれば、〈聖なる理解〉の甘露を味わうことになろう。
ミルダッドは、あなたがたが〈完全なるバランス〉の喜びを知るため
に、〈私〉を平衡させるやりかたを教えよう。
第三章
聖なる三位一体と完全なるバランス
ミルダッド……あなたがたは、それぞれおのれの〈私〉を中心と
しながら、同時に一つの〈私〉を中心としている。それがまさに
神の単一なる〈私〉だ。
神の〈私〉とは、仲間たちよ、神の永遠なる唯一の言葉だ。
そこにおいて神-〈至高の意識〉-は顕現する。それなくしては、
神は絶対の沈黙である。それによって〈創造主〉は、自己創造を
なす。それによって〈形なき一つなるもの〉が、多様な形を取る。
被造物は、多様な形を経て、再び形なきものへと還る。
神を感じ、神を考え、神を語るためには、
〈私〉という語を発する以上のことは必
要ない。
それゆえ〈私〉は、神の唯一の言葉なのだ。
それゆえ〈私〉は、〈言葉〉なのだ。
神が〈私〉と言うとき、すべてが余さず語り尽くされる。
様々な見える世界、様々な見えない世界。生まれた
事物、今後生まれる事物。
過ぎ去った時間、これからやってくる時間-これらす
べてが、砂の一粒たりとも漏らさぬすべてが発せられ、
この〈言葉〉のうちに籠められる。
この〈言葉〉によってあらゆる事物は創造された。
この〈言葉〉によってあらゆる事物は保たれる。
この〈言葉〉が意味を持たないかぎり、言葉は虚空に響くむなし
い谺に過ぎない。
この〈言葉〉の意味が永遠でないかぎり、言葉は喉の癌、
舌の腫れ物に過ぎない。
神の〈言葉〉は、〈理解〉を持ち合わせている者にとっては、虚空
に響くむなしい谺でもなければ、喉の癌でもなく、舌の腫れ物で
もない。
というのも〈理解〉は、〈言葉〉を生気づけ、それを〈意
識〉と結合する〈聖霊〉なのだから。
〈聖なる理解〉は、永遠のバランスを保つ天秤の竿であり、その二つ
の皿には〈始源の意識〉と〈言葉〉が乗っている。
〈始源の意識〉-〈言葉〉-〈理解の聖霊〉-見よ、仲間たちよ、
この〈存在〉の〈三位一体〉を。それは、一つにして三つ、三つに
して一つ、同等であり、同じ広がりを有し、永遠に共存する。
自ら。バランスを保ち、おのれ自身を知り、自足している。決して
増えもせず、減りもしない。永遠に平和であり、永遠に同じだ。
これこそが、仲間たちよ、〈完全なるバランス〉である。
それを人間は神と名づけるが、それはあまりにも驚異的な
ので、名づけることができない。
「神聖」というのがその名だが、それを神聖に保つ舌が神聖である。
さて、人間が神の申し子でなければ、何だと言うのか?
人間が神と異なったものでありえようか?
樫の木はどんぐりの中に包み込まれていないだろうか?
神は人間の中に包み込まれていないのか?
それゆえ、人間もまた、この聖なる三位一体、すなわち、
意識、言葉、理解の三位一体である。
人間もまた、神と同様に創造者である。
人間の〈私〉は、人間の創造物である。
それではなぜ、人間は神のようにバランスを持
ちえていないのか?
もしこの謎の解答を知りたいのならば、ミルダッドがこれから
明かすことをよく聞きなさい。
第四章
人間は産着にくるまれた神である
ミルダッド……人間は産着にくるまれた神である。
時間は産着である。空間は産着である。肉体は
産着である。
あらゆる感覚器官も、そしてそれによって知覚さ
れるあらゆる事物もまた同様に産着である。
産着が赤ん坊ではないのを母親は百も承知だ。しかしながら、
赤ん坊はそのことを知らない。
人間はいまだ、日々年々、うつろいゆく自分の産着にあまりにも
囚われている。それゆえ人間の意識は常に流動的だ。
それゆえ、そのような意識が表現された人間の言葉の意味は、
決して、明確でも明瞭でもない。
それゆえ人間の理解は五里霧中だ。それゆえ人間の生はバラ
ンスを失っている。
これは、三倍に増幅された混乱だ。
だから人間は救いを嘆願する。
人間の苦悶に満ちた叫びが幾劫にもわたって響きわたっている。
大気は人間の嘆きで重く、海は人間の涙で辛い。大地には人間
の墓が刻み込まれ、天は人間の祈りに耳を聾せられている。これ
らはすべて、
人間がまだおのれの〈私〉の意味を知らないゆえである。
赤ん坊が産着にくるまれているのと同じく、
人間は〈私〉という産着にくるまれて
いる。
〈私〉と言うことによって、人間は〈言葉〉を二つ
に裂く。一方に人間の産着があり、他方に神の
不死の自己がある。
人間は真に分割できないものを分割しているのか?
断じてそのようなことはない。いかなる力も、〈分割できな
いもの〉を分割することはできない。
神自身にもそれはできない。人間は未熟であるがゆえに、
分割を空想しているに過ぎない。そして幼児である人間は、
無限の〈大いなる自己〉が自分の存在と敵対していると信じ
て、それとの戦いに身構え、戦争に乗り出す。
この対等ならざる戦いで、人間は肉体をずたずたにし、血の河
を流す。父であり母である神は、
それを優しく見守っている。というのも、人間が引き裂いているの
は重いヴェールに過ぎず、人間が流すのは、〈一つなるもの〉との
一体をくらませる苦々しい胆汁に過ぎないことを神は知ってい
るからだ。
これが人間の運命だ、戦い、血を流し、失神し、そして最後に
は目覚めて〈私〉の裂け目を自らの肉体によってつなぎ合わせ、
その裂け目を自らの血で封印することが。
それゆえ、仲間たちよ、あなたがたは〈私〉の使用に注意せよ
と警告された―。非常に賢明な警告だ。というのも、
あなたがたが
〈私〉という言葉で、赤ん坊だけでなく産着をも意味
しているかぎり、
また、あなたがたによって(私)が坩堝であるより篩
であるかぎり、
あなたがたはただ、無駄なものを篩にかけ、結局、
苦痛と苦悶をもたらすその同類すべてを招き
寄せているに過ぎないのだから。
第五章
坩堝と篩、神の言葉と人間の言葉
ミルダッド……坩堝が神の言葉だ。それは、自らが産み出すもの
を溶解し融解させて一つにし、何物も価値ありとして受け容れも
せず、何物も価値なしとして拒みもしない。それは、〈理解の聖霊〉
を持ち合わせているので、
おのれと創造物が一体であること。
そしてある部分を拒むことは全体を拒むことであり、
全体を拒むことはおのれを拒むことであると充分わ
きまえている。
したがってそれは、目的と意図において永遠に一つだ。
その一方、篩が人間の言葉だ。それは、自らが産み出すもの
とつかみ合い殴り合う。それは常に、
あるものを友として拾い上げ、別のものを敵として放り出す。
しかしあまりにもしばしば、昨日の友は今日の敵となり、今日の
敵は明日の友となる.
こうして人間の、おのれ自身に対する残酷で実りのない戦いが
猖獗を極める.これはすべて、人間が〈聖霊〉を欠いているために
他ならない。
「聖霊」によってのみ
人間は、自らが自らの創造物と一体であり、
敵を投げ捨てることは友を投げ捨てることだと理解出来る。
というのも「敵」と「友」という言葉―人間の「私」の創造物なのだ
から。
あなたが悪として嫌い投げ捨てるものは、間違いなく誰か別の
者あるいは別の物によって、善いものとして好まれ拾い上げられる。
一つの事物が同時に、互いに背反し合う二つの事物でありえよ
うか? あなたの〈私〉がそれを悪としないかぎり、そして別の〈私〉
がそれを善としないかぎり、
その事物は善でもなければ悪でもない.
私は、創造できるものは、抹消もできると言わなかったか?
敵を創るのと同様に、敵を抹消することも可能だ.
また敵を友として再創造することも可能だ.
そのためには是が非でもあなたの「私」が坩堝でなければならない。
そのためには理解の聖霊が必要だ。
それゆえ私はあなたがたに言う、もし仮にも祈るならば、
何よりもまず〈理解〉を求めて祈りなさい.
私の同行者たちよ、ふるい分ける者となってはならない.
なぜなら、神の〈言葉〉は〈生命〉であり、〈生命〉とは、
すべてのものが分割不可能な一つなるもの
とされる坩堝なのだから.すべてのものが平衡状態にあり、すべての
ものがその創造者-〈聖なる三位一体〉-にふさわしい、「聖なる三位
一体」はどれほどあなたにふさわしいはずだろうか?
私の同行者たちよ、ふるい分けるものとなってはならない。
ふるい分けなければ.そうすればあなたは、身の丈が巨大となり
、
あまねく存在し、全てを包み込むようになるので、あなたを包含す
るいかなる篩も見つけ出すことは出来なくなる。
私の同行者たちよ、ふるい分ける者となってはならない。
自分自身の言葉を知るために、〈言葉〉の知識を求めなさい。
そして自分自身の言葉を知ったとき、あなたは自らの篩いを火に
委ねるだろう。
というのも、あなたの言葉がヴェールの中にないならば、あなたの
言葉と神の言葉は一つなのだから。
ミルダッドはあなたがたに、ヴェールを取り除いてもらいたい。
神の〈言葉〉は、時間に制限されない〈時間〉であり、空間に制限
されない〈空間〉である。
あなたが神とともにいなかった時間が
あったか?
あなたが神のうちにいない空間があるか?
それならばなぜ、永遠を時間と季節の鎖で縛るのか?
なぜ〈空間〉をインチやマイルで閉じ込めるのか?
神の〈言葉〉は、生まれることがなく、それゆえ死ぬことがない〈生
命〉である。なぜあなたは生と死に取り囲まれているのか?
あなたは神の生によってのみ生きるのではないか?
〈不死なもの〉が〈死〉の源たりえようか?
神の言葉はすべてを含み込む。その中にはいかなる障壁も柵
もない。なぜあなたの言葉は柵と障壁で引き裂かれているのか?
私はあなたがたに言う。あなたの肉と骨はあなただけの肉と骨で
はない。天地の同じ肉鍋にあなたとともに無数の腕が浸されている。
そこからあなたの肉と骨は生じ、そこへとあなたの肉と骨は還る。
あるいはまた、あなたの眼の光は、あなただけの光ではない。
その光は同時にまた、太陽をあなたとともに分かち合うすべての
ものの光だ。もしあなたの眼が、私のうちの光を見ないとしたら、
私のどこを見ることができようか? あなたの眼の中で私を見るの
は、私の光である。私の眼の中であなたを見るのは、あなたの光
である。
もし私が完全な暗闇だとしたら、私を見るあなたの眼も完全な暗
闇だろう。
あるいはまた、
あなたの胸の中の息はあなただけの息ではない。
すべての息あるもの、あるいはかつて息をしたものす
べてがあなたの胸で息している。
あなたの肺を今なおふくらませるのはアダ
ムの息ではないのか? あなたの心臓で今なお鼓動しているの
は、アダムの心臓ではないのか?
あるいはまた、
あなたの思考はあなただけの思考で
はない。
共通の思考の大海が、それを自らの
ものだと主張する。
あなたとその大海を共有しているすべての思考する存在も、
同じことを主張する。
あるいはまた、あなたの夢はあなただけの夢ではない.宇宙全
体があなたの夢で夢見ている.
あるいはまた、あなたの家はあなただけの家ではない.それは
同時に客の住まいであり、蝿、鼠、猫、及びあなたと居をともに
するすべての生き物の住まいだ.
それゆえ、柵に用心しなさい.あなたがなすことはただ、〈欺瞞〉
を柵の中に招き入れ、〈真実〉を柵の外に追い出すことだけだ、
そして柵の中で自分自身を見るために向き直ったとき、あなたが
直面するのは〈死〉であり、〈死〉の別名は〈欺瞞〉である.
仲間たちよ、
神と人間を分かつことはできない.
それゆえ、人間を同胞達や〈言葉〉から生まれる
全ての生き物と分かつことはできない。
〈言葉〉は大海である.あなたがたは雲である.そしてもし雲が
大海を含んでいなければ、雲は雲であるだろうか?
しかし自らの形と個性を保つために、おのれを空間上に固定し
ようと苦闘して生命を浪費する雲はまことに愚かしい.
このあまりに愚かしい苦闘の収穫には、失望に終わる希望と苦
々しいむなしさ以外に何かあろうか?
雲は自らを失わないかぎり、自らを見出すことはな
い.
雲は、死んで雲として消え去らないかぎり、自らの中に大海を
見出すことはない.
そして大海こそが雲の唯一の自己だ.
人間は神を孕む雲である.
自らを空にするのでなければ、
人間は自分自身を見出すことはできな
い。
ああ、空になる喜びよ!
〈言葉〉の中に永遠に失われてしまわないかぎり、自分自身で
あるところの言葉をあなたは理解できない
―それがまさにあなたの〈私〉である。
ああ、失われる喜びよ!
再び私は言おう、〈理解〉を求めて祈りなさい。
〈聖なる理解〉があなたの心を見出すとき、神の無限の空間の中で
、あなたが「私」という言葉を発する度に、それに応えて喜びの鐘を
鳴らさないものはないだろう。
その時〈死〉それ自身が、あなたの手にある武器に過ぎなくなる。
その武器によってあなたは、〈死〉を制圧する。
そしてその時〈生命〉は、〈生命〉それ自身の無窮の心に通ずる鍵
をあなたの心に授けるだろう。それが〈愛〉の黄金の鍵だ。
賢者にとってはあらゆるものが知恵の宝庫である。
愚者にとっては知恵そのものが愚かしい。
第六章
主人と召使い
そしてあなたは、自らの仕事をなすことによって
世界の仕事をもなしているのだから。
そう、頭は腹の主人である。しかしそれと同じく、腹は頭の主人
なのだ。
いかなるものも、何かに仕えているときには、同時にそのものに
仕えられているのである。また、
何かに仕えられているときには、同時にそのものに仕えているの
である。
私はあなたがたに-シャマダム、そしてすべての人に言う。
召使は主人の主人である。主人は召使の召使である。召使に頭
を下げさせないようにしなさい。主人に頭を上げさせないように
しなさい。主人の腐敗した自尊心を粉砕しなさい。召使の恥ずべ
き恥を根こそぎにしなさい。
〈言葉〉が一つであることを覚えておきなさい。あなたがたは、
〈言葉〉の中の音節なのだから、
実際には単に一つなのだ。どの音節も他のいかなる音節よりも
尊くはない。どの音節も他のいかなる音節よりも重要ではない。
多くの音節とは単一の音節に過ぎない-まさにそれが〈言葉〉で
ある。すべてへの愛―万物への愛である言い表しえない〈自己
愛〉の素晴らしい喜悦を知りたければ、そのような単音節になら
なければならない。
私を拒みたいなら拒むがいい。私のほうではあなたを拒まない。
ついさきほど私は、私の背中の肉があなたの背中の肉と同じで
あると言わなかったか? あなたを刺せば、私は出血せずにはいな
い。だからもし血を流したくないならば、言葉の剣を収めなさい。
もし、あらゆる苦痛を閉め出したいなら、私に心を開きなさい。
言葉が罠と茨であるよりは、舌を持たないほうがはるかに幸い
である。そして舌が〈聖なる理解〉によって浄められていないかぎ
り、言葉は常に傷つけ罠にはめるだろう。
仲間たちよ、私は命じる。
自らの心を探究しなさい。
その中にある障壁をすべて打ち壊しなさい。
あなたがたの〈私〉がいまだにくるまれている産着を脱ぎ捨てな
さい。
そうすればあなたがたの〈私〉が〈神の言葉〉と一つであるのを見
るだろう。〈神の言葉〉は永遠におのれ自身に安らぎ、あらゆる言
葉がそこから生じる。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
第七章
ミルダッドとの深夜の会見
ミカヨン……私たちがここに来たのは、あなたが誰なのかを知るた
めです。
ミルダッド……人とともにあれば、私は神。神とともにあれば、私は
人。私か誰であるかわかったか、ミカヨン?
ミカヨン……涜神をあなたは語っています。
ミルダッド……ミカヨンの神に対してはおそらくそうだろう。ミルダッド
の神に対しては決してそんなことはない。
ミカヨン……神が人と同じようにたくさんいるので、ミカヨンにとって
の神とミルダッドにとっての神を語らなければならないのですか?
ミルダッド……神は多ではない。神は一である。しかしながら人の
影は多様である。
人が地上に影を投げかけるかぎり、各人の神その影より偉大では
ない。
影なきもののみが全き光の中にいる。
影なきもののみが、一なる神を知る。
というのも神は光であり、光のみが光を知ることができるのだから。
ミルダッド……影を引きずる者にとってはすべてが謎だ。そのため
人間は借り物の光の中を歩み、
それゆえおのれの影に蹟く。〈理解〉に照らされるようになっ
たとき、あなたはもはやいかなる影をも投げかけなく
なる。
いかなる国が、宇宙全体を包み込んでいる人間
を包み込めるのか?
今、世界はミルダッドに関心を抱いていない。
ミルダッドは常に世界に関心を抱いている。間もなく世界はミルダ
ッドに関心を抱くようになるだろう。
ミカヨン……また洪水が起こるのですか。
ミルダッド……その洪水は、地上を洗い流すのではなく、地上に
楽園をもたらす。人間の痕跡を消し去るのではなく、人間の内な
る神を露わにする。
ミルダッド……既に進行中のこの洪水は、ノアの洪水よりさらに破
壊的だ。
水に飲み込まれた大地は、春の予感に満ちている。熱を帯び、
血で焼けただれた大地は、そうではない。
ミルダッド……大地のことを恐れるな。大地は余りに若く、その乳
は溢れんばかりだ。あなたが数えられる以上の世代が、これから
も大地の乳を吸って育つだろう。
あるいはまた人間、すなわち大地の主人のことを恐れるな。
なぜなら人間は不滅なのだから。
そう、人間を消し去ることはできない。そう、人間は無尽蔵だ。
彼は鍛冶場に人間として行くが、神として出て来る。
堅固であれ。準備をせよ。一旦満たされれば永久にあなたを満
たし続ける聖なる渇望をあなたの心が知覚できるよう、眼と耳と舌
をしっかりと保ちなさい。
欠乏している者を満たせるように、あなたは常に充溢していなけ
ればならない。
浮き足立つ者や弱者を支えられるように、あなたは常に強く堅固
でなければならない。嵐に翻弄される漂流者をかばえるように、
あなたは常に嵐に備えていなければならない。暗闇を歩く者を導
けるように、あなたは常に光り輝いていなければならない。
弱者は弱者にとって重荷でしかない。しかし強者にとって弱者
は楽しい負担だ。弱者を探し求めなさい。彼らの弱さがあなたの
強さだ。
飢えた者にとって飢えた者は飢えでしかない。しかし満ち足り
た者にとって飢えた者は歓迎すべき支出だ。飢えた者を探し求
めなさい。彼らの欠乏があなたの充溢だ。
盲人にとって盲人は蹟きの石でしかない。しかし見者にとって
盲人は一里塚だ。盲人を探し求めなさい。彼らの暗闇があなた
の光だ。
あなたがたが自己に教え、自己に命令し、いかなる
言葉をも祈りとなし、いかなる行為をも献身となすことを学ぶまで
は、命ぜられたことをすべてやりなさい。
第八章
鷹の巣と土竜の穴
私はあなたがたに言う、金銀を投げ捨てなければ、金銀にどん
底にまで引きずり降ろされるだろう。というのも人間は、所有する
すべてのものに所有されるのだから。事物につかまれたくないな
らば、事物をつかむ手を放しなさい。
いかなるものにも値段をつけるのをやめなさい。というのも、最も
ありきたりのものに値段はないのだから。あなたがたはひときれの
パンに値をつける。ならばなぜ太陽、空気、大地、人間の汗
と技に値をつけないのか? それらなしではひときれのパンも
ありえないのに?
自分の生命に値段をつけたくないならば、ものに値段をつける
のをやめなさい。人間の生命は、人間が大事にするいかなるもの
よりも貴い。値段のない自分の生命を、金銭と同じ次元に置くほど
安く扱わないよう注意しなさい。
あなたがたは〈方舟〉の支配権を何マイルも拡げた。しかしたとえ
その支配が大地全体を覆ったとしても、あなたがたは閉じ込められ
限界づけられたままだ。ミルダッドはあなたがたに、無限を
囲み覆ってもらいたい。海は大地に保たれた水滴に過ぎないのに、
大地を囲み覆っている。海が人間よりも無限に広大だろうか。
人間を頭から爪先まで測量して、その限界を見つけたと思うほど幼
稚であってはならない。
あなたがたは、アビマールが言ったように、穴掘りの王かもしれ
ない。しかしそれはあくまで、暗闇で労働する土竜としてである。
土竜が努力して自分の迷宮を掘れば掘るほど。その顔は太陽から
遠ざかっていく。アビマール、私はあなたの迷宮を知っている。あな
たの言うように、あなたがたは少数だ。あらゆる世間の誘惑を断ち、
神に身を捧げていると自分では思っているかもしれない。
しかし、あなたを世間と結びつける道は暗く曲がりくねっている。
あなたの情欲が、この神の祭壇の上でジュージューとうなりなが
らのたくっているのが私に聞こえないというのか? あなたの妬み
がくねくねと這い回っているのが私に見えないというのか?
あなたがたは少数かもしれない。しかし、その少
数の中になんと多くの群集がいることか!
もしあなたがたが、自分で言うように実際に穴掘りの王ならば、
ずっと前から大地を通る穴だけでなく、なおその上に太陽を通る穴、
そして天空を回る他のすべての星を通る穴をも掘っていなけ
ればならないはずだ。
土竜には鼻と爪で暗闇を通る道を掘らせておきなさい。
あなたがたは王道を見出すのに瞼さえ動かす必要はない。
この巣に坐り、
〈想像力〉を働かせなさい。
〈想像力〉が驚嘆すべき宝への神聖なる導き手だ。
驚嘆すべき宝とは、あなた自身の王国である人跡未踏の存在だ。
大胆で恐れのない心をもってその導きに従いなさい。
〈想像力〉が印した足跡がたとえ最も遠い星にあっても、そ
れはあなたが既にそこに到達しているというとの徴であり証しだ。
というのもあなたがたのうちにあるもの、あるいはあなた方の一部
であるものしか、あなた方は想像できないのだから。
木はその根より遠くへ広がることはできない。
ところが
人間は無限に広がることができる。
なぜなら人間は永遠に根ざしているのだから。
どこであろうと、そこが神と出逢うところになるまで広がりな
さい。
広がりなさい。広がりなさい!
自己に限界を設けるのを止めなさい。
自分のいない領域がなくなるまで広がりなさい。
自分がたまたまいるところがどこ
であろうとも、
そこが全世界となるまで拡がりなさ
い。
自分自身と出逢うところがどこであろ
うとも、そこが神と出逢うところにな
るまで拡がりなさい
拡がりなさい
拡がりなさい!!
暗闇を見通しの効かない覆いと信じて、暗闇で行為するのをやめ
なさい。暗闇で目が効かない人間に対して恥じないのならば、少
なくとも蛍と蝙蝠に対して恥じなさい。
私の同行者たちよ、暗闇は存在しない。存在するのは、世界の
おのおのの生き物の必要に応じて段階づけられる明るさの度合だ。
あなたがたにとって明るい日中が不死鳥にとっては薄明だ。あな
たがたにとっての真夜中が蛙にとって明るい日中だ。もし暗闇その
ものが見出せたとしても、どうしてそれが何かの覆いでありえようか?
何物にも覆いをかけようとしてはならない。あなたの秘密を暴く
ものが他になくとも、その覆いそのものが秘密を暴く。
蓋は壷の中に何があるかを知らないだろうか?
蛇と虫に満ちた壷の蓋が開けられるときはわざわいである。
私はあなたがたに言う、いかなる息も胸から吐き出されるときに、
必ずその胸の内奥にあるものを広く告げ知らせると。いかなる眼
差しも必ずその眼のすべて、つまりその欲情と恐れ、笑いと涙
を携えている。扉から入ってくるいかなる夢も必ず他のすべての
扉を叩いている。それならばあなたがたは、いかに見るかという
ことに配慮すべきだ。どの夢を扉の中に招き入れ、どの夢をやり過
ごすべきかに配慮すべきだ。
しかしながら、もしあなたがたが配慮と苦痛から解放されたいの
ならば、ミルダッドは喜んでその道を示そう。
第九章
苦痛なき生への道
考えるときには、あたかも考えることすべてが炎で空に刻み込ま
れ、ありとあらゆる物に注視されているかのように考えなさい。とい
うのも真実はそのとおりなのだから。
語るときには、あたかも全世界が、心にあなたの語ることを聞こう
としている一つの耳であるかのように語りなさい。そして真実はそ
のとおりである。
行うときには、あたかもすべての行いが
自分自身に振りかかってくるかのように
行いなさい。
そして、真実はそのとおりである。
願うときには、あたかもあなた自身が願いであるかのように願い
なさい。そして真実はそのとおりである。
生きるときには、あたかも神自身が生きるためにあなたを必要と
しているかのように生きなさい。そして真実はそのとおりである。
第十章
裁きと審判の日
ミルダッド……私の口に裁きはなく、あるのは〈聖なる理解〉だけだ。
私が来たのは世を裁くためではなく、世を裁きから解放するためだ。
〈無知〉のみが法衣と法冠に身をくるみたがる。〈無知〉のみが法
を設け、罰したがる。
〈無知〉の最も苛酷な裁きは、〈無知〉それ自身だ。人間を考え
てみるがいい。
人間は、無知の中で自らを二つに引き裂き、自分
自身と、自らの分割された世界を形成しているすべての事物に、
死を招き寄せているのではないか?
私はあなたがたに言うが、神と人がある
のではない。
あるのは神人、あるいは人神だ。あるの
は〈一つ〉だ。
いかに多くなろうと、いかに分割されよ
うと、あるのは永遠に〈一つ〉だ。
神が一つであることが神の永遠の法だ。その法はそれ自身で
強制力を持っている。いかなる法廷や裁判官も、その法を印刷
して世間に広める必要もなければ、権威と力でその法を擁護す
る必要もない。
宇宙-見える宇宙と見えない宇宙―は、聞く耳を持つすべての
者にとって、この法を宣言する単一の口に過ぎない。
海は広く深いけれども、一滴の滴ではないのか?
地球は、広大な空間を巡ってはいるか、一つの星ではないのか?
これと同様に人類もまた単一の人間だ。
あらゆる世界に住まう人間もまたこれと
同様に完全な単一性である。
私の同行者たちよ、神の単一性が存在
の唯一の法だ。この法の別名は〈愛〉。
この法を知り、この法によって暮らすことは、〈生命〉に住まうこと。
しかし他の法によって暮らすことは、非存在、あるいは〈死〉に住
まうことである。
〈生命〉は取り集めること。〈死〉はまき散らすこと。〈生命〉は一緒
に結びつけること。〈死〉はばらばらにすること。それゆえ人間一
二元論者―は、二者の間でぶら下げられている。
というのも人間は、まき散らすことによってのみ、取り集めようとす
るからであり、引き離すことによってのみ、結びつけようとするから
である。
取り集め。結びつけることによって人間は、〈法〉のうちにとどまる。
〈生命〉がその報酬。まき散らし、引き離すことによって人間は、
〈法〉に逆らい罪を犯している。〈死〉がその苫い報い。
それなのに自分自身有罪であるあなたがたが、同じように既に
有罪である者を裁くために裁判官席に坐りたいというのか。裁判
官とその裁きはなんと恐ろしいことだろう!
まことに、二人の死刑囚が互いに絞首刑を宣告し合っているよ
りも恐ろしい。
一つの軛につながれた二匹の牡牛が、互いに「この柘でおまえ
をぶちのめしてやる」と言い合っているよりも滑稽だ。
一つの墓に埋葬された二人の死人が、互いに自分の墓に寄せら
れた呪誼を交換しているよりもおぞましい。
二人の全盲の男が互いの眼をくり抜こうとしているよりもあさまし
い。
同行者だちよ、
いかなる裁判官の席も遠ざけなさい。
というのも、
何者か、あるいは何物かに対して裁きを下すためには、〈法〉を知
り、それに従って安逸に暮らしているだげでは不充分だからで
ある。それだけでなく、なおその上に証拠にも耳を傾けなければ
ならない。
当面する事件に関して、証人として誰に耳を傾けるつもりなのか?
法廷に風を証人として呼び出すつもりか? なぜなら空の下のあ
らゆる出来事は、風が援助し幇助しているのだから。
あるいは星々を召喚するつもりか? なぜなら星々は、世界の
中で起こるあらゆる出来事に通じているのだから。
あるいはアダム以降今日までの死者たちに召喚令状を送るつも
りか? なぜなら死者たちはすべて生ある者の中で生きているの
だから。
いかなる事件であれ、証拠を完全に集めるには、宇宙が証人に
ならなければならない。もし宇宙を法廷に呼び出せるのなら、いか
なる法廷も必要ない。あなたは裁判官の席から降りて、証人に裁
判をしてもらうだろう。
すべてを知ったとき、あなたは誰も裁かないだろう。
諸々の世界で取り集めることができるとき、あなたはまき散らす
人々に誰一人として有罪を宣告しないだろう。というのもあなたは、
まき散らすことはまき散らす者自身に有罪を宣告していると
知っているのだから。自らを有罪にしている者に罪を宣告する代
わりに、あなたはその人を罪から救い出そうと奮闘するだろう。
今や人間は、自分で押しつけた重荷のあまりの重さに押し潰さ
れそうだ。人間の道はあまりにも荒れ果て、歪んでいる。
いかなる裁きも、裁く者・裁かれる者の両者に同様に重荷をつけ
加えている。もし重荷を軽くしたいのなら、
人間を裁くことから身を引きなさい。
もし重荷がひとりでに消え失せることを願うなら、〈言葉〉に浸さ
れて永遠に〈言葉〉の中に失われてしまいなさい。
進む道がまっすぐで滑らかであることを願うなら、〈理解〉を歩み
の導き手としなさい。
私か語るのは、裁きではなく、〈聖なる理解〉だ。
ペヌーソ……〈審判の日〉についてはどうなのですか。
ミルダッド………ペヌーソ、毎日毎日が〈審判の日〉だ。おのおの
の生き物の出納簿は、毎瞬毎瞬精算されている。何も隠されては
いない。何も測られないままではいない。
いかなる思考、いかなる行為、いかなる願いであ
ろうと、思考者、行為者、願い手に記録されないも
のはない。
いかなる思考、いかなる行為、いかなる願いであろうと、世界に
あって実りなく終わることはない。
それらすべては、必ずその特性と本性にしたがってなんらかの
形で実を結ぶ。神の〈法〉のうちにいる者は〈生命〉を
取り集める。神の〈法〉に反する者は〈死〉を取り集める。
ベヌーソ、あなたがたの日々はそれぞれに異なっている。ある日
々は清澄だ。その日々は、正しく生きられた時間の収穫だ。
ある日々は雲に取り囲まれている。その日々は、半分〈死〉に眠
り、半分〈生命〉に目覚めていた時間の贈り物だ。
別の日々は、眼には雷光、鼻孔には雷鳴をもって、嵐にまたが
ってあなたを襲撃する。あなたは上から打ちのめされ、下から鞭
打たれ、右へ左へと放り投げられる。大地に這いつくばらされ、
塵芥を砥めさせられ、生まれてこないほうがよかったと思わせられ
る。
そのような日々は、〈法〉に強情に逆らった時間の結実だ。
世界もこれと同様だ。既に空を横切った影は、大洪水を告げ知
らせた徴と同様に不吉だ。目を開けて見るがいい。
南風に乗った雲が北に向かっているのを見ると、あなたがたは
雨が来ると言う。どうして人間の雲の漂泊を、それと同じくらい賢
く観測できないのか? そのとき人間がいかにすばやく網にから
め取られるかわからないのか?
からめ取られた状態から人間が脱する日は目前だ。その日は
なんと恐ろしいことだろう!
心と魂の血管によって人間は、見よ、何世紀にもわたって、網
を紡いできた。人間がその網を引き裂いて自由になるためには
、
彼の肉体そのものが引き裂かれねばならない。彼の骨そのもの
が砕かれればならない。そしてそれを行うのは人間自身だ。
蓋が開けられたとき-そうなるのは確かだ-、壷が中のものを
何であれすべて吐き出すときそうなるのは確かだ,人間は自分の
恥をどこに隠そうとするのか?
どこに彼らは逃れようとするのか?
その日、生者は死者を羨み、死者は生者を呪うだろう。その日、
人間の言葉が喉を突き刺し、眼の光はまぶたの上で凍るだろう。
心から現れ出た骸骨と毒蛇に、人間たちは恐れおののいて叫ぶ
だろう。
「この骸骨と毒蛇はどこから来たのだ?」と。自分たちが心に骸骨
と毒蛇を住まわせ、飼育してきたというのに。
目を開けて見るがいい。まさにこの〈方舟〉の中で、沈み行く世
界のためののろしとして仕事に取りかかりなさい。世界にはあなた
がたがなんとか切り抜けられる以上の泥沼が存在する。もしの
ろし自体が罠になるならば、海にいる者の状況はなんと悲惨だろう。
ミルダッドは、あなたがたに新しい方舟を作ってもらいたい。まさ
にこの巣においてミルダッドはそれを築き上げるだろう。この巣か
ら飛び立つあなたがたは、人間にオリーブの枝ではなく、無
尽蔵の〈生命〉をもたらすだろう。そのためにはあなたがたは〈法
〉を知り、それを遵守しなければならない。
第十一章
愛は生命の樹液、憎悪は死の膿
ミルダッド……〈愛〉が神の〈法〉である。
あなた方が生きているのは、愛することを
学ぶため.
あなた方が愛するのは生きることを学ぶため
人間には他の如何なる授業も必要ない
そして愛することとはなんだろうか
愛する者が、愛する相手に永遠に吸収
されて、
二者が一体となるのでなければ
そして愛する者は、誰を、あるいは何を愛するのだろう? 〈生命
の樹〉に繁るある葉を選んで、その葉に心のすべてを注ぎ込むの
か? 葉を繁らせている枝はどうなるのか?枝を支える幹はどう
なるのか? 幹を覆う樹皮はどうなるのか? 樹皮,幹、枝,そし
て莱を養う根はどうなるのか? 根を養育する土はどうなるのか?
土を肥沃にする太陽や海や空気はどうなるのか?
樹のある小さな葉が愛するに値するなら、樹の全体はそれより
はるかに愛するに値するはずではないか。
全体から断片を切り出す愛は、
悲しみに終わるようあらかじめ定められている。
あなたがたは言うだろう、「でも一つの樹には何枚も何枚も葉が
あります。元気な葉もあれば、病んだ葉もあります。美しい葉もあ
れば、醜い葉もあります。大きい葉もあれば、小さい葉もありま
す。どうしてある葉を取り出して選ばずにいられましょうか」
私はあなたがたに言う。病めるものの蒼白さから健康なものの
新鮮さが生じるのだと。さらに進んであなたがたに言う。醜さは
〈美〉のパレッ卜、絵の具、絵筆であると。小人が小人なのは、そ
の背丈を巨人に与えるからであると。
あなたがたは生命の樹である。
自分自身を細分化しないように気を
つけなさい。
果実に対して果実を対抗させ、葉に対して葉を対抗させ、枝に
対して枝を対抗させないようにしなさい。
幹に対して根を対抗させないようにしなさい。樹に対して母なる
土壌を対抗させないようにしなさい。
あなたが、ある部分を他の部分より愛するとき、あるいは他の部分
を排除してある部分を愛するとき、まさにこれと同じことをしている。
あなたがたは〈生命の樹〉である。あなたの根はあらゆるところに
ある。あなたの枝と葉はいたるところにある。あらゆるものの口にあ
なたの果実がある。その樹に実をつける果実がいかなるものであ
ろうと、それはあなたの果実だ。その樹の枝と葉がいかなるもので
あろうと、また根がいかなるものであろうと、それはあなたの葉であ
り、あなたの枝であり、あなたの根だ。もし樹に甘く香ばしい果実
を実らせたいならば、またもし樹が常にたくましく青々としているこ
とを望むならば、あなたが根に与える樹液に注意しなさい。
〈愛〉が〈生命〉の樹液だ。一方〈憎悪〉が〈死〉の膿だ。しかし
〈愛〉は血液と同様に、妨げられることなく血管を循環しなければ
ならない。血液は、循環を抑制されると、危険な疫病となる。
そして〈憎しみ〉は、抑圧され抑制された〈愛〉に他ならない。
それゆえ〈憎しみ〉は、与える者 ・受ける者の両者、すなわち憎
む者・憎まれる者の両者に、かくも猛毒となる。
生命の樹の病葉は、〈愛〉から引き離された葉に過ぎない。病
葉を非難してはならない。
しなびた枝は、〈愛〉に飢えた枝に過ぎない。しなびた枝を非
難してはならない。
腐った果実は、〈憎悪〉を吸った果実に過ぎない。腐った果実
を非難してはならない。非難するならむしろ、生命の樹液をごく
一部にだけ施し、他の多くのものには施そうとしない、盲目でけ
ちなあなたの心を非難しなさい。あなたの心はそうすることで、自
らにも生命の樹液を拒んでいる。
自己への愛がなければ、如何なる愛も
不可能である。
如何なる自己も、すべてを包み込む「自
己」でなければ本物ではない.
それゆえ神は全き愛。なぜなら神は神自身を愛するのだから。
〈愛〉に苦しめられているかぎり、あなたは本当の自己を見出して
いない。あるいはまた、〈愛〉の黄金の鍵も見出していない。あな
たが愛するのが、はかない自己であるがゆえに、あなたの愛は、
はかないのだ。
男が女を愛するのは、愛ではない。それは愛の、はるかに遠い
しるし。親が子を愛するのは、〈愛〉の聖なる寺院の入口に過ぎな
い。それぞれの男性がすべての女性の恋人となり、それぞれの女
性がすべての男性の恋人となるまでは、そしてそれぞれの子がす
べての親の子となり、それぞれの親がすべての子の親となるまで
は、男たちや女たちに自分の骨と肉の自慢をさせ、骨と肉にしが
みつかせるがよい。しかし神聖なる〈愛〉の名を語らせてはならな
い。それは冒涜なのだから。
一人でも敵が数えられる間は、いかなる友も持つことはできない。
敵意に錨する心がいかにして友情の安全な住処となりうるのか?
心に憎悪がある間は、〈愛〉の喜びを知ることはできない。〈生
命〉の樹液をあるちっぽけな虫以外のすべてに注いだとしても、
たった一匹のちっぽけな虫があなたの生命を苦くするだろう。
あなたが誰かあるいは何かを愛するとき、本当は自
分自身を愛しているに過ぎない。
同様に、
誰かあるいは何かを憎むとき、本当は自分自身を憎
んでいるに過ぎない。というのもあなたが
憎むものは、同じ硬貨の表と裏のように、分かちがた
くあなたが愛するものと結びついているのだから。
もしあなたが自分自身に正直であるのなら、自分が愛
する者を愛し、自分を愛する者を愛するより先に、自分
が憎む者を愛し、自分を憎む者を愛さねばならない。
〈愛〉は美徳ではない。〈愛〉は必要不可欠なもの。
〈愛〉は、パンと水よりはるかに必要不可欠、光と空気
よりはるかに必要不可欠だ。
誰も、愛していることを誇ってはならない。そうではなく、むしろ
空気を吸い込み吐き出しているのとちょうど同じように、意識せず
おおらかに〈愛〉を吸い込み吐き出しなさい。
というのも、〈愛〉は誰からも高められる必要がないのだから。
〈愛〉は、自分の見出したふさわしい心を高める。
いかなる〈愛〉の報酬も求めてはならない。〈愛〉はそれ自身で
充分な報酬だ。〈憎しみ〉がそれ自身で充分な罰であるのと同じく。
いかなる〈愛〉の出納簿もつけてはならない。なぜなら〈愛〉は自
身にしか収支を明かさないのだから。
〈愛〉は借りもせず貸しもしない。〈愛〉は売りもせず買いもしない。
〈愛〉が与えるとき、すべてを与える。〈愛〉が奪うとき、すべてを奪
う。〈愛〉にあっては、奪うことそのものが与えること。
与えることそのものが奪うこと。それゆえ〈愛〉は、今日も明日も、
そして永遠に同じだ。
海に自らを注ぎ込んでうつろにする大河が、常に海によって再
び満たされるのとちょうど同じように、
あなたがたは自分自身を〈愛〉の中でう
つろにしなければならない。
そのことによって。あなたがたは常に〈愛〉に満たされる。海への
贈り物を手放すまいとする池は、淀み濁ってしまう。
〈愛〉に「より多く」や「より少なく」はない。〈愛〉を測量し段階づけ
ようとする瞬間、〈愛〉はひそかに去り、後に苦い思い出を残すこ
とになる。
また、〈愛〉には「今」とか「あの時」、「ここ」とか「そこ」はない。あ
らゆる季節が〈愛〉の季節だ。あらゆる場所が〈愛〉にふさわしい
住処だ。
〈愛〉はいかなる境界も柵も知らない。なんらかの障害物によって
流れが阻まれる愛は、いまだ〈愛〉の名に値しない。
しばしばあなたがたが〈愛〉は盲目であると言うのを聞く。それは、
〈愛〉が愛する相手の欠点を見えなくすると言わんがためである。
この種の盲目性は、高次の視力だ。
いかなるものにも欠点を見ないほどあなたがたが常に盲目であれ
ばよいのに。違う、
(愛〉の眼差しは澄みわたり透徹している。それゆえ
〈愛〉の眼差しはいかなる欠陥も見ない。
〈愛〉があなたの眼差しを浄化したとき、
愛するに値しないものをあなたはまった
く見ないだろう。
愛が奪い取られ、欠陥のある眼のみが常にあら探しに忙しい。
その眼がいかなる欠陥を見つけようとも、それは眼自身の欠
陥だ。
〈愛〉は統合する。〈憎悪〉は分解する。オルター山と呼ばれる巨
大で重々しい土と岩の塊も、〈愛〉の手によってつなぎ合わされて
いなければ、たちまちばらばらに飛散してしまうだろう。外見
通り脆く壊れやすいあなたの肉体でも、もし、それぞれの細胞を
あなたが等しい熱情をもって愛するなら、確実にそれは分解にあ
らがうだろう。
(愛〉は〈生命〉のメロディーとともに脈打つ平安。〈憎悪〉は〈死〉
の魔風とともに猛り狂う戦争。どちらをあなたは望むのか。愛し、
永遠の平安のうちにいることか? それとも憎み、終わりのない
戦争に身を置くことか?
大地全体があなたの中で生きている。
「天国」とその宿主たちがあなたの中で
生きている。
だから
もし自分自身を愛したいなら大地とその乳飲み児すべて
を愛しなさい。
そしてもし自分自身を愛したいのなら、〈天国〉とその客
すべてを愛しなさい。
ミルダッド……ミルダッドは、いかなるスパイも翻訳者も必要としな
い。ミルダッドがあなたを愛するのと同じように、あなたがミルダッド
を愛しさえすれば、あなたは簡単にミルダッドの精神を
読み取り、その上ミルダッドの心さえ覗くこともできよう。
ミルダッド……〈愛〉が唯一の奇蹟のなし手だ。もし見たいのなら
ば、瞳孔に〈愛〉をあらしめよ。
もし聞きたいのならば、鼓膜に〈愛〉をあらしめよ。
憎まないことが愛することではない、
〈愛〉は能動的な力だ。
〈愛〉が動きと歩みのすべてを導かな
いかぎり、自分の道を見いだすことは
できない。
そして〈愛〉が願いと思考のすべてを満たさないか
ぎり、願いは夢の中で刺草となり、思考はあなたの
日々の挽歌となるだろう。
ミルダッド……
神を船長にいただき、出帆せよ方舟!
地獄が真紅の怒りを
生者と死者の上に打ち下ろし
大地を溶けた鉛に変え
空からあらゆる指標を一掃しようとも
神を船長にいただき、出帆せよ方舟!
愛を羅針盤となし、進めよ方舟!
北に南に、東に西に進み行き
しまわれた宝をすべて分かちあえ
猛り狂う嵐が絶頂であなたを包むとき
暗闇の航海者を導く一条の光
愛を羅針盤となし、進めよ方舟!
信念を錨となし、停泊せよ方舟!
雷鳴がうなり、雷光が射られ
山々が震えて瓦解しようとも
聖なる火花を忘却するほど
人の心が弱々しくなろうとも
信念を錨となし、停泊せよ方舟!・
第十二章
創造的沈黙
私たちも、ミルダッドのように影なき者に
なれるかもしれません。
ミルダッド……
私を怒らせることについては、
〈沈黙〉のあらがえない平安を知る者は誰であろうとも、怒るこ
ともできないし、怒らせることもできない。
語りは最善でも正直な嘘だ。一方、沈黙は最悪
でも露わな真実だ
おのれの私がミルダッドの私と同じでないものにとっては嘘に
過ぎない、
あなたの思考がすべて一つの採掘場から切り出され、あなた
方の欲求がすべて同一の井戸から汲み出されるようになるま
では、あなたがたの言葉は正直であっても嘘だ。
ミルダッドの〈私〉と神の〈私〉が一つであるのとちょうど同じ
ように、あなたがたの〈私〉がミルダッドの〈私〉と一つである
とき、
私たちは言葉抜きに、真実に満ちた〈沈黙〉のうちに完全に協
和するだろう。
あなたがたの〈私〉がミルダッドの〈私〉と同じでないがゆえに、
私はやむを得ず言葉の戦いに乗り出して、あなたがた自身の武
器である言葉であなたがたを征服し。私の採掘場。私の井戸に
導こうとしているのだ。
そうなって初めてあなたがたは世界に乗り出し、私があなたがた
を征服し鎮圧したのとちょうど同じように、世界を征服し鎮圧でき
る。そうなって初めてあなたがたは、〈至高の意識〉の沈黙へ
と、〈言葉〉の採掘場へと、〈聖なる理解〉の井戸へと、世界を導く
準備が整う。
ミルダッドに征服されて初めて、あなたがたは真に難攻不落で
力強い征服者になるだろう。世界もまた、あなたがたに打ち負か
されて初めて、絶えざる敗北の不名誉を拭い去るだろう。
だから戦いに備えなさい。楯と胸当てを磨き、剣と槍を研ぎな
さい。〈沈黙〉に太鼓を打たせ、旗も掲げさせなさい。
ミルダッド……私があなた方に知ってもらいたい
沈黙は、そこで存在が非存在となり、非存在が存在
となる限りない広がりだ。
その沈黙は畏怖させる虚空だ。そこではすべての音
が生まれては打ち消され、全ての形ある物は創られ
ては壊される。
そこでは全ての自己が書かれては消される、そこに
はそれ自身以外には何もない。
あなたは、この虚空、この広がりを沈黙
の瞑想のうちに渡り切らなければ、あな
たの存在がいかに現実的なのか、また
非存在がいかに非現実的なのかを知る
ことはない。
あるいはまた、あなたの現実がいかにすべての〈現
実〉と固く結びついているかを知ることもない。
あなた方が古く窮屈な皮を脱ぎ捨てて、束縛も拘束もされずに
動き回れるようになるために、私は
あなたがたに、この沈黙のうちを徘徊してもらいたい。
その沈黙へと、あなた方の心労や恐怖、情欲や欲求、羨望
や煩悩を追いやってもらいたい。
そうすればそれらは一つまた一つと消えていき、あなた方の
耳はそれらの絶えざる叫びから解放され、あなた方の脇腹は
それらの鋭い拍車の痛みから免れるだろう。
その〈沈黙〉へと、この世の弓矢を投げ捨ててもらいたい。その
弓矢であなたがたは、満足と喜びを狩猟しようと願っているが、実
際には不安と悲しみ以外に何も狩猟できない。
私は、その〈沈黙〉の中であなたがた
に、暗闇と息詰まる自己の殼から、光
へと、そして〈自己〉の自由な空気へと、
這い出てもらいたい。
私があなたがたに薦めるのは、語り疲れた舌の単なる一時休
止ではなく、このような〈沈黙〉である。
私が薦めるのは、ならず者や悪党の恐怖に満ちた沈黙ではな
く、実り豊かな大地の沈黙。
私が薦めるのは、卵を温める雌鳥の忍耐強い沈黙であり、別の
雌鳥のように、卵を産んだことをガーガー鳴きわめくことではない。
先の雌鳥は、十一日間、柔毛に覆われた自分の胸と翼に〈神
秘の手〉が奇蹟をもたらすと信じて沈黙のうちにじっと待つ。
後の雌鳥は。小屋から飛び出し、自分が卵を産んだことを騒々
しくわめきたてる。
仲間たちよ、わめきたてる美徳に気をつけなさい。恥に口をつ
ぐむのと同様に、栄誉にも口をつぐみなさい。わめきたてる栄誉
は、沈黙する不名誉よりも悪い。騒々しい美徳は、押し黙る不正
よりも悪い。
多く語るのをやめなさい。語られた千の言葉のうち、真に語ら
れる必要があったのは一語、たった一語だけかもしれない。他の
言葉は、精神を曇らせ、耳を詰まらせ、舌を疲れさせ、そのうえ
心を盲目にしているに過ぎない。
真に語られる必要がある言葉を語るのはなんと難しいことだろう!
書かれた千の言葉のうち、真に書かれる必要があったのは一
語、たった一語だけかもしれない。
他はインクと紙の浪費であり、光の翼で翔ぶ時間を与える代わり
に鉛の足を引きずる時間を与える。
真に書かれる必要がある言葉を書くのはなんと、ああ、なんと
難しいことだろう。
第十三章
祈りと理解
ミルダッド・・あなたが祈るとき、
おのれの真の自己以外の神に向けて祈るならば、
その祈りは虚しい
なぜなら、あなたの中には、はねつける力があるのと同じく、引き
寄せる力があるのだから。
そしてあなたの中に、あなたがはねつけたい事物があるのと同じ
く、引き寄せたい事物がある。
なぜなら、ある物事を受け取る能力があることは、それを与える
能力もあるということなのだから。
飢えがあるとき、食物がある。食物があるとき、そこには飢えもあ
るにちがいない。飢えの苦しみに苛まれることは、満たされる幸
福を楽しめるということだ。
そう、欠乏の中にこそ欠乏を満たすはたらきがある。
鍵は、錠があることの保証ではないか? 錠は、鍵があることの
保証ではないか? 鍵と錠の両者は、扉があることの保証では
ないか?
鍵をなくしたり、置き忘れたりする度に性急に鍛冶屋に鍵をねだ
ってはならない。鍛冶屋は仕事をやりとげたのであり、それも申し
分なくやりとげた。彼にもう一度同じ仕事を初めからするよう頼ん
ではならない。あなたは自らの仕事をなし、鍛冶屋は放っておき
なさい。一旦あなたの仕事をなしとげた鍛冶屋には、他になすべ
き仕事がある。あなたの記憶から悪臭と我楽多を取り除きなさ
い。そうすれば確実に鍵が見つかるだろう。
言い表せないものである神があなたを発語したとき、
神は自分自身をあなたの中に発語した。
したがってあなたもまた、言い表せないものである。
神は自分の一部をあなたに与えたのではないー
なぜなら神は細分不可能なのだから。
神は分割不可能で、語りえないおのれ
の全神性をあなたに与えた。
これより偉大な相続物をあなたは望みえようか?
あなたがその相続物へ達するのを妨げているのは、あなた自身
の小心と盲目以外の何でありえよう?
それなのに、自分の相続物に感謝し、それに達する道を求め
る代わりに、神を一種のごみ捨場にして、その中に自分の歯痛
や腹痛、商売での損失やもめ事、復讐や眠れぬ夜を投げ入れ
ようとする忘恩の徒がいる。
神を専用の宝物殿にして、いつでも好きなときに、自分たちの
欲するありとあらゆる世俗的で見かけ倒しの小物類を、何でもそ
こに見つけることを期待する者もいる。
かと思うと、神を一種のお抱え会計士にしようとする者もいる。
神は、彼らが他人に負っているもの、他人が彼らに負っているも
のの収支表をつけなければならないばかりか、その上彼らの負
債を集めて、常に彼らの得になるよう鷹揚で寛大な精算をしな
ければならない。
そう、人間が神に割り当てる仕事は多種多様だ。しかしながら、
もし本当に神がそんなにも多くの仕事に携わっているとしたら、
神はそれらの仕事を独力でやってしまうだろう。神にぐずぐず言
う人間や、神に仕事を思い出させる人間などを、神は必要としな
いだろう。こういうことに思いをいたす者はほとんどいないようだ。
昇る太陽、あるいは沈む月に、あなたは神を思い出すか?
畑で元気に芽を出す玉蜀黍の粒に、神を思い出すか?
自らの思いのままに隠遁所を紡いでいる蜘蛛に、神を思い出
すか?
雀の巣の雛たちに、神を思い出すか?
無限の宇宙を満たす無数の事物に、神を思い出すか?
どうしてあなたは、ありとあらゆる取るに足らない欲求をもったお
のれのちっぽけな自己を神の記憶に押しつけようとするのか?
神の眼には、あなたは雀や玉蜀黍や蜘蛛より気にいられていな
いとでも言うのか? どうしてあなたは、大騒ぎしたりひざまずい
たり腕を差し伸べたりせず、明日のことを思いわずらったりもせ
ず、それらと同じように、神からの贈り物を受け取って自分の仕
事に励まないのか?
あなたが自らの気まぐれや虚栄、賞賛や非難を叫びつけねば
ならない
神はどこにいるのか?神はあなたの内、
そしてあなたの周りのあらゆるものの内
にいるのではないか?
神の耳は、舌と口蓋の距離よりも、あな
たの口に近いのではないか?
神にとっては、あなたが種子として持っている神の神性で充分だ。
神はおのれの神性の種子をあなたに賦与したが、もし仮に、そ
の種子に付き添って世話をするのがあなたではなく神だとすれ
ば、あなたはどんな徳を持つことになるのか? あなたの人生で
の労働はどうなるのか? そしてもしあなたに人生でなすべき労
働がなく、神がそれをなさればならないならば、あなたの人生の
意義は一体何なのか? あなたの祈りは何の役に立つのか?
あなたの抱える無数の心配事や希望を神のもとにもたらしては
ならない。
神が扉を開けるための鍵をあなたに備えつけたのに、扉を開け
てくれるよう神に懇願してはならない。
そうではなく、鍵を心の果てしない広がりの中に探しなさい。
心の果てしない広がりの中には、善いものであれ悪いものであ
れ、あなたが渇望し懇願するものすべてがある。
そこには、あなたの言うがままになる多くの軍勢が待機し、あな
たのどんな些細な命令でも即座に従う用意ができている。
もし、その軍勢が、立派に装備され、賢明に訓練され、大胆に
指令されるならば、それは、永遠の時を超え、あらゆる障害を振
り払って目標に達することができる。
ところがその軍勢が貧弱にしか装備されず、訓練されず、おず
おずと指令されたのでは、それは撹乱して回るか、あるいは些
細な障害を前に退却して、後に重い挫折感を残すかのどちら
かだ。
仲間よ、この軍勢とは、あなたがたの血管を今静かに循環し
ている微細な赤血球に他ならない。
一つ一つの赤血球は、奇蹟めいた力を持ち、最も細部にいた
るまであなたの生、そしてあらゆる〈生命〉の正確で完全な
記録を有している。
心臓にこの軍勢は集まる。心臓からこの軍勢は出動する。
それゆえ心臓はかくも名高くかくも尊ばれている。
心臓からあなたの喜びと悲しみの涙が噴出する。
心臓へとあなたの〈生〉と〈死〉の恐怖がなだれ込む。
あなたの切望と欲求が、この軍勢の装備。あなたの精神が、こ
の軍勢の訓練者。あなたの〈意志〉が、指導者にして指令者。
あなたが自分の血を一つの〈至上欲求〉で満たすとき-この
〈至上欲求〉はあらゆる欲求を、鎮め、おのれの影で覆いつくす
が、そして訓練を一つの〈至上思想〉に信任するとき、そして
指導と指令を一つの〈至上意志〉で満たすとき、あなたの欲求が
成就するのは確かだ。
聖者が聖者になるのは、聖者たるにふさわしくない願いや思い
すべてを自らの血潮から一掃し、
揺るがない意志でもって、聖性以外の何物でもない目標に血潮
を向けようとするからに他ならない。
私はあなたがたに言う、アダムより今日までの、すべての聖な
る願い、すべての聖なる思い、すべての聖なる意志は、聖性に
到達することにきわめて熱心な人間を助けるために突進してく
る。
どこにあろうと水は常に海を求め、光線は常に太陽を求めてきた
のと同様だ。
殺人者がその企図を果たすのは、自らの血を熱にうなされるよ
うな殺しへの渇きへと煽り立て、
殺戮に支配された思考の鞭の下、その細胞をすし詰めに押し
並べ、呵責なき意志で致命的な一撃を下すよう命ずるからに他
ならない。
私はあなたがたに言う、カインより今日までのすべての殺人者
は、頼まれもしないのに、完全に殺しに酔った人の腕を強め支
えるために殺到してくる。どこにいようと大烏は常に大烏と集い
、ハイエナは常にハイエナと集ってきたのと同様だ。
それゆえ「祈る」とは、一つの〈至上欲求〉、一つの〈至上思想〉
、一つの〈至上意志〉を血に染み込ませることだ。そうすることに
よって、何であれあなたが祈るものと完全に調和するよう自己
が調整される。
この惑星が誕生以来目撃してきたあらゆる出来事のさまよえ
る思い出が、この惑星の大気に渦巻いている。
大気は、隅々にいたるまであなたの心に映し出さ
れている。
いかなる言葉や行為、願いやため息、はかない思
いや束の間の夢、人間の息や動物の息、影、幻影
であろうと、今日という日に到るまで、大気中に神
秘的な波動を伝えないものはなく、〈時〉の終わりま
でその波動を保たないものはない。
あなたの心がこれらのどれか一つにでも波長を合
わせれば、それが驀進してきて弦を鳴らすのは確
かだ。
祈るためには唇も舌もいらない!むしろ必要なのは静かに目覚
めた心、一つの〈至上欲求〉。一つの(至上思想)、とりわけ、疑
わずためらわない一つの〈至上意志〉だ。というのも、心が臨在し
て言葉の各音節に目覚めなければ、言葉は役に立たないから
だ。そして心が臨在して目覚めているとき、舌は眠るか、あるい
は封印された唇の後ろに隠れるほうがよい。
あるいはまた、祈るためにはいかなる寺院も必要ない。
心に寺院を見出せない者は、いかなる寺院にも心を見出せない。
しかし私がこのことを語るのは、あなたがたやあなたがたに類す
る者たちにであって、すべての人間にではない。
というのも人間の大部分はいまだみなし児なのだから。彼らは祈
る必要を感じはするものの、そのすべを知らない。
彼らは言葉なしでは祈れない。そしてあなたが彼らの口に言葉
をあてがわないかぎり、いかなる祈りの言葉も見出せない。心の
果てしない広がりをさすらうように仕向けられると、彼らは途方に
くれ、萎縮してしまう。彼らは、寺院の壁に仕切られ、自分たち
と同種の群集に囲まれていると、なだめられ安心する。
彼らに寺院を建立させなさい。彼らに祈りの文句を唱えさせな
さい。
祈りによって求めるべきものとして、私があなたがた、そして万
人に課すのは、〈理解〉である。
それ以外のものを渇望しても決して満たされることはない。
(生)への鍵は、(創造の言葉)であると憶えておきなさい。
(創造の言葉)への鍵は(愛)。
〈愛〉への鍵は〈理解〉。
あなたの心をこれらで満たし、多くの言葉で舌をわずらわせるの
を控えなさい。多くの祈りの重荷から精神を救い出し、
贈り物によってあなたを奴隷にしようとするあらゆる神々への
屈従から心を解放しなさい。
そのような神々が片方の手であなたを暖かくもてなすのは、
もう一方の手であなたを打ちのめすために過ぎない。
そのような神々は、讃えられるときには満ち足りて優しいが、
咎められると激怒して報復する。
あなたが呼びかけなければ聞こうとはせず、乞わなければ
与えようとはしない。
あなたに何か与えると、あまりにもしばしば与えたことを悔やむ。
このような神々はあなたの涙を自分の香りとし、あなたの恥を
自分の栄光とする。
そう、心の中に唯一の神を見出すために、こうしたすべて
の神々から心を解き放ちなさい。
唯一の神は、自分自身であなたがたを満たしたのであり、
あなたがたが常に満たされていることを望んでいる。
第十四章
大天使間の対話と大悪魔間の対話
ミルダッド……時間を超越した人間の誕生のとき、天上の極に
いる二人の大天使が次のような対話
を交わした。
第一の大天使…驚くべき子どもが大地に生まれた。大地は光で
輝いている。
第二の大天使…栄えある王が天国に生まれた。天国は喜びが
脈打っている。
第一の大天使…人間は天国と大地の統一の果実。
第二の大天使…彼は父と母と子の永遠なる統一。
第一の大天使…彼において大地は高められる。
第二の大天使…彼にあって天国は義とされる。
第一の大天使…彼の眸の中で昼は眠っている。
第二の大天使…彼の心の中で夜は目覚めている。
第一の大天使…彼の胸は強風の宿り。
第二の大天使…彼の喉は歌の音階。
第一の大天使…彼の腕は山々を抱く。
第二の大天使…彼の指は星々を摘みとる。
第一の大天使…彼の骨の中で数々の海がうねっている。
第二の大天使…彼の血管の中をあまたの太陽が巡っている。
第一の大天使…彼の口は鍛冶場にして鋳型。
第二の大天使…彼の舌はハンマーにして鉄槌。
第一の大天使…彼の足には明日という鎖がある。
第二の大天使…彼の心にはその鎖を解く鍵がある。
第一の大天使…しかしこの赤子は塵に身をくるんでいる。
第二の大天使…しかし彼は永劫に包まれている。
第一の大天使…神のごとく、彼はあらゆる数の秘密を知ってい
る。神のごとく、彼は諸々の言葉の神秘を知
っている。
第二の大天使…彼は〈聖なる一〉を除くすべての数を知っている
が、その〈聖なる一〉が唯一無二。
彼は〈創造の言葉〉を除くすべての言葉に通じて
いるが、その〈創造の言葉〉が唯一無二。
第一の大天使…しかし彼は〈数〉と〈言葉〉を知るだろう。
第二の大天使…〈空間〉の人跡なき荒野から立ち去り、〈時間〉
の陰影なトンネルから眼をそらせて
初めて、彼は〈数〉と〈言葉〉を知ることになる。
第一の大天使…素晴らしきかな、この大地の子どもは、なんと
素晴らしきかな。
第二の大天使…栄えあるかな、この天国の王は、なんと栄えある
かな。
第一の大天使…〈名前なきもの〉は彼を人間と呼んだ。
第二の大天使…彼は〈名前なきもの〉を神と呼んだ。
第一の大天使…人間が神の言葉。
第二の大天使…神が人間の言葉。
第一の大天使…その言葉が人間である神に栄光あれ。
第二の大天使…その言葉が神である人間に栄光あれ。
第一の大天使…今そして永遠に。
第二の大天使…ここそしていたるところに。
時間を超越した人間の誕生のとき、天上の極にい
る二人の大天使はこのように語った。
同じとき、地底の極にいる二人の大悪魔は、次のよ
うな対話を交わした。
第一の大悪魔…雄々しい戦士が我らの仲間に加わった。彼の
助けを借りて我らは征服しよう。
第二の大悪魔…むしろ哀れっぽく鼻水垂らした意気地なしと言
うべきだ。彼の眉には裏切りが陣を張っている。し
かし彼の意気地なさと裏切りは恐ろしい。
第一の大悪魔…彼の目は大胆不敵で猛々しい。
第二の大悪魔…彼の心は涙に満ちて無気力。しかし彼の無気
力と涙は不気味。
第一の大悪魔…彼の精神は鋭敏で不屈。
第二の大悪魔…彼の耳は怠惰で魯鈍。しかし彼の怠惰と魯鈍
は危険。
第一の大悪魔…彼の手は迅速で正確。
第二の大悪魔…彼の足はためらいがちで遅鈍。しかし彼の遅
鈍は凄まじく、彼のためらいは驚異的。
第一の大悪魔…我らのパンが彼の神経の鋼となろう。我らのワ
インが彼の血の炎となろう。
第二の大悪魔…我らのパン箱を彼は我らに投げつけるだろう。
我らのワイン壷を彼は我らの頭で叩き割るだろう。
第一の大悪魔…我らのパンヘの彼の欲望、我らのワインへの
彼の渇望が、戦いにおける彼の戦車となるだろう。
第二の大悪魔…満たされない空腹と癒されない渇きによって。
彼は征服不可能なものとなり、我らの陣地で反乱
を起こすだろう。
第一の大悪魔…しかし〈死〉が戦車の騏者だ。
第二の大悪魔…〈死〉を駅者として彼は不死となるだろう。
第一の大悪魔…〈死〉が〈死〉以外のところに彼を導けるのか?
第二の大悪魔…そう、〈死〉は彼の絶え間ない愚痴にうんざりし
て、ついには彼を〈生命〉の陣地へと連れて行って
しまう。
第一の大悪魔…〈死〉が〈死〉の裏切り者となるのか?
第二の大悪魔…いや、〈生命〉は〈生命〉に忠実だ。
第一の人悪魔…彼の味覚を稀有で美味な果実で幻惑しよう。
第二の大悪魔…しかし彼は、この地で育つ果実とは異なる果実
を求めるだろう。
第一の大悪魔…彼の眼と鼻を、明るくかぐわしい花々で誘惑し
よう。
第二の大悪魔…しかし彼の眼は別の花を求め、彼の鼻は別の
芳香を求めるだろう。
第一の大悪魔…彼の耳を、かなたから聞こえる甘美なメロデイ
ーに取りつかせよう。
第二の大悪魔…しかし彼の耳は別の合唱に向かうだろう。
第一の大悪魔…〈恐怖〉が彼を我らの奴隷にするだろう。
第二の大悪魔…〈希望〉が彼を恐怖から守るだろう。
第一の大悪魔…〈苦痛〉が彼を我らに従属させるだろう。
第二の大悪魔…〈信念〉が彼を苦痛から救い出すだろう。
第一の大悪魔…彼の眠りを混乱した夢で包み、彼の覚醒に謎
めいた影をまき散らそう。
第二の大悪魔…彼の〈空想〉が謎を解き、影を溶かし去るだろう。
第一の大悪魔…にもかかわらず彼を我らの一員に数えうる。
第二の大悪魔…彼を味方に勘定したければ勘定するがいい。
しかし同時に彼を敵対者にも勘定せよ。
第一の大悪魔…彼は、我らに味方していながら同時に敵対す
ることができるのか?
第二の大悪魔…彼は戦場の孤独な戦上。彼の唯一の敵は、自
分の影。影が移動すれば、戦闘も変わる。影が
前面にあるとき、彼は我らの味方。影が背後
にあるとき、彼は我らの敵。
第一の大悪魔…ならば我らは、永遠に彼を太陽に背を向けたま
まにしておこうではないか。
第二の大悪魔…しかし誰が太陽を永遠に彼の背後にとどめて
おくのか?
第一の大悪魔…この戦士は一個の謎。
第二の大悪魔…この影は一個の謎。
第一の大悪魔…この孤独な戦士を讃えよ。
第二の大悪魔…この孤独な影を讃えよ。
第一の大悪魔…彼が味方するとき、彼を讃えよ。
第二の大悪魔…彼が敵対するとき、影を讃えよ。
第一の大悪魔…今そして永遠に。
第二の大悪魔…ここそしていたるところに。
時間を超越した人間の誕生のとき、地底の極にいる二人の大
悪魔はこのように語った。
第十五章
侮辱することと侮辱されること
ミルダッド……
この山々が生まれる前から私はいた。
この山々が崩れて塵となった後も、ずっと私はいるだろう。
私は〈方舟〉であり、祭壇であり、炎だ。私の庇護によらないかぎ
り、あなたは嵐の餌食以外のものにはなれない。
そしてあなた自身を私に生け贅として捧げないかぎり、〈死〉のあ
またの屠殺人の持つ、常時研ぎすまされた鋭い刃からいかに免
れればよいか、あなたにはわからないだろう。そして私の優しい
炎があなたを焼き尽くさないかぎり、あなたは地獄の無慈悲な炎
の燃料となるだろう。
彼の眼のヴェールがはずされ、彼の影が取り払われるよう祈りな
さい。
善を引き寄せるのと同じくらい、悪を引き寄せるのは易しい。
〈愛〉に波長を合わせるのと同じくらい、〈憎しみ〉に波長を合わ
せるのは易しい。
無窮の〈空間〉から、心の果てしない広がりから、世界への祝
福を引き出しなさい。というのも、世界にとって祝福となるものは
何であれ、あなたにとって祝福となるのだから。
あらゆる生き物の幸福を祈
りなさい。
というのも、
おのおのの生き物の幸福は、あなたの幸福にもなるのだから。
同じように、おのおのの生き物の不幸は、あなたの不幸にもなる
のだから。
あなたがたすべては、〈存在〉の無限の梯子の中の動く横木の
ようなもの。〈自由〉の聖域に登りたい者は、否応なく他人の肩の
上に登らなければならない。そしてかわるがわる、自分の肩を
他人が登るための横木にしなければならない。
あなたには二個以上の眼は備わっていないと思うのか?
私はあなたがたに言うが、すべての見る眼は、それが地上にあ
ろうと。天上にあろうと、地の下にあろうと、あなたの眼の延長だ。
あなたの隣人の視界がくっきりしているのと同じだけ、あなたの視
界もくっきりしている。あなたの隣人の視界がぼやけているのと同
じだけ、あなたの視界もぼやけている。
おのおのの盲人によって、あなたは一対の眼を失っている。
その眼が光を失っていなければ、あなたの視力はそれだけ補強
されただろう。よりくっきりと見ることができるように。隣人の視力を
保つよう心掛けなさい。隣人が蹟いて道を・・・もしかしたらあなた
の扉そのものを・・・塞がないように、あなた自身の視力を保つよう
心掛けなさい。
剣は確かに肉を傷つけることはできる。しかしいかにたくましい
腕が、いかに刃の鋭い刀で切ったとしても、空気を傷つけること
ができようか?
侮辱したり侮辱されたりすることができるのは、盲目で貪欲な
無知から生じた、卑しく偏狭な自己の自尊心。
この自尊心によって、人は、被った侮辱に侮辱で報復し、汚物を
汚物で洗うのだ。
自尊心に駆られ、自己に陶酔したこの世界は、あなたの頭上
に害を山と積み上げるだろう。
この世界は、ぼろぼろの法律、悪臭を放つ信条、徽臭い名誉と
いう血に飢えた猟犬をあなたにけしかけるだろう。
この世界は、あなたが秩序の敵対者、混沌と破滅の使者である
と宣告し、あなたの道に罠をばらまき、あなたの寝床を刺草で覆
うだろう。それはあなたの耳に呪いをまきちらし、あなたの顔に
軽蔑の唾を吐きかけるだろう。
あなたの心は怖じ気づいてはならない。そうではなく海のよう
に広く深くありなさい。
呪いしか与えない者に祝福
を与え返しなさい。
大地のように寛大で平静でありなさい。そして、人々の心の
不純さを純粋な健やかさと美しさに変えなさい。
そして空気のように自由で柔軟でありなさい。あなたを傷つけ
ようとする剣は、やがては錆びて朽ちるだろう。あなたを害そうと
する腕は、ついには疲れて止むだろう。
この世界はあなたを知らないので、あなたを包み込むことがで
きない。それゆえそれはうなり吠えてあなたを迎える。
しかしあなたはこの世界を知っているので、それを包み込むこと
ができる。
それゆえ
あなたは、世界の憤怒を優しさで鎮め、その中傷を愛
に満ちた〈理解〉によって鎮めなければならない。
そして〈理解〉がその日をもたらすだろう。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
第十六章
債権者と負債者
金銭とは、ずる賢い者たちによって硬貨や紙幣へと変えられ
た人間の汗と血に他ならない。
それによって人間は拘束される。
富とは、最も汗と血を流さない者たちによって蓄えられた人間の
汗と血に他ならない。それによって最も汗と血を流す者たちの
背中は押し潰される。
わざわいなるかな、富を蓄えることで精神と心を焼き払い、自ら
の夜と昼の日々を殺戮する者はわざわいなるかな。
なぜなら彼らは何を蓄えているのか知らないのだから。
農夫と牛の汗、羊飼いと羊の汗、刈り取り人と落穂拾いの汗と
ともに、遊女たちや殺人者たちや泥棒たちの汗、肺病や癩病や
中風を病む者たちの汗、盲人や障害者や貧者の汗-これらす
べてとそれ以上に多くの汗を富者の倉は蓄える。
みなし児やごろつきの血、専制君主や殉教者の血、悪人や正
義漢の血、略奪者や略奪される者の血、処刑執行人や処刑さ
れる者の血、蛭や詐欺師の血、彼らに血を吸い取られる者の血
-これらすべてとそれ以上に多くの血を富者の倉は蓄える。
しかり、わざわいなるかな、その富と商売用の蓄えが人間の汗
と血である者はわざわいなるかな。
なぜなら汗と血は最後には代償を取り立てるのだから。そしてそ
の代償は凄まじく、その取り立ては恐ろしいだろう。
貸し付けること、それも利子をつけて貸し付けること、これはあ
まりにもあつかましくて、許されざる忘恩だ。
というのもあなたは、貸し付けられるものとして何を持っている
か? あなたの生命そのものが贈り物ではないのか?
もし神があなたへの贈り物の最小部分にでも利子を課すなら、
あなたは何で払おうというのか?
この世界は、おのおのの人間、おのおのの事物が持っている
すべてのものを保管するために、すべてを預ける共通の金庫で
はないのか?
雲雀はあなたに歌を貸与するか? 泉はきらめく水をあなたに
貸与するか?
樫の木はあなたに木陰を貸し付けるか? 椰子の木は甘い椰子
の実を貸し付けるか?
羊はその毛に利子を課すか? 乳牛はその乳に利子を課すか?
雲は雨をあなたに売りつけるか? 太陽は暖かさと光をあなた
に売りつけるか?
これらのもの、そして他の無数のものがなければ、あなたがた
の生はどうなるだろう?
そしてあなたがたのうちで、この世界の金庫に最も多く預けた
のは誰か、あるいは何か、また、
この世界の金庫に最も少なく預けたのは誰か、あるいは何か、
言える者がいるだろうか?
与えることができるときには与えなさい。与えられるすべてを与
えなさい。しかし決して貸し付けてはならない。あなたの所有す
るすべてのものが、生命までも含めてすべてローンとなり、その
ローンが一斉に支払い期限となり、破産して監獄に放り込まれ
ることになるといけないから。
。
絶対に債権者にならないよう注意しなさい。
というのも、貸し付ける者の負債のほうが、借りる者の負債よ
りはるかに大きく重いのだから。
第十七章
シヤマダムの画策
第十八章
時間の車輪は虚空を巡る
ミルダッド……あなたの父は死んでいない、ヒンバル。彼の形体
と影も死んでいない。しかし、変容した彼の形体と影に対して、
あなたの感覚が死んでしまったのは本当だ。というのも、人間の
粗雑な目には判別できないほど繊細な形体とそれに伴う希薄
になった影があるからだ。
森の中のヒマラヤ杉の影は、そのヒマラヤ杉が船のマストにな
ったときの影、寺院の柱になったときの影、絞首台の足場になっ
たときの影と同じではない。また、
陽光に照らされているときのヒマラヤ杉の影は、月光の下での
影、星々の下での影、夜明けの紫の廣の下での影と同じではない。
しかしながらそのヒマラヤ杉は、いかに変容しようとも、ヒマラヤ
杉として生き続ける。
森の他のヒマラヤ杉は、それをもはや昔の仲間として認めない
けれども。
葉の上の蚕は、絹の繭の中の蛹を仲間として判別できようか?
あるいは蛹は、翼を持つ蚕蛾を仲間として判別できようか?
土の中の小麦の粒は、地上の小麦の茎が血縁であると知りう
るだろうか?
大気中の水蒸気、あるいは海の水は、高い山の峡谷にある氷
柱が自分の兄弟であると認めることができようか?
地球は、宇宙の深淵から投げ込まれる隕石が姉妹の星である
と見分けられようか?
樫の木はどんぐりに自分自身を見出すことができようか?
あなたの父は、今やあなたの眼が馴染んでいない光の中におり、
あなたには判別できない形体の中にいる。
それゆえあなたは、父はもういないと言う。しかし人間の物質的
自己は、おのれの〈神なる自己〉の光の中に完全に溶けるまで
は、いかに変容し、変化しようとも、影を投げかけざるをえない。
今日は樹の緑の枝で、明日には壁の釘になっている材木の切
れ端は、おのれのうちにある炎によって焼き尽くされるまでは、そ
の形体と影は変わるけれども、材木であり続ける。
同様に人間も、
内なる神に焼き尽くされるまでは、死
んでいるときも生きているときも人間
であり続ける。
内なる神に焼き尽くされるとは、人間が〈一つな
るもの〉との一体を理解することである。しかし
そのようなことは、人が好んで一生と呼ぶあの
一瞬のうちには完遂できない。
あらゆる〈時間〉は生の時間である、私の同行者だちよ。
〈時間〉には停止も開始もない。また〈時間〉には、旅人が英気を
養い休息するために立ち寄る隊商宿もない。
〈時間〉は自分自身と重なり合う一つの継続性だ。
〈時間〉の尾は頭とつながっている。
〈時間〉の中では何物も完成されず、何物も追放されない。
何物も始められず終わらされない。
〈時間〉は感覚によって創造された車輪だ。
それは、感覚によって〈空間〉の虚空を巡らされる。
あなたがたは季節の驚くべき変化を感覚し、それゆえ万物は
変化の支配下にあると信じる。にもかかわらず、季節を広げては
たたむ力が永遠に同一であることを、あなたがたは容認している。
あなたがたは事物の成長と老朽を感覚し、不本意ながら老朽
があらゆる成長する事物の終末であると宣言する。
しかし成長と老朽を創り出す力そのものは、成長もせず老朽もし
ないことをあなたがたは承知している。
あなたがたは、そよ風と比べて疾風の速度を感覚する。そして
疾風のほうがはるかに速いと言う。
けれども疾風を動かすものとそよ風を動かすものは、同一であり、
疾風とともに驀進するわけでもなければ、そよ風とともにそぞろ
歩きをするわけでもないとあなたがたは認知している。
あなたがたはなんと軽々しく信じ込むことか!
感覚が仕掛ける手品のいちいちになんと騙されやすいことか!
〈想像力〉はどこに行ったのか? というのも、〈想像力〉によって
のみ、あなたがたを驚かせる変化がすべて手先の早業に過ぎな
いと理解できるのだから。
いかにして疾風がそよ風より速くありえよう? そよ風から疾風
が生まれるのではなかろうか?
疾風はそよ風を運んでいるのではなかろうか?
地上を歩く者よ、自分の歩んだ距離やマイルでどうやって測ろ
うというのか?
そぞろ歩きをしようが、早足で歩こうが、あなたがたは地球の速
度に乗って、地球自身が運ばれて行く宇宙空間に運ばれて行
くのではないか?
それゆえあなたがたの歩行は、地球自身の歩行と同じなので
はないか?
そして地球もまた、他の存在によって運ばれているため、その
存在と速度を等しくされているのではないか?
そう、遅さは速さの母。速さは遅さの運び手。そして〈時間〉と
〈空間〉のあらゆる点からみて、速さと遅さは分かち難い。
なぜ成長は成長であり、老朽は老朽であると言うのか? なぜ
両者は互いに敵対していると言うのか? 何かが老朽すること
なしに、何かが現れ出たことがかつてあったか? 何かが成長
することなしに、何かが老朽したことがかつてあったか?
あなたがたは絶えず老朽することによって成長しているのでは
ないか? 絶えず成長することによって老朽しているのではない
か?
死者は生者の土壌ではないのか? 生者は死者の穀倉では
ないのか?
もし成長が老朽の子どもならば、老朽は成長の子ども。もし〈
生〉が〈死〉の母ならば、〈死〉は〈生〉の母。ならば〈時間〉と〈空
間〉のあらゆる点からみて、両者は真に一体である。そしてまこ
とに、
誕生や成長を喜ぶのは、死や老朽を悲しむのと同
じくらい愚かしい。
なぜ秋だけが葡萄の季節だと言うのか? 私は、冬にもまた葡
萄は熟していると言う。
そのとき葡萄は、まだ目に見えることなく脈打つまどろむ樹液に
過ぎないが、ワインを夢見ている。
春もまた葡萄の季節。そのとき葡萄は、エメラルド色の小さな数
珠玉の柔らかな房に現れて来る。そして夏もまた葡萄の季節。
そのとき房は伸びやかに拡がり、数珠玉はふくらみ、その頬は
太陽の金の光に色づいてくる。
もしそれぞれの季節がおのれのうちに他の三つの季節を宿し
ているならば、まことに、すべての季節は〈時間〉と〈空間〉のあら
ゆる点からみて一つである。
そう、〈時間〉は最大の手品師。人間はその最大の得意客。
人間は車輪の中の栗鼠にそっくりだ。〈時間〉の車輪を回転す
るよう仕向けた人間は、その動きに虜にされ、その動きに運ばれ
てしまうため、もはや自分自身がその動かし手であるとは信じら
れなくなり、ぐるぐる回る〈時間〉を止める「時間さえ見出せない」
ことになってしまう。
そして人間は、砥石を砥める猫にそっくりだ。その猫は、自分
の舌からにじみ出る血を砥石からにじみ出る血だと信じて砥める。
人間は、〈時間〉の縁で流されるおのれの血を〈時間〉の流す血
だと信じて嘗め、〈時間〉の車輪の幅によって引きちぎられたお
のれの肉を〈時間〉の肉だと信じて貪り喰う。
〈時間〉の車輪は、〈空間〉の虚空を巡っている。
〈時間〉と〈空間〉のうちにあるものしか知覚できな
い感覚器官によって知覚されるすべてのものは、
その車輪の縁にある。
だから事物は現れては消え続ける。〈時間〉と〈空間〉内のある
点で消滅したものが、別の点で現れる。
ある者にとって上りつつあるものが、別の者にとっては下りつつ
ある。
ある者にとって昼であるものが、別の者にとっては夜である。
それはすべて、見る者が「いつ」「どこ」にいるかにかかっている。
仲間たちよ、〈時間〉の縁にいるものは、〈生〉と〈死〉の道にいる。
というのも。円を描く動きは決して終焉に到ることはなく、消滅す
ることもないからである。そしてこの世におけるいかなる動きも、
円を描く。
ならば人間は、この〈時間〉の悪循環から決して解放されない
のだろうか?
いや、
人間は解放に達する。なぜなら人間は、神の聖なる
〈自由〉の相続人なのだから。
時間の車輪は回転するが、その軸は永遠に静止
している。
〈時間〉の車輪の軸が神である。万物が〈時間〉と
〈空間〉のうちで神の周りを巡るけれども、
神は常に時間と空間を超越し、静止している。万物
は〈神の言葉〉から生じるけれども、〈神の言葉〉は、
神と同様に時間と空間を超越している。
軸ではすべてが平安。縁ではすべてが動揺。
あなたがたはどちらにいたいのか?
私はあなたがたに言う、〈時間〉の縁からすべり抜
けて軸に到り、動きの嘔吐から脱しなさい。
〈時間〉にはあなたの周りを回らせておきなさい。
しかしあなた自身は〈時間〉とともに回らないように
しなさい。
第十九章
信念は成熟に達した論理
〈論理〉の唯一の効用をまだ見出していないのか?
それは、人間から〈論理〉を取り除いて〈理解〉へとつながる〈信
念〉に導くことだと。
〈論理〉は未成熟であるがゆえに、知識の巨獣を捕らえようとして、
蜘蛛の巣を張りめぐらせる。
〈論理〉が成熟に達すると、それは自らの網の上
で自らを絞め殺し、より深い知識である〈信念〉
へと変容する。
〈論理〉はけが人にとっての松葉杖。しかし俊足の者にとっては
重荷。翼を持つ者にとってはさらなる重荷。
〈論理〉は老いぼれた〈信念〉。〈信念〉は成熟に達した〈論理〉。
あなたの論理が成熟すれば-そして間もなくそうなるだろうが-
ベヌーソ、あなたはもはや〈論理〉のことを語らないだろう。
〈時間〉の手に弄ばれる自己を否定し
なければならない。
そのことによって、〈時間〉の奇術を免
れている〈自己〉を肯定することになる。
一つの自己の否定が他の自己の肯定でありうるのですか。
ミルダッド……そう、
自己を否定することは、〈自己〉を肯定
すること。
変化に対して死ぬことは、不変なるものへと生まれ変わること。
多くの者は死ぬために生きている。
生きるために死ぬ者は幸いである。
……しかし人間には自分の個性が愛しいものです。人
間が神へと没入すれば、いかにして
それでもなお自分の個性に気づいていられましょう?
ミルダッド……小川が海へと失われて自分が海であると気づくこ
とは、小川にとって損失だろうか?
人間が自分の個性を神の中に失うことは、自分
の影を失い、
影なき自分の存在の本質を見出すことでしかない。
……〈時間〉の被造物である人間が、いかにして〈時
間〉の支配下から脱することができるのですか。
ミルダッド……
〈死〉があなたがたを〈死〉から救い出し、
〈生〉があなたがたを〈生〉から解放するように、
〈時間〉はあなたがたを〈時間〉から自由にする。
あまりにも変化にうんざりした人間は、自分の全存在をこめた
熱烈な情熱をもって、変化より強いものを希求してやむことがな
い。そして確実にそれは見出されるだろう。
希求する者は幸いである。なぜなら、彼らは既に〈自由〉の戸
口にいるのだから。私が探し求めているのは彼らであり、私が語
りかけているのは彼らだ。私があなたがたを選んだのは、あなたが
たの希求を私が聞きつけたからではなかろうか?
〈時間〉の円環を巡り、そこに自由と平安を見出そうとする者
はわざわいである。誕生の喜びに笑うやいなや、彼らは死に泣
くことになる。満たされるやいなや、うつろにさせられる。平和の
鳩を罠でとらえると、その鳩は手の中ですぐに戦争の禿鷹に変
わってしまう。たくさん知っていると思えば思うほど、実際に知っ
ていることは少なくなる。前進すればするほど、後退する。高く
登れば登るほど、下に落ちる。
彼らもまた、〈自由〉を希求し、私の言葉に耳を開くようになるま
では、私の言葉は彼らにとって、精神病院での説教や、盲人の
前で燃やされた松明と同じほどに、空虚で苛立たしい戯言でし
かない。
〈時間〉の巧妙な手技に眩惑されて喜ぶ者は、〈時間〉の爪に
皮膚を引きちぎられたときに泣くがよい。
若さの輝きに歌い踊る者は、老いの皺にうめきよろめくがよい。
〈時間〉のカーニバルに浮かれ騒ぐ者は、葬儀のときに灰で
頭を覆わせるがよい。
しかしあなたがたは常に晴れやかでなければならない。
うつろいの万華鏡の中で、うつろわぬものだけを求めなさい。
〈時間〉の中では何事も涙に値しない。何事も笑いに値しない。
笑顔と泣き顔は、ともにぶざまで歪んでいる。
涙の辛さを避けたいか? それなら笑いの歪みを避けなさい。
涙が揮発すると、しのび笑いになる。
しのび笑いが濃縮されると。涙になる。
喜びに揮発されやすくならず、悲しみに濃縮されやすくならな
いようにしなさい。そうではなく、
両者に対して晴れやかに一様でいなさい。
第二十章
私たちは死後どこに行くのか
この地球が人間の唯一の住まいだと思っているのか?
あなたの体は、〈時間〉と〈空間〉に限界づけられてはいるが、
〈時間〉と〈空間〉内のあらゆるものから引き出されている。
だからあなたの中の太陽から来た部分は、太陽において生きて
いる。
あなたの中の地球から来た部分において生きている。
他のすべての星々や、星々の間の人跡未踏の宇宙についても
同じこと。
愚者のみが、地球が人間の唯一の住居だと考えたがる。
愚者のみが、宇宙に浮かんでいる無数の物体は人間の住居の
装飾に過ぎず、人間の眼の気晴らしに過ぎないと考えたがる。
この地球が人間の住処であると同じくらい、明けの明星、銀河、
昂星も人間の住処である。
これらの星々は、光を人間の眼に投げかけるたびに、人間をお
のれのところへ持ち上げている。
人間はこれらの星々の下を通るたびに、これらの星々を自分の
ところへ引き寄せている。
あらゆる事物が人間の中に組み込まれている。
その代わり、人間はあらゆる事物の中に組み込まれている。
宇宙はたった一つの体である。
その最小の部分と交流すれば、すべて
と交流したことになる。
そして
生きている間絶えずあなたがたは死
んでいるように、
死んでいる間絶えずあなたがたは生きている。
たとえこの体で生きていないにしても、別の形をした体の中で生
きている。
しかし神の中へと溶け入るまでは、すなわち、あらゆる変化
を克服するまでは、あなたがたは体の中で生き続ける。
……変化から変化へと旅するうちに、私たちはこの地
球に戻って来るのですか?
ミルダッド……〈時間〉の法は、反復。〈時間〉のうちで一度起こっ
たことは、再び幾度も幾度も起こらざるを得ない。人間の場合は、
欲求と反復への意志の強さに応じて、その間隔が長くなったり
短くなったりする。
あなたが生として知られるサイクルから出て、死として知られる
サイクルに入ったとき、大地への癒されぬ渇きと、大地の情熱に
対する飽くことなき飢えを持っていれば、大地の磁力が再びあな
たをその胸へと引き寄せるだろう。
そして生につぐ生、死につぐ死で大地があなたに乳を授け、〈時
間)があなたを乳離れさせることが繰り返されるだろう。
あなたが自らの意志で自発的に、これをかぎりと自分自身から乳
離れさせるまでは。
ミルダッド……私は来たいときに来て、去りたいときに去る。
私が来たのは、大地に住まう人たちを大地の束縛から解き放つ
ためだ。
……私は大地から永遠に乳離れしたいと思います。
どうしたらよいのですか、師よ?
ミルダッド……そのためには
大地を愛し、大地のすべての子どもたち
を愛することだ。
大地との収支決算において残額が〈愛〉
のみであるとき、
大地はあなたを負債から解放するだろう。
〈愛〉はただ一つの執着からの自由だ。
すべてのものを愛するとき、あなたは何にも執着しない。
……人は〈愛〉によって、〈愛〉に対する侵犯を繰り返すこ
とから逃れ、〈時間〉の車輪を止めることができるのですか。
ミルダッド……
それに達するのは、〈悔い改め〉によってだ。
あなたの舌を逃れ出た呪咀は、戻って来たとき、あなたの舌が愛
の祝福に包まれているのを見て、別の宿りを求めるだろう。このよ
うにして〈愛〉は呪咀の反復を阻止する。
好色な眼差しは、戻って来たとき、生みの母の眼から愛の眼差
しが溢れ出ているのを見て、別の好色な眼差しを求めるだろう。
このようにして〈愛〉は好色な眼差しの反復を押しとどめる。
邪まな心から送り出された邪まな願いは、戻って来たとき、母
なる心が愛の願いに満ち満ちているのを見て、別の場所に巣
を求めるだろう。このようにして〈愛〉は邪まな願いの反
復を妨げる。これが〈悔い改め〉
〈愛〉があなたの唯一の財産になったとき、
〈時間〉はあなたに対して〈愛〉以外の何も反復しない。
いかなる場所、如何なる時間でも愛のみが反復
されるとき、それはあらゆる時空を満たす恒久な
ものになり、そうして時間と空間の両者は消し去
られてしまう。
第二十一章
全能の意志と人間の意志
ミルダッド……〈時間〉と〈空間〉の子どもであるあなたがたが、
〈時間〉とは、〈空間〉の銘板に刻み込まれた普遍的な記憶であ
ると、いまだに気づいていないのは、奇妙なことだ。
もし感覚によって限界づけられているあなたがたでも、人生で
の出来事をある程度覚えていられるならば、あなたの誕生より先
にあり、あなたが死んだ後も無限に続く〈時間〉は、どれほど多く
の出来事を覚えていられることだろうか?
私はあなたがたに言う、〈時間〉はありとあらゆることを覚えてい
る、あなた自身が鮮明に記憶しているもののみならず、まったく
気づいていないことまでも。
というのも、時間には忘却がないのだから、そう、最小の動きや
息やほんの気まぐれさえも時間は忘れない。そして〈時間〉に
記憶されるすべては、〈空間〉内の事物に深く刻印されて、
いる。
あなたが踏み歩く大地、あなたが呼吸する空気、あなたが住ま
う家は、もしあなたにそれを読むだけの精力と、その意味をとらえ
るだけの鋭敏さがありさえすれば、あなたの過去の生、現在の生、
来るべき生の記録を、最も微細な細部にいたるまで即座にあな
たに明かすだろう。
生においても死においても、地球上にいても、地球を越えてい
ても、あなたは決して独りではなく、常に事物や存在とともにいる。
事物や存在があなたの生と死において領分を有しているように、
あなたもまた、彼らの生と死に領分を有している。
あなたが彼らに係わるように、彼らもあなたに係わる。
あなたが彼らを求めるように、彼らもあなたを求める。
人間はあらゆるものの中に意志(will)を持っている。おのおの
の事物は人間のうちに意志を持っている。
その交換は妨げられることなく続く。
しかしながら人間の欠陥だらけの記憶は、わざわいに満ちた劣
悪な会計士である。
遺漏のない〈時間〉の記憶はそうではない。
〈時間〉の記憶は、同胞たちや宇宙のあらゆる存在と。人間との
関係をきわめて正確な収支表につけ、毎瞬毎瞬、そして生
につぐ生、死につぐ死で収支を精算するよう人間に強制する。
ある家が雷を自分のことろに引き寄せない限りは、雷は決して
その家には落ちはしない、落雷による破壊は、雷に原因がある
のと同じくらい、その家に原因がある。
自分を突き刺すよう牡牛を招くのでなければ、牡牛は決してそ
の人を突き刺さない、実際は、そのもの自身が牡牛以上に自分
の血に対して責任がある。
殺人の被害者は殺人者の短刀を研いでいる。
そして両者は致命的な襲撃を引き起こす。
強奪される者は、強奪する者の動きに指示を
与えている、そして両者は強奪を起こす。
そう、人間は、災厄を自分に招き寄せておきながら、自分がい
つどこでどのように招待状を書き送ったかをすっかり忘れ、苛立
たしい客に対して抗議する。
しかし〈時間〉は忘れない。〈時間〉はしかるべきときに、しかるべ
き住所におのおのの招待状を配達する。そして〈時間〉は、それ
ぞれの招待客をその招待者の住居へと送り届ける。
私はあなたがたに言う、訪れた客に対して抗議
しないようにしなさい。
客は、自尊心を傷つけられたせいで、いつまでもぐずぐずととど
まることや、訪問の回数を増やすことでー抗議を受けなかった場
合に客自身が妥当だと考えたであろう訪問回数より、ずっと回数
を多くすることであなたに復讐するかもしれないから。
訪れた客を、その態度や振る舞いがどうあれ、親切にもてなし
なさい。というのも、彼らは実際にはあなたの債権者なのだから、
特に不快な客に対しては、彼らが感謝し満足して去るように
正当な取り分以上のものまで与えなさい、
そうすれば彼らがもし再び訪ねるようなことがあっても、債権者と
してではなく友人としてやって来るだろうから。
どの客も名誉の客であるかのように扱いなさい。そうすれば客
の信頼を得られ、その訪問の隠された動機を学べるかもしれな
いから。
不運な出来事を、あたかも幸運な出来事であるかの様に受けと
りなさい、というのも不運な出来事はいったん理解されるとすぐ
に幸運な出来事へと変貌するのだから
その一方で誤解された幸運な出来事は、すばやく不幸な出来
事と化してしまう。
あなたがたはその身勝手な記憶に拘わらず、
自分の誕生と死を選んだのである。
その上
その時間と場所のありようをもあなたが選んだの
である。
その一方で誤解された幸運な出来事は素早く不幸な出来事と
化してしまう。
あなた方の身勝手な記憶は、誰の目にも明かなや隙間のある
虚偽で織りなされた網目だ。
賢者を気取る者達は、人間は自分の誕生や死には全く関与し
ていないと宣言している。
狭小な視野で時間と空間をすが目に見る怠惰な者達は、時間
と空間内で起こるおおかたな出来事を即座に偶発事として片付
けようとする。彼らの自惚れと欺瞞に気をつけなさい、
私の同行者たち。
〈時間〉と〈空間〉のうちに偶発事
はない。
いかなることにも間違わず、いかな
るものをも見逃さない〈全能の意志〉
によってあらゆる出来事は定められ
ている。
雨の滴が泉へと集まり。泉が流れ出て小川やせせらぎへと集まる。
小川やせせらぎがより大きな河へ自分たちを貢物として捧げ、大
河がその水を海へと運び、海がはるかに大きな大海へと集結す
る。それと同じように、生命のあるなしを問わず、おのおのの被
造物は、おのれの意志を貢物として〈全能の意志〉へと流れ込む。
私はあなたがたに言う、
あらゆるものが意志を有している。明らかに生命
がなく、かくも耳と目が閉ざされている石でさえ
も、意志なしではない。
意志がなければ、石はなかっただろうし、石が事
物に影響を与えることもなければ、事物から影響
を受けることもなかっただろう。
意志することについての石の意識、存在することについての石
の意識は、人間の意識とは段階が異なるにせよ、内容におい
ては異ならない。
たった一日の生活のうち、どれほどの部分をあなたがたは真に
意識していたと主張できるか?
実際のところ、まったく取るに足らない部分でしかない。
脳や記憶力や感情と思考を記録する手段を持っているあなた
がたが、もし。一日の生活の大部分にいまだ無意識であるなら
ば、どうして石がおのれの生と意志にきわめて無意識だと驚く
のか?
そしてあなたがたは、
生きていることをあまりにも意識せずに生き、
動いていることをあまりにも意識せずに動いているのと同じく、
自分が意志していることをあまりにも意識せずに意志している。
しかし全能の意志はあなたがたの無意
識を意識しており、
宇宙の全ての被造物の無意識をも意識
している。
〈全能の意志〉は、〈時間〉と〈空間〉内のあらゆる点において。自
らを再分配するのを常としている。その再分配にあたっては、お
のおのの人間やおのおのの事物が意志したものそのものをー
それ以上でもなく、それ以下でもなく、そして意識的に意志して
もしなくてもー何であれ、彼らに与え返す。しかし人間はそのこ
とを知らず、あまりにもしばしば、すべてが含まれる〈全能の意
志〉の鞄から自分たちにふりかかってくる巡り合わせに失望する
だけとなる。人間は、落胆して抗議し、気まぐれな〈運命〉に対し
て、自分の失望の怒りをぶつける。
仲間だちよ、気まぐれなのは〈運命〉ではない。というのも
〈運命〉とは、〈全能の意志〉の別名
に過ぎないのだから。
いまだにあまりにも気まぐれで、あまりにも発作的で、あまりにも
進路が定まらないのは、人間の意志である。人間の意志は、今日
は東へ驀進したかと思えば、明日は西へと突進する。ここで
あるものを善と識別したかと思えば、別のところでそれを悪だと
貶す。
今ある人を友として受け容れても、結局は後でその人と敵対して
戦うことになる。
私の同行者たちよ、あなたがたの意志は気まぐれであってはな
らない。諸々の事物や人々とあなたがたの関係はすべて、あな
たがたが彼らに何を望む(Will)か、彼らがあなたがたに何を望
むかによって決まるのだと知りなさい。
そして諸々の事物や人々があなたがたに何を望むかは、あなたが
たが彼らに何を望むかによって決まる。
それゆえ私はあなたがたにかつて言ったし、今も言うのだ。
いかに呼吸するか、いかに喋るか、
何を願い、何を思い、何を行うかに
注意せよと。
なぜならあなたの意志は、一つ一つ
の息、一つ一つの言葉、一つ一つの
願い、一つ一つの思い、一つ一つの
行為の中にまでも隠されているからだ。
そしてあなたに隠されているものは、〈全能の意志〉には常に露わ
だ。
いかなる人間にも、彼にとって苦痛となるような快楽を望んでは
ならない。
その快楽があなたをいかなる苦痛にもましてさらに苦しめることに
なるといけないから。
あるいはまた、いかなるものにも、そのものにとって悪となるよう
な善を望んではならない。
あなたが自分自身に悪を望むことになるといけないから。
そうではなく、あらゆる人、あらゆるものから、愛を望みなさい。
その愛によってのみ。あなたのヴェールは取り払われ。〈理解〉
があなたの心のうちに兆すだろう。そうして初めてあなたの意志
は、〈全能の意志〉の驚くべき神秘に入門を許される。
万物への意識を成長させて初めて
あなたは、自らのうちにある万物の
意志や、万物のうちにあるあなたの
意志を意識できるようになる。
万物のうちにあるあなたの意志と、あ
なたのうちにある万物の意志を意識す
るようになって初めてあなたは、
〈全能の意志〉の神秘を知ることが
できる。
そして〈全能の意志〉の神秘を知るまでは、自らの意志を〈全
能の意志〉に反して立てないようにしなさい。
そんなことをすれば、敗者になるのは確かだ。あなたの意志が
〈全能の意志〉とぶつかるたびに、あなたは傷つき苦汁を飲ま
される。報復しようとしても、結果として古傷に新しい傷
を加えるだけとなり、苦汁の杯を溢れさせるだけとなる。
私はあなたがたに言う、もし敗北を勝利に変えたいのならば、
〈全能の意志〉を受け容れなさい。
その神秘の鞄からあなたにふり注がれ
る事物を、ぶつぶつ言わずにすべて受
け容れなさい。
感謝をもって、そしてそれらが〈全能の意
志〉のうちで自らの正当で当然な取り分
だという信念をもって、受け容れなさい。
そしてひとたび自らの意志の隠された道を理解すれば、あなた
は〈全能の意志〉を理解したのだ。
未知なるものを受け容れなさい。そうすればそれは、あなたがそ
れを知ることを手助けしてくれる。
それに対して憤激すれば、それは苛立たしい謎にとどまるだろう。
〈理解〉が〈全能の意志〉をあなたの意志の召使となすまでは、あ
なたの意志を〈全能の意志〉の僕にしておきなさい。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
第二十二章
男性と女性、結婚と独身
ミルダッド……百合が「私たちはナロンダを愛しています。その愛
のしるしとしてナロンダに、自分たちのかぐわしい魂を喜んで差し
出したい」と言っているのが私には聞こえる。わが不変なる
心ナロンダよ! この池の水はあなたに何を語りかけているか?
ナロンダ……私には何も聞こえません、わが師よ。
ミルダッド……この池の水が「私たちはナロンダを愛しています。
ですから私たちは、ナロンダとナロンダの愛する百合たちの渇き
を癒すのです」と言っているのが私には聞こえる。
わが絶えず目覚めている眼ナロンダよ! 今日という日は、太
陽に照らされた腕ですべての事物をあやしながら、あなたに何
を語りかけているか?
ナロンダ……私には何も聞こえません、わが師よ。
ミルダッド……今日という日は、「私はナロンダを愛しています。
ですから、太陽に照らされた腕で、愛しい他の家族とともにナロ
ンダをこんなにも優しくあやすのです」と言っているのが私には
聞こえる。
ナロンダの生は、かくも多く愛するものがあり、かくも多くのもの
から愛され、あまりにも充実しているので、いかなる怠惰な夢や
思考にも巣を作らせ卵を孵させるような余地がまったくないだ
ろう?
まことに、人間は宇宙の最愛の相手。万物は喜んで人間を甘
やかしたがっている。
しかしそのような甘やかしによって損なわれない人間は滅多に
いない。そして自らを甘やかす手に噛みつかない人間はさらに
少ない。
損なわれていない者にとっては、蛇のひと噛みでさえ愛に満
ちた口づけ。しかし損なわれた者にとっては、愛に満ちた口づ
けでさえ蛇のひと噛み。そうではないか、
ミルダッド……憐れみそれ自身が憐れみを必要としている。ミル
ダッドはいかなる憐れみも持っていない。しかしミルダッドには、
あらゆるものに向けられた溢れんばかりの愛がある。その愛は肉
体にさえ向けられている。(精霊〉にはさらに多くの愛が向けられ
ている。〈精霊〉が肉体という粗雑な形体をとっているのは、ただ
それをたかちなきものへと溶かすため。ミルダッドの愛は、ザモラ
を灰から立ち上がらせ、彼を克服者にするだろう。
〈克服者〉を私は教える-それは、統一され、自分自身の主
人となった人間。 女への愛によって囚人となった男、男への愛
によって囚人となった女は、ともに〈自由〉の高貴な王冠にふさわ
しくない。しかし〈愛〉によって一つとなされ、分裂が解消し、統一
された男と女は、まことにその王冠にふさわしい。
〈愛する者〉を従属させる〈愛〉は愛ではない。
肉と血によって養われる〈愛〉は愛ではない。
女と男を引き寄せて、結局はより多くの女と男を生み出し、その
ことによって彼らの肉体への束縛を長びかせるだけの〈愛〉は愛
ではない。
〈克服者〉を私は教える-それは、あまりにも自由であるため男で
はありえず、あまりにも純化されたため女ではありえない〈不死鳥
の人間〉。
〈生命〉のより濃密な領域では雄と雌は一つ。それと同じように、
〈生命〉のより希薄な領域では雄と雌は一つ。その中間は、〈二
元性〉の幻影に支配された、永遠の中の断片に過ぎない。その
断片の前も後も見ることができない者たちは、それが永遠そのも
のだと信じる。彼らは、〈生命〉の法が〈統一〉であることを知らず
に、〈二元性〉の幻影があたかも〈生命〉の核であり本質そのもの
であるかのように、その幻影にしがみつく。
〈二元性〉は〈時間〉のうちでの一段階。
〈二元性〉は〈統一〉から由来し、〈統一〉へと通じる。
この段階を早く通過すればするほど、それだけ早く自らの自由を
抱擁することになる。
そして男性と女性は、自らの単一性を意識していない単一の人
間に他ならない。彼らは二つに引き裂かれ。〈二元性〉の苦汁を
いやというほど飲まされるので、〈統一〉の美酒を希求するように
なる。そして彼らはその希求において、意志をもってその美酒を求
める。そして求めることによって〈統一〉を見出し、それを所有する
ようになり、〈統一〉の卓越した自由を意識するようになる。
牡馬が牝馬にいななき、牡鹿が牝鹿に呼びかけるがままにさせ
ておきなさい。〈自然〉に駆り立てられた動物たちの行為は、〈自
然〉に祝福され賞賛されている。というのも動物たちは、種の再生
産より高い天命をまだ意識していないからだ。
牡馬や牝馬、牡鹿や牝鹿といまだに大して変わらない男たちと
女たちには、肉の暗い誘惑の中で互いに求め合うがままにさせて
おきなさい。彼らには、結婚の許可書と寝室の淫蕩(licentiousn
ess)を混合させておきなさい。彼らには男根の授精力、子宮の受
精力の喜びを味わわせておきなさい。彼らには種を繁殖させて
おきなさい。〈自然〉そのものが喜んで彼らの後援者になり助産
婦になる。
そして〈自然〉は彼らに、薔薇の褥を敷いてやるが、薔薇の煉も
忘れない。
しかしながら希求する男女はたとえ肉体にいる間でも、自分た
ちの統一を実現しなければならない。統一を実現するのは、肉
体の交わりに拠ってではなく、肉体からの自由に向かう意志で
ある。
人々はよく、「人間の本性」と言う。人間の本性とはあたかも固定
した成分で、申し分なく測定され、申し分なく定義され、隅々まで
探索され、セックスと呼ばれるものによって四方をしっかりと境界
づけられているかのようだ。
性の情欲を満たすのは人間の本性である。しかし情欲の荒れ
狂う噴出を活用し、それを性を克服するための手段として用いる
ことは、致命的に人間の本性に反し、ついには苦しむことになる。
このように彼らは言う。こういう彼らの無駄話に耳を貸してはなら
ない。
人間とはかぎりなく広大な存在で、その本性もあまりにも測り知
れない。人間の才能はあまりにも多様で、その力はあまりにも無
尽蔵だ。人間に限界を設けようとする者たちに用心しなさい。
確かに、肉体は人間から重い税を取り立てる。しかし人間が税
を収めるのは、ほんの一時だけだ。
誰が未来永劫にわたって僕でいたいか? 主人の課した軛を投
げ捨て、税の義務から解放されることを夢見ない僕がどこにいる
か?
人間は、僕になるために生まれたのではない。おのれの人間
性に対してでさえ、僕となるために生まれたのではない。
人間は常にあらゆる種類の隷属からの自由を希求している。
そして確実に〈自由〉は人間のものだ。
克服を意志する者にとって血縁関係とは何か?
意志をもって打ち破らねばならない結びつきである。
〈克服者〉は、自分の血があらゆる血とつながっていると感じる。
それゆえ彼はいかなる血とも結びつかない。
希求しない者には種族を再生産させるがいい。希求者には繁殖
させるべき別の種族がいる-それがまさに克服者の種族だ。
克服者の種族は、男根と子宮から生まれ降りてくる(descend)
のではない。それはむしろ、克服せんとする不屈の意志によって
指令される血が流れる独身者の心から生まれ登ってくる。
私はあなたがた、そして世界中にいるあなたがたのような、もっ
と多くの人々が独身の誓いを立てたのを知っている。
しかしザモラの夕べの夢が証明するように、あなたがたは独身か
らはほど遠い。
僧の衣をまとい、厚い壁と重々しい鉄の門の背後に自分たちを
隔離する者が、独身者なのではない。多くの僧や尼僧は、最も
淫らな者より淫らだ。彼らの肉体は、他の肉体と決して交わったこ
とがないと、まったく嘘偽りなく―誓うけれども。しかし真の独身者
とは、心と精神が独身である者たちだ。僧院にいようが、世間の
市場にいようが関係ない。
私の同行者たちよ、女性を神聖な存在として敬いなさい。
種族の母としてではなく、配偶者や恋人としてではなく、二元的
な生の長い骨折りと苦しみの中での双子の片割れとして、自分
のパートナーとして、分かち合うための分身として、敬いなさい。
というのも、女性なしに男性は〈二元性〉の断片を通過できないの
だから。女性によって男性は統一を見出し、男性によって女性は
〈二元性〉からの自由を見出すだろう。
そして双子はやがて一つに結び合わされるだろう-それがまさに
男でも女でもなく、〈完全な人間〉である〈克服者〉だ。
〈克服者〉を私は教える-統一され、自分自身の主人となった人
間を。ミルダッドがあなたがたから去る前に。あなたがた一人一人
は克服者となっているだろう。
ミルダッド……ザモラ、あなたは多くの物事を意志することができ
る・・あらゆる物事を意志することができる。しかし
一つだけ意志できないことがある。それは、あなたの意志、すな
わち〈生命〉の意志であり、〈全能の意志〉であるあなたの意志を
終わらせることだ。
〈存在〉である〈生命〉は、決して自らの非存在を意志できない。
あるいはまた、非存在が意志を持つこともできない。
そう、神でさえザモラを終わらせることはできない。
私があなたがたから去ることについては、確かに肉体のうちにい
る私を探しても見つけられなくなる日は来る。
なぜなら、この地球以外でもなさねばならぬ仕事が私にはあるの
だから。しかしどこであろうと、私は仕事を未完成には残さない。
だから気を落とすことはない。ミルダッドは、あなたがたを克服者
にするまでは―統一され、完全に自己を支配する人間にするま
では―あなたがたから去ることはない
あなたがたが克己と〈統一〉を獲得したときには、ミルダッドはあ
なたがたの心の定住者となり、ミルダッドの名前はあなたがたの
記憶で決して錆びつかないだろう。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
第二十三章
老いの重荷と癒し
……… 師は苦しんでいるこの動物に近づき、角と眼の間や頬の
下をさすり始めた。時々手を背や腹のほうにも伸ばした。その間ず
っと師は人間に話しかけるようにシム・シムに話しかけた。
……シム・シムはあなたの言葉を理解できるのですか。
それであなたは、まるでシム・シムが人間のような理解力を持って
いるかのように語りかけるのですか。
ミルダッド……大切なのは言葉ではない、ミカスター。大切なの
は、言葉のうちで触れあうものだ。
それに対しては獣でさえ感受力がある。その上、シム・シムの柔
和な瞳から一人の女性が私を覗き込んでいるのが見える。
ミカスター……こんなにも老いさらばえたシム・シムに話しかける
ことに、どんな意味があるのですか。師は、シム・シムの余命を延
ばし、老いの荒びにとどまらせようと望んでいるのですか。
ミルダッド……老いは、人間にとって恐ろしい重荷であるように、
獣にとっても恐ろしい重荷だ。
人間は、冷淡で無情なゆえに老いの重荷をさらに倍加している。
新生児に対しては、最高の気遣いと愛情を捧げるのに、年齢の
重荷を背負った人々に対しては、気遣いよりは無関心、同情より
は嫌悪を向ける。人間たちは、まだ乳離れしない子を早く一人前
にしようとせき立てるのとちょうど同じように、老人が早く墓に飲
み込まれるようにとせき立てる。
あまりに幼い者とあまりに年老いた者は、等しく無力である。しか
しながら幼な児の無力さは、万人から愛に満ちた献身的な助け
を引き寄せる。ところが一方、老人の無力さは、ごく少数の者か
ら恨みがましい助けを得るに過ぎない。まことに、老人は幼い者
以上に同情に値する。
かつては敏感で、きわめてかすかな囁きをも感知した耳が、言
葉が長い間声高にノックしないかぎりその入場を許可しなくなる
とき、 かつては澄んでいた眼が、恐ろしく不気味なシミと影の踊
り場となるとき、 かつては翼を持った足が鉛の塊になり、かつて
は生命を鋳造した手が壊れた鋳型になるとき、 膝の関節がは
ずれ、頭が首に乗る指人形になるとき、 臼歯が磨り潰され、歯
痕がわびしい洞窟となるとき、 立ち上がるときには、倒れる恐れ
に冷汗をかかねばならなくなり、坐るときには、二度と再び立
ち上がれないのではないかという痛ましい不安を抱かねぼならな
くなるとき、 食事をとれば、食後の後遺症を恐れねばならなくな
り、食事をとらなければ、憎むべき〈死〉に忍び寄られるようになる
とき、そう、老いが人間に訪れたとき、その時こそ。私の同行者た
ちよ、愛情をこめて眼と耳を貸し、手と足を授け、彼の衰え行く力
を支えるべき時だ。そうすることで
彼に、力の弱まりゆく日々においても、力が強まりゆく幼な児や
若者だった頃と少しも変わらず、自分が〈生〉にいとしまれてい
ると感じさせるのだ。
八十年の歳月は、永遠の中では瞬き以上のものではないかも
しれない。しかしながら八十年の間自らの種を蒔いてきた人間
は、大いに瞬き以上のものだ。彼の生命を収穫するものすべて
にとって彼は食糧だ。そしてすべてのものにょって収穫されない
生命がどこにあろうか?
あなたがたは、まさに今この瞬間、かつてこの大地を歩んだす
べての男女の収穫物ではないか?
あなたがたの語りは、彼らの語りの収穫物以外の何物だろうか?
あなたがたの思考は、彼らの思考の採集物以外の何物だろう
か? あなたがたの衣服や住まい、食べ物や道具、法律や伝
統や因習-それらは、かつて存在した人々の衣服、住まい、
食べ物、道具、法律、伝統、そして因習ではなかろうか?
あなたがたは、ある特定の時に、ある一つのものを収穫するの
ではなく、あらゆる時間にあらゆる事物を収穫している。あなたが
たは、種蒔き人であり、収穫であり、刈り取り人であり、畑であり
脱穀場である。もしあなたの収穫が貧弱ならば、あなたが他者
に蒔いた種と、他者があなたに蒔くのを許した種を調べなさい。
また、刈り取り人とその鎌、そして畑と脱穀場をも調べなさい。
あなたが、その生命を収穫して穀物庫に蓄えた老人は、確実に
最高の気遣いを払うに値する。収穫されるべきものがいまだに
豊かな老人の日々を、無関心によって苦くするならば、あなたが
彼から集めて蓄えたもの、そしてあなたがこれから集めようとして
いるものは、確実にあなたの口に苦いだろう。衰えゆく獣につい
ても同じである。
作物によって利を得ながら、その種蒔き人と畑を呪うのは正しく
ない。
あらゆる種族、あらゆる風土の人間に親切でいな
さい、私の同行者たち。彼らは、神へと向かう旅の
食物である。しかしとりわけ、
老人に親切でありなさい。不親切によってあなたの
食物が汚され、あなたが旅の目的地にもはや辿り
着けなくなるといけないから。
あらゆる種類、あらゆる年齢の動物に親切でいな
さい。動物たちは、長く苦しい旅の準備にあって、
もの言わぬ忠実なあなたの援助者である。しかし
とりわけ、老いた動物に親切でありなさい。
頑ななあなたの心によって、動物たちの忠実が不実に変わり、そ
の助けが妨げに変わるといけないから。 シム・シムの乳によって
精力をつけておきながら、もう乳を出せないからと言って、その喉
を屠殺人の刃に引き渡すのはひどい忘恩だ。
第二十四章
食べるために殺すこと
……食べるために殺すことは、師よ、法にかなっていますか?
ミルダッド……〈死〉を餌にして生きることは、〈死〉の食物となるこ
とだ。他者の苦痛によって生きることは、苦痛の餌食となることだ。
このように〈全能の意志〉は法を定めた。そのことを知り、自らの進
路を選びなさい、ミカヨン。
ミカヨン……もし私に選ぶことがかなうのなら、不死鳥のように、
肉ではなく事物の芳香によって生きることを選びたいと思います。
ミルダッド……それは本当に素晴らしい選択だ。信じるがいい、ミ
カヨン、人間が肉と血ではなく、事物の神髄である芳香によって
生きる日がやって来る。そして希求者にとってその日は遠くない。
というのも希求者は、肉の生が肉のない生への架け橋に過ぎな
いことを知っているから。
そして希求者は、粗雑で不完全な感覚が、かぎりなく繊細で完
全な感覚の世界への覗き穴でしかないことを知っている。
そして希求者は、自分の引き裂いたすべての肉が、遅かれ早
かれ、必ず自分自身の肉によって修復されなければならないと
知っている。骨を砕いた者は、自分自身の骨で再生しなければ
ならない。
血を流させた者は、その一滴一滴を自分自身の血
で再び満たさなければならない。なぜならこれが
肉の法だから。
そして希求者はこの法の束縛から解放されたいと願う。それゆ
え彼らは体の欲求を最小限に引き下げ、そのことによって肉に対
する負債-実際には〈苦痛〉と〈死〉に対する負債なのだが-
を軽くしようとする。
希求者は、自らの意志と希求によって自分自身を抑制する。そ
の一方で希求しない者は、自分に禁止を設けてくれる他者を待
ち望んでいる。希求しない者にとっては法にかなうとされる無数
の事物を、希求者は、自分自身にとって非合法であるとする。
希求しない者が、ポケッ卜や腹にしまうものをより多く。さらに多
く得ようとするのに対し、希求者はポケッ卜なしにおのが道を進
み、いかなる生き物の血や痙攣も腹に入れない。
希求しない者が獲得するもの-あるいは獲得すると思うもの-
を希求者は、霊の明るみと理解の甘露のうちにふんだんに獲得
する。
緑の野原を見ている二人の男のうち、一人はこの土地からとれ
る作物が何石ほどになるかを見積り、その生産高が金銀でどのく
らいになるかを計算する。もう一人は、眼で野原の緑を吸収し、
思いによってことごとくの葉に口づけし、魂ですべての小さな根と
小石、すべての土くれと親しく交わる。
私はあなたがたに言う、後者がこの野原の正当な所有者だと。
たとえ法律上の所有権が前者にあろうとも。
家の中に坐っている二人の男のうち、一人はその家の所有者、
もう一人は単なる客である。その所有者は、家の建築費と維持費、
衣裳やタペストリーの価格、他の衣類や家具の価格について長
々と話す。一方客は心のうちで、石を切り、仕立て、この家を建
造した手を祝福し、衣裳や着物を織った手を祝福し、森に入って
樹々を伐りとり、窓や扉、椅子や机を作った手を祝福する。そして
彼は、これらのものを創り出した〈創造的な手〉を高めることによっ
て、霊において高められる。
私はあなたがたに言う、この客こそがその家の定住者である。
それに対し、名義上の家の所有者は、背中に家を乗せて運んで
いるが、そこには住んでいない荷物運搬の家畜でしかない。
ある子牛の母牛から乳を飲ませてもらっている二人の男のうち、
一人は子牛の柔らかい肉が。間もなく来る自らの誕生日の祝賀
会でのごちそうになるだろうと考えてその子牛を見る。もう一人は、
その子牛を同じ乳首から乳を飲んでいる兄弟と思い、若い獣とそ
の母に対する愛情に満たされる。
私はあなたがたに言う、子牛の肉によって真に滋養を与えられ
るのは後者である。それに対し、前者は同じものによって毒される。
そう、心に入れられるべき多くのものが、腹の中に入れられて
いる。
眼と鼻にしまわれるべき多くのものが、ポケッ卜と倉庫にしまわ
れている。
精神で噛み砕かれるべき多くのものが、歯で噛み砕かれている。
体を保持するために必要なものはごくわずかだ。体
に与えるものが少ないほど、体はあなたに多く与え
返す。体に与えるものが多いほど、体はあなたに少
なく与え返す。
まことに事物は、倉庫や腹の中にあるときよりも、その外にあると
きのほうがあなたをよりよく支える。
しかしあなたがたは、まだ事物の芳香のみでは生きることができ
ないので、大地の豊かな恵みから必要なものを-しかし必要なも
の以上ではなく-恐れずに受け取るがいい。というのも、大地の
もてなしは手厚く親切なので、その豊かな恵みは常に子どもたち
の前に広げられているのだから。
大地は自分自身を養う以外にどうしようがあろうか? それ以外
どこに行きようがあろうか?
大地は大地を養わなければならない。そして大地はけちな主人
ではない。その食卓はすべてのものに常に豊かに広げられてい
る。
大地は、手の届かないところに何も置かず、あなたがたを食卓
に招いている。それと同じようにあなたがたも大地を食卓に招き、
最高の愛と誠実をこめてこう言わなければならない。
「おお、言葉では言い表せない母よ! あなたは、必要なもの
を私が得るために、あなたの豊かな恵みを私の前に置きました。
それと同じように私も、必要なものをあなたが得られるよう、自分
の心をあなたの前に置きます」 大地の豊かな恵みを食する際に、
もしこれが導きの霊であるならば、何を食するかはほとんど問題で
はない。
しかしもしこれが真に導きの霊であるならば、大地からいかなる
子どもたちも奪い取らないだけの賢明さと愛を持たねばならない。
とりわけ、生きる喜びと死ぬ苦痛を感じるようになったものたち-
〈二元性〉の断片に到達したものたちを奪い取ってはならない。
なぜなら彼らもまた、ゆっくりと苦労して、〈統一〉への道を進んで
いるからだ。そして彼らの道はあなたがたの道よりも長い。彼らの
進行を遅らせれば、彼らから進行を遅らせられるだろう。
ミルダッド……あらゆる生命あるものは死ぬことが運命づけられて
いるのは本当だが、生命あるものの死の原因となるものはわざわ
いである。
あなたがたは私にナロンダを殺すよう任命したりはしない。それ
は、私がナロンダをとても愛し、私の心にはいかなる血への渇望も
ないことをあなたがたは知っているからだ。同様に〈全能の意
志〉はいかなる人間にも、同胞や動物を殺すように任命したりはし
ない。〈全能の意志〉に殺すための道具にふさわしいとみなされ
ないかぎりは。
人間が今のような人間のままでいるかぎり、人間たちの間に盗
みや強奪、虚偽や戦争、殺人、そしてあらゆる種類の暗く邪悪な
情欲は絶えないだろう。
しかし泥棒や強盗はわざわいである。嘘つきや戦争の仕掛人
はわざわいである。殺人者、そして心に暗く邪悪な情欲を宿らせ
るすべての者はわざわいである。というのも彼らはあまりにもわざ
わいに満ちているので、
〈全能の意志〉によってわざわいの使者として使われるからである。
私の同行者たちよ、心をあらゆる類いの暗闇、あらゆる類いの
情欲から清めなさい。それは、この苦しみの世界に、苦しみから
の解放をもたらす喜びに満ちた知らせを伝えることに、あなたが
たが適任だと〈全能の意志〉が見出すためである。その知らせは、
克服の知らせであり、〈愛〉と〈理解〉による〈自由〉の知らせである。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
第二十五章
葡萄祭の前夜
・・・突然騒ぎが収まった。群衆を大いなる静寂が覆った。私たちは
自分の眼が信じられなかった。高い演壇に立った師が、沈黙した
まま手を振っていたのだった。
第二十六章
葡萄祭でミルダッドが熱弁を振るう
あなたがたは今日に至るまで、何を耕し、何を掘り出し、何を刈
り込んできたのか?
あらゆる種類の雑草がはびこり、恐ろしい獣やいまわしい爬虫類
が繁殖し、跋扈している完全なジャングルと化したおのれの魂の
おぞましい荒れ地を、あなたがたは耕したか?
暗闇でからみつき、あなたがたの根を窒息させ、蕾の結実を妨
げている有害な根を、あなたがたは掘り出したか?
活発な虫に喰われてがらん洞にされ、寄生虫の猛襲によってし
おれた枝を、あなたがたは刈り取ったか?
地上の葡萄園を耕し、掘り出し、刈り込むことをあなたがたはよ
く学んできた。しかしながら地上にはない葡萄園、すなわちあな
たがた自身は、耕されないまま悲惨に荒れ果てている。
葡萄園に気を配るより先に、葡萄園の経営者に気を配らないか
ぎり、すべての労働はまったく無駄である。
手にたこのできた人々よ! 私はあなたがたのぶ厚い皮膚を祝
福する。
鉛直線と定規の友よ、ハンマーと鉄敷の同行者よ、鑿と鋸を道
連れとする人々よ、あなたがたは自ら選んだ職芸全般に大いに
有能だ。
あなたがたは、事物の高さや深さの見つけかたを知っている。し
かし自分自身の高さや深さの見つけかたを知らない。
あなたがたはハンマーと鉄敷で器用になまの鉄塊の形を整える。
しかし、いかにして〈意志〉のハンマーと〈理解〉の鉄敷でなまの
人間の形を整えるのかを知らない。
あるいはまた、打ち返すことなど微塵も考えずに〈理解〉の鉄敷に
打たれるという、測り知れないほど貴重な授業を鉄敷から学んで
もいない。
同じようにあなたがたは、木材や岩に鑿や鋸をいれるのがとても
上手だ。しかし、いかにしてぶざまで節くれ立った人間を、端正で
滑らかにするのかを知らない。
自分の職芸をまず職人に用いないかぎり、すべての職芸はまっ
たく無駄である。
人々が母なる大地の賜物と同胞たちの手になる生産物を必要
としているのに応じて、人々は収益のために商いをする。
私は、その必要、賜物、生産物を祝福し、商いまでも祝福する。
けれども
収益そのものを-本当は損失なのであるが-、私は祝
福することはできない。
不吉な夜の静寂の中で一日の決算をするとき、あなたは何を利
益とし、何を損失とするのか?
原価を上回った売上金を利益とするのか?
ならば、お金のために費やされたその日は、得た金額がいかに
大きかろうとも、実際は無価値だ。
そしてその日の調和、平安、光の無限の豊かさは、すべてあなた
にとって損失となる。
その日の絶えざる〈自由〉への呼びかけもまた、損失となる。
贈り物としてその日が掌に乗せてあなたに差し出した人々の心も
また、損失となる。
あなたの主たる関心事が人間の札入れにあるとき
、いかにして人間の心に到る道を見いだせようか?
そして人間の心に到る道を見いだせないとき。いかにして神の心
に到ることを望めようか?
そして神の心に到らないかぎり、いかなる生があなたにあるとい
うのか?
もしあなたが利益と評価するものが損失であるなら
ば、損失は計り知れず大きい。
あなたがたの商いはまことにむなしい。
その利益に勘定されるのが〈愛〉と〈理解〉でないかぎり。
笏と冠を持った人間よ!
傷つけることがあまりに早く、傷を癒す軟膏を塗ることがあまりに
も遅い手の中にある笏は、蛇。
〈愛〉の香油を処方する手の中にある笏は、暗影と運命を先取り
する避雷針。
自分の手に何があるかをよく調べなさい。
ダイヤモンド、ルビー、サファイアがちりばめられた黄金の冠は、
虚栄と無知と人に対する権力欲でふくれ上がった頭に、まったく
不格好に、悲しげに、居心地悪げに坐っている。そう、かくも仰々
しく王座にたてまつられたこのような冠は、その王座自体を嘲る
棘でしかない。
一方、最も稀で最も貴重な宝石の冠は、自らの無価値性にあまり
にも謙虚なので、〈理解〉と自己に対する勝利の光輪が輝く頭に
坐ることを潔しとしない。
自分の頭をよく調べてみなさい。
あなたは人間の統治者となりたいのか? それならばまず自ら
を統治することを学びなさい。
自己自らがよく統治されていないかぎり、いかにしてよく統治する
ことができようか?
風に翻弄され泡立つ波が、海に平安と静謐を与えることができる
か?
涙に満ちた眼が、涙に満ちた心に祝福の微笑みを投げかけるこ
とができるか?
恐れや怒りで震える手が船を水平に保てるか?
人間の統治者は人間に統治されている。そして人間は、騒乱、
無秩序、混沌に満ちている。海と同じように、人間は空からのい
かなる風にもさらされる。
海と同じように、人間も、潮が満ちては引き、時折岸に乗り上げそ
うになる。
しかし海と同じように、人間の深みは静謐で。うわべの激しい風の
打擲を免れている。
もし真に人間を統治したいのなら、その内奥の深みへと飛び込
みなさい。
なぜなら、人間は泡立つ波以上のものだから。
しかし人間の内奥の深みに飛び込むためには、まず
自分自身の内奥の深みに飛び込まなければならない。
それを実行するには、手が自由に感じることができるよう、笏を置
き、頭が邪魔物なく考え評価できるよう、冠をとらなければならな
い。
あなたがたの規則はすべてむなしい。あなたがたの法はすべて
無法。
あなたがたの秩序はすべて混沌。
あなたがたが、笏と冠で戯れることを趣味として好む、自らの内な
る御しがたい人を統治することを学ばないかぎりは。
香炉と〈書物〉を持った人間よ! あなたがたは香炉で何を焚く
のか?
〈書物〉に何を読むのか?
特定の植物のかぐわしい中心部からにじみ出て凝結する琥珀色
の液を、あなたがたは焚くのか?
しかしそんなものは公共の市場で売買されている。そのごくわず
かを焚いただけでも、いかなる神をも悩ませるに充分だ。
焚いた香の匂いで憎悪、妬み、貪欲の悪を消せると思うのか?
あら探しをする眼、偽る舌、淫らな手の悪臭を消せると思うのか?
信仰としてパレードする不信仰や、祝福に満ちた楽園だと自画
自賛するむさくるしい世俗の悪臭を、消せると思うのか?
神の鼻孔には、これらすべてのものが飢え死にし、一つまた一
つと心の中で火葬され、その灰が天の四方の風にまき散らされる
ときの匂いのほうがまだしも快い。
あなたがたは香炉で何を焚くのか? 追従、賞賛、哀願か?
怒れる神には、怒りではちきれんばかりにさせておくがいい。賞賛
に飢えた神には、賞賛を死ぬほど渇望させておくがいい。
冷酷な神には、冷酷さゆえに死ぬにまかせておくがいい。
しかしながら神は怒ってはいない。
賞賛に飢えてはいない。
心が冷酷でもない。
むしろ怒りに満ち、賞賛に飢え、心が冷酷なのはあなたがたのほ
うだ。
神があなたがたに燃やしてほしいのは香ではなく、怒りと自尊心
と冷酷さだ。そのことによって
あなたがたが、神のように自由で全能になることを、神は望んでい
る。
そして神はあなたがたの心が香炉であることを望んでいる。
あなたがたは〈書物〉に何を読むのか?
寺院の壁と丸天井に金文字で書かれた戒律を読むのか?
それとも心に刻み込まれた生き生きした真実を読むのか?
演壇から教えられ、論理と雄弁によって熱烈に防護され、必要
とあれぼ金と剣の刃で防護される教義を読むのか?
あるいは、教えられるべき教義でも防護されるべき教義でもなく、
寺院の中であろうと外であろうと、夜であろうと昼であろうと、低
い場所であろうと高い場所であろうと、〈自由〉への意志をもって
歩かれるべき〈道〉である〈生命〉を読むのか? そしてあなたがた
がその〈道〉を歩き。その目的地を確信していないかぎり、いかにし
て大胆に他人をその〈道〉に誘うことができようか?
あるいは、現世で得られるものをいかばかり出せば、いかほどの
天国が買えるかを人に示す図表、地図、価格表を〈書物〉に読む
のか?
ソドムの道化にして使者たちよ!
おまえたちは人々に天国を売り、その代金として彼らの現世の分
け前を取ろうとする。
おまえたちはこの世を地獄にして、人々にそこから逃げるよう促な
がしながら、現世の深い塹壕へと自らを囲い込む。
どうしておまえたちは、人々に天国の分け前を売って、現世での
取り分を得るようにさせないのか?
もし自分の〈書物〉をよく読んだならば、あなたがたは、いかにす
ればこの世を天国に変えられるかを人々に示したいと思うだろう。
というのも、
天国の心を持つ者にはこの世が天国なのだから。
一方、俗世の心を持つものには天国が俗世である。
人間と同胞たちを隔てる柵、人間とあらゆる被造物を隔てる柵、
人間とあらゆる被造物を隔てる柵、人間と神を隔てる柵をすべて
取り払い、
人間の心に天国を顕現させなさい。しかしそのためには、
自らが天国の心をしていなければならない。
天国とは、買ったり賃貸したりする花咲く園のことではない。
そうではなく、天国とは、この地上と同じく無限の宇宙のいかなる
ところでも、到達可能な存在の状態のことである。
どうして首を伸ばし、目を天の彼方へ凝らすのか?
地獄とは、多く祈り、多く香を焚くことで逃れられる煮えたぎる熔
鉱炉のことではない。
そうではなく、地獄とは、この地上と同じく、地図のない無限の空
間のいかなるところでも、経験可能な心のありようのことである。
心を燃料とする炎からいかにして逃れようというのか?
自分の心から逃れられはしないというのに。
人間が影に所有されているかぎり、天国の追求はむ
なしく地獄からの逃避もむなしい。
何故なら、天国と地獄の両者は、ともに二元性におい
て相続される状態なのだから。
精神が単一となり、心が単一となり、身
体が単一とならない限り、そして影なき
者として意志が単一とならないかぎり、
人間は常に一方の足を天国に置き、もう
一方の足を地獄に置いているだろう。そ
してそれが本当の地獄である。
そう、光の翼を持ちながら、鉛の足を持つのは地獄以上に地獄。
希望によって浮かび上がりながら、絶望によって沈められるのは、
地獄以上に地獄。
恐れなき信念によって舞い上がりながら、恐れに満ちた猜疑によ
って萎縮するのは、地獄以上に地獄。
他人にとって地獄であるような天国は天国ではない。
他人にとって天国であるような地獄は、地獄ではない。
そしてしばしばある者の地獄が他の者の天国であり、ある者の天
国が他の者の地獄であるのだから、天国と地獄は、永遠に対立
する状態のことではなく、双方からの〈自由〉へ向かう長い巡礼の
旅の通過点である。
聖なる葡萄の巡礼者たちよ!
ミルダッドには、正義たらんとする者たちに売る天国もなければ、
保証する天国もない。
また、邪悪であろうとする者たちを脅かす、案山子としての地獄も
ない。
あなたがたの正義がそれ自身天国とならないかぎり、その正義
は束の間花咲いてそれから枯れることになる。
あなたがたの邪悪それ自身が案山子とならないかぎり、邪悪は
しばらく眠って、また適当な時季がくれば花咲くことになる。
あなたがたに提供するためのいかなる地獄も、いかなる天国もミ
ルダッドは持っていない。
ミルダッドが提供するのは、いかなる地獄の炎、いかなる天国の
贅沢をも超えてあなたがたをはるか高くに上げる〈聖なる理解〉だ。
手ではなく心で、この贈り物を受けなさい。そのために心は、理解
しようとする欲求と意志を除いて、あらゆる迷い出た欲求や意志
から解放されていなければならない。
あなたがたは、大地の見知らぬ客ではない。
あるいはまた、大地はあなたがたの義母ではない。
大地の中心の中心、髄の中の髄にあなたがたはいる。
大地は、たくましく広く頑丈な背にあなたがたを抱くのが嬉しい。
どうしてあなたがたは、ちっぽけで落ちくぼんだ自分の胸で大地
を抱くと言い張り、その結果として息を切らして喘ぐのか?
大地の乳房からは乳と蜜が流れ出ている。どうしてあなたがた
は、貪欲にかられ必要以上に取ることで、その乳と蜜を苦くする
のか?
大地の顔は澄みきって端正だ。
どうしてあなたがたは、苦々しい不信と恐怖にかられてその顔に
傷や皺をつけるのか?
大地は完全な統一体だ。
どうしてあなた方は、剣と境界線で大地を分割し
て止まないのか。
大地は素直で心労がない。どうしてあなたがたは、そんなにも
心労と反抗で一杯なのか?
しかしあなたがたは、大地よりも永続する。あなたがたは、太陽
や宇宙のあらゆる天体よりも永続する。
すべては過ぎ去るが、あなたがたは過ぎ去らない。
どうしてあなたがたは、風の中の木の葉のように震えるのか?
もしあなたがたに宇宙と一体であることを感じさせるものが他に
何もないとしても、大地のみはあなたがたにそれを感じさせる。
しかし
大地そのものは、あなたがたの影が映される鏡に過ぎない。
鏡は、それが映すもの以上のものか? 人間によって投げられた
影が、人間以上のものか?
目をこすり目覚めるがよい、あなたがた
は地球以上のもの。
あなたがたの運命は、生き、死にそして常に飢えている〈死〉の顎
に豊富な食糧を提供する以上のもの。
あなたがたの運命は生と死から解放されることであ
り。
天国と地獄から解放されること。
〈二元性〉の上で戦い合うすべての対立物から解放
されること。
永遠に実り豊かな神の葡萄園の実り豊かな葡萄になること。
みずみずしい葡萄のみずみずしい枝は、土に埋められると、根
を張り、究極はその母と同じく、一人立ちした実を結ぶ葡萄となる
が、母との関係は保たれたままだ。
これと同じく、聖なる葡萄のみずみずしい枝である人間は、おの
れの聖性の土壌に埋められると、神となり、永遠に神との一体を
保つ。
人間は〈生命〉に到るために、生きながら聖性の土壌に埋められ
ることになるのか?
そうだ、繰り返して言うが、そのとおりだ、
あなたがたは生死の二元性に対し死ん
で埋葬されない限りは、存在の単一性
へ目覚めることはない。
あなたがたが〈愛〉の葡萄に養われないかぎり、〈理解〉のワインに
満たされることはない。
そして、
あなたがたは、〈理解〉のワインに酔いしれないかぎり、〈自
由〉の口づけによって正気づくこともない。
土から採れた葡萄の果実を口にするとき、あなたがたが口にす
るのは〈愛〉ではない。
小さな飢えを癒すために、あなたがたはより大きな飢えを口にする。
土から採れた葡萄の血を飲むとき、あなたがたが飲むのは〈理
解〉ではない。
あなたがたが飲むのは、ほんの一瞬の苦痛の忘却であり、その
効き目が切れると、苦痛の鋭さは倍増する。
うんざりする自己から逃げ出しても、角を曲がったと
ころで再びその自己と会うことになるだけだ。
ミルダッドが提供する葡萄は、黴や腐敗にさらされる葡萄では
なく、ひとたびそれで満たされれば、永遠に満たされるような葡
萄だ。
ミルダッドが醸したワインは、焼かれることを恐れる唇には強すぎ
るが、永遠に自己を忘却して酔いしれることを願う心には活気を
与えるものとなる。
あなた方の中に私の葡萄がほしくてたまらない者はいるか?そ
の者達は籠を持って前にでなさい。
私の血を渇望する者はいるか?そのもの者たちは杯をもって来な
さい。
というのも、ミルダッドにはその作物が重く、血が溢れ返って息
が詰まりそうなのだから。
自己忘却を祝う日が〈聖なる葡萄祭〉
だった。
〈愛〉のワインに酔いしれ、〈理解〉の光輝に浸される日が〈聖なる
葡萄祭〉だった。
〈自由〉の翼のリズミカルな鼓動に恍惚となる日が、そして柵を
取り払い、すべての中の一つ、一つの中のすべてに溶け入る日
が〈聖なる葡萄祭〉だった。
しかし見よ、この祭りは今日どうなっているのか?
それは、病的なまでの自己肯定の週になっている。意地汚い貪
欲が意地汚い貪欲と商取引をする週、奴隷たちが奴隷たちと浮
かれ騒ぎ、無知が無知を堕落させる週になっている。
〈方舟〉自身も、かつては〈信念〉と〈愛〉と〈自由〉の蒸留所だ
ったが、今や巨大な葡萄搾り器となり、怪物じみた市場になって
いる。
現在の〈方舟〉は、葡萄園の産物を受け取り、それを売り物の麻
庫させるワインにして返す。
手のなす労働を、〈方舟〉は鍛造して手の枷にする。額の汗を、
〈方舟〉は額に熔印を押すための燃える炭火にする。
遠くへ、あまりにも遠くへ、〈方舟〉は定められた進路からそれて
しまった。
しかしながら今や舵は正しくとられた。
〈方舟〉はあらゆる死せる重石を取り除き、平穏かつ安全に自らの
進路を進むだろう。
それゆえ〈方舟〉へのあらゆる貢物は納めた者に返され、あらゆ
る負債は負債者から免除される。
〈方舟〉は神以外に与え手を知らず、神はいかなる人間にも-神
自身に対してさえも-負債がないことを望んでいる。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
第二十七章
贋の権威、恐怖の司令官
。
ミルダッド……風に乗るあなたの息が、どこかの胸に宿るのは確
かだが、誰の胸であるかを気にしてはならない。ただ息そのもの
が純粋であるか否かに気を配りなさい。
あなたの言葉が誰かかの耳を求め見いだすのは確かだが、そ
れが誰の耳であるかを気にしてはならない。
ただその言葉そのものが〈自由〉の真の使者であるか否かに気を
配りなさい。
あなたの語られざる思いが誰かの舌に伝わって、それが語られ
るのは確かだが、誰の舌でそれが語られるかを気にしてはならな
い。
ただ思いそのものが愛の〈理解〉に照らされているか否かに気
を配りなさい。
いかなる努力も無駄であったと考えてはならない。
蒔かれた種の中には、地中に何年もの間埋まっているが、適った
季節が訪れると、風のひと息で触発されてすばやく芽を出すもの
もある。
〈真実〉の種は万人と万物のうちにある。あなたがたの仕事は
〈真実〉の種を蒔くことではなく、それが発芽するための適切な季
節を準備することである。
永遠の中ではあらゆる物事が可能だ。したがっていかなる人間
の自由にも絶望してはならない。
そうではなく、すべてに対して-希求する者にも希求しない者に
も同様に-等しい信念と熱情を抱いて解放の知らせを伝えなさい、
なぜなら希求しない者は必ず希求するようになり、羽が生えて
いない雛は何時の日か太陽の下で翼を身に纏うようになり、その
翼で大空のさいはての場所にまで飛翔していくようになるだろう
から。
ミルダッド……シャマダムが害しているのは私ではない。シャマダ
ムが害しているのはシャマダムだ。
盲人たちに見せかけの権威をまとわせなさい、すると彼らは眼の
見える者たちの眼をすべてえぐり出すことを望むだろう。
盲人たちの眼が見えるようになるために、懸命に働いている者た
ちの眼までもえぐり出すことを望むだろう。
奴隷にたった一日だけ思いのままになる権力を与えてみなさい、
するとその奴隷は、この世界を奴隷の世界に変えるだろう。
彼が最初に鞭打ち、枷を課すのは、彼を解放しようと絶えず粉骨
砕身してきた者たちだろう。
世界のあらゆる権威は、その起源が何であれ、
贋物である。
それゆえ世界のあらゆる権威は、誰もあえてその贋の心を覗き込
まないよう、拍車を鳴らし、剣を振り回し、賑々しく飾り立てた行列
ときらびやかな儀式を駆る。権威は、ぐらつく王座に銃と槍で登る。
詮索好きな眼におのれの悲惨な貧しさを覗かれないために、権
威は、恐怖を呼び起こす魔除けと黒魔術の紋章で、虚栄に埋も
れた魂を飾り立てる。
権威を奮いたいと願う者にとって、権威は目隠しと呪いの両方
である。権威は、いかなる犠牲を払ってでも自らを守ろうとする。
たとえその犠牲が、権威を持つ者自身の破壊、それを受け容れ
る者の破壊、さらにそれを拒む者の破壊という恐ろしいものであ
ろうとも。
権威への欲求のために人間は絶えざる騒乱に
ある。
権威を持つ者は、権威を守ろうと常に戦っている。
権威を持たぬ者は、権威を持つ者の手からそれ
を奪い取ろうと常に闘争している。
その一方で人間、すなわち産着にくるまれた神は、戦場で足や
蹄に踏みつけられ、無視され、注意も愛も向けられないまま放置
されている。
その戦いはあまりにも激烈で、戦士はあまりにも血に狂っている
ので、贋の装飾に飾られた権威の顔から塗り込められた仮面を
剥ぎ取り、その怪物じみた醜さを白日の下にさらすために立ち止
まろうとする者は、なんということか、誰もいない。
信じなさい、仲間たちよ、測り知れない価値を持つ〈聖なる理
解〉の権威を除けば、いかなる権威も睫毛を動かすにも値しない。
〈聖なる理解〉のためには、いかなる犠牲も大き過ぎることはな
い。ひとたびそれに到れば、あなたがたは〈時間〉の終焉までそ
れを持つことになる。
それは、世界中のすべての軍隊が結集しても及ばないような強
大な力であなたの言葉を満たす。
そしてそれは、世界中の権威がすべて集まっても、夢見ることが
できないような素晴らしい恩恵であなたの行為を祝福する。
というのも、〈理解〉がそれ自身の楯、〈愛〉がその強力な武器な
のだから。
〈聖なる理解〉は迫害することもなければ、圧政をふるうこともない。
そうではなくそれは、露のように人間の不毛な心に降りて行く。
そしてそれはおのれを拒む者を、おのれを受け容れる者とまった
く同様に祝福する。
それはおのれの内なる力に完全な確信があるので、いかなる外
部の力にも頼らない。
それはあまりにも恐れがないので、誰かにおのれを押しつけるた
めの武器として恐怖を用いたりもしない。
世界は〈理解〉に貧しい、ああ、あまりにも貧しい。
それゆえ世界は、その貧しさを贋の権威のヴェールの背後に隠
すことを求める。
そして贋の権威は、贋の権力と攻撃及び防御の同盟を結ぶ。
この両者は、〈恐怖〉を司令官としている。そして〈恐怖〉はこの両
者を破壊する。
弱さを守るために連合しようとするのは、常に弱者ではなかった
か?
そうして世界の権威と血なまぐさい権力は、〈恐怖〉の鞭打ちの下、
手に手を携えて、〈無知〉に対する日々の税を戦いと血と涙で支
払う。
そして〈無知〉は優しく彼らすべてに微笑んで、「よくやった!」と
言う。
シャマダムがミルダッドを崖の底に引き渡したとき、彼は「よくや
った!」と自らに言った。
しかしシャマダムは、そうすることによって、私ではなく、自分自身
を崖に投げ込んだということを少しも考えていなかった。
なぜなら、崖はミルダッドをそのままにしておけないのだから。
それに対しシャマダムは、暗く滑りやすい崖の壁面をよじ登るた
めに、長く辛い骨折りをしなければならない。
世界のあらゆる権威は子供だましである。
〈理解〉においてまだ赤子である者たちには、それで好きに遊ば
せておくがいい。
しかしあなたがたは、いかなるものにも
自分を押しつけようとしてはならない。
というのも、力によって押しつけられた者は、遅かれはやかれ力
によって引き剥がされるからである
人間の生命に対するいかなる権威も求めてはならない。
そのような権威については、〈全能の意志〉が主人である。
あるいはまた、人間の所有物に対する如何なる権威も求めてはな
らない、
というのも、人間は自らの生命と同じく、自らの所有物さえも鎖で
繋がれているため、自らの鎖に干渉する者を信頼せず憎むから
である。
そうではなく、〈愛〉と〈理解〉によって人間の心に通じる道を探し
なさい。
その道がひとたび心に据えつけられれば、あなたがたは人間の
鎖をほどくために、よりよい仕事ができる。
なぜなら〈理解〉がランタンを携え、〈愛〉があなたがたの手を導
くからである。
第二十八章
ベタールの王子がミルダッドを拉致
ミルダッド……王権や王衣を保つためには、隣人を失わなければ
ならない。隣人を保つためには、それらを失わなければならない。
そして隣人を失うことは、自分自身を失うことだ。
ミルダッド……一人の人間、あるいは一つの事物の囚人であるこ
とは、それだけであまりにも辛く耐えがたい監禁だ。人間と一群の
事物から成る軍隊の囚人であることは、執行猶予なしの追放刑だ。
なぜなら、何物かに頼ることは、そのものに監禁されることなのだ
から。それゆえ、神のみに頼りなさい。なぜなら、神の囚人である
ことは、真に自由であることなのだから。
王子……それでは私は、自分自身、私の王座、私の家臣を防御
しないまま放置すべきなのですか。
ミルダッド……あなたは。自分自身を防御されないまま放置すべ
きではない。
王子……それゆえ私は軍隊を維持するのです。
ミルダッド……それゆえあなたは軍隊を放逐しなければならない。
王子……しかしそれでは、隣人がさっさと私の王国を侵略するで
しょう。
ミルダッド……彼はあなたの王国を侵略するかもしれない。しかし
誰もあなたを飲み込むことはできない。二つの監獄が一つに融合
しても、〈自由〉へのちっぽけな足場さえ作らない。誰かがあなた
を監獄から追い立てたなら、それを喜びなさい。しかしあなたの
監獄に自分を閉じ込めるためにやって来た者を羨んではならない。
ミルダッド……あなたは、平和を望んでいると言わなかったか?
王子……はい、私は平和を望んでいます。
ミルダッド……ならば戦ってはならない。
王子……しかし隣人が私に戦いを強いるのです。私と隣人との
間に平和が君臨するために。彼と戦わねばならないのです。
ミルダッド……隣人と平和に生きるために、彼を殺そうとするとは!
なんと奇怪な光景だろう!
死者とともに平和に生きてもなんの益もない。
しかし生者とともに平和に生きることは大いなる美徳だ。
もし、嗜好や興味が時折対立する、生きている人や物と戦わねば
ならないのなら、それらの人や物を創造した神と戦いなさい。
そして宇宙と戦争をしなさい。
というのも、宇宙には精神を混乱させ、心をわずらわせ。否応くあな
たの生におのれを押しつけてくる事物が無数にあるからだ。
王子……私は隣人と平和でいたいのに、隣人が戦いを望んでい
た場合、私はどうすべきなのですか。
ミルダッド……戦いなさい
王子……あなたは正しく助言して下さいました。
ミルダッド……そう、戦うがいい! しかし隣人とではない。むしろ
あなたと隣人を戦わせる原因となるすべてのものと戦いなさい。
なぜ隣人はあなたと戦いたがるのか?
彼の眼が薄茶色なのに、あなたの眼は青いからか?
彼が悪魔の夢を見るのに、あなたは天使の夢を見るからか?
あるいはあなたが彼を自分自身のように愛していて、自分のもの
すべてを彼のものとするからか?
王子よ、隣人があなたと戦いたがるのは、あなたの王衣、王座、
富、栄光、そしてあなたが囚人とされているものを求めてのことな
のだ。
あなたは彼に対して槍を上げることなく、彼を打ち負かしたいか?
ならば彼を出し抜いて、自らそれらのものに対して宣戦布告し
なさい。あなたが魂からそれらのものの支配権を取り除くことで、
それらのものを征服したとき、すなわち、あなたがそれらをごみの
山に捨て去ったとき、おそらく隣人は行進を止め、剣を鞘に収め
て言うだろう。「もしこれらのものが戦いに値するなら、私の隣人は
それをごみの山に捨て去りはしなかったろう」
もしあなたの隣人が狂気のままに、そのごみの山を運び去った
なら、自分がそのような有害な重荷から引き離されたことを喜び、
しかし隣人の運命に対して悲しみなさい。
王子……私のあらゆる所有物よりはるかに大切な私の名誉はど
うなるのです?
ミルダッド……人間の唯一の名誉は、人間であること、つまり神の
生ける似姿にして肖像であること。他のすべての名誉は、不名誉
だ。
人間によって与えられた名誉は、簡単に人間によって奪い取ら
れる。
剣によって書かれた名誉は、剣によって簡単に消し去られる。
いかなる名誉も、王子よ、錆びた矢の価値もない。
ましてや熱い涙の価値もなく、血の一滴の価値もない。
王子……そして自由は、私の自由と私の配下の人々の自由は、
最大の犠牲を払う価値がないのですか。
ミルダッド……真の〈自由〉は、自己を犠牲にするに値する。
あなたの隣人の武器がそれを奪い取ることはできない。
また、あなた自身の武器がそれを勝ち取ることもできないし、守る
こともできない。そして戦場は、真の〈自由〉にとっては墓場だ。
真の〈自由〉を勝ち取るのも、敗れ失うのも、心の中でだ。
あなたは戦争をしたいのか? ならば自分の心の中で心に対し
て戦争をしなさい。
あなたの世界を息詰まる檻にするすべての希望と恐怖とむなしい
願望の武装から、あなたの心を解き放ちなさい。
そうすれば心が宇宙よりも広大であるとわかるだろう。
そのときあなたは、意のままに宇宙を徘徊するだろう。
そのとき妨げとなるものは何もないだろう。
これが行うに値する唯一の戦争だ。このような戦争に従事する
と、他の戦争にかかずらう時間はもはやないだろう。
他の戦争はあなたにとって、精神を惑わせ、力を吸い取り、かくし
て真の聖戦である自分自身との大いなる戦争での敗北を引き起
こす、いまわしい獣性、悪魔的な策略となるだろう。
その大いなる戦争に勝つことは、不滅の栄光を勝ち取ること。
しかし他の戦争での勝利は、手ひどい敗北より悪い。
そして勝者と敗者がともに敗北を喫することが、あらゆる人間の戦
争の恐ろしいところだ。
あなたは平和を望むのか? 言葉による記録にそれを探し求め
てはならない。
あるいはまた、岩にまでもそれを刻み込もうと苦闘してはならない。
というのも、「平和」と安易に書きちらすペンは、同じ安易さで「
戦争」と書くこともできるのだから。
そして「平和でいよう」と彫る鑿は、簡単に「戦争をしよう」と彫るこ
ともできる。
その上、紙と岩、ペンと鑿はじきに、蛾や腐敗、錆や元素を変化
させるあらゆる錬金術の攻撃にさらされる。
〈聖なる理解〉の牙城である、時間を超越した人間の心はそうで
はない。
ひとたび〈理解〉がヴェールを脱がされれば、勝利は得られ、平
和が心の中に永遠に確立される。
理解する心は、戦争に目が眩んだ世界の只中でさえ、
常に平和である。
無知な心は二元の心である。二元の心は二元の世
界を助長する。
二元の世界は絶えざる闘争と戦争を生み出す。
それに対して、理解する心は単一の心である。
単一の心は単一の世界を助長する。
単一の世界は平和の世界だ。なぜなら、戦争をするに
は二者が必要なのだから。
それゆえ私は、心と戦争をして、それを単一にするよ
う助言する。
その勝利の戦利品は、永続する平和だ。
王子よ、あなたが、いかなる石にも王座を見ることができるとき、
いかなる洞穴にも王城を見いだすことができるとき、太陽は嬉々
としてあなたの王座となり、星座は嬉々としてあなたの王城となる
だろう。
野に咲くいかなるひな菊もあなたに勲章として仕える用意があり、
いかなる虫もあなたの先生にふさわしいとき、星々は喜んであな
たの胸で勲章のポーズを取り、大地は進んであなたの演壇とな
るだろう。
あなたが自分の心を支配できるとき、誰があなたの体
を名目上支配するかに、なんの重要性があろうか?
全宇宙があなたのものであるとき、誰が地上のあれや
これやの地域を支配するかに、なんの重要性があろう
か?
王子……あなたの言葉はとても魅力的です。でも私には、戦争
が〈自然〉の法であるように見えます。海の魚でさえも、絶えず戦
争のうちにいるのではありませんか? 弱者は強者の餌食となるの
ではありませんか? そして私は誰の餌食にもなりたくないのです。
ミルダッド……あなたに戦争と見えるものは、〈自然〉が自らを養い
繁殖させるやりかたに過ぎない。弱者が強者の食料にされるのに
負けず劣らず、強者は弱者の食料にされる。しかし〈自然〉の
中で誰が強者で、誰が弱者なのか?
〈自然〉のみが強者だ。他のものはすべて、〈自然〉の意志に従
い、従順に〈死〉の河を流れ下って行く。
不死なるもののみが強者と分類されうる。そして人間は不死で
ある、王子よ。そう、人間は〈自然〉より力強い。人間が〈自然〉の
中の肉を持つ生命を食べるのは、肉のない自分の生命に到達す
るためだ。人間が自らを繁殖させるのは、ただ自己繁殖を超えた
高みに自らを登らせるためだ。
自分の不浄な欲求を獣の浄らかな本能で正当化しようとする者
たちには、自らを豚、狼、ジャッカル、あるいはその類のものと呼
ばせておきなさい。しかし彼らに人間の尊い名前を汚させてはな
らない。
ミルダッド……私のためにほんの少しも心をわずらわせることはな
い。平和でいなさい。いつの日かこれと同じことを彼らはあなたが
たにもするだろう。
しかし彼らが害しているのはあなたがたではなく、
彼ら自身である。
第二十九章
ミルダッドの帰還
ミルダッド……私には、台所では知られていない食べ物と、羊毛
の布や火の舌から借りられたのではない暖かさがある。
人間の生と死は、冬眠に過ぎない。
私が来たのは、人間を眠りから揺さぶり起こし、その巣と穴から
呼び出して、不死の〈生命〉の自由へと連れて行くためだ。
第三十章
解き明かされたミカヨンの夢
・・・・かくも細部にいたるまで
その夢を物語れるのですか。人の夢までも手に取るようにわか
るあなたは、一体どんな類いの人間なのでしょうか。
第三十一章
大いなる郷愁
ミルダッド……〈大いなる郷愁〉は霧のようだ。霧が、海と陸から
湧き上がり、海と陸をともに覆い隠すように、〈大いなる郷愁〉は
心からほとばしり出て、心を塞いでしまう。
また霧が、眼に見えるものの現実性を奪い取って、霧のみを唯
一の現実とするように、この〈郷愁〉は、心の感情を征服し、おの
れを最高の感情としてしまう。そして一見したところ、霧のように、
形がなく目的がなく盲目なのに、それでいて霧と同じように、いま
だ生まれていない形に満ち、視界は明瞭で、きわめて明確な目
的を持っている。
〈大いなる郷愁〉はまた、熱のようだ。熱が体の中で燃え、体
の生気を吸い収りながらも、体内の毒を焼き尽くすように、この
〈郷愁〉は、心の軋榛から生まれ、心を衰弱させながらも、心の垢
と埃を燃やし尽くす。
そして〈大いなる郷愁〉は泥棒のようだ。こそこそと這い回る泥
棒が、被害者を重荷から解放しながらも、被害者にいたく苦々し
い思いを残すように、この〈郷愁〉は盗み取ることによって、心
のあらゆる重荷を取り去りながらも、心に常ならぬ鬱々たる思い
と、重荷の欠如からくる重圧感を残す。
うわべは油断なく完全に目覚めている世界の只中で、〈大いな
る郷愁〉を持つ男は夢遊病者だ。彼は、周りの者が見ることも感じ
ることもない夢へと引き寄せられる。それゆえ周りの者たちは、肩
をすくめ、袖の後ろで忍び笑う。しかし恐怖の神-炎と煙を噴出
する牡牛-が現れると、彼らは這いつくばらされて塵を舐めさせ
られることになる。それに対して、彼らが肩をすくめ、袖の後ろで
忍び笑った夢遊病者は、〈信念〉の翼によって彼らや牡牛の上に
引き上げられ、はるか向こう岸に渡され、岩山のふもとにまで運ば
れる。
その夢遊病者が飛びながら越える土地は、府せて荒廃し、寂
寞としている。しかし〈信念〉の翼は強靭で、男は飛び続ける。
彼は、陰影で草木とてなく、身の毛もよだつばかりの山のふもと
に降り立つ。しかし〈信念〉の心は不屈で、男の心臓は大胆に鼓
動し続ける。
山に登るために男が通る道は、岩が多く、滑りやすく、かろうじ
て判別できるほどの小道。しかし〈信念〉の手は絹のように柔らか
く、足取りは堂々とし、眼光は鋭い。そして男は登り続ける。
その途上、広くなだらかな道に沿って山に登ろうと苦労している
男女の一群に遭遇する。彼らは〈小さき郷愁〉を持つ男女であり、
頂きに辿り着きたいと願うのだが、足が悪く盲目の導き手を連れ
ている。眼で見えるもの、耳で聞けるもの、手で感じられるもの、
鼻で匂えるもの、舌で味わえるものへの信頼を、彼らは導き手とし
ている。彼らの中には、山の麓までしか登れない者もいる。
ある者は膝まで、ある者は腰まで辿り着くが、山の胴にまで来る者
は滅多にいない。しかし彼らは皆、美しい頂きを一瞥さえしない
で、導き手とともに滑り落ち、山から転げ落ちて行く。
眼は見るべきものすべてを見ることができるのか? 耳は聞くべ
きものすべてを聞くことができるのか? 手は感じるべきものすべ
てを感じることができるのか? 鼻は匂うべきものすべてを匂うこと
ができるのか? あるいは舌は味わうべきものすべてを味わうこと
ができるのか?
神聖な(想像力)から生まれた(信念〉に助けられ
たときにのみ、それらの感覚は真に感覚する。
そうした時にのみ感覚は導きへの梯子となる。
(信念)を欠く感覚は、最も頼りにならない導き手である。その道
はなだらかで広いように見えるけれども、隠れた罠や陥穿に満ち
ている。〈自由〉の頂きに向かうためにその道を行く者は、途上
で果てるか、滑って転げ落ち、出発点のふもとに戻るかのいずれ
かである。そこで彼らは、多くの折れた骨を手当てし、多くの切り
裂かれた傷口を縫う。
〈小さき郷愁〉の者たちは、自らの感覚によって世界を築いた
が、すぐにそれが狭く息苦しいと感じるようになる者たちである。
そこで彼らは、より広く、より風通しのよい家を求める。しかし、新
しい材料と新しい建築の達人を探す代わりに、元の材料をかき回
し、同じ建築士-感覚-を呼び出して、自らのためにさらに広い
家を設計し建てるよう依頼する。新しい家が建つが早いか、
彼らはその家が元の家と同じほど狭く息苦しいことを発見する。
それゆえ彼らは家を建てては壊し続けるが、決して自らの望むよ
うな、安息と自由をもたらしてくれる家を建てることはできない。
というのも、彼らは自らを欺瞞から救うために、その欺瞞者に頼
っているからである。魚がフライパンから飛び出して炎へと突っ込
むように、彼らは小さな蜃気楼から逃れて、より大きな蜃気楼へ
とおびき寄せられるだけとなる。
〈大いなる郷愁〉の人間と〈小さき郷愁〉の人間の間には、まっ
たく郷愁を感じない兎人間の大群がいる。彼らは兎穴を掘って生
活し、繁殖し、死ぬことに満足している。おのれの住処の穴が、
きわめて優雅で、広々として暖かいと思い、自らの住居を輝かし
い王宮とさえ交換したくないと思う。彼らはすべての夢遊病者の
ことを嘲笑う。とりわけ、足跡がほとんどなく、辿るのがいたって
困難な孤独の小道を歩む者に対しては。
あなたはこの世界のよそ者になる。
それは、
あなたの想像力を、感覚の独占的支配から解き放つ、そ
して想像力はあなたに(信念)を生じさせる。
(信念)はあなたを、よどんで息の詰まるこの世界から高く飛翔さ
せ、荒涼として何もない土地の上を渡らせ、岩山まで導く、そこで
あらゆる信念は試練を受け、(死)の澱を最後の一滴まで浄化し
なければならない。
完全に浄化され勝利に満ちた信念は、永遠に緑なす頂の境界
にまであなたを導き、そこであなたを理解の手に引き渡す。仕事
が完了した信念は引退し、理解があなたを言葉では言い表せな
い自由の頂にまで導く。その頂は真実であり、限りなきものであり、
神と(克服する人間〉をすべて含むわが家である。
私がのびのびと呼吸できるところで、あなたは息ができず喘ぐこと
になる。私が軽やかに歩くところで、あなたは息切れして蹟く
ことになる。しっかりと〈信念〉を保ちなさい。そうすれば〈信念〉は
巨人の歩みをなすだろう。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
第三十二章
無花果の葉の前掛け
ミルダッド……あなたがたは〈罪〉のことを教わっているので、人間
がいかにして罪人となったか知りたいだろう。
あなたがたは、もし神の似姿にして肖像である人間が罪人であ
るならば、神自身が〈罪〉の源泉であるに違いないと宣言する・・
しかし、そう宣言したところで何の益もない。信じて疑わないことの
罠がここにある。そして私は、私の同行者たちに、罠に陥ってもら
いたくない。それゆえあなたの道からこの罠を取り除こうと思う。
それによって、あなたがたが人間の道からこの罠を取り除けるよう
に。
神にはいかなる罪もない。太陽が蝋燭に光を与えることが罪で
ないかぎりは。あるいはまた、人間にもいかなる罪もない。蝋燭が
太陽の下で自らを燃やし尽くして、太陽へと融け合うことが罪で
ないかぎりは。
しかしながら光を放とうとしない蝋燭には罪がある。そのような蝋
燭は、芯に点火するためにマッチがもたらされても、マッチとそれ
を運んだ手を呪咀する。太陽の下で燃えることを恥じる蝋燭には
罪がある。それゆえそのような蝋燭は、自らを太陽から仕切りで
隔て隠そうとする。
人間は〈法〉に従わないことで罪を犯すのではない。むしろ〈法〉
を知らないことを覆い隠そうとして人間は罪を犯す。
そう、無花果の葉の前掛けには罪がある。
あなたがたは人間の堕落の話を読んだことがあるのではないか?
言葉はきわめて簡潔で素朴だが、意味においてはこの上なく崇
高で繊細な話を? 人間が神の胸から離れたばかりの時は、幼
い神のように、いかに受け身で、活動的でなく創造的でもなかっ
たかを読んだことがあるのではないか? 神性のあらゆる属性を
賦与されていながら、人間は、あらゆる幼児と同じように、自らの
無限の能力と才能を知ることができず、ましてや使いこなせずに
いた。
エデンの園にいるアダムは、美しいガラス層に入れられた孤独
な種子のようだった。ガラス層の中の種子は、いつまでも種子の
ままであり、その皮の中に封じ込められた驚嘆すべきものが生命
と光へ呼び起こされることは決してない。種子が、その性質に適
った土壌に埋められて、自らの皮を破らないかぎりは。
しかしアダムには、自らを植え付け発芽させるための、自らの性
質に適った土壌がなかった。
彼には、おのれの顔を反映する血縁の顔がどこにもなかった。
彼の耳には、いかなる人間の声も聞こえてこなかった。彼の声は、
いかなる人間の喉からも反響して返ってこなかった。彼の心臓に
は孤独な歌唱が鼓動していた。
すべてのものが番いを持って、自らの進路を進み始めた世界の只
中で、アダムはI人きりだった。
―まったく1人きりだった。彼は自らにとって見知らぬ客だった。彼
にはなすべき仕事もなければ、従うべき定められた進路もなかっ
た。彼にとってエデンは、赤ん坊にとっての心地よいベビーベッド
のようなものだった。つまり彼にとってエデンは、受け身の至福の
状態―-きちんと装備された孵化器だった。
〈善〉と〈悪〉の知識の樹と、〈生命〉の樹は、ともに彼の手の届
くところにあった。しかし彼は、手を伸ばしてその果実をもぎ取り、
味わおうとはしなかった。というのも彼の味覚と意志、彼の思想と
欲求、そして彼の生命までもが彼のうちに包み込まれていて、ゆ
るゆるとほどかれるのを待っていたのだから。彼は、自らほどくこ
とができなかった。それゆえ彼は、自らのうちから協力者-彼の
多くの包みをほどくのを助ける手-を生み出すこととなった。
自分自身の存在以外に、彼はどこから助けを得ることができたろ
うか?というのも彼の存在は、神性があまりにも力強いがゆえに、
助力にこと欠かなかったのだから。そしてそれが最も重要なことだ。
イブは新しい塵、新しい息ではない。イブはまさにアダムの塵で
あり息だーその骨は彼の骨であり、その肉は彼の肉だ。別の被
造物がそこに顕れたのではない。全く同一のアダムが双子にされ
たのだー男のアダムと女のアダムに。
このようにして鏡に反映されなかったこどくな顔が、鏡となる伴侶
を得た。如何なる人間の声にも反響されなかったその名前が甘
いリフレーションでエデンの小道を上下に反響し始めた。孤独な
胸に包まれて、孤独な鼓動を打っていた彼の心臓は、伴侶の胸
に心臓の鼓動を感じ、鼓動を聞き始めた。
このようにして火花のない鋼鉄は。豊かな火花をもたらす燧石に
遭遇した。このようにして燃えていなかったろうそくは両端から火
を付けられた。
ろうそくは一つであり、芯は一つであり炎は一つである、一見それ
らは対極から生じているように見えるけれども、こうしてガラス壜の
中の種子は発芽して、己の神秘を開示できる土壌を見いだした。
これと同じようにして、
自らを統一であると意識して
いない統一が二元性を生じさせる。
それは、
そのような〈統一〉が、〈二元性〉の軋蝶
と対立によって、
自らの統一を理解するようになるため
である。
この点において、
神の忠実な似姿であり肖像である人間も同様である。というのも
神-〈始源の意識〉-は、自分自身から
〈言葉〉を発するからである。
そして〈言葉〉と〈意識〉の両者は、〈聖な
る理解〉の中で統一される。
二元性は罰ではなくて、統一の世界に
内在し統一の神性を開示するために必
要な過程である。
これ以外の考え方は、子供じみている。このような途轍もない過
程が七十年のうちに完了すると信じるのは、子供じみている。た
とえそれが七十年でなく、六千万年だとしても。
神になることは、そんなに小さな事柄だろうか?
神はそのような、残忍で吝嗇な監督者だろうか? 分配できるあ
らゆる永遠があるのに、人間に七十年ごときの短い期間しか割り
当てず、それだけの期間で人間に、自らの神性と神との一体に
完全に目覚め、自分自身を統一し、エデンを回復しなければな
らないと定めるような?
〈二元性〉の経路は長い。その経路を暦で測ろうとする者は愚か
しい。〈永遠〉は星々の回転を数えない。
受け身で、活動的でなく創造的でもなかったアダムが、二元的
にされてのも、すぐさま積極的で活動的になり、創造し、自らを繁
殖できるようになった。
二元的にされたアダムの最初の行為は何だったか? それは、
〈善〉と〈悪〉の樹の実を食べ、全世界を自らと同じく二元的にす
ることだった。事物はもはや以前と同じではなくなった。以前の
ように無垢で無関心ではなくなった。事物は、善か悪、有益か有
害、快か不快のどちらかになった。
それらは、以前は一つだったけれども、対立する二つの陣営に
なった。
そしてイヴに〈善〉と〈悪〉を味わうようそそのかした蛇とは何である
か? それは、活動的だがいまだ何の経験もしていない〈二元
性〉が、自らを、活動し、経験するようせきたてた、〈二元性〉の
より深い声ではなかったか?
イヴが最初にその声を聞き、それに従ったのは、何ら驚きでは
ない。というのもイヴはいわば刺激剤なのだから。彼女は、伴侶の
隠された力を引き出すよう設計された道具なのだから。
あなたがたは、この最初の人間の物語の中で、次のような光景
を思い描くために、しばしば立ち止まらなかったか? それは、
最初の女性がひどく神経を高ぶらせ、心臓を籠の中の鳥のように
どきどきさせ、監視の目がないかとあらゆる場所に首を巡らせなが
ら、エデンの樹々の間をこっそりと忍び歩き、誘惑する果実に涎
を垂らしつつ震える手を伸ばす光景である。彼女が果実をもぎ
取り、はかない甘さを味わうために、その柔らかな果肉に歯を沈
めたとき、あなたがたは、はっと息を呑まなかったか? そのはか
ない甘味は、彼女自身と子孫すべてにとって永続する苦味へと
変わることになった。
あなたがたは、心のすべてをこめて、願わなかったか? 神が、
この話にあるように後から現れるのではなく、イヴが今にもむこう
みずな行動をしようとしているまさにそのときに現れて、彼女の狂
った無謀な行為の機先を制するようにと。そしてイヴが行いを完
了した後でも、アダムには、共犯になるのを避ける知恵と勇気が
あるよう願わなかったか?
しかしながら神は介在せず、アダムも共犯になるのを避けようとは
しなかった。なぜなら、神は自分の似姿が自分に似ないでいるこ
とを望まなかったからである。人間が〈二元性〉の長い道を歩むよ
うになることは、神の意志であり計画だった。それは、人間が自ら
の意志と計画を展開させ、自らを理解によって統一するためであ
る。アダムに関しては、妻によって差し出された果実を口にしない
でいることは、たとえ彼が望んだとしても、不可能だった。妻がそ
れを口にしたとの理由だけで、それを口にすることは義務として
彼にのしかかってきた。というのも二人は一つの肉体であり、い
ずれも相手の行為に対して責任があったのだから。
神は、人間が〈善〉と〈悪〉の果実を食したがゆえに、憤慨し激
怒したか? 断じてそのようなことはない。というのも神は、人間
が果実を口にせざるを得ないと知っていたし、それを望んでも
いた。しかし同時に神は、前もって人間が、それを口にすることの
帰結を知り、その帰結に直面するだけの活力を持つことをも望ん
でいた。そして人間は活力を持っていた。そして人間はそれを食
べた。そして人間はその帰結に直面した。
その帰結とは〈死〉だ。というのも、神の意志によって活動的に
二元的となった人間は、直ちに受動的な統一に対して無感覚に
なったからである。
したがって〈死〉は罰ではなく、〈二元性〉に内在
する生の一局面である。
なぜなら、〈二元性〉の性質は、万物
を二元的にして、あらゆるものに影を生じさせることなのだから。
それゆえアダムは、イヴによって自らの影を得た。そして両者は
自分たちの生に〈死〉と呼ばれる影を得た。しかしアダムとイヴは、
〈死〉によって影をつけられながらも、神の生の中で影のない生を
保ち続ける。
〈二元性〉は絶えざる軋慄である。そしてその軋蝶は、対立す
る二者が互いを絶滅させることに熱心であるという幻想を与える。
実際は、みかけは相反するものが互いを完成させ合い、互いを
充足させ合い、于に手を取り合って同一の目的-完全な平和、
統一、そして〈聖なる理解〉のバランス-のために働いているので
ある。しかしこの幻想は感覚に根ざしており、感覚が持続する間
は、この幻想も持続する。それゆえアダムは、自らの眼が開いた
後、神の呼びかけに対してこのように答えた。「私は園であなたの
声を聞きました。そして私は裸でしたから、恐れて身を隠したので
す」。また、「あなたが私に下さった女性が、樹から実を取ってくれ
たので、私は食べたのです」イヴは、アダムの骨そのもの、肉そ
のもの、それ以外の何物でもない。しかしながら、新しく生まれた、
アダムのこの私のことを考えてみなさい。
それは、自分の眼が開いた後、自らをイヴや神や神のすべての創
造物とは異なり、離れ、独立したものだと見始める。
この私は幻想、神から分離したこの人格
は、新しく開いた眼の幻想。この幻想の自
己は実体がなく現実性もない。
それが生まれたのは、人間がこの自己の
死を通じて自らの本来の自己、即ち神の
自己を知るためである。
この幻想は外の目が眩まされ、内の目が
輝かされるときには消え去る。
この幻想にアダムは悩まされたけれども、同時に彼は精神を強く
たぶらかされ、想像力を誘惑された。完全に自分自身のものと
呼べる自己を持つこと-これは、いかなる自己をも意識していな
い人間にとって本当にあまりにも快く、あまりにも誘惑的な甘言で
ある。
そしてアダムは、幻想の自己に誘惑され、おもねられた。彼は、
幻想の自己があまりにも非現実的、あるいはあまりにも露わである
ゆえに恥じたけれども、だからと言ってそれを手放そうとはしなか
った。その代わりに彼は心のすべてと、新しく生まれた自分の技
巧のすべてをもってそれにしがみついた。彼は無花果の葉を縫
い合わせ、自らの裸の人格を覆い隠し、すべてを見通す神の眼
から自らを遠ざけるための前掛けを自らのためにこしらえた。
こうして人間は、無花果の葉の前掛けをして二元的になることで、
至福に満ちた無垢の状態であり、自らが統一であることを意識し
ていない統一であるエデンを失ってしまった。そして炎の剣が、
人間と〈生命の樹〉との間に置かれた。
人間は〈善〉と〈悪〉という一対の門を通ってエデンを出て行った。
人間は〈理解〉という単一の門を通ってエデンに入ってくるだろう。
人間は〈生命の樹〉を背に出口から出
て行った。
人間は〈生命の樹〉と正面から向かい
合って再入場するだろう。
人間が長い試練へと旅立ったとき、自らの裸を恥じ、自らの恥を隠
すことに気を配っていた。旅の目的地に到達するとき、人間は裸身
に前掛けを掛けず、心は自らの裸を誇っているだろう。
しかしそのことは、人間が〈罪〉によって〈罪〉から解き放たれる
までは起こらない。というのも、〈罪〉はやがて自己解消するからだ。
そして〈罪〉とは、無花果の葉の前掛け以外の何物だろうか?
そう、人間が自分自身と神の間-はかない自己と永続的な〈自
己〉との間-に据えた仕切り以外の何物も〈罪〉ではない。
初めはほんのささやかな無花果の葉に過ぎなかった仕切りが、
今や強大な砦になっている。人間は、エデンの無垢から脱してよ
りこの方、前にも増して無花果の葉を積み上げ、前掛けに次ぐ前
掛けを縫う仕事にすこぶる熱心だった。
怠惰な者たちは、おのれの前掛けのほころびに、より仕事熱心
な隣人たちが捨てた前掛けの切れ端でつぎを当て続けることに
満足している。そして〈罪〉の衣裳のつぎはては、ことごとく罪であ
る。
なぜならそれは、恥、すなわち、神から分離しているという、人間
の最初のきわめて痛切な感情を持続させることに資すからだ。
人間は自らの恥を克服しようとするほかに、何をしているのか?
ああ! その労働はすべて、恥の上に恥を重ねること、前掛け
の上に前掛けを重ねることだ。
人間の技術や学問は、無花果の葉以外の何なのか?
始終戦争に従事している人間の帝国、国家、対立する民族、
そして宗教は、無花果の葉を崇拝する諸宗派ではないか?
人間の善悪、名誉と不名誉、正義と不正の掟、人間の無数の
社会的信条や因習――それらは無花果の葉の前掛けではない
か?
価値の測れないものの価値を測り、測定できないものを測定し、
いかなる尺度も超えているものを標準化することーこれらすべて
は、つぎだらけの腰布につぎを当てることではないか?
人間の、おのれを苦痛で満たす快楽への貪欲、おのれを貧し
くする富への強欲、おのれを隷属させる支配への渇望、おのれ
を非昇華する栄光への欲求―これら全ては、あまりにも多くの無
花果の葉の前掛けではないのか?
人間は、自らの裸を覆い隠そうとする哀れむべき奮闘によって、
あまりにも多くの前掛けを着用した。前掛けは、長い年月を経てあ
まりに強く皮膚に貼りついてしまい、もはや皮膚と区別されていな
い。そして人間は息を切らし喘いでいる。人間は幾重にも重なっ
た皮膚から解放されることを懇願している。しかし、妄想のうちに
ある人間は、自らを重荷から解き放つために、あらゆることをしよ
うとするが、真にそれを実現する唯一のことだけはしようとしない。
その唯一のこととは、おのれの重荷を投げ捨てることだ。彼は、
余分な皮膚を取り除くよう望みながら、一方で全力をこめてそれ
にしがみつく。裸になることを望みながらも、完全に着飾ったまま
でいようとする。
裸になるときは近づいた。私か来たのは、あなたがたが余分な
皮膚-無花果の葉の前掛け-を脱ぎ捨てるのを助け、それによっ
てあなたがたもまた、世界のすべての希求者たちが余分な皮膚
を脱ぎ捨てるのを助けられるようにするためだ。
私は道を示すだけだが、おのおのは自ら余分な
皮膚を脱がなければならない。
たとえそれがいかなる痛みを伴おうとも。
あなたがたを自分自身から救済する、いかなる
奇蹟も待ち望んではならない。あるいはまた、苦痛
を恐れてもならない。なぜなら
裸の〈理解〉は、苦痛を永続する喜びの法悦に変え
るからだ。
そのときあなたがたは、〈理解〉の裸のうちで自らと向かい合った
としても、そして神に呼び掛けられて「あなたがたはどこにいるの
か?」と訊ねられたとしても、恥じ入ることなく、恐れることなく、神
から隠れようともしないだろう。むしろ震えることなく、縛られること
なく、神々しく晴れやかに、神に答えるだろう。
「私達を見て下さい、神よ-私達の魂、私達の存在、私達
の唯一の自己を、恥と恐れと苦痛のうちに私達は、あなたが
時間の曙で私達に定めた、長く厳しく苦しい善と悪の道を歩
んできました。
大いなる郷愁が足を促し信念が心を支え、今や理解が重荷を
取り除き、傷口を塞ぎました。かくて私達は善と悪を脱ぎ生と
死を脱ぎ、二元性のあらゆる幻想を脱ぎ、全てを抱擁する自己
以外のあらゆる自己を脱ぎあなたの聖なる臨在の元に戻って
きました。
裸身を隠すいかなる無花果の葉もなく、あなたの前に、恥じる
ことなく、恐れることなく、光明を得て私たちは立ちます。
見て下さい、私たちは統一したのです。
見て下さい、私たちは克服したのです。
そして神は無限の愛をもってあなた方を抱擁し、まっすぐにあなた
方を神の生命の樹へと連れて行くだろう。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
ナロンダ・・以上も又師が暖炉の周りで語ったことである。
第三十三章
夜・・・比類なき歌い手
ミルダッド……夜の静けさの中でミルダッドはあなたがたに、〈夜〉
の歌を聴いてもらいたい。
〈夜〉の合唱に耳を傾けなさい。というのも〈夜〉はまことに、比類
なき歌い手なのだから。
最も暗い過去の裂け目から、最も明るい未来の王宮から、天空
の絶頂から、大地のはらわたから、〈夜〉の声は湧き起こり、宇宙
のさいはての地にまで押し寄せる。
それは、力強い波動をあなたがたの耳の周りで震動させ渦巻か
せる。その声がよく聴こえるよう、耳から重荷をきちんと取り除きな
さい。
せわしい〈昼〉が無頓着に消し去るものを、悠然たる〈夜〉は見
事な魔法で復元する。
月や星々は、ぎらぎらまばゆい〈昼〉には身を隠すではないか。
〈昼〉が見せかけのごたまぜの中に沈め隠すものを、〈夜〉はゆっ
たり落ち着いた法悦のうちに広やかに詠唱する。草の葉の夢で
さえも〈夜〉の合唱に感じ入る。
星々に耳傾けよ。
星々が天空を巡りながら
歌う子守歌を聴け。
流砂の揺藍で
すやすや眠る巨人の嬰児に
貧者の襤褸をまとう王に
桎梏につながれた稲妻に
産着にくるまれた神に
歌う子守歌を聴け。
一時に産気づき、乳を与え、育み
結婚し、埋葬している大地に耳傾けよ。
森では野獣どもが徘徊し
吠え、唸り、引き裂き、引き裂かれ
地を這うものどもはおのが道を行き
虫たちは神秘の歌をハミングし
鳥たちは夢の中で
牧場の物語、流れの歌を試演し
巨木や濯木。そしてあらゆる息づくものは
死の杯で生を鯨飲する。
頂きと谷あいから
砂漠と海から
大気中から、そして土中から
〈時間〉のヴェールに覆われた神を
呼び寄せる声が響きわたる
世の母たちが
涙し、嘆くのを聞け。
世の父たちが
苦悶し、呻吟するのを聞け。
その息子と娘たちが
銃へと走り、銃をかさにきて
神をののしり、運命を呪い
愛を装い、憎しみを呼吸し
熱意を呑み込み、恐怖を発汗し
微笑みの種を蒔き、涙を収穫し
水嵩の増していく洪水の怒りを
深紅の血で刺激するのを聞け。
彼らの飢えた腹が縮み
涙に腫れたまぶたが瞬き
しなびた指が
死せる希望を手探りするのを聞け。
彼らの心臓は膨張して裂け
累々と積み重なる。
悪鬼めいた兵器がゴロゴロと鳴り
侶傲の町が崩壊し
強大な要塞が
自らの弔鐘を鳴り響かせるのを聞け。
そして古えの記念碑は
泥と血の沼で濡れそぼつ。
義しき者の祈りが
淫らな者の金切り声と共鳴し
子どもの無邪気なお喋りが
よこしまな俗談と朗唱し
少女の頬を染める微笑みが
ごろつきの陰険さと嚇り
勇者の熱情が
悪党の陰謀を口ずさむのを聞け。
眠りに包まれるあらゆる寝床で
〈夜〉は人間の戦闘を讃えて喇叭を吹く。
しかし魔女の〈夜〉は
子守歌、挑戦、戦闘讃歌、そしてなべてのものを巧みに調合し
聞き取れないほど繊細な歌に仕立てる―
この上なく荘厳で、無辺に広がり
無上に荘重な音調とまろやかなリフレーンの歌に―
この歌に比べれば、天使たちの合唱と交響曲さえ
騒音とざわめきに過ぎない。
これぞ〈克服者〉の勝利の歌。
〈夜〉の膝でまどろむ山々
砂丘とともに昔を忍ぶ砂漠
夢遊する海、彷徨する星々
死者の町に住まう人々
〈聖なる三位一体〉と〈全能の意志〉が
〈克服する人間〉を讃え、喝采する。
聞いて理解する者たちは幸いである。
一人で〈夜〉とともにあるとき、〈夜〉のごとく
平安で深遠で広やかに感じる者たちは幸いである。
暗闇でなした悪行のせいで
暗闇で顔を苦痛に歪めない者たち
同胞たちに流させた涙のせいで
まぶたが涙で疼かない者たち
手が悪戯と貪欲にむずがゆくない者たち
耳に欲情のうなり声が押し寄せない者たち
思いが他の思いを噛んだりしない者たち
心が、〈時間〉の隅々から際限なく群がってくる
あらゆる種類の心労の巣箱でない者たち
恐怖が脳にトンネルを掘らない者たち
大胆にも〈夜〉に「我らに〈昼〉を示せ」と言える者たち
そして〈昼〉に「我らに〈夜〉を示せ」と言える者たち
そう、三たび彼らは幸いである、
一人で〈夜〉といるとき、〈夜〉のごとく
この上なく調和し、静謐で、無限を感じる者たちは。
彼らだけに〈夜〉は〈克服者〉の歌を歌う。
熱を帯びた昼にここかしこと投げられ
星のない夜に暗闇に包まれ
道を示す足跡も標識もない
世界の十字路に投げ出されても
あなたはいかなる人もいかなる状況も恐れない。
人々や事物と同じく、昼と夜も
遅かれ早かれあなたを求め、自分たちに命令して下さいと
身をかがめて頼むだろうとの
あなたの確信には疑いの影もない。
なぜならあなたは〈夜〉の信頼を得だのだから。
そして〈夜〉の信頼を得る者は
来るべき日にたやすく命令を下せるだろう。
〈夜〉の心に耳を傾けなさい。
なぜなら、〈夜〉の心のうちで〈克服者〉の心が鼓動しているのだ
から。
もし私に涙があったなら、今宵私はすべての瞬く星と塵の粒に
その涙を差し出しただろう。
すべての音たてて流れる小川と歌っているキリギリスに、空中へ
かぐわしい魂を漂わせる董に、疾風に、山と谷に、樹々と草の葉
に-この〈夜〉の妙なる平安と美しさすべてに対し、人間の忘恩
と野蛮な無知に対する謝罪として、私はそれらの前で涙を流した
だろう。
というのも、いまわしい〈金〉という神の崇拝者である人間たちは、
この神に仕えるのに忙しいからだ。
人間は、この神に忙殺されるあまり、この神以外の声や意志にま
ったく注意を払えなくなっている。
そしてこの神の仕事は恐ろしい。その仕事は、人間の世界を屠
殺場にしてしまうことである。
そこで人間たちは、屠殺する者であり、屠殺される者である。そし
て血に酔いしれた人間たちは、屠殺された者たちに授けられて
いた大地の賜物と天の恵みのすべてを、より多く屠殺した者が受
けつぐと信じて、互いに屠殺し合う。
不幸な、騙されやすい者たちよ! かつて狼が別の狼を引き裂
くことで、羊になったことがあるか?
かつて蛇が仲間の蛇を押し潰し呑み込むことで、鳩になったこと
があるか?
人間が他の人間を殺すことで、殺された者の悲しみ抜きに、喜び
のみを相続したことがあるか?
耳が他の耳に栓を詰めることで、〈生〉の調和によりよく和するよう
になったことがあるか?
あるいは眼が、他の眼をくり抜くことで、〈美〉のほとばしりにより敏
感になったことがあるか?
パンであれワインであれ、光であれ平和であれ、天が恵むもの
すべてを一時間のうちに消費し尽くしてしまう一人の人間、ある
いは人間の集団がいるか?
大地は、自らが養えるだけの子どもしか産まない。
天は自らの子どものために、糧をせがみも盗みもしない。
「もしあなたがたが満たされたいなら、殺しなさい。そして、殺し
たものの所有物を相続しなさい」と、人間に言う者は虚言者である。
殺された者の涙と血と苦悶によって、いかにして殺人者が幸せ
になりえよう?
被害者は自らの愛と、大地の乳や蜜、天の深い情愛による幸せ
を逃したというのに。
「それぞれの国が自国のために」と、人間に言う者は虚言者で
ある。
もし百足のそれぞれの足が、互いに反対の方向に向かおうとし
たり、他の足の進行を妨げようとしたり、他の足の破壊を謀ってい
たら、その百足はわずか1インチたりと言えども進むことができな
いのではないか?
人類とは、巨大な百足ではないか?
そのあまたの足が国家ではないか?
「支配することは名誉で、支配されることは恥である」と、人間に
言う者は虚言者である。
駿馬の乗り手は、駿馬の尻尾に導かれているのではないか?
拘禁する者は、拘禁された者に縛られているのではないか?
本当は、駿馬が乗り手を導いている。囚人が看守を拘禁してい
る。
「速い者が競争に勝ち、強者に正義がある」と、人間に言う者は
虚言者である。
というのも、生は筋力や腕力の競争ではないのだから。
障害者や不具者が、あまりにもしばしば健康な者よりはるかに早
く目的地に到達する。
ぶよでさえも剣客を打ちのめすことがある。
「悪を正すには、悪をもってする他はない」と、人間に言う者は
虚言者である。
ある悪の上に重ねられた別の悪は、
決して正義をもたらさない。
悪を放っておきなさい。
そうすればそれは、おのれのなしたこ
とを自ら元に戻すだろう。
しかし人間たちは、自分たちの崇めるあらゆる神々の哲学に編
されやすい。〈金〉の神と、取り巻きの強欲な神々を人間は敬虔に
信仰し、その神々の理不尽な要求さえも忠実に実行する。その一
方で解放を歌い、解放を説く〈夜〉を-神自身でさえも-人間たち
は信頼もせず、気にもとめない。
そしてあなたがた同行者たちは、人間たちから狂人かペテン師と
いう熔印を押されるだろう。
人間たちの忘恩と嘲りの棘に対し怒ってはならない。尽きること
のない愛と忍耐をもって、人間たちに、自分自身からの解放と、
やがて彼らの上に振りかかってくる炎と血の洪水からの解放をさ
とすことに励みなさい。
今や人間が人間を屠殺するのをやめるべき時だ。
太陽と月と星々は、見られ聞かれ理解されるよう永遠の昔から
待ちわびている。
大地のアルファベッ卜は解読されるよう、〈空間〉の大通りは通過
されるよう、もつれた〈時間〉の糸はほどかれるよう、宇宙の芳香
は吸い込まれるよう、苦痛の地下墓地は取り壊されるよう、〈死〉
の住処はくまなく捜索されるよう、〈理解〉のパンは賞味されるよう、
そして人間、つまりヴェールをかけられた神は、ヴェールを取られ
るよう、待ちわびている。
今や人間が人間を略奪するのをやめ、心を一つにして共通の
仕事にいそしむべき時だ。
その仕事は骨が折れるが、勝利の味は甘い。それに比べれば、
他のあらゆる事柄は取るに足らない。
そう、今やそのときだ。しかしそれに気づくのはごくわずかだろう。
他の者たちは、別の呼びかけ―別の夜明けを待たなければなら
ない。
第三十四章
母なる卵 ミクロの神とマクロの神
ミルダッド……この宵の静寂にあってミルダッドはあなたがたに、
〈母なる卵(Mother Ovum)〉について瞑想してもらいたい。
〈空間〉とその中にあるものすべては卵(Ovum)であり、
その殼は〈時間〉だ。
これが〈母なる卵〉である。
大気が〈地球〉を包み込むように、〈進化した神(God Evo
lved)〉、すなわち〈マクロの神〉がこの卵を包み込んでいる。
〈マクロの神〉は肉体を持たない〈生命〉であり、無限で消し
去ることができない。
〈包み込まれた神((God Evolved)、すなわち〈ミクロの神〉が、
この卵の中に包み込まれている。
〈ミクロの神〉は肉体を持つ〈生命〉であり、〈マクロの神〉と同じ
く、無限で消し去ることができない。
この〈母なる卵〉は、人間の尺度では測れないけれども、限界
を持っている。
それ自身は、無限ではないけれども、全面的に無限と境を接
している。
宇宙にあるすべての事物や存在は、同じ〈ミクロの神〉を囲う時、
空の卵以上のものではない。
しかし、囲われた〈ミクロの神〉は、それぞれ成長の段階に応じて
異なる。
人間の内なる〈ミクロの神〉は、動物の内なる〈ミクロの神〉よりも時
空の広がりが大きい。
動物の内なる〈ミクロの神〉は、植物の内なる〈ミクロの神〉よりも時
空の広がりが大きい。
同様に、〈ミクロの神〉の持つ時空の広がりは、創造物のスケール
に応じて変わる。
見えるもの、見えないものを含めた、あらゆる事物や存在を表
現する無数の卵は、〈母なる卵〉のうちで申し分なく調整され、広
がりのより大きい卵が、空間を介在させて、自分に最も近接した、
より小さな卵を包んでいる。これと同じことが最小の卵にまで連な
っていく。最小の卵は、無限小の時空に囲われた中心核である。
卵の中に卵があり、その中にまた卵があり、その数は
人間の数字を受けつけない。
これらの卵はすべて神の受精卵である-それが宇宙なのだ、
私の同行者たちよ。
しかし私の言葉は、あなたがたの精神にとってはあまりにもつかみ
どころがないだろうと私は感じる。かりにも言葉が、完全な〈理解〉
へとつながる梯子の安全でしっかりした横木となるものなら、喜ん
で自分の言葉を、そのような安全でしっかりした横木にしたいと
思う。もしあなたがたが、ミルダッドの願う高みと深みと広がりに到
達したいのなら、
精神以上のものによって、言葉以上のものをしっかりとつかま
えなさい。
言葉はせいぜいのところ、地平を開示する閃光でしかない。
言葉は、地平への道ではなく、ましてや地平そのものではない。
だから〈母なる卵〉や様々な卵のこと、〈マクロの神〉と〈ミクロの神〉
のことについて私か語るとき、字義にとらわれるのではなく、閃光
を追いなさい。そうすれば私の言葉があなたがたのよろめく理解
の力強い翼となるだろう。
周りの〈自然〉を考えてみなさい。〈自然〉が卵の
原理によって打ち建てられているのに気づかないか?
そう、卵の中にあらゆる創造物への鍵が見出せる。
あなたがたの頭、心臓、眼は卵である。すべての果実とその種
は卵である。
水滴やあらゆる生き物の精子は卵である。そして無数の天体、が、
天空でおのれの神秘的な軌道を回っている。これらすべては、
成長の段階がそれぞれ異なる〈生命〉の精髄-〈ミクロの神〉-
を包む卵ではないのか?
〈生命〉はすべて、絶えず卵を孵しながら、卵へと回帰してゆくの
ではないか?
創造の過程はまことに神秘的で、連続的だ。〈母なる卵〉の表面
から中心への〈生命〉の流れ、そして中心から表面への〈生命〉
の流れは、妨げられることなく進行し続ける。
中心核にある〈ミクロの神〉は、〈時間〉と〈空間〉のうちで拡張
するにつれ、卵から卵へ、
〈生命〉の最低の位階から最高の位階へ、最小の時空を持つ
最低の存在から、
最大の時空を持つ最高の存在へと移行する。と
ある卵から別の卵への移行に要する時間は、瞬間から永劫まで
様々だ。
この過程は、〈母なる卵〉の殼が破られ、〈ミクロの神〉が〈マクロの
神〉として出現するまで続く。
このようにして〈生命〉は成育し、成長し、進歩するのだが、それ
は人間のよく言う普通の成長や進歩とは異なる。
というのも、人間たちにとって成長とは、量を積み重ねることであり、
進歩とは前に進むことなのだから。
ところがここで言う
成長とは、〈時間〉と〈空間〉内のいたると
ころでの拡張であり、
進歩とは、あらゆる方向に等しく延び広が
る動きのことである。
つまり、前方と同じく後方へも、そして上方
と同じく下方へも側方へも延び広がってい
くことだ。
それゆえ究極の成長とは、〈空間〉を超え
出ることであり、究極の進歩とは、〈時間〉
を追い越すことである。
そのようにして〈マクロの神〉へと溶け込み、
〈マクロの神〉に備わる〈時間〉と〈空間〉の
束縛からの自由に到達する。
この自由だけが自由の名に値する。
そしてそれが人間に定められた運命だ。
これらの言葉をよく考慮しなさい、仲間たちよ。あなたがたの血
そのものがこれらの言葉を旺盛に吸収しなければ、自分や他者
を自由にしようとするあなたがたの努力が、自分や他者の鎖の輪
をさらに増やすことになりがちだ。ミルダッドは、あなたがたがすべ
ての希求者の理解の助けとなるように、あなたがたに理解してもら
いたい。
ミルダッドは、克服して自由となることを切望している種族の人々
を、あなたがたが〈自由〉へと導けるよう、あなたがたに自由になっ
てもらいたい。
それゆえ彼はさらに進めて、この卵の原理を解明しようとする。
それが特に人間にかかわってくるところは。
人間より階級が下の存在は、すべて一群の卵に囲われている。
そのようにして、様々な植物があるのに応じて同じだけ多くの植
物用の卵がある。
進化の進んだものが、自分より進化していないすべて
のものを囲い込む。
昆虫についても、魚類についても、哺乳類についても同じで
ある。
常により進化したものが、〈生命〉の階級の下層のものを中心核
に至るまですべて囲い込む。
通常の卵の黄身と白身が、中の雛を養い成長させることに仕え
るように、卵に囲い込まれている卵はどれも、中の〈ミクロの神〉を
養って成育させることに仕えている。
より大きな卵へと移る度に〈ミクロの神〉は、時空の食物が、自分
を養い育てた前の卵とわずかに変化していると気づく。
それゆえ時空の広がりに違いがある。気体の中では〈ミクロの神〉
は拡散され形がなかったが、液体においては、より凝縮され形に
近づく。
鉱物ではそれは、明確な形と固体性を得るが、その間ずっと、よ
り高次の形において顕現する〈生命〉の属性をことごとく欠いてい
る。
野菜の中でそれは成長し、増殖し、感じる能力を持った形を取る。
動物においてそれは、感じ、動き、繁殖し、記憶を持ち、思考の
片鱗を持つ。
だが人間においては、以上のすべてに加え、
人格と、熟考し、自らを表現し、創造する能力が備わる。確かに、
人間の創造を神の創造と比べるのは、大建築家の建てた栄えあ
る寺院や壮麗な城塞と、幼な児の作ったカードの家を比べるよう
なものだ。しかしともかく、それは創造なのである。
おのおのの人間は個人の卵となる。
より進化した人間が、より進化していない人間とさらにすべて
の動植物、そして中心核に至るまでのより低次の卵すべてを
囲い込んでいる。
その一方で最も進化したもの―〈克服者〉―は、すべての人
間と、人間より低次の卵すべてを囲い込んでいる。
いかなる人間を囲う卵の大きさも、その人間の時
空の地平の広がりによって測定される。
ある者の〈時間〉の意識は、幼児の頃から現在までの
短い期間しか広がっておらず、その〈空間〉の地平は
眼が届くところ以上のものを含んでいない。
それに対し、別の者の地平は、記憶されていない太古
の昔からはるか彼方の未来にまでわたり、眼がいまだ
立ち入ったことのない広大な空間を包んでいる。
人間を養い成長させる食物は同じでも、栄養を吸収し消化する
人間の能力は同じではない。というのも、彼らは同じ時間と場所
の同じ卵から孵ったわけではないのだから。それゆえ彼らの時空
の広がりは異なる。それゆえ二人としてまったく同じ者は見出せ
ない。
すべての人間の前にかくも豊かにかくも潤沢に広げられた同じ
食卓から、ある者は黄金の純粋と美を満喫して満たされるのに対
し、別の者は黄金自体を糧として常に飢えている。鹿を見た猟師
は、それを殺して消費しようと活気づく。同じ鹿を見た詩人は、猟
師が決して夢見ることのない時間と空間に、翼に運ばれたように
導かれる。シャマダムと同じ〈方舟〉に住んでいながら、ミカヨンは
究極の自由と、〈時間〉と〈空間〉の制約から解き放たれた頂きを
夢見る。それに対し、シャマダムは常に、より長く頑丈な〈空間〉と
〈時間〉のもやい綱にますます自分を縛りつけるのに忙しい。
まことに、ミカヨンとシャマダムは、肘が触れ合うほど近くにいなが
ら、遠く離れている。ミカヨンはシャマダムを包み込む。
しかしシャマダムはミカヨンを包まない。それゆえミカヨンはシャマ
ダムを理解できるが、シャマダムはミカヨンを理解できない。
〈克服者〉の生は、あらゆる人間の生に全側面で
触れる。
ところが一方、いかなる人間の生も、〈克服者〉の生
の全側面に触れることはない。
最も単純な人間には、〈克服者〉は最も単純な者として現れる。
高く進化した人間にとって〈克服者は、高く進化した者として現れ
る。
しかしながら、常に〈克服者〉には〈克服者〉以外に感じることも理
解することもできない側面がある。
それゆえ〈克服者〉は孤独であり、いまだ自分のものとはなってい
ない世界にいるように感じる。
〈ミクロの神〉は制約を嫌う。〈ミクロの神〉は、人間の知性をはるか
に凌ぐ知性を用いて、自らを〈時間〉と〈空間〉の制約から解き放
とうとしている。
より低い存在ではその知性は本能と呼ばれる。通常人において
それは理性と呼ばれる。
より高次の人間においては、それは預言者的感覚と表される。
その知性はこれらすべてであり、それ以上のものだ。名前なきこ
の力をある者は正当にも〈聖霊〉と名付けたが、ミルダッドはそれ
を〈聖なる理解の霊〉と呼ぶ。
〈時間〉の殼を破り、〈空間〉の限界を横切った最初の〈人の
子〉は、正しく〈神の子〉と呼ばれている。
おのれの神性への彼の理解は、〈聖霊〉というふさわしい名で
呼ばれている。
しかしながら、あなたがたもまた神の子であり、あなたがたの
中にも〈聖霊〉の働きが進行中であることを確信しなさい。
〈聖霊〉に沿って働きなさい。
断じてそれに抗ってはならない。
しかしながら〈時間〉の殼を破り、〈空間〉の限界を横切るまでは、
「私が神である」と言わないようにしな
さい。
むしろ「神が私である」と言いなさい。
このことを精神によく叩き込んでおきなさい。さもないと傲慢とむな
しい空想が心を汚し、内なる〈聖霊〉の働きに逆らうおそれがある。
というのも、多くの人間は〈聖霊〉の働きに逆らっており、そのため
に究極の解放を遅らせているのだから。
〈時間〉を征服するには、〈時間〉とともにあなたは〈時間〉と戦わな
ければならない。
〈空間〉を制圧するには、〈空間〉に〈空間〉を食わせなければなら
ない。この両者のいずれかに対して親切な主人でいることは、こ
の両者の囚人にとどまることであり、〈善〉と〈悪〉の果てしない道化
芝居の人質にとどまることである。
おのれの運命を見出し、それを成就することを希求する者は、
〈時間〉を甘やかして時を浪費したりせず、〈空間〉をのんびり歩ん
で歩みを空費することもない。
短い人生の時間の中で彼らは、永劫の巻物を巻き上げ、途轍も
ない広がりを制圧するかもしれない。
彼らは、〈死〉が自分たちを次の卵に連れて行くのを待ちはしない。
彼らは、多くの卵の殼をすべて同時に破るにあたって、〈生命〉の
助けを信頼する。
そのためには、すなわち
〈時間〉と〈空間〉に心を支配されないた
めには、あらゆるものの所有を放棄しなければならない。
所有することが多ければ多いほど、それだけ多く所
有される。
所有することが少なければ少ないほど、それだけ所
有されることは少ない。
そう、あらゆるものの所有を放棄しなさい。〈信念〉、〈愛〉、そし
て〈聖なる理解〉を通した解放への希求を除いて。
第三十五章
神へ向かう途上での火花
ミルダッド……この夜の静寂にあってミルダッドは、神へ向かうあな
たがたの途上に幾つか火花を飛ばしたい。
論議を避けなさい。〈真実〉は公理だ。〈真実〉は証明を必要
としない。
議論と証明に頼らなければならないものは何であれ、遅かれ早か
れ証明と議論によって打ちのめされることになる。
あるものを証明することは、その対立物を論駁することだ。その
対立物を証明することは、そのものを論駁することだ。
神にはいかなる対立物もない。
いかにして神を証明したり論駁したりできようか?
〈真実〉の泉であるためには、舌は決して殻竿、牙、風見鶏、曲
芸師、あるいは腐食動物であってはならない。
語りえないもの(The speechless)を解き放つた
めに語りなさい。
自らを解き放つために無口で(speechless)
いなさい。
言葉は〈空間〉の海を進み、あまたの港に寄港する乗り物だ。言
葉に何を積み込むか注意しなさい。
というのも言葉はおのが道を進んだ後、最後にはあなたの門の
ところで積荷を下ろすのだから。
家にとって帚にあたるものが、心にとっては自己の探究だ。
あなたの心をよく掃除しなさい。
掃き清められた心は、難攻不落の要塞だ。
人々や事物があなたがたを養っているように、あなたがたは人々
や事物を養っている。あなたがたが毒されないために、他者にと
って健全な食物でありなさい。
次のステップが疑わしいときは、じっと立ち止まりなさい。
あなたが嫌うものは、あなたを嫌う。それを好きになり、放っておき
なさい。
そうすることであなたの道から障害物が除かれる。
最も耐えがたい厄介物は、いかなる物でも厄介物とみなすことだ。
どちらを取るか決めなさい。万物を持つか、まったく何も持だない
か。
中間のいかなる選択もありえない。
蹟きの石はどれも警告だ。警告を良く読み取りなさい。
そうすれば蹟きの石は指標となるだろう。
直線は曲線の兄弟だ。一方は近道であり、もう一方は回り道であ
る。
曲線に対して忍耐強くありなさい。
忍耐は〈信念〉に頼るときは健康である。〈信念〉を伴わないときは
麻痺である。
存在すること、感じること、思うこと、想像すること、知ること-人間
の生の巡回の主要な段階がこのように秩序づけられているのを
見なさい。
賞賛を与えることと、受けることに用心しなさい。たとえそれがこの
上なく誠実で分相応だろうとも。
おべっかに関しては、その隠されたもくろみに口も耳も閉ざしなさ
い。
与えることを意識しているかぎり、与えるものすべてを借りている
ことになる。
実際には、自分のものを与えることはできない。
人に与えるものは、実際にはその人から預かって保管していたも
のだ。
あなたがたのものは-そしてあなたがただけのもの-は、たとえ
望んでも譲り渡すことはできない。
平衡を保ちなさい。そうすればあなたがたは、人間が自らを測定
し測量するための尺度であり秤であるだろう。
貧困も富裕もない。あるのは物を使うこつだ。
真に貧しい者とは、自分の持てるものを誤って使う者だ。真に豊
かな者とは、自分の持てるものをうまく使う者だ。
徽臭いパンの皮でさえも、計算できないほどの富であるかもしれ
ない。黄金が貯め込まれた倉庫でさえも、救いようのない貧困で
あるかもしれない。
多くの道が分岐しているところでは、どの道を行こうかとためらう
ことはない。神を求める心には、すべての道が神に通じている。
あらゆる形をとった〈生命〉に畏敬の念をもって近づきなさい。
最も重要でないもののうちに、最も重要なものへの鍵が隠されて
いる。
〈生命〉のあらゆる作品は意味がある-実に驚異的で、卓越し、
模倣不能な意味がある。〈生命〉は無用の些事におのれをかかわ
らせない。
事物は、〈自然〉の仕事場から生じたのだから、〈自然〉の心のこ
もった気遣いと最高に丹精のこもった芸術にふさわしいに違いな
い。
ならば事物は、少なくともあなたがたが敬意を払うに値するのでは
ないか?
もし、ぶよや蟻が尊敬に値するなら、あなたの同胞たちはそれ以上
に大いに尊敬に値するはずではないか?
いかなる人間も見下すな。一人の人間を見下すよりは、すべての
人間に見下されるほうがよい。
というのも、
一人の人間を見下すことは、彼の内なる〈ミクロの
神〉を見下すことであり、いかなる人間の〈ミクロの
神〉を見下すことも、自らの〈ミクロの神〉を見下す
ことなのだから。
港に導く唯一の舵手を蔑む者が、いかにして自分の港に辿り着
くことができようか?
下にあるものを見るために上を見上げなさい。
上にあるものを見るために下を見下ろしなさい。
登ったのと同じだけ降りなさい。そうしないとあなたは、バランスを
失ってしまうことになる。
今日あなたがたは弟子である。明日あなたがたは教師である。良
い教師となるためには、良い弟子でいなければならない。
世界から〈悪〉の雑草を刈り取ろう
としてはならない。
というのも、雑草でさえもよい肥や
しになるからだ。
j
誤って用いられた熱意は、あまりにもしばしばその熱意の持ち主
を殺す。
高く堂々とした樹々だけが森を作るのではない。森には、なんら
かの下生えの濯木や巻きっく蔓が常に必要である。
偽善は覆いの下でやっていけるかもしれない、ほんのしばらくの
間は。永久に偽善を保つことはできない。
あるいはまた、偽善をいぶり出して絶滅させることもできない。
暗い情欲は、闇の中で生まれ繁殖する。その繁殖を防ぎたいの
なら、
情欲に自由の光を与えなさい。
もし千人の偽善者の中から、一人を完全な正直者に感化すること
に成功すれば、そのときあなたの成功は真に偉大だ。
合図ののろしを高く上げなさい。人に見られるように呼びかけて
走り回ってはならない。光を必要とする者に、光への招待は不要
だ。
愚者にとって愚かしさが重荷であるように、半ば賢い者にとって
は賢さが重荷だ。
半ば賢い者の重荷を手助けし、愚者は放っておきなさい。
半ば賢い者のほうがあなたがたより上手に愚者に教えることがで
きる。
しばしばあなたがたは、自分の道が通行不能で、陰影で、同行
者がいないと思うだろう。
意志を持ち、歩き続けなさい。角を曲がる度に新しい同行者を見
つけることになるだろう。
跡の辿れない〈空間〉の中でいまだ歩まれたことのない道はない。
足跡がごくわずかで、まばらなところでは、ところどころは険しく孤
独でも、道はまっすぐで安全だ。
導き手は、道を教えてもらいたがっている者に道を教えることは
できるが、その道を歩むよう強制することはできない。
あなたがたが導き手であると覚えておきなさい。
よく導くためには、よく導かれなければならない。あなたがたの
導き手に頼りなさい。
多くの者があなたがたに「道を教えて下さい」と言うだろう。しか
し「お願いですから私たちをその道で導いて下さい」と言う者は
ごく少数だろう-あまりに少数だろう。
克服への道では、その少数が多数よりも重要なのだ。
歩けないところでは這いなさい。走れないところでは歩きなさい。
飛べないところでは走りなさい。
全宇宙を自らのうちで静止させられないところでは、飛びなさい。
一度ならず二度ならず、百度でもまだ足りないほど、あなたが
たの導きに従おうと苦闘する者が蹟くのを、あなたがたは助け起
こさなければならないだろう。自分もかつては赤子だったことを思
い起こして、もはや蹟かなくなるまで彼を助け起こし続けなさい。
あなたがたが聖別された夢を見るように、あなたがたの心と
精神を許しで聖別しなさい。
〈生〉は、一つの熱病だ。その熱病の強さや種類は、各人が何に
取り憑かれているかによって様々だ。そして人間は常に妄想のう
ちにいる。〈聖なる理解〉の果実である〈聖なる自由〉の妄想に
取り憑かれた者は幸いである。
人間の熱病は変容可能だ。戦争の熱病が平和の熱病へと変
容されるかもしれない。富を蓄える熱病が、愛を蓄える熱病へと
変容されるかもしれない。あなたがたが実践し、教えるよう求めら
れている〈霊〉の錬金術とは、そのような変容だ。
死にゆく者に〈生〉を、生きている者に〈死〉を説きなさい。
しかしながら克服を希求する者には、この両者からの解放を説き
なさい。
「所有すること」と「所有されること」の違いは大きい。
あなたがたは、自分の愛するものだけを所有する。あなたがたが
憎むものはあなたがたを所有する。所有されることを避けなさい。
〈時間〉と〈空間〉の虚空にあって一つ以上の惑星が自らの軌道
を巡っている。この地球はその中で最も若く、いたって元気のよい
赤ん坊だ。
静止した運動-なんという逆説だろう! しかしそれが神の世
界での運動なのだ。
等しくないものがいかにして等しくされるのかを知りたければ、
手の指を見なさい。
偶然の機会は賢者にとっては玩弄物である。愚者は偶然の機
会の玩弄物である。
何物にも不平を言ってはならない。不平を言われたものは、不
平を言った者にとってわざわいとなる。
そのものを鞭打つことは、わざわいを長びかせることである。しか
しそれは、理解されれば忠実な召使となる。
例えば、猟師が鹿を狙っているとき、鹿を逃して、代わりにその
存在にまったく気づいていなかった野兎を仕留めるのは、よくある
ことだ。賢い猟師はそのような場合に「私が本当に狙っていたの
は鹿ではなく野兎だった。私は自分の獲物を得た」と言うだろう。
よく狙いなさい。そうすればいかなる結果も良い結果となる。
あなたがたにやって来るものは、あなたがたのものである。やっ
て来るのが遅れているものは待つに値しない。それに待たせて
おきなさい。
あなたは決して狙ったものを逃さない。もし、あなたが狙っている
ものがあなたを狙っているならば。 逃した狙いは常に得られた
狙いである。あなたがたの心は、いかなる失望をも受けつけない
ようにしなさい。
失望とは、弛んだ心によって揚げられた凧である。それは流産
した希望の腐肉へと運ばれる。
一つの希望が実現するときには、ほかの多くの希望が流産して
しまう。
もし心を墓場に変えたくないならば、あなたの心を希望とかた
く結びつけないよう用心しなさい。
魚が産んだ百の卵のうち、成育して魚になるのは一つあるかな
いかである。しかし残りの九十九の卵が無駄だったわけではない。
〈自然〉はまったく惜しみなく、明確に(discriminately)無差別
で(indiscriminate)ある。あなたがたも同じように、人間の心と精
神にあなたがたの心と精神を植えるときには、惜しみなく、明確
に無差別でありなさい。
なされたいかなる労働にも報酬を求めてはならない。
労働を愛する者にとっては、労働自体が充分な報酬である。
〈創造の言葉〉と〈完全なるバランス〉を覚えておきなさい。
〈聖なる理解〉を通して〈完全なるバランス〉に到達したときに
のみ、あなたがたは克服者となり、あなたがたの手が神の手と協
力して働く。
この夜の平安と静寂があなたがたのうちで共振するように。
あなたがたの〈聖なる理解〉の静寂と平安が夜の平安と静寂を圧
倒するようになるまでは。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
第三十六章
箱船祭とその儀式
メッセージの中で、かくも魅惑的に語られた生けるランプを見る
ことを願った。
ほどなく師が祭壇の階段を上り、群衆に対面するのが見えた。
波打っていた人間の集団は直ちに、注意深く熱心に聞き耳を立
てる一人の人間になった。それから師は語った。
第三十七章
ミルダッドが方舟を出帆させる
ミルダッド……あなたがたはミルダッドに何を求めるのか? 祭壇
を飾るための、黄金の宝石をちりばめたランプか? しかしミルダ
ッドは、鍛冶屋でもなければ、宝石屋でもない。にもかかわら
ず彼は燈台にして港である。
あるいは邪視を祓う護符を求めるのか? そう、ミルダッドは多
くの護符を持っているが、違う種類の護符だ。
あるいは自分の定めた道をおのおのが安全に歩けるための光
を求めるのか? 本当に、なんと奇妙なことだろう! 太陽や月や
星々があるのに、それでも蹟き転ぶことを恐れているとは? それ
ならばあなたがたの眼は導き手として不適格であるに違いない。
もしくは眼が見るための光があまりに乏しいかのいずれかだ。
そしてあなたがたのうちの誰が眼なしで歩もうとするだろう?誰が
光を出し惜しみしていると太陽を責めることができよう?
路上で眼が足を蹟きから守ったとしても、心が道を模索して見
つけられず、蹟いて出血しているのを放っておくならば、それが
何の役に立とう?
光が眼に満ち溢れたとしても、霊がうつろで、照らされていなけ
れば、それが何の役に立とう?
あなたがたはミルダッドに何を求めるのか?
もし、あなたがたが願い求めるものが、光に浸された心と霊を
見ることならば、まことにあなたがたの要求は無駄ではない。
なぜなら私が気にかけているのは、人間の霊と心なのだから。
克服の栄光を祝うこの祭日に、あなたがたは貢物として何を持
ってきたか? 牡山羊や牡羊や去勢牛か? あなたがたが解放
のために払う価格のなんと安いことか! あるいは、あなたがた
が買おうとする解放のなんと安いことか!
山羊を克服することは、人間にとってなんの栄光にもならない。
まことに、いかなる人間も、自らの生命を頭うために哀れな山羊の
生命を生け贅に捧げることは、大いなる恥辱である。
翼を広げた〈信念〉と至高の正義たる〈愛〉の日である、この祭
日の霊を共有するために、あなたがたは何をしたか?
そう、確かにあなたがたは無数の儀式をなし、多くの祈りをつぶ
やいた。しかしそのすべての挙動に疑いがつきまとい、すべての
祈りには憎悪がひそんでいる。
あなたがたがここに来たのは、洪水に対する勝利を祝うためで
はないのか?
あなたがたは征服されたままなのに、どうして勝利を祝うのか?
というのもノアは、自分の海を征服することによって、あなたがた
の海を征服したわけではなく、道を示しただけなのだから。そして
見なさい、あなたがたの海は怒りに満ち、船は難破せんばかりだ。
自らの洪水を克服しないかぎり。あなたがたはこの祭日にふさわし
くない。
あなたがたはそれぞれが、洪水であり、方舟であり、指令者だ。
すがすがしく洗い流された処女地に上陸できる日が来るまでは、
勝利の祝いを急いではならない。
あなたがたは、人間がいかにして自らにとっての洪水となったか
知りたいことだろう
全能の意志がアダムを二つに分けたのは、彼が自らを知り、
己が(一)と一体であることを理解するためである。
そのとき彼は男と女になった。男のアダムと女のアダムになった、
そのとき彼は二元性の生み出した欲望の洪水に押し流された。
欲望は、数限りなく、無限に多彩な色合いを持ち、展開は余りに
も大きく、余りにも放縦であまりに多産だったので今日に至るまで
人間はその波に翻弄される漂流船である。
ある波に目も眩むような高みに押し上げられ
たかと思うすぐさま、別の波にどん底まで突き落とされる。というの
も、彼の欲望は、彼自身が番いになっているのと同様に、番いに
なっているのだから、そして二つの対立物は実際には互いを
補い合っているに過ぎないのに、無知な者にはそれらが一瞬た
りとも息つく暇を与えず、互いにつかみ合い殴り合っているように
見える。
人間は、毎時毎時、毎日毎日、そして非常に長く辛い二元的
な人生の中で、この洪水をかき分けて進むよう招集されている。
この洪水の強力な水源は、心から噴出し、殺到してあな
ながたを流し去る。
この洪水の虹は、あなたがたが空と大地を結婚させて一つとさせ
ない限り、あなた方の空に虹彩を与えることはない。
アダムがイヴに自らを植え付けて以来、人間が収穫してきたの
は、旋風と洪水だ。ある種の情欲が勢力をふるうと、人間の生は
バランスを崩す。そうするとバランスを取り戻すために、人間は
なんらかの洪水に巻き込まれる。そして
人間が愛の鉢で自らの欲望の全てをこね、それを聖なる
る理解のパンに焼き上げることを学ぶまでは、バランスは決し
て調整されない。
ノアの時代に大地を覆った洪水は、人類の知っている最初の洪
水でもなければ、最後の洪水でもない。それは、幾つもの苛烈な
洪水が長く続く中で、一つの最高点を印したに過ぎない。今にも
大地に突然現れそうな炎と血の洪水は、確実にその最高点を越
すだろう。その洪水に浮かぶための準備をしているか?
それともあなたがたは、水没するつもりか?
なんということか! あなたがたは、重石に重石を加えることに、あ
まりにも忙しい。苦痛に満ちた快楽に血を浸すことに、あまりにも
忙しい。どこにも辿り着かない道の地図を作ることに、あまりにも
忙しい。鍵穴から覗くことすらせずに、〈生命〉の倉庫の裏庭に
落ちている種子を拾うことに、あまりにも忙しい。どうしてあなたが
たが水没せずにおれようか、私の漂流者たちよ?
あなたがたは、高く舞い上がり、無限の空間を彷徨し、宇宙を
自分の翼に包み込むために生まれてきたのに、翼を刈り、視力
を傷め、腱をこわばらせるような安逸な因習と信念の鳥小屋に自
らを閉じ込めている。そんなことでどうして来るべき洪水の波に乗
れようか、私の漂流者たちよ?
神の似姿であり肖像であるあなたがたは、その似姿と肖像
をほとんど完全に汚してしまった。
神のように高い自分の身の丈を、自分でも判別できなくなる
までに矯小化してしまった。
神聖なおのれの面立ちをあなたがたは泥で汚し、多くの道化
の仮面をかぶせた。
自らの解き放った洪水にいかに対面するつもりなのか、
私の漂流者たちよ?
あなたがたがミルダッドの言うことに気をとめないかぎり、大地は
あなたがたにとって決して墓場以上のものではなく、空は決して
経帷子以上のものではない。
それに対し、ミルダッドの言うことに気をとめれば、大地は揺藍とし
てあなたがたに仕え、空は王座としてあなたがたに仕えるよう整え
られる。
再び私はあなたがたに言う、あなたがたが洪水であり、方舟で
あり、指令者である。
あなたがたの情欲が洪水である。
あなたがたの肉体が方舟である。
あなたがたの信念が指令者である。
しかし
それらすべてを貫いているのは、あなたがたの意志である。
そしてそれらすべての上をあなたがたの理解が覆っている。
方舟が水漏れせず、航海に耐えられるようにしなさい。しかし
人生をそれだけに費やしてはなら ない。さもないと、出帆の日
が決して訪れず、結局あなたとあなたの方舟は朽ち。その場で
水没することになるからだ。船長の指揮能力と沈着さを確かなも
のとしなさい。
しかし何よりもまず、洪水の水源を探究することを学びなさい。
そしてあなたの意志が、その水源を一つまた一つと干上が
らせるよう訓練しなさい。そうすれば確実に洪水は弱まり、
ついには鎮められるだろう。
情欲があなたを焼き尽くす前に、情欲を焼き尽くしなさい。
情欲の口が牙を持っているか、それとも甘い蜜の嘴を持ってい
るかを確かめるために、情欲の口を覗き込まないようにしなさい。
花々の蜜を集める蜜蜂は、花の毒をも集めている。
あるいはまた、情欲の顔が端正か見苦しいかを細かく調べない
ようにしなさい。イヴにとって蛇の顔は、神の顔より端正だった。
あるいはまた、情欲を秤にかけて重さを確かめようとしてはいけ
ない。誰が王冠と山を重さで比べようとするか? しかし本当は、
王冠のほうが山よりはるかに重い。
そして情欲の中には、昼間には天界の歌を祝い歌っているの
に、夜の帳の下ではジュージューと音を立て、噛みつき、刺すも
のがある。情欲の中には、喜びではち切れんばかりなのに、即座
に悲しみの髑髏に変じるものがある。眼が穏やかで、振る舞いが
従順なのに、突如として狼より獰猛で、ハイエナより陋劣なるもの
もある。そっとしておかれる間は薔薇よりも甘くかぐわしいのに、触
れられて摘まれるやいなや、腐肉やスカンクよりひどい悪臭を放
つものもある。
自分の情欲を善と悪に分けないよう
にしなさい。そのような労働は無駄な
のだから。
善は悪なしには持続しえない。悪は
善のうちにしか根を張れない。
〈善〉と〈悪〉の樹は一つだ。その実は一つだ。
同時に〈悪〉の味を知ることなしには、〈善〉の味を知ることは
できない。
あなたがたが〈生命〉の乳を吸う乳首と、〈死〉の乳を出す乳首
は同じである。
あなたがたを揺藍の中であやしつける手は、あなたがたの墓を掘
る手以外の何物でもない。
私の漂流者たちよ、それが〈二元性〉の性質である。
その性質を変えようと試みるほど、愚かで頑迷であってはならな
い。
それを半分ずつに分け、好きな半分を取り、他の半分を投げ捨
てようとするほど、愚鈍であってはならない。
〈二元性〉の主人でありたいか? それならばそれを善とも悪
とも扱わないようにしなさい。
生と死の乳は、あなたがたの口で酸っぱく変わったのではない
か?
今や、善悪を超越しているがゆえに善でも悪でもない何物かに
よって、口をすすぐべき時ではないか?
今や、甘くも苦くもない果実、すなわち〈善〉と〈悪〉の樹になる果
実とは異なる果実を希求すべきときではないか?
〈二元性〉の支配から脱したいか?
ならば〈二元性〉の樹―〈善〉と〈悪〉
の樹-を心から引き抜きなさい。
そう、それを完全に引き抜き、あらゆる善悪を超越する〈神聖
なる生命〉の種子、〈聖なる理解〉の種子が芽吹き育つように
しなさい。
あなたがたは、ミルダッドの教えは気を滅入らせると言う。
その教えは、私たちから明日を待つ喜びを奪い取ってしまう。
私たちは、けたたましい競争者でいたいのに、その教えは私たち
の活力を奪い、生に無関心な傍観者にしてしまう。というのも、競争
の対象が何であれ、競争することは心地よいからだ。そして追跡
の冒険に乗り出すことは、たとえその獲物が鬼火以上のものでは
なくとも快い。
このようにあなたがたは心の内で言う。そして善と悪の情欲が手
綱を握っている限りは、こころがまったく自分のものではないことを
忘れて
自分の心の主人となるためには、あらゆる情欲をー善きも悪
しきー愛の単一の鉢でこね聖なる理解のオーブンで焼かな
ければならない。
そこですべての二元性が神のうちに統一される。
既に過重な苦悩を抱えている世界に、さらに苦悩を加えるのを
すぐにやめなさい。
あらゆる種類の我楽多と泥を絶えず投げ込んでいる井戸から、
どうして清らかな水を汲み出すことが期待できようか?
毎瞬毎瞬あなたが波立てている沼の水が、かつて澄んで静謐だ
ったことがあったか?
苦悩する世界に平穏の手形を振り出すな。そんなことをすれば、
〈苦悩〉に手形を振り出していることになるのだから。
憎み合う世界に愛の手形を振り出すな。そんなことをすれば、
〈憎しみ〉に手形を振り出していることになるのだから。
死にゆく世界に生の手形を振り出すな。そんなことをすれば、
〈死〉に手形を振り出していることになるのだから。
世界は、おのれそのものである硬貨でしかあなたに支払いができ
ない。そしてその硬貨には表裏両面がある。
そうではなく、平和に満ちた〈理解〉に溢れる無限の〈神なる自
己〉に手形を振り出しなさい。
自分自身に対してしないような要求を世界に対してしてはなら
ない。あるいはまた、人が自分に求めるのを許さないような要求
を人に対してしてはならない。
そしてもし全世界から同意されたとして、あなたが、自らの洪水
を克服し、永続する〈愛〉と〈理解〉の平安のうちに、苦痛と死から
離れ、天国と結びついた大地に上陸するのを助けるものは何
か?それは所有、権力、名声か?、権威、特権、尊敬か?王
冠をいただく野心家、実現した希望か?しかしこれらは皆、あ
なたの洪水の水嵩を増す水源でしかない。これらから離れなさ
い。
私の漂流者だちよ。離れなさい、離れなさい。
清らかでいるために静穏でいなさい。
明瞭に世界を見ることができるよう。清らかでいなさい。
世界を明瞭に見渡したとき、世界がなんと貧弱で無力であるか
がわかるだろう。
あなたがたが自由平和、生に求める者を世界は殆ど何も与えら
れないのだから。
世界があなたに与える全ては肉体である。
二元的な生の海に出帆するための方舟である。
そしてあなたは肉体を世界内の誰にも負っていない。
宇宙は義務上、肉体に必要な物を与え維持する役目がある。
ノアの方舟がきちんと手入れされ水漏れしなかったように、肉体
が洪水の中を進めるよう、きちんと手入れをし、水漏れしないよう
に保つこと、そして。ノアが方舟り中の獣たちを繋ぎ、完全に制
御したように、あなたの方舟の中の獣をつなぎ、しっかり制御す
ることこれはあなたの義務であり、あなたのみの義務である。
用心深く目を光らせ、油断なく覚めた信念に舵を取らせること、
エデンの園の至福に満ちた入口に導く案内人である〈全能の意
志〉を揺るぎなく信じること、これはあなたの勤めであり、あなたの
みの勤めである。
指令者としての不屈の意志を持つこと、克服し、〈聖なる理解〉の
〈生命の樹〉を味わおうとする意志を持つこと、これもまたあなたの
仕事であり、あなたのみの仕事である。
用心深く目を光らせ、ゆだんなく醒めた信念に舵を取らせること、
エデンの園の至福に満ちた入り口に導く案内人である。全能の
意志を揺るぎなく信じること。
これはあなたの勤めであり、あなたのみの勤めである。
神に縛られた人間の目的は神である。これ以下の如何なる目的
も人間の苦痛に報いるに充分ではない。そのみちが長く、疾風
や強風が吹き荒れていたとしても、それがどうだというのか?純粋
な心と透徹した眼差しを持つ信念は疾風を追い越し、強風の上
にまたがるのではないか?
急ぎなさい
というのも道草に費やされた時間は、苦痛の横行する時間だから
だ、
そして人間は、最も忙しいものでさえも、本当は道草食いなのだ。
あなたがたすべてが造船家である。あなたがたすべてが船員で
ある。
あなたがたが、自分自身という無限の大海に出帆し、そこ
で神という名の、存在の声なき調和を見出すことは、永遠の昔か
らあなたがたに割り当てられた果たすべき務めである。
すべての事物は中心を持たなければならない。
そこから光が放射され、その周りを事物が回る。
もし生が-人間の生が-円環であり、神を見つけることがその
中心であるなら、あなたがたの仕事はすべてその中心へと収斂
しなければならない。
それ以外は、血の汗に浸されてはいても、道草である。
しかしミルダッドの仕事は、人間をおのれの運命へと導くことで
あるゆえに、見よ! ミルダッドはあなたがたのために素晴らしい
方舟の出帆の準備を整えた。それは申し分なく建造され、きち
んと指令通りに動く船だ。これは、糸杉とタールで出来た船では
ない。大鴉や蜥蜴やハイエナのための船でもない。そうではなく、
克服を希求するすべての者にとって、真にのろしとなる〈聖なる
理解〉の船。
その積荷は、ワイン樽や葡萄絞り器ではなく、ありと
あらゆるものに対する愛に満ち溢れた心。
あるいはまた、その貨物は動産でも不動産でもなく、金銀や宝石
でもなく、影から離別し、〈理解〉の光と自由に包まれた魂。
大地への係留を断ちたい者、統一されたい者、自らの克服を
希求する者-かような者は、広く来たれ。
〈方舟〉は準備が整った。
風はちょうど良い具合だ。
海は穏やかだ。
このように私はノアに教えた。
このように私はあなたがたに教える。
ナロンダ……………師が語るのを止めたとき、それまで師が語っ
ていた間ずっと、あたかも息を止めていたかのように動きのなかっ
た集団に、ざわざわとした動きが広がった。
祭壇の階段から降りる前に師は、私たち七人を呼び、竪琴を持
って来させた。
私たちの協力を得て師は、〈新しい方舟〉の讃美歌を歌い始めた。
群衆はそのメロディーに聴きいった。そして力強い波のように、
天へと向かう甘美なリフレーンがうねり高まっていった。
神を船長にいただき、出帆せよ方舟!
「この書物の中で世に
公表することが私に許されている
部分はここで終わる。
残りの部分については、
いまだ
そのときではない。」
ミハイル・ナイーミ